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Chapter.84
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入社してすぐ、各部署への挨拶回りで案内された事務室がひぃなとの出会いの場だった。出会って一秒も経たないうちに好きになっていた。いわゆる一目惚れというやつだ。
一通りの経験と貯金が貯まったら退職して自社ブランドを立ち上げるつもりで入った会社。だから、長居するつもりも、ましてや深い人間関係を築くつもりも更々なかった。
けれど。
ひぃなとの関係が終わってしまうのが嫌で、なんとか縁を繋げようと必死だった。
デザイン部と事務部は部屋のある階が違う。営業なんかと違って頻繁に足を運ぶような業務的用事もない。
一緒に入社した紙尾が事務部に配属されるのを知って、どうにか個別に連絡がとれるように出来ないかと協力を仰いだ。
メッセのIDを交換して、いずれ独立するときに識っておきたいから、と、事務のスキルを習った。
本意は別にあったが、それはそれで本当に知識として持っておきたかったので、かなり助かった。
お礼に、と食事に誘ったり、相談がある、と呑みに誘ったりすれば、気さくに応じてくれる。でも、それはただ“後輩”としてしか見られていないからだ、と痛感していた。
出会った頃からずっと、ひぃなの左手の薬指にアラベスク模様の指輪が輝いていたからだ。
結婚はしていないが長く付き合っている恋人がいる、と堀河から聞いたことがある。外されることのないその指輪の意味。上書き出来ない【一番】の相手。
攷斗の入社から五年、結婚したという話を聞かぬまま、指輪は定位置から姿を消した。
明るく、普段通りにふるまってはいるものの、ふとした瞬間に出る影を帯びた表情を見て察する。同時に、チャンスが来たと思った。
このまま同じ会社でただの後輩として存在していてはダメだ、と。
兼ねてより準備はしていたものの実行に踏み出せなかった“独立”を堀河に相談してみる。
堀川にはかなり惜しまれたが、うちの会社に収まるような器じゃないわよね、と笑って、退職までのスケジュールを組んでくれた。開業に必要なノウハウまで教えてもらって、正直堀河には頭が上がらない。
退職当日。退職届を持って社長室へ出向く。
堀河は「ちょっと二人で話したいことがあるの」とお付き秘書を退室させた。
何を言われるかと身構えていたところに、「ちがってたらごめんね」と前置きをして話し始めた。
「ひぃなのこと、お願いします」
頭を下げられ、戸惑った。
「不躾でごめんなさい。好き…なのよね?」
不意打ちに顔が熱くなる。否定はしないが肯定も出来ないでいる攷斗に、堀河は静かに続ける。
「ひぃなから聞いてると思うけど、幼馴染なの、私たち。高校のときからだから、もう二十年……もっとか」
無意識に読んだサバに、堀河が笑う。
「ひぃなは親御さんのこととか色々あって、辛い思いたくさんしてね? それでも、恋人ができて、婚約したって聞いて、やっと幸せになれるんだって本当に嬉しかった」
だけど。
堀河は続ける。
「男のほうにね、“本当に好きな人ができたみたい”、って」
攷斗は体の内側から熱を感じた。この感情は、怒りだ。
「“しょうがないよねー”って笑って言われて、なにも言えなかった。しばらくはなにをしててもどこか寂しそうで、表には出してくれないから、私ももうなかったことにするしかなかった。でも、最近やっとね、ちゃんと笑うようになったの」
うつむきがちに語っていた堀河が顔をあげ、真っ直ぐ前を見つめた。
「棚井のおかげ」
予想していたものの、実際名指しにされると心臓が跳ねた。
「前から棚井の話は聞いてたけど、ここのとこ、頻繁になってきてて。あなたが会社からいなくなるのも、飛躍のときだって喜んでたけど、同時にとても寂しがってた」
言葉とは裏腹に、堀河は心なしか嬉しそうに笑っている。
攷斗は何も言わず、ただ堀河の言葉を脳にインプットしていた。
「あの子、素直じゃないから、あなたのこと気付かって、自分の気持ちを見ないようにしてると思うのね? あなたの人生はあなたが決めることだけど、できれば、ひぃなを、お願いします。
頭を下げる堀河に
「もちろん」
攷斗が言う。
顔をあげた堀河を、攷斗は決意の籠ったまなざしで見つめた。
「そのための独立でもあるんです」
その言葉に堀河が目を丸くして、泣きそうな笑顔を見せる。
「――――」
息を吸って何か言おうとして、うまく言葉が出てこなかったのか小さく息を吐いた。
「協力できることあったらなんでも言ってね。会社のことも、ひぃなのことも」
「頼りにしてます」
それから月日は流れ、ようやく堀河との約束を果たせるときがきた。
だから攷斗にとって堀河は、どこか盟友のような関係で、それでいて頭があがらない。
タブレットから顔をあげて振り返ると、熱に頬を染めながら寝息を立てる最愛の人がいる。
(あきらめないで良かった)
冷却可能時間が終わるまで余裕のあるシートが高熱のせいで乾き、収縮している。そっと剥がして、新しいシートを貼る。
頬に触れるとまだ熱いが、眠る前よりはましになったようだ。
タブレットの上部に表示された時刻は、日付が変わるあたり。
(俺も寝るか)
布団に入る前にもう一度ひぃなの様子を確認して、横になる。
同じベッドに入ればすぐに様子を窺えるが、二人で寝るには狭いシングルベッドの上に、いよいよもって何をしでかすかわからない。
