前の野原でつぐみが鳴いた

小海音かなた

文字の大きさ
上 下
60 / 69

Chapter.60

しおりを挟む
 都心から少し外れた観光地の繁華街。ホビーショップの店内で撮影を終え次の現場へ行くべく、少し離れた場所に停車中の移動車へ戻る。その途中で紫輝が胸や腰あたりをパタパタと掌で探った。
「あれ?」楽屋にスマホを忘れたことに気付き「ごめん、ちょっと戻ってスマホ取ってくる」マネージャーとメンバーに声をかけると、
「俺も行こうか?」先を歩いていた所沢が振り返る。
「車の場所わかるんで大丈夫っすよ」
「そう? じゃあ先行くんで、気を付けてね」
「はい」
 小走りにいま来た道を戻る。まだ残っていた撮影スタッフに軽く事情を説明して、バラしかけの簡易楽屋に入れてもらった。
 座っていた椅子の上にぽつんと、紫輝のスマホが鎮座している。
「あったあった」
 ジーパンのポケットに入れたとき、なんらかの拍子に滑り落ちたのだろう。
「すみません、ありました。ありがとうございます」
 また落としたら嫌だな、と、ポケットには入れず手に持ったまま移動をする。
 顔を合わせるスタッフに「お疲れ様です」と挨拶をしつつ小走りでビルを出ると、道向かいにいる数名の女性グループが紫輝に気付き沸き立った。
(やべっ)
 少し離れたところにしか横断歩道はない。交通量も多くすぐに渡っては来れないが、声をかけられるのも時間の問題だ。
 行きかう車体に隠れて、横目に見えた小道に入る。
 後方を気にしつつ路地を抜けて大通りに出ると、目の前に突然、人影が現れた。
「ふぁっ」「うぉっ」
 思わず両手を開き、顔の横に掲げる。
「「ごめんなさい!」」
 自分の声に女性の声が重なった。
 ホールドアップした紫輝の目の前に、驚き顔の女性が立っている。その姿を見た瞬間、紫輝に一種のひらめきが生まれた。
(えっ、いやっ、でもっ!)
 一瞬の葛藤。しかし、ここで言わなければもうきっと、この先一生出会えない。
「あのっ! オレっ!」
 意を決して呼びかけるが、いま来た道の向こうから「あれ前原くんだったよね」「えー、どっち行ったんだろ」先ほどのグループと思しき女性たちの声が聞こえた。
(タイミング~!)
 ここで見つかると騒ぎになり、周りに迷惑をかけてしまう。
「ごめんなさい」
 もう一度言って、数メートル先に停まっている移動車に向かう。
(いやいやいや! えっ?! オレ、なに言おうとした?! 言ってどうなる?!)
 初対面の、道端でぶつかりそうになっただけの相手。しかし、紫輝はそれだけじゃない感情を抱いてしまった。この機会を逃したら、もう二度と会えないであろう相手に。
 バンの後部座席を開けて車内に滑り込む。
(もし、万が一また会えたら、絶対チャンス掴もう)
 恐らくとても低いであろう再会の機に、想いを託すことにした。
「おかえりー」
「あったの? スマホ」
「あったあった。あれ……?」と右手を見る。持っていたはずのスマホがない。「えっ? あれっ?」言いながら、胸や腰あたりをパタパタと掌で探る。
「えっ? うそでしょおじいちゃん」
 紫輝の姿を見て、右嶋が引き気味に言う。
「いやいや、えっ? ウソウソ。落とした音しなかったじゃん」
「なにぃ?」騒ぎに気付き、後部座席で寝ていた左々木が起きる。
「おじいちゃんがさっき取ってきたスマホまた落としたんだって」
「おじいちゃんってやめて」右嶋の言葉を紫輝が否定する。
「えー? なにやってんの」と左々木。
「どこら辺まで持ってたの」と後藤。
「え? さっき、カワイイコとぶつかりそうになったときまで」
 後部を振り返り、リアガラスから外を見る。
 “カワイイコ”はあの場所にはもういない。
「どの辺?」黙って話を聞いていた所沢が、運転席から問いかける。
「あの、駅ビルと小さい店の間から出てきたあたり」
 所沢は車内のメーターパネルで時間を確認して
「わかった。ちょっと待ってて」
 車を降りて紫輝が言う場所まで小走りに向かう。
 件の道のあたりをザッと見まわし、すぐ目の前の店先にいたスタッフと会話をしてから車内に戻る。
「落ちてなかったし、拾っても届けられてもないって」
「マジかー」
 しかし、紫輝の希望が一つ残った。
(そうだといいな……)
 一縷の望みを抱いたとき、
「ねーねー」
「カワイイコってどんなコー?」
 右嶋と左々木が紫輝に問いかける。
「いや、どんなコって……」
「出しますよー」所沢がゆっくりと発車させる。
 “カワイイコ”の顔を思い出そうとして、紫輝がハッとした。
「やべっ! 久我山さんっ! ちょっ、誰かスマホ貸して! オレ今日、夜、久我山さんとメシ行くのにスマホない!」
「えー? ジュース1本~」
「じゃあオレ2本~」
「オレ3本~」
「いや増えるのおかしいでしょ」
 結局、隣に座っていた右嶋に借りて久我山に連絡を入れる。
 その夜、紫輝は久我山の協力を得て、鹿乃江に再会する約束を取り付けた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

