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Chapter.85
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ヴ―…ヴー…ヴー…。
遠くで振動の音がする。それはいつも聞く、朝の合図。
瞼を開けていつもと違う景色に少し戸惑うが、一瞬あとにひぃなの部屋で眠ったことを思い出す。
のそのそ起きて、ひぃなの様子を見る。昨日より頬の赤みは引いている。とはいえ、寝ている女性の脇に勝手に体温計を突っ込むわけにもいかない。
(起きてからでいいか)
眠気覚ましに顔を洗おうと、布団をたたんでリビングへ置き、そのまま洗面所に行く。身だしなみを整え、部屋着に着替えてからひぃなの部屋へ戻った。
まだ寝息を立てているひぃなの頬に触れる。もう体温はそこまで高くない。役目を終えた冷却シートをはがしていると、ふと気付いたようにひぃなが目を覚ました。
「あ、ごめん。起こしちゃった」
「ううん……おはよう……」
「おはよう」
まだぼんやりとした喋り方に、完治していない感が見える。
ケホケホと軽くせき込むひぃな。声も少し枯れている。
「のど乾いた? 起きれる?」
「だいじょぶ……」
ひぃながゆっくりと動いて、自力で上半身を起こした。
「はい、お水」
「ありがケホン」
語尾が咳に消されてしまう。常温になった水を飲むと、食堂から胃に流れている感覚がわかる。熱で蒸発した水分が戻って染み込むよう。
「熱計って?」
すでに準備が出来た体温計を渡されたひぃなが、攷斗から隠れるようにして脇に挟んだ。夕べと違い、だいぶ自我が戻っていているようだ。
昨日よりもしっかりした動作に、攷斗が少し安心したように微笑む。床に座り、ベッドに頬杖をついて、まだ少し眠たそうなひぃなを見守る。
数分後、熱を計り終えた合図のアラームが鳴った。
ひぃなが自ら確認して、攷斗が差し伸べた手のひらに乗せる。
攷斗が表示画面を確認すると、熱は37度台に落ちていた。息を吐き微笑んで、
「今日、もう一日寝てなよ。社長には連絡しておくから」
体温計を片付けながら言った。
「自分でできるよ、だいじょうぶ」
「そう? そうだ、おなか減ってない?」
小首をかしげながらおなかをさするひぃな。
「……少し……」
「じゃあ、おかゆかおじや作ってくるね。食べたら薬飲もう」
「いいよ、自分で」
「いーから」
立ち上がりながら、ベッドから降りようとするひぃなを制す。
「……お願いします」
「うん。たんぱく質入ってるほうと入ってないほう、どっちがいい?」
一瞬なんのことかわからず、以前“卵焼きで手軽に美味しくたんぱく質を摂取したい”と言ったことを思い出す。
少し笑って、「入ってるほうで」依頼した。
「おっけー」
攷斗も同じように笑って、キッチンへ移動する。
枕元の床に置かれていたバッグからスマホを取り出し、堀河にメッセを入れる。すぐに既読が付いて、「おっけー! お大事に!」と返信が来た。
思いがけない休日に、少しの罪悪感を抱くのはワーカーホリックの始まりだろうか。
夕べの記憶はほとんどないが、ただ身体が怠かったのは覚えている。それよりはマシになったので、少し動きたい気分だ。
迷惑かなぁ、と思いつつ、キッチンへ向かうと、攷斗がシンクに向かい作業をしていた。
(新鮮……)
いつも攷斗がそうしているように、ひぃなも攷斗の背中を眺めてみる。
土鍋をコンロに置いて、ボウルに卵を割り入れているところだった。
「IH用なんてあるんだ……」
つぶやいたその言葉に攷斗がビクリと反応して、ゆっくり振り向いた。
「……びっくりした……」
よほど集中していたのか、ひぃなが背後にいることに気付いていなかったようだ。
「ごめん」
「大丈夫だから、寝てなって」
「…見てたいんだけど……邪魔?」
普段あまり見せないひぃなの甘える姿に、うっ、と言葉を詰まらせ
「邪魔じゃないけど、恥ずかしい。いやまぁ、いいけど」
楽しいもんでもないと思うよ? と言いつつ、攷斗は止まっていた手を動かす。
「あとは少し煮るだけ……」と、ひぃなの足元を見た。「スリッパ履きなよ」
「苦手なんだよね……」
「フローリング冷たいし、足冷えちゃうでしょ」
はい、と自分が履いていたそれを脱いで渡した。
ひぃなは照れながら足を入れる。
「あったかい」
思わず笑みを浮かべるひぃなに、
「温めておきました」
と、照れ隠しにどこかの家臣のような言葉を投げて玄関先へ移動し、新しいスリッパを履いて戻ってくる。ついでに自室から取ってきたらしいカーディガンをひぃなの肩からかけて、何も言わずにコンロの前に立った。
「いい頃かな」
結婚情報誌の付録だった鍋つかみをはめ、よっ、と土鍋の蓋を開ける。湯気と共に出汁としょうゆの香りがあがった。
「いいにおい」
くうぅ…とおなかが鳴る。
聞き逃さなかった攷斗がふふっと笑って、
「リビングで食べる?」
ひぃなに問いかけた。
「うん」
「俺も一緒に食べよ」
そのつもりで大目に作ってある。
コンロの電源を切って、両手に鍋つかみを装着して土鍋をリビングへ持って行く。気付いたひぃなが小走りに先回りして、鍋敷きをテーブルに置いた。
「忘れてた、あぶね。ありがと」
「うん」
その上に土鍋を置くと
「あとはやるから座ってて」
ひぃなに着席を促す。
「はぁい」
ひぃなは素直に従って、ソファへ座った。足を床から上げて、攷斗の温もりが残るスリッパを眺める。
まだ熱があって時折ぼんやりとするひぃなの脳内に、言葉が浮かぶ。
Q:なんでそんなに優しいの?
