日々の欠片

小海音かなた

文字の大きさ
上 下
211 / 366

7/30『妻の休暇』

しおりを挟む
 育児を一段落させた妻が“母”と“妻”を休止すると言い出した。離婚でも切り出されるのかと思って身構えていたら、小さい頃からの夢に再チャレンジしたいのだという。
 俺も転職のときかなり応援してもらっていまは成功しているから、今度は俺が妻を応援したいと思った。
 妻の夢、漫画家。
 子育てエッセイとか描くのかな? って思ってたら、劇画調の本格推理漫画だった。
「え、意外」
「そう? イラストタッチのやつ描くの苦手なんだよね」
 ペンタブを器用に操作しながら妻が言う。
 うん、画風もなんだけど、推理物なのも意外だった。そういえば結婚前はよく謎解きイベントに行ってたっけ。
「なにか手伝えることある?」
「私がいままでしてきたこと、やってほしい」
「というと?」
「家事全般」
 自分も手が空いたり時間ができればやるけど、コンテストの締切が迫っているからしばらくは無理、とのこと。
「わかった、頑張ってみる」
 とは言ったものの、仕事との両立はなかなかハードだった。息子は手伝おうとしてもくれないし、娘は学校と趣味で忙しそう。
 ごはんなに、ごはんまだ攻撃に耐えかねて気づく。自分もその攻撃を妻に浴びせていたな、と。
 子供ができるまでは共働きで、子供が生まれてからは家事と育児につきっきり。仕事で疲れて帰ってきてるんだから部屋くらい綺麗にして、メシと風呂の用意も終わらせておいてくれよ、とか言ってた自分をぶん殴りたい。
 趣味を仕事にするな、という提言をよく聞くが、自分の場合は趣味を仕事にしたからここまでやってこれた感がある。
 妻は自分に適しているという理由で前職に就いたらしく、確かにバリバリ働いていたが、それはそれで大変だったようだ。
「趣味だったの? 漫画描くの」
 目と手を休めるためにお茶を飲んでいた妻に聞いた。
「いや、子供の頃からプロになりたいと思ってた」
 使命というか決定事項というか、とにかく何故か自分は漫画家になるんだ、と思って生きて来たらしい。子供の頃もプロになるための下準備として、ノートに何作も漫画を描いたりネームを切ったりネタ帳を作ったりしていたという。
 いまの作風は高校生の頃に培ったものだそうで、もっと子供の頃はラブストーリーなんかを描いていたという。
「でもなんか、性に合わなくて……そもそもそういう漫画は家になかったし」
「いまの絵は誰の影響?」
「父さんが好きで集めてた漫画の作者さんが劇画界の大御所でね。その人が描く線がステキだったんだよね~」
 妻はウットリと言って、ネットで検索したその漫画家の絵を見せてくれた。
 繊細で緻密な絵は、確かに見る者の心を動かす。
「到底及びませんけどね」
「いやいや」
 絵心が全くない自分には、見ていても違和感なく楽しめる絵が描けるだけで尊敬に値する。
 妻はずっとプロになると思って漫画を描いていたのだけど、ご両親にせめて就職してくれと懇願されたという。
「いまならプロになるための学校とかもあるけど、当時なかったからさ。あっても通わせてもらえなかったと思うけど」
 妻のご両親は公務員で、真面目でお堅い印象。てきとーに楽しく生きてきた俺とは大違い。
 妻の実家に里帰りするときは、いつでも緊張する。
「仕事も楽しかったけど、やっぱりこの道に進めないで人生を終えるのは嫌だなって思って」
「わかる。やり残すことはないに越したことはない。無理して倒れるのを回避してくれればいいから、頑張って」
「ありがと」
 プロデビューも、ヒット作を生み出すのも狭き門だろうけど、妻を全力で応援したいから、俺は今日も家事に勤しむ。
 いい機会だから子供たちにも手伝ってもらって、俺みたいに一人暮らしするとき困らないようにしてもらおう。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