アフォガード

小海音かなた
恋愛
大学生になった森町かえでは、かねてより憧れていた喫茶店でのバイトを始めることになった。関西弁の店長・佐奈田千紘が切り盛りするその喫茶店で働くうちに、かえでは千紘に惹かれていく。 大きな事件もトラブルも起こらない日常の中で、いまを大事に生きる二人の穏やかな物語。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

恋とキスは背伸びして

葉月 まい
恋愛
結城 美怜(24歳)…身長160㎝、平社員 成瀬 隼斗(33歳)…身長182㎝、本部長 年齢差 9歳 身長差 22㎝ 役職 雲泥の差 この違い、恋愛には大きな壁? そして同期の卓の存在 異性の親友は成立する? 数々の壁を乗り越え、結ばれるまでの 二人の恋の物語

事実は小説より生成り

小海音かなた
恋愛
シガラキ チヤはイラストレーター。憧れの小説家・新成 宿の著書に、自身の作品が挿絵として起用される事を夢見て日々奮闘中。 ある日、担当編集者から呼び出されたチヤは案内された先で宿を紹介され、切望していた挿絵の依頼も舞い込んだ――。 仕事に重きを置きつつも惹かれ合う気持ちは日々ふくらんでいく。 ゆっくり遠回りしながら近付いていく男女の『オトナ思春期』ラブストーリー第三弾。

アンコール マリアージュ

葉月 まい
恋愛
理想の恋って、ありますか? ファーストキスは、どんな場所で? プロポーズのシチュエーションは? ウェディングドレスはどんなものを? 誰よりも理想を思い描き、 いつの日かやってくる結婚式を夢見ていたのに、 ある日いきなり全てを奪われてしまい… そこから始まる恋の行方とは? そして本当の恋とはいったい? 古風な女の子の、泣き笑いの恋物語が始まります。 ━━ʚ♡ɞ━━ʚ♡ɞ━━ʚ♡ɞ━━ 恋に恋する純情な真菜は、 会ったばかりの見ず知らずの相手と 結婚式を挙げるはめに… 夢に描いていたファーストキス 人生でたった一度の結婚式 憧れていたウェディングドレス 全ての理想を奪われて、落ち込む真菜に 果たして本当の恋はやってくるのか?

消えた記憶

詩織
恋愛
交通事故で一部の記憶がなくなった彩芽。大事な旦那さんの記憶が全くない。

社長室の蜜月

ゆる
恋愛
内容紹介: 若き社長・西園寺蓮の秘書に抜擢された相沢結衣は、突然の異動に戸惑いながらも、彼の完璧主義に応えるため懸命に働く日々を送る。冷徹で近寄りがたい蓮のもとで奮闘する中、結衣は彼の意外な一面や、秘められた孤独を知り、次第に特別な絆を築いていく。 一方で、同期の嫉妬や社内の噂、さらには会社を揺るがす陰謀に巻き込まれる結衣。それでも、蓮との信頼関係を深めながら、二人は困難を乗り越えようとする。 仕事のパートナーから始まる二人の関係は、やがて揺るぎない愛情へと発展していく――。オフィスラブならではの緊張感と温かさ、そして心揺さぶるロマンティックな展開が詰まった、大人の純愛ストーリー。

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

処理中です...