77 / 120
Chapter.77
しおりを挟む
一日の仕事を終え家に帰ると、扉の前に身近ではそうそう見かけないレベルのスレンダーな女性が立っている。
(あれ? この人……)
ファッション誌の紙面やショーで良く見る顔だから、サングラスをしていてもすぐにわかる。そもそも自分の正体を隠す気がないのか、身なりが相当きらびやかだ。
名前は確か、ツナミ、だったはず。海外のショーにも出演している、売れっ子モデルだ。
表札の出ていない棚井家のインターフォンを何度か鳴らしているが、攷斗もひぃなも部屋にはいない。
どうしたものかと考えるが、このまま待つわけにもいかず、
「あのー……」
恐る恐る声をかける。
「……だれ?」
それはこっちのセリフだと思いつつ、
「ここの部屋の住人です」
答える。
「えっ、やだ、引っ越しちゃったのかな」とツナミがつぶやいて「この部屋ってウタナさんの部屋ですよね? います? コイト、ウタナさん」
世界的に有名なデザイナー名前を口にした。
「いま、せん」
何故この部屋の前でその名前が出てくるのか。
ここは“ウタナさん”の部屋ではないし、じゃあ“ウタナさん”がどこにいるかと聞かれても、知らないから答えられない。
疑問符が目一杯浮かんだところで、背後にエレベーターの動作音が聞こえる。
「あれ? なにして…」
ひぃなの背中に声をかけるが、
「うわ! えっ。何しに来たんですか?」
その先にいる女性の姿に気付き、ひぃなを通り越して女性に声をかけた。声色や表情から“迷惑”という感情がにじみ出ている。
「あー、ウタナさーん、会いたかったです~」
ツナミがサングラスを外し、先ほどとは打って変わった甘ったるい声と口調で攷斗に近付いた。が、攷斗はあからさまに避けて、ひぃなを引き寄せ背中に隠す。
ツナミは敵意に満ちた目でひぃなを検分するように眺めた。
その顔、あなたが言うところの“ウタナさん”にも丸見えですよ、とはとても言えない雰囲気だ。
「その方、どなたですか?」
「ヨメ」
「え?」
「俺の、ヨメ。妻。奥さん。結婚したの、俺たち」
「……え?」
攷斗の言葉をうまく理解出来ない様子で、ツナミが立ち尽くす。
「ほら、自己紹介」
軽く後ろを振り返り、攷斗がひぃなに促すと、
「ヨメ、です……」
ひぃなが会釈をしながら間の抜けた自己紹介をした。
「なにそれ」
ほんと、なにそれ、だ。
しかし、いきなり自己紹介をと言われ、不法侵入の上に初対面、素性もほぼ知らない相手に名乗るのはどうかと思い、“気の利かない返答”しか出来なかったのだから仕方がない。
「そういうわけなんで、どこからうちの住所知ったのかわかんないですけど、お引き取りいただけますか」
疑問形ではない強めの口調に、ツナミが一瞬奥歯を噛みしめ、その次の瞬間にはとびきりの営業スマイルに表情を変換した。
「わかりましたぁ。またお仕事のとき、よろしくお願いしまーす」
「機会があれば」
攷斗が業務的な会釈をしたので、ひぃなも軽くお辞儀をする。
美しい顔立ちの人は表情も美しいが、感情が見えてしまった分、笑顔も怒り顔も同じように怖い。
ツナミがエレベーターでエントランス階に降りるのを確認してから、
「入ろう」
攷斗がドアを開錠した。
聞いていいものかどうか、少し迷いながらあとに続いてドアを施錠する。
「なんもないから」
「へっ?」
攷斗の言葉に顔を上げると、すぐ目の前に攷斗が立っていた。
「なんもなかったから。勝手に言い寄ってきてただけだから」
「……うん」
(すごい。モテるんだ)
どちらかというと感心の感情が強い。
「俺は、ひなが好きだから」
急な告白に、息が止まりそうになる。心なしか身体も熱い。
いままでもことあるごとに言われてきたが、表情も声色もここまで真剣ではなかった。
「……うん……」
さんざん迷って、やはり肯定することしか出来ない。
“私も”……何故その四文字が言えないんだろう。
「……部屋、入ろう」
「うん」
引き寄せられたときに指が触れた身体が熱く、うずいて浮いているように感じる。
色々疑問がありすぎて、文章と単語が脳内を飛び交う。
少し上の空で作った夕食は、少しぼんやりとした味になってしまった。
「ごめん。味、薄かったね」
「ん? 旨いけど」
「……優しいね」
(だから、モテるんだろうな……)
「いや、本当に旨いんだけどね。具合悪いの?」
「ううん? 大丈夫」
ただ少し、思いのほか、ショックを受けていたのかもしれない。だから、味覚まで気が回らなくなっているのかも。
「疲れてるのかな。後片付け俺がやるから、お風呂先にどうぞ」
「うん…ありがとう……」
