前の野原でつぐみが鳴いた

小海音かなた

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Chapter.30

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 収録前、久我山が楽屋で待ち時間をつぶしているとドアがノックされた。
「はーい。開いてますよー」
 久我山の返答に、ゆっくりとドアが開く。
「くがやまさん…おはようございます……」
 ドアの隙間から顔を覗かせた紫輝は、いまにも泣き出しそうだ。
「おぉ、なんや、どーした」
「きょうよる、あいてますか」
「空いてるけど……なんやお前、魂抜けてるやんか。時間あんなら入ったら?」
 読んでいた新聞を畳み手招きをして室内に呼び込むと、靴を脱ぎ、半ばなだれ込むようにして紫輝が机に突っ伏した。
「なんやの。なにがあったの」
 いつもはうっとうしそうに茶化す久我山だが、紫輝のあまりの落ち込みようにそれすらできない。
「つぐみのさんの…めっせの…きどくがつかなくて……」
 突っ伏しながら絞るような声でしゃべる。
「なんや…」そんなこと、と言いそうになって、やめる。“そんなこと”と思えていないから、紫輝にしては珍しく人前で弱音を吐いているのだ。
「どのくらいつかんの」
「ここ三週間……ずっとです……」
「三人でメシ行ったあとから?」
 腕に顔をうずめたままで紫輝が頷く。
(おせっかい焼きすぎたかな……いや、でも、まんざらでもなかったはずやし……)
 連絡先を交換しておけばよかった、と久我山は今更ながら後悔する。まさか鹿乃江がこちらの選択をするとは思っていなかったのだ。
「あれから二人でどっか行ったん?」
「行きましょうって誘ったメッセが、もう…読んでもらえてない……」
「あらら……」
(鶫野さん、案外重症やったかー……)
 久我山には、その人の持つ性質を見抜く力がある。鹿乃江は、人を気遣いすぎて自分の意志や気持ちは二の次になるタイプ。
 しかし恋愛感情には畏怖を抱き、相手が自分のことをどう想っていようとそれに気付かないように目を背け、自分が傷つかないように身を潜めてしまう。たとえ、それが結果的に人を傷つけることになったとしても。
 きっと、紫輝にあまり深入りしないよう自分から身を引いてしまうだろうと思っていた。だから、そんな心配はしなくていいと後押しをした。つもりだった。
「余計なおせっかいやったかなぁ……」後頭部を掻きながら久我山が呟く。
「せんぱいは、なにも…。…むしろ…二人きりじゃ聞けなかったこと、聞けたんで……」
「んんー……」久我山も一緒に頭を抱える。「どんなメッセ送ったん? またグイグイ行ったん?」
「そんな…そこまで……いや…もぅ、わかんないっす……」
「お前これから収録やろ。大丈夫か」
「だいじょうぶじゃないですけど、だいじょうぶになるしかないんで……」
 いまにも消えてなくなりそうな紫輝の声に、コンコンとノック音が被る。
「はーい」
 久我山が返事をすると
「おはようございまーす。FourQuartersの後藤でーす」
 ドアの外から挨拶が聞こえてくる。
「入れてもいい?」
 立ち上がりながら問う久我山に、紫輝がそのままの体勢で頷いた。
「はいはい、どぉぞ。おはよう」
「おはようございます。うちのリーダー来てたりします?」と室内を覗き「あ、いたいた。失礼しまーす」靴を脱いで座敷に上がる。「なにしてんの、もうすぐ収録始まるってよ?」
「うん」
 ゆっくりと起き上がる紫輝。
「うわ、朝よりさらに顔ひどいよ」
「うん」
「え、なに。マジでどーしたの。クガさんなんかしたんすか?」
「別になにも。話聞いてただけ」
「ちょっとそのままじゃヤバいから、メイク直してもらって楽屋もどろ?」
「うん」
「えー、もう。しっかりしてよ」紫輝の腕を掴みち上がらせる後藤に
「今日そっち終わり何時予定?」久我山が問いかけた。
「えーっと、確か21時くらいでしたね」
「あぁ、ちょうどいいかも。紫輝。終わったら連絡するから。もしそっち先に終わったらここで待ってて。メシ行こう」
「えー、いいなー。俺も行きたぁい」
「俺はええけど」
「でも俺、今日このあと予定あんすよ」
「なんやねん。じゃあ言うなよ」
「今度行きたい。誘ってください」
「わかった、時間合うとき行こ。紫輝のこと、頼むわ」
「はーい」ほら行くよ、と手を引かれ、紫輝は後藤と一緒に久我山の楽屋をあとにした。
「鶫野さん、そっちちゃうよ~……」
 ドアを閉めて独り呟く。さすがに紫輝が気の毒になってきた。
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