上 下
41 / 69

Chapter.41

しおりを挟む
「つぐみさーん、お待たせしました」
「んーん、全然?」客席の動きを見るのがなかなかに楽しく、時間はあっという間に過ぎていた。
「やっぱちょっと遠いですねー」
「でも見やすそうだよ? ファンの人は近いほうが嬉しいか」
「まぁ、前回までの会場よりだいぶおっきいですからねー。嬉しいような寂しいような……」
 荷物を椅子の下に置きながら、園部がうちわを取り出した。
「とわくん、だっけ?」
「そうです、私の推しです!」
 物販品のうちわに装飾がされている。これを掲げて本人に見つけてもらうのもライブの楽しみのひとつらしい。
「いいね、目立ちそう」
「見つけてもらえるといいんですけどねー」
「客席数少ないゾーンだから、案外見つけやすいかもよ?」
「そうだといいなー。わー、ドキドキしてきた」
 客席のざわめきが徐々に大きくなっていく。目立っていた空席も埋まりつつある。
「そろそろ始まるかもですね」
 浮き立つ会場の空気に、園部もソワソワし始める。
「あっ、そうだ。これ良かったら振ります? 前のライブのやつなんですけど」
 と、椅子の下のカバンからペンライトを取り出し、鹿乃江に渡した。
「えっ、わざわざありがとう。借りるね」
「どうぞどうぞ」
 このストラップに手を通すんですよー、と教えられ、その通りにしてみる。確かにこれがあれば手をすり抜けてしまっても落ちる心配はない。
「前の人こないなー」
 鹿乃江たちの一列前、スタンド席の最前列に空席がある。ちょうど目の前の席で、実質二人の席が最前列になっている。そのせいか、かなり見通しがいい。
「始まったら来るかもね」
「そうですね」
 明るい会場内にポツポツとペンライトの光が浮き上がる。園部もストラップに手を通し、ペンライトを左手に装着した。
 鹿乃江は念のため通知音を切ってからスマホの電源を落とす。
 ほどなくして場内の照明が落ち、大歓声と共に場内の大型モニタ全てにオープニング映像が流れ始めた。
 ストーリー仕立てでメンバーを紹介していく演出で、個人名と写真が出るたび客席から黄色い声があがる。
 最後に紹介された紫輝は、ちょっとギョッとするくらい美しい。
(うわっ……!)
 息をのみ、モニタを見つめる。
 映像の中で、バラバラの場所にいた四人が集まり正面に向かって歩いてくる。それに連動してモニタ下の中央扉が開き、光を浴びてFourQuartersがメインステージに登場した。
 それまで以上に湧き上がる歓声が落ち着くころ、紫輝の透き通るような歌声が場内に響き渡った。
 瞬間、身の毛がよだち、涙があふれる。
 もうなにも考えられず、ただその歌声を聞き逃さないように、姿を見逃さないようにすることしかできなかった。
 紫輝の歌声から始まるその曲は、歌い出し後にイントロが流れてアップテンポになる。それに同調して湧き上がる歓声と揺れるペンライトの光。
 それを一身に受けたFourQuartersは、映像で視るよりももっとまぶしく見える。照明効果や演出効果の影響ではなく、声援を受け、歌い、踊る彼ら自身が光を放っているようだ。
 園部に借りたペンライトを曲に合わせて振りながらステージ上の紫輝を目で追い続けると、様々な感情と情報がぜになって、思考を飲み込んだ。

 あの日ぶつかりそうになった“肌の綺麗な男の子”が、鹿乃江の目に映る景色を変えていく。
 出会わなければ知らなかった人、場所、感情、経験――様々なものを軽やかに運んで分け与え、心の中の淀んだ空気を一気に吹き飛ばし光を浴びせる。
 それは、足をすくませ立ち尽くす鹿乃江の手を引き、新しく遠い未来へと進む先駆者のよう。
 ただ出会っただけで、こんなにも世界は変わる。それを教えてくれる、唯一無二の存在。
 ただ出会えただけで、それだけで幸せだったと思えた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ずぶ濡れで帰ったら彼氏が浮気してました

