偽装結婚を偽装してみた

小海音かなた

文字の大きさ
上 下
105 / 120

Chapter.105

しおりを挟む
 小さな子供が泣いている。そのすぐそばに、怒りに支配された男が立っている。握った拳を震わせて、いまにも爆発しそうなほど怒りをたぎらせている。
 ――泣いてもダメだよ。もっと怒られちゃうよ。
 その声は少女には届かない。届いても通じないかもしれない。まだ幼くて、言葉の意味を理解出来そうにない。
 男は怒りに身を任せ、何か訳のわからない言語で喚き散らしている。顔がマジックで黒く塗りつぶされていて良くわからないが、どうやら泥酔しているようだ。
 その声に怯えた少女がますます大声で泣く。
 ――泣き止んで。でないと――
 大きく振った男の手が、少女めがけて飛んでいく。体に当たる寸前で、少女の近くに倒れていた人影が身を挺してかばった。振り降ろされた拳は、強かにその人影を打つ。
 ――お願い、泣き止んで。でないと、また殴られる。
 男の手をその身体に受けると予測した人影が身を固くする。しかし、男は光に照らされた影のように、一瞬で姿を消した。
 ――もう、大丈夫。
 男性とも女性ともつかない“声”は、二人の音が混ざり合って出来ているよう。
 少女の頭上に、あたたかな光が頭に降り注ぐ。中から伸びた腕が、少女の身体に触れようとした。反射で身を固くする少女に、
「ごめんね」
「大丈夫。ぶったりしない」
 人影と声がそれぞれ語りかけた。
 光から伸びた温かい手のひらが、そっと少女の頭を撫でる。
 ――俺がひなの頭に手を近付けるときは、ひなの頭を撫でたり、抱き寄せたりしたいときだけ。絶対だから、覚えておいて――
 その優しい声の主は…いつもそばにいてくれる……


「――…こうと……」
 ひぃなが目を覚ます。目の前に、人の身体。反射でビクリと身体を固くする。
「ひな……?」
 声の方向に視線をずらすと、そこには攷斗がいた。安堵し胸を撫でおろすひぃなの目から、涙が溢れ出していた。
「どした? 怖いユメ見た?」
 なだめるように抱き寄せて頭を撫でる攷斗にすり寄り、その体温を確認する。
 夢には、幼い頃の自分と母親、かつて父親だった男と、そして……
「…だいじょうぶ……」
 先ほどまでおぼろげだったその身体は、目の前に確かに存在していた。
「そう?」
 言いながら、頭を撫で続け、厚い胸にひぃなを抱き寄せた。
 本当に大丈夫、という言葉が出てこない。
「…今日は二人とも休みだしさ、ずっとそばにいるから。泣きなよ、たまには。そんで、思う存分なぐさめさせてよ」ね、と穏やかな声でひぃなに笑いかける。
「――――――」
 攷斗の胸の中から嗚咽が聞こえた。
 泣いたらぶたれる。だからもう、人前で泣くのはやめよう。
 幼心に誓ったその自分への約束。破ることは決してないと思っていた。だけど。
 それは守らなくてもいいんだよ、と言ってくれる人がいた。
 その優しい手のひらは、これまでも、いまもなお、ひぃなを安心させるように差し伸べられている。
 こんなにも愛おしいと思える相手はもう現れない。だから、離したくない。なのに何故、それが言えないのだろう。
 泣いている理由がごちゃまぜになって、頭がボウッとしてくる。
 口から漏れ出す声を抑えることもせず、ひぃなはただ、泣いていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます

沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!

ウブな政略妻は、ケダモノ御曹司の執愛に堕とされる

Adria
恋愛
旧題:紳士だと思っていた初恋の人は私への恋心を拗らせた執着系ドSなケダモノでした ある日、父から持ちかけられた政略結婚の相手は、学生時代からずっと好きだった初恋の人だった。 でも彼は来る縁談の全てを断っている。初恋を実らせたい私は副社長である彼の秘書として働くことを決めた。けれど、何の進展もない日々が過ぎていく。だが、ある日会社に忘れ物をして、それを取りに会社に戻ったことから私たちの関係は急速に変わっていった。 彼を知れば知るほどに、彼が私への恋心を拗らせていることを知って戸惑う反面嬉しさもあり、私への執着を隠さない彼のペースに翻弄されていく……。

【完結】俺様御曹司の隠された溺愛野望 〜花嫁は蜜愛から逃れられない〜

雪井しい
恋愛
「こはる、俺の妻になれ」その日、大女優を母に持つ2世女優の花宮こはるは自分の所属していた劇団の解散に絶望していた。そんなこはるに救いの手を差し伸べたのは年上の幼馴染で大企業の御曹司、月ノ島玲二だった。けれど代わりに妻になることを強要してきて──。花嫁となったこはるに対し、俺様な玲二は独占欲を露わにし始める。 【幼馴染の俺様御曹司×大物女優を母に持つ2世女優】 ☆☆☆ベリーズカフェで日間4位いただきました☆☆☆ ※ベリーズカフェでも掲載中 ※推敲、校正前のものです。ご注意下さい

あまやかしても、いいですか?