耳心地の良いひぃなの寝息に呼吸を同調させてみる。
あと数十センチの距離にもどかしさを感じながら、ゆるやかに眠りについた。
* * *
一通りの経験と貯金が貯まったら退職して自社ブランドを立ち上げるつもりで入った会社。だから、長居するつもりも、ましてや深い人間関係を築くつもりも更々なかった。
けれど。
ひぃなとの関係が終わってしまうのが嫌で、なんとか縁を繋げようと必死だった。
デザイン部と事務部は部屋のある階が違う。営業なんかと違って頻繁に足を運ぶような業務的用事もない。
一緒に入社した紙尾が事務部に配属されるのを知って、どうにか個別に連絡がとれるように出来ないかと協力を仰いだ。
メッセのIDを交換して、いずれ独立するときに識っておきたいから、と、事務のスキルを習った。
本意は別にあったが、それはそれで本当に知識として持っておきたかったので、かなり助かった。
お礼に、と食事に誘ったり、相談がある、と呑みに誘ったりすれば、気さくに応じてくれる。でも、それはただ“後輩”としてしか見られていないからだ、と痛感していた。
出会った頃からずっと、ひぃなの左手の薬指にアラベスク模様の指輪が輝いていたからだ。
結婚はしていないが長く付き合っている恋人がいる、と堀河から聞いたことがある。外されることのないその指輪の意味。上書き出来ない【一番】の相手。
攷斗の入社から五年、結婚したという話を聞かぬまま、指輪は定位置から姿を消した。
明るく、普段通りにふるまってはいるものの、ふとした瞬間に出る影を帯びた表情を見て察する。同時に、チャンスが来たと思った。
このまま同じ会社でただの後輩として存在していてはダメだ、と。
兼ねてより準備はしていたものの実行に踏み出せなかった“独立”を堀河に相談してみる。
堀川にはかなり惜しまれたが、うちの会社に収まるような器じゃないわよね、と笑って、退職までのスケジュールを組んでくれた。開業に必要なノウハウまで教えてもらって、正直堀河には頭が上がらない。
退職当日。退職届を持って社長室へ出向く。
堀河は「ちょっと二人で話したいことがあるの」とお付き秘書を退室させた。
何を言われるかと身構えていたところに、「ちがってたらごめんね」と前置きをして話し始めた。
「ひぃなのこと、お願いします」
頭を下げられ、戸惑った。
「不躾でごめんなさい。好き…なのよね?」
不意打ちに顔が熱くなる。否定はしないが肯定も出来ないでいる攷斗に、堀河は静かに続ける。
「ひぃなから聞いてると思うけど、幼馴染なの、私たち。高校のときからだから、もう二十年……もっとか」
無意識に読んだサバに、堀河が笑う。
「ひぃなは親御さんのこととか色々あって、辛い思いたくさんしてね? それでも、恋人ができて、婚約したって聞いて、やっと幸せになれるんだって本当に嬉しかった」
だけど。
堀河は続ける。
「男のほうにね、“本当に好きな人ができたみたい”、って」
攷斗は体の内側から熱を感じた。この感情は、怒りだ。
「“しょうがないよねー”って笑って言われて、なにも言えなかった。しばらくはなにをしててもどこか寂しそうで、表には出してくれないから、私ももうなかったことにするしかなかった。でも、最近やっとね、ちゃんと笑うようになったの」
うつむきがちに語っていた堀河が顔をあげ、真っ直ぐ前を見つめた。
「棚井のおかげ」
予想していたものの、実際名指しにされると心臓が跳ねた。
「前から棚井の話は聞いてたけど、ここのとこ、頻繁になってきてて。あなたが会社からいなくなるのも、飛躍のときだって喜んでたけど、同時にとても寂しがってた」
言葉とは裏腹に、堀河は心なしか嬉しそうに笑っている。
攷斗は何も言わず、ただ堀河の言葉を脳にインプットしていた。
「あの子、素直じゃないから、あなたのこと気付かって、自分の気持ちを見ないようにしてると思うのね? あなたの人生はあなたが決めることだけど、できれば、ひぃなを、お願いします。
頭を下げる堀河に
「もちろん」
攷斗が言う。
顔をあげた堀河を、攷斗は決意の籠ったまなざしで見つめた。
「そのための独立でもあるんです」
その言葉に堀河が目を丸くして、泣きそうな笑顔を見せる。
「――――」
息を吸って何か言おうとして、うまく言葉が出てこなかったのか小さく息を吐いた。
「協力できることあったらなんでも言ってね。会社のことも、ひぃなのことも」
「頼りにしてます」
それから月日は流れ、ようやく堀河との約束を果たせるときがきた。
だから攷斗にとって堀河は、どこか盟友のような関係で、それでいて頭があがらない。
タブレットから顔をあげて振り返ると、熱に頬を染めながら寝息を立てる最愛の人がいる。
(あきらめないで良かった)
冷却可能時間が終わるまで余裕のあるシートが高熱のせいで乾き、収縮している。そっと剥がして、新しいシートを貼る。
頬に触れるとまだ熱いが、眠る前よりはましになったようだ。
タブレットの上部に表示された時刻は、日付が変わるあたり。
(俺も寝るか)
布団に入る前にもう一度ひぃなの様子を確認して、横になる。
同じベッドに入ればすぐに様子を窺えるが、二人で寝るには狭いシングルベッドの上に、いよいよもって何をしでかすかわからない。
耳心地の良いひぃなの寝息に呼吸を同調させてみる。
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