宵闇 月
恋愛
突然の雨にずぶ濡れになって帰ったら彼氏が知らない女の子とお風呂に入ってました。 ーーそれではお幸せに。 以前書いていたお話です。 投稿するか悩んでそのままにしていたお話ですが、折角書いたのでやはり投稿しようかと… 十話完結で既に書き終えてます。

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

長い片思い

詩織
恋愛
大好きな上司が結婚。 もう私の想いは届かない。 だから私は…

分かりました。じゃあ離婚ですね。

杉本凪咲
恋愛
扉の向こうからしたのは、夫と妹の声。 恐る恐る扉を開けると、二人は不倫の真っ最中だった。

心の声が聞こえる私は、婚約者から嫌われていることを知っている。

木山楽斗
恋愛
人の心の声が聞こえるカルミアは、婚約者が自分のことを嫌っていることを知っていた。 そんな婚約者といつまでも一緒にいるつもりはない。そう思っていたカルミアは、彼といつか婚約破棄すると決めていた。 ある時、カルミアは婚約者が浮気していることを心の声によって知った。 そこで、カルミアは、友人のロウィードに協力してもらい、浮気の証拠を集めて、婚約者に突きつけたのである。 こうして、カルミアは婚約破棄して、自分を嫌っている婚約者から解放されるのだった。

【完結】やさしい嘘のその先に

鷹槻れん
恋愛
妊娠初期でつわり真っ只中の永田美千花(ながたみちか・24歳)は、街で偶然夫の律顕(りつあき・28歳)が、会社の元先輩で律顕の同期の女性・西園稀更(にしぞのきさら・28歳)と仲睦まじくデートしている姿を見かけてしまい。 妊娠してから律顕に冷たくあたっていた自覚があった美千花は、自分に優しく接してくれる律顕に真相を問う事ができなくて、一人悶々と悩みを抱えてしまう。 ※30,000字程度で完結します。 (執筆期間:2022/05/03〜05/24) ✼••┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈••✼ 2022/05/30、エタニティブックスにて一位、本当に有難うございます! ✼••┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈••✼ --------------------- ○表紙絵は市瀬雪さまに依頼しました。  (作品シェア以外での無断転載など固くお断りします) ○雪さま (Twitter)https://twitter.com/yukiyukisnow7?s=21 (pixiv)https://www.pixiv.net/users/2362274 ---------------------

2番目の1番【完】

綾崎オトイ
恋愛
結婚して3年目。 騎士である彼は王女様の護衛騎士で、王女様のことを何よりも誰よりも大事にしていて支えていてお護りしている。 それこそが彼の誇りで彼の幸せで、だから、私は彼の1番にはなれない。 王女様には私は勝てない。 結婚3年目の夫に祝われない誕生日に起こった事件で限界がきてしまった彼女と、彼女の存在と献身が当たり前になってしまっていたバカ真面目で忠誠心の厚い騎士の不器用な想いの話。 ※ざまぁ要素は皆無です。旦那様最低、と思われる方いるかもですがそのまま結ばれますので苦手な方はお戻りいただけると嬉しいです 自己満全開の作品で個人の趣味を詰め込んで殴り書きしているため、地雷多めです。苦手な方はそっとお戻りください。 批判・中傷等、作者の執筆意欲削られそうなものは遠慮なく削除させていただきます…

〖完結〗旦那様には出て行っていただきます。どうか平民の愛人とお幸せに·····

藍川みいな
恋愛
「セリアさん、単刀直入に言いますね。ルーカス様と別れてください。」 ……これは一体、どういう事でしょう? いきなり現れたルーカスの愛人に、別れて欲しいと言われたセリア。 ルーカスはセリアと結婚し、スペクター侯爵家に婿入りしたが、セリアとの結婚前から愛人がいて、その愛人と侯爵家を乗っ取るつもりだと愛人は話した…… 設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 全6話で完結になります。

処理中です...