最後に願うなら

黒田悠月

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私、きっと今ものすごく間の抜けた顔をしているわ。

それと比べ、目の前の男性のなんと見目麗しいことか。

細身ながらもスッとまっすぐに伸びた背に長い手足。シャープな輪郭の顔立ちにラピスラズリの双眸に形のいい淡く色づいた唇。
深く濃い青の瞳を囲むのは髪と同じ艷やかな黒の睫毛。長めの前髪は今は後ろに撫でつけられている。耳の下あたりで切り揃えられた後ろ髪は片側だく耳にかけられていて、耳朶の小さな黒真珠のピアスが見えていた。

相も変わらずなんと目の毒な顔だろうか。
彫刻のように完璧に整った目鼻立ちは一見すると酷薄にも見えそうなものなのに、ほんの少し下がった目尻と左目の下のホクロが柔和さとやたらな色気をつけ加えている。

間近で見つめられると条件反射で頬を染めずにはいられない。そんな顔である。

私は彼を知っている。

カシーム・リジム。26才。乙女座。
王宮魔法師団副団長で、魔法騎士でもあって。
伯爵家の三男で。
一応軍属になる。

だけれど戦闘の類は嫌いで、本当は研究職につきたかったらしい。

実際一度研究に没頭すれば最後、食事も睡眠もお風呂も後回しで平気で数日間は籠もり、出てきた頃には髪はボサボサ目の下には隈がくっきり、シャツはしわしわのヨレヨレ。墓場から這い出てきた幽鬼かはたまたスラムの浮浪者かという有り様になるのを私は知っている。

コーヒーの好みはブラックなくせに一緒に甘いミルク入りのチョコを摘むのを好むことも知っている。


何故私がそんなことまで知っているのかといえば、彼――カシーム・リジムが私の婚約者だからである。

カシームがこの店に来たことはない。
と、いうよりこんな寂れた客もろくに来ない古書店に来るような人ではない。
そんな身分でもない。

そもそもここは貴族が客として訪れる大店の並ぶ通りではないし、この店も、とても貴族の御曹司が足を運ぶような店ではない。

さして珍しい本が並ぶわけでもない。
さして価値のある本が並ぶわけでもない。
庶民にとってすれば本自体高価なものではあるけれど。それでもうちの棚に並んでいるような本は庶民でも裕福な人間なら手が出る程度の本の中では安価な読み物ばかり。

実は奥にはこっそり少しだけ珍しい本が置いてあるにはあるのだけれど、それらはあくまでも私が自分で読むために手に入れたものであったり、修繕や写本の依頼で預かっている本であるので、店に並ぶことはない。

ならば私に会いに来たのかというと、そうでもない。

何故ならカシームは私がこの店の店主であることを知らないのだから。

カシームが知る私は常に濃ゆい化粧をし、魔法師団の制服の上に蒼いローブをまとった姿か、髪を美しく結い上げ派手なドレスをまとった伯爵令嬢ミリーゼ・シュトラトフの私。

質素な庶民の着る麻のブラウスに膝下のスカートという衣服で、髪を両耳の後ろでみつ編みにした化粧っ気のないソバカス眼鏡女ではないのだ。

「店主」

耳朶を打つ低く心地よい声に、私は二度、パチパチと瞬きをして、こくんと喉を鳴らした。
貴族の令嬢として、常に淑女でらしく感情をみだりに顔に出すことはなかれと教育されてきたことがこんなところで役に立つとは。

顔も身分も良くて声もいい。
いったいおまえはどこの恋愛小説のヒーローだ。
俺様なところがあるから、純愛もののヒーローには向かないだろうか?
いやでも俺様ヒーローもそれなりに需要はあるものだから、やはりリアル白馬の王子様か?

顔はほんの少し驚きに目を見張っただけ。
急に声をかけられて動揺した寂れた古書店の年若い女性店主。
カシームの目にはそのように写っているはずだ。

たとえ優秀な魔法師であっても人の胸の内を聞く耳は持たないのだから。

だから私がいつかこの人は妬み嫉み僻み、あるいは自分の恋人や片恋の相手を誑かしたと夜道に襲われたとしても、ああとうとう逆恨みが表面化したのだなとしか思わないだろうなんて、ただその時は私が側にいる時が良いと、そうであれば私が身を持って庇うこともできるからと、そんなことをつらつらと考えているなんてまったく思いつきもしない。

もっともその時は私の出番を待つ前に自力で反撃し、取り押さえてしまうだろうが。


「……失礼しました」

パタリと手元の本を閉じて椅子から立ち上がると、私はお辞儀をした。

「あの、さっきのは独り言なんです。だから、気にしないでください。それで、何かお探しでしょうか?――お客様」

小首を傾げて問う。
頭の中でも本当に彼のような人間がこんな店になんの用があるのかと、首を傾げながら。



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