A:だってひなは俺のヨメだから。
予想出来る回答に質問を投げるほど、かまってちゃんではない。
「はい、おまたせ~」
お椀とカトラリー類、小鉢とお茶の入ったグラスをそれぞれ二人分トレイに乗せて、攷斗がそのままテーブルに置いた。
「すっぱいの平気だよね?」
別途置いた小鉢には、いくつかの梅干しが入っている。
「うん、好き」
レードルを土鍋に立てかけ、レンゲの入ったお椀とコップを各々の前に配置する。
「はい、どうぞ」
「ありがとう。いただきます」
手を合わせて小さくおじぎをする。土鍋からお椀に移したおじやを、冷まして口に運んだ。
「おいひい」
目を細めて嬉しそうにつぶやくひぃなに、攷斗は安堵の息を漏らした。
「良かった。俺も食べよ。いただきまーす」
ひぃなと同じようにして、攷斗もおじやを口に運ぶ。
「うん、上出来」
うなずきながらご飯を食べる攷斗を見て、ふと気付く。
「お仕事、時間大丈夫?」
「ん? うん。大丈夫。今日は家でやるって連絡入れたから」
「いいの?」
「いいよ? 今日は打ち合わせもないし、出社しても気が気じゃないだろうし」
「…ありがとう…」
寝込むほどの高熱を出したのなんて久しぶりで、正直心細かったので有難い。
「あ、無理に食べなくていいからね?」
「うん、大丈夫」
一回目と同じくらいの量をお椀に注いで
「このくらいで足りると思う」
攷斗に告げた。
「うん。じゃああと全部食べちゃうね?」
「うん。お願いします」
「はーい」
返事をして、攷斗がおじやをざこざこかきこむ。
「ん」
と何かに気付いたように言って、口の中のものを飲み込んで攷斗が続ける。
「食べ終わったら薬飲んでね」
「うん」
「腹減ったらまたなんか作るから」
「うん」
攷斗の食欲のおかげで、土鍋の中はもうほぼカラだ。
「……おなか減ってたの?」
「そうみたい。自分でもビックリしてる」
笑いながら攷斗が言う。
昨夜は打ち合わせを兼ねた食事会で、そのときしっかり食べたのだが。
「「ごちそうさまでした」」
二人で同時に言う。
トレイに使用済みの食器を乗せながら
「薬、昨日の残りがベッドサイドのチェストにあるよ。持ってこようか?」
攷斗がひぃなに言った。
「ううん、大丈夫。飲んでくる」
ペットボトルの水もそのままあったはず、と薄い記憶を辿って返答した。
「ん」
穏やかな笑みで攷斗がうなずく。
自室に戻って、薬を飲んだ。肩からかけられた攷斗のカーディガンに、サイドチェストに残った看病の痕跡に、じわりと胸が熱くなる。
(また言われるかな……)
と思いつつ、攷斗が片付けをしているキッチンへ、今度はしっかりスリッパを履いて向かう。
先ほどと同じ位置でシンクに向かう攷斗の背中を眺めようとするが、気配を察知したのか攷斗がすぐに振り返った。
少し困ったように笑って「寝てていいよ」優しく言う。
「うん……」
でも、いまは攷斗を見ていたい。
動こうとしないひぃなに
「もー」
困って、それでいて嬉しそうに小さく言うと、シンクに向き直る。
洗い終えた食器を水切りラックに全て入れて「よし」手を拭いた。
「ひなの部屋で仕事するから、ひなは寝ててください」
笑いかける攷斗に
「うん」
嬉しそうにひぃなが返事をした。
遠くで振動の音がする。それはいつも聞く、朝の合図。
瞼を開けていつもと違う景色に少し戸惑うが、一瞬あとにひぃなの部屋で眠ったことを思い出す。
のそのそ起きて、ひぃなの様子を見る。昨日より頬の赤みは引いている。とはいえ、寝ている女性の脇に勝手に体温計を突っ込むわけにもいかない。
(起きてからでいいか)
眠気覚ましに顔を洗おうと、布団をたたんでリビングへ置き、そのまま洗面所に行く。身だしなみを整え、部屋着に着替えてからひぃなの部屋へ戻った。
まだ寝息を立てているひぃなの頬に触れる。もう体温はそこまで高くない。役目を終えた冷却シートをはがしていると、ふと気付いたようにひぃなが目を覚ました。
「あ、ごめん。起こしちゃった」
「ううん……おはよう……」
「おはよう」
まだぼんやりとした喋り方に、完治していない感が見える。
ケホケホと軽くせき込むひぃな。声も少し枯れている。
「のど乾いた? 起きれる?」
「だいじょぶ……」
ひぃながゆっくりと動いて、自力で上半身を起こした。