兄の悪戯

廣瀬純一
大衆娯楽
悪戯好きな兄が弟と妹に催眠術をかける話

独り日和 ―春夏秋冬―

八雲翔
ライト文芸
主人公は櫻野冬という老女。 彼を取り巻く人と犬と猫の日常を書いたストーリーです。 仕事を探す四十代女性。 子供を一人で育てている未亡人。 元ヤクザ。 冬とひょんなことでの出会いから、 繋がる物語です。 春夏秋冬。 数ヶ月の出会いが一生の家族になる。 そんな冬と彼女を取り巻く人たちを見守ってください。 *この物語はフィクションです。 実在の人物や団体、地名などとは一切関係ありません。 八雲翔

瞬間、青く燃ゆ

葛城騰成
ライト文芸
 ストーカーに刺殺され、最愛の彼女である相場夏南(あいばかなん)を失った春野律(はるのりつ)は、彼女の死を境に、他人の感情が顔の周りに色となって見える病、色視症(しきししょう)を患ってしまう。  時が経ち、夏南の一周忌を二ヶ月後に控えた4月がやって来た。高校三年生に進級した春野の元に、一年生である市川麻友(いちかわまゆ)が訪ねてきた。色視症により、他人の顔が見えないことを悩んでいた春野は、市川の顔が見えることに衝撃を受ける。    どうして? どうして彼女だけ見えるんだ?  狼狽する春野に畳み掛けるように、市川がストーカーの被害に遭っていることを告げる。 春野は、夏南を守れなかったという罪の意識と、市川の顔が見える理由を知りたいという思いから、彼女と関わることを決意する。  やがて、ストーカーの顔色が黒へと至った時、全ての真実が顔を覗かせる。 第5回ライト文芸大賞 青春賞 受賞作

【完結】婚約破棄からの絆

岡崎 剛柔
恋愛
 アデリーナ=ヴァレンティーナ公爵令嬢は、王太子アルベールとの婚約者だった。  しかし、彼女には王太子の傍にはいつも可愛がる従妹のリリアがいた。  アデリーナは王太子との絆を深める一方で、従妹リリアとも強い絆を築いていた。  ある日、アデリーナは王太子から呼び出され、彼から婚約破棄を告げられる。  彼の隣にはリリアがおり、次の婚約者はリリアになると言われる。  驚きと絶望に包まれながらも、アデリーナは微笑みを絶やさずに二人の幸せを願い、従者とともに部屋を後にする。  しかし、アデリーナは勘当されるのではないか、他の貴族の後妻にされるのではないかと不安に駆られる。  婚約破棄の話は進まず、代わりに王太子から再び呼び出される。  彼との再会で、アデリーナは彼の真意を知る。  アデリーナの心は揺れ動く中、リリアが彼女を支える存在として姿を現す。  彼女の勇気と言葉に励まされ、アデリーナは再び自らの意志を取り戻し、立ち上がる覚悟を固める。  そして――。

桜のかえるところ

響 颯
ライト文芸
ほっこり・じんわり大賞エントリー中。桜をキーワードにしたショートショートの連作。♢一話♢……いた! 前から3両目、右側2番目のドア。――いつも見かける彼が目の前にいて慌てる主人公。電車の中での淡い恋の物語。♢二話♢「桜染めってね、花びらじゃなくて芽吹く前の枝を使うんだよ」――桜が大好きな彼女と生まれたばかりの『桜』と僕。家族三人での幸せな生活に訪れた切ない別れの物語。♢三話♢「じいさん! ちょっと来んさい!」 ばーちゃんの切れてる声で目が覚めた。――ちょっとずれてるみかん好きなじーちゃんとそれをいつも怒ってる元気なばーちゃん。八人家族を支えるばーちゃんが突然入院した。夕飯作りを任された高校生の礼の物語。♢四話♢(長くなります)桜の夢。真詞の夢。英霊たちの夢――。現在執筆中です。

処理中です...