藤川巴/智江千佳子
恋愛
結婚相手は会社の王子様。 「俺ね、ダメなんだ」 「あーもう、キスしたい」 「それこそだめです」  甘々(しすぎる)男子×冷静(に見えるだけ)女子の 契約結婚生活とはこれいかに。

クールな御曹司の溺愛ペットになりました

あさの紅茶
恋愛
旧題:クールな御曹司の溺愛ペット やばい、やばい、やばい。 非常にやばい。 片山千咲(22) 大学を卒業後、未だ就職決まらず。 「もー、夏菜の会社で雇ってよぉ」 親友の夏菜に泣きつくも、呆れられるばかり。 なのに……。 「就職先が決まらないらしいな。だったら俺の手伝いをしないか?」 塚本一成(27) 夏菜のお兄さんからのまさかの打診。 高校生の時、一成さんに告白して玉砕している私。 いや、それはちょっと……と遠慮していたんだけど、親からのプレッシャーに負けて働くことに。 とっくに気持ちの整理はできているはずだったのに、一成さんの大人の魅力にあてられてドキドキが止まらない……。 ********** このお話は他のサイトにも掲載しています

忙しい男

菅井群青
恋愛
付き合っていた彼氏に別れを告げた。忙しいという彼を信じていたけれど、私から別れを告げる前に……きっと私は半分捨てられていたんだ。 「私のことなんてもうなんとも思ってないくせに」 「お前は一体俺の何を見て言ってる──お前は、俺を知らな過ぎる」 すれ違う想いはどうしてこうも上手くいかないのか。いつだって思うことはただ一つ、愛おしいという気持ちだ。 ※ハッピーエンドです かなりやきもきさせてしまうと思います。 どうか温かい目でみてやってくださいね。 ※本編完結しました(2019/07/15) スピンオフ &番外編 【泣く背中】 菊田夫妻のストーリーを追加しました(2019/08/19) 改稿 (2020/01/01) 本編のみカクヨムさんでも公開しました。

もつれた心、ほどいてあげる~カリスマ美容師御曹司の甘美な溺愛レッスン~

泉南佳那
恋愛
 イケメンカリスマ美容師と内気で地味な書店員との、甘々溺愛ストーリーです!  どうぞお楽しみいただけますように。 〈あらすじ〉  加藤優紀は、現在、25歳の書店員。  東京の中心部ながら、昭和味たっぷりの裏町に位置する「高木書店」という名の本屋を、祖母とふたりで切り盛りしている。  彼女が高木書店で働きはじめたのは、3年ほど前から。  短大卒業後、不動産会社で営業事務をしていたが、同期の、親会社の重役令嬢からいじめに近い嫌がらせを受け、逃げるように会社を辞めた過去があった。  そのことは優紀の心に小さいながらも深い傷をつけた。  人付き合いを恐れるようになった優紀は、それ以来、つぶれかけの本屋で人の目につかない質素な生活に安んじていた。  一方、高木書店の目と鼻の先に、優紀の兄の幼なじみで、大企業の社長令息にしてカリスマ美容師の香坂玲伊が〈リインカネーション〉という総合ビューティーサロンを経営していた。  玲伊は優紀より4歳年上の29歳。  優紀も、兄とともに玲伊と一緒に遊んだ幼なじみであった。  店が近いこともあり、玲伊はしょっちゅう、優紀の本屋に顔を出していた。    子供のころから、かっこよくて優しかった玲伊は、優紀の初恋の人。  その気持ちは今もまったく変わっていなかったが、しがない書店員の自分が、カリスマ美容師にして御曹司の彼に釣り合うはずがないと、その恋心に蓋をしていた。  そんなある日、優紀は玲伊に「自分の店に来て」言われる。  優紀が〈リインカネーション〉を訪れると、人気のファッション誌『KALEN』の編集者が待っていた。  そして「シンデレラ・プロジェクト」のモデルをしてほしいと依頼される。 「シンデレラ・プロジェクト」とは、玲伊の店の1周年記念の企画で、〈リインカネーション〉のすべての施設を使い、2~3カ月でモデルの女性を美しく変身させ、それを雑誌の連載記事として掲載するというもの。  優紀は固辞したが、玲伊の熱心な誘いに負け、最終的に引き受けることとなる。  はじめての経験に戸惑いながらも、超一流の施術に心が満たされていく優紀。  そして、玲伊への恋心はいっそう募ってゆく。  玲伊はとても優しいが、それは親友の妹だから。  そんな切ない気持ちを抱えていた。  プロジェクトがはじまり、ひと月が過ぎた。  書店の仕事と〈リインカネーション〉の施術という二重生活に慣れてきた矢先、大問題が発生する。  突然、編集部に上層部から横やりが入り、優紀は「シンデレラ・プロジェクト」のモデルを下ろされることになった。  残念に思いながらも、やはり夢でしかなかったのだとあきらめる優紀だったが、そんなとき、玲伊から呼び出しを受けて……

ダブル シークレットベビー ~御曹司の献身~

菱沼あゆ
恋愛
念願のランプのショップを開いた鞠宮あかり。 だが、開店早々、植え込みに猫とおばあさんを避けた車が突っ込んでくる。 車に乗っていたイケメン、木南青葉はインテリアや雑貨などを輸入している会社の社長で、あかりの店に出入りするようになるが。 あかりには実は、年の離れた弟ということになっている息子がいて――。

処理中です...