「はい、お水」
「ありがケホン」
語尾が咳に消されてしまう。常温になった水を飲むと、食堂から胃に流れている感覚がわかる。熱で蒸発した水分が戻って染み込むよう。
「熱計って?」
すでに準備が出来た体温計を渡されたひぃなが、攷斗から隠れるようにして脇に挟んだ。夕べと違い、だいぶ自我が戻っていているようだ。
昨日よりもしっかりした動作に、攷斗が少し安心したように微笑む。床に座り、ベッドに頬杖をついて、まだ少し眠たそうなひぃなを見守る。
数分後、熱を計り終えた合図のアラームが鳴った。
ひぃなが自ら確認して、攷斗が差し伸べた手のひらに乗せる。
攷斗が表示画面を確認すると、熱は37度台に落ちていた。息を吐き微笑んで、
「今日、もう一日寝てなよ。社長には連絡しておくから」
体温計を片付けながら言った。
「自分でできるよ、だいじょうぶ」
「そう? そうだ、おなか減ってない?」
小首をかしげながらおなかをさするひぃな。
「……少し……」
「じゃあ、おかゆかおじや作ってくるね。食べたら薬飲もう」
「いいよ、自分で」
「いーから」
立ち上がりながら、ベッドから降りようとするひぃなを制す。
「……お願いします」
「うん。たんぱく質入ってるほうと入ってないほう、どっちがいい?」
一瞬なんのことかわからず、以前“卵焼きで手軽に美味しくたんぱく質を摂取したい”と言ったことを思い出す。
少し笑って、「入ってるほうで」依頼した。
「おっけー」
攷斗も同じように笑って、キッチンへ移動する。
枕元の床に置かれていたバッグからスマホを取り出し、堀河にメッセを入れる。すぐに既読が付いて、「おっけー! お大事に!」と返信が来た。
思いがけない休日に、少しの罪悪感を抱くのはワーカーホリックの始まりだろうか。
夕べの記憶はほとんどないが、ただ身体が怠かったのは覚えている。それよりはマシになったので、少し動きたい気分だ。
迷惑かなぁ、と思いつつ、キッチンへ向かうと、攷斗がシンクに向かい作業をしていた。
(新鮮……)
いつも攷斗がそうしているように、ひぃなも攷斗の背中を眺めてみる。
土鍋をコンロに置いて、ボウルに卵を割り入れているところだった。
「IH用なんてあるんだ……」
つぶやいたその言葉に攷斗がビクリと反応して、ゆっくり振り向いた。
「……びっくりした……」
よほど集中していたのか、ひぃなが背後にいることに気付いていなかったようだ。
「ごめん」
「大丈夫だから、寝てなって」
「…見てたいんだけど……邪魔?」
普段あまり見せないひぃなの甘える姿に、うっ、と言葉を詰まらせ
「邪魔じゃないけど、恥ずかしい。いやまぁ、いいけど」
楽しいもんでもないと思うよ? と言いつつ、攷斗は止まっていた手を動かす。
「あとは少し煮るだけ……」と、ひぃなの足元を見た。「スリッパ履きなよ」
「苦手なんだよね……」
「フローリング冷たいし、足冷えちゃうでしょ」
はい、と自分が履いていたそれを脱いで渡した。
ひぃなは照れながら足を入れる。
「あったかい」
思わず笑みを浮かべるひぃなに、
「温めておきました」
と、照れ隠しにどこかの家臣のような言葉を投げて玄関先へ移動し、新しいスリッパを履いて戻ってくる。ついでに自室から取ってきたらしいカーディガンをひぃなの肩からかけて、何も言わずにコンロの前に立った。
「いい頃かな」
結婚情報誌の付録だった鍋つかみをはめ、よっ、と土鍋の蓋を開ける。湯気と共に出汁としょうゆの香りがあがった。
「いいにおい」
くうぅ…とおなかが鳴る。
聞き逃さなかった攷斗がふふっと笑って、
「リビングで食べる?」
ひぃなに問いかけた。
「うん」
「俺も一緒に食べよ」
そのつもりで大目に作ってある。
コンロの電源を切って、両手に鍋つかみを装着して土鍋をリビングへ持って行く。気付いたひぃなが小走りに先回りして、鍋敷きをテーブルに置いた。
「忘れてた、あぶね。ありがと」
「うん」
その上に土鍋を置くと
「あとはやるから座ってて」
ひぃなに着席を促す。
「はぁい」
ひぃなは素直に従って、ソファへ座った。足を床から上げて、攷斗の温もりが残るスリッパを眺める。
まだ熱があって時折ぼんやりとするひぃなの脳内に、言葉が浮かぶ。
Q:なんでそんなに優しいの?
A:だってひなは俺のヨメだから。
予想出来る回答に質問を投げるほど、かまってちゃんではない。
「はい、おまたせ~」
お椀とカトラリー類、小鉢とお茶の入ったグラスをそれぞれ二人分トレイに乗せて、攷斗がそのままテーブルに置いた。
「すっぱいの平気だよね?」
別途置いた小鉢には、いくつかの梅干しが入っている。
「うん、好き」
レードルを土鍋に立てかけ、レンゲの入ったお椀とコップを各々の前に配置する。
「はい、どうぞ」
「ありがとう。いただきます」
手を合わせて小さくおじぎをする。土鍋からお椀に移したおじやを、冷まして口に運んだ。
「おいひい」
目を細めて嬉しそうにつぶやくひぃなに、攷斗は安堵の息を漏らした。
「良かった。俺も食べよ。いただきまーす」
ひぃなと同じようにして、攷斗もおじやを口に運ぶ。
「うん、上出来」
うなずきながらご飯を食べる攷斗を見て、ふと気付く。
「お仕事、時間大丈夫?」
「ん? うん。大丈夫。今日は家でやるって連絡入れたから」
「いいの?」
「いいよ? 今日は打ち合わせもないし、出社しても気が気じゃないだろうし」
「…ありがとう…」
寝込むほどの高熱を出したのなんて久しぶりで、正直心細かったので有難い。
「あ、無理に食べなくていいからね?」
「うん、大丈夫」
一回目と同じくらいの量をお椀に注いで
「このくらいで足りると思う」
攷斗に告げた。
「うん。じゃああと全部食べちゃうね?」
「うん。お願いします」
「はーい」
返事をして、攷斗がおじやをざこざこかきこむ。
「ん」
と何かに気付いたように言って、口の中のものを飲み込んで攷斗が続ける。
「食べ終わったら薬飲んでね」
「うん」
「腹減ったらまたなんか作るから」
「うん」
攷斗の食欲のおかげで、土鍋の中はもうほぼカラだ。
「……おなか減ってたの?」
「そうみたい。自分でもビックリしてる」
笑いながら攷斗が言う。
昨夜は打ち合わせを兼ねた食事会で、そのときしっかり食べたのだが。
「「ごちそうさまでした」」
二人で同時に言う。
トレイに使用済みの食器を乗せながら
「薬、昨日の残りがベッドサイドのチェストにあるよ。持ってこようか?」
攷斗がひぃなに言った。
「ううん、大丈夫。飲んでくる」
ペットボトルの水もそのままあったはず、と薄い記憶を辿って返答した。
「ん」
穏やかな笑みで攷斗がうなずく。
自室に戻って、薬を飲んだ。肩からかけられた攷斗のカーディガンに、サイドチェストに残った看病の痕跡に、じわりと胸が熱くなる。
(また言われるかな……)
と思いつつ、攷斗が片付けをしているキッチンへ、今度はしっかりスリッパを履いて向かう。
先ほどと同じ位置でシンクに向かう攷斗の背中を眺めようとするが、気配を察知したのか攷斗がすぐに振り返った。
少し困ったように笑って「寝てていいよ」優しく言う。
「うん……」
でも、いまは攷斗を見ていたい。
動こうとしないひぃなに
「もー」
困って、それでいて嬉しそうに小さく言うと、シンクに向き直る。
洗い終えた食器を水切りラックに全て入れて「よし」手を拭いた。
「ひなの部屋で仕事するから、ひなは寝ててください」
笑いかける攷斗に
「うん」
嬉しそうにひぃなが返事をした。
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