攷斗に促され、ご飯を食べて、早めに風呂に入る。リビングへ戻ると攷斗はノートパソコンを使って仕事をしていた。
「お風呂、お待たせ」
「うん、ありがとう」
「後片付けありがとう。ごめん…部屋、戻るね」
「……うん」
いつもならリビングでくつろいでお茶でも飲んで、テレビを見ながら攷斗が風呂から出てくるのを待つが、今日はその気力を保てない。
静かに自室のドアを開閉して、ベッドに横になる。
(あれ? この人……)
ファッション誌の紙面やショーで良く見る顔だから、サングラスをしていてもすぐにわかる。そもそも自分の正体を隠す気がないのか、身なりが相当きらびやかだ。
名前は確か、ツナミ、だったはず。海外のショーにも出演している、売れっ子モデルだ。
表札の出ていない棚井家のインターフォンを何度か鳴らしているが、攷斗もひぃなも部屋にはいない。
どうしたものかと考えるが、このまま待つわけにもいかず、
「あのー……」
恐る恐る声をかける。
「……だれ?」
それはこっちのセリフだと思いつつ、
「ここの部屋の住人です」
答える。
「えっ、やだ、引っ越しちゃったのかな」とツナミがつぶやいて「この部屋ってウタナさんの部屋ですよね? います? コイト、ウタナさん」
世界的に有名なデザイナー名前を口にした。
「いま、せん」
何故この部屋の前でその名前が出てくるのか。
ここは“ウタナさん”の部屋ではないし、じゃあ“ウタナさん”がどこにいるかと聞かれても、知らないから答えられない。
疑問符が目一杯浮かんだところで、背後にエレベーターの動作音が聞こえる。
「あれ? なにして…」
ひぃなの背中に声をかけるが、
「うわ! えっ。何しに来たんですか?」
その先にいる女性の姿に気付き、ひぃなを通り越して女性に声をかけた。声色や表情から“迷惑”という感情がにじみ出ている。
「あー、ウタナさーん、会いたかったです~」
ツナミがサングラスを外し、先ほどとは打って変わった甘ったるい声と口調で攷斗に近付いた。が、攷斗はあからさまに避けて、ひぃなを引き寄せ背中に隠す。
ツナミは敵意に満ちた目でひぃなを検分するように眺めた。
その顔、あなたが言うところの“ウタナさん”にも丸見えですよ、とはとても言えない雰囲気だ。
「その方、どなたですか?」
「ヨメ」
「え?」
「俺の、ヨメ。妻。奥さん。結婚したの、俺たち」
「……え?」
攷斗の言葉をうまく理解出来ない様子で、ツナミが立ち尽くす。
「ほら、自己紹介」
軽く後ろを振り返り、攷斗がひぃなに促すと、
「ヨメ、です……」
ひぃなが会釈をしながら間の抜けた自己紹介をした。
「なにそれ」
ほんと、なにそれ、だ。
しかし、いきなり自己紹介をと言われ、不法侵入の上に初対面、素性もほぼ知らない相手に名乗るのはどうかと思い、“気の利かない返答”しか出来なかったのだから仕方がない。
「そういうわけなんで、どこからうちの住所知ったのかわかんないですけど、お引き取りいただけますか」
疑問形ではない強めの口調に、ツナミが一瞬奥歯を噛みしめ、その次の瞬間にはとびきりの営業スマイルに表情を変換した。
「わかりましたぁ。またお仕事のとき、よろしくお願いしまーす」
「機会があれば」
攷斗が業務的な会釈をしたので、ひぃなも軽くお辞儀をする。
美しい顔立ちの人は表情も美しいが、感情が見えてしまった分、笑顔も怒り顔も同じように怖い。
ツナミがエレベーターでエントランス階に降りるのを確認してから、
「入ろう」
攷斗がドアを開錠した。
聞いていいものかどうか、少し迷いながらあとに続いてドアを施錠する。
「なんもないから」
「へっ?」
攷斗の言葉に顔を上げると、すぐ目の前に攷斗が立っていた。
「なんもなかったから。勝手に言い寄ってきてただけだから」
「……うん」
(すごい。モテるんだ)
どちらかというと感心の感情が強い。
「俺は、ひなが好きだから」
急な告白に、息が止まりそうになる。心なしか身体も熱い。
いままでもことあるごとに言われてきたが、表情も声色もここまで真剣ではなかった。
「……うん……」
さんざん迷って、やはり肯定することしか出来ない。
“私も”……何故その四文字が言えないんだろう。
「……部屋、入ろう」
「うん」
引き寄せられたときに指が触れた身体が熱く、うずいて浮いているように感じる。
色々疑問がありすぎて、文章と単語が脳内を飛び交う。
少し上の空で作った夕食は、少しぼんやりとした味になってしまった。
「ごめん。味、薄かったね」
「ん? 旨いけど」
「……優しいね」
(だから、モテるんだろうな……)
「いや、本当に旨いんだけどね。具合悪いの?」
「ううん? 大丈夫」
ただ少し、思いのほか、ショックを受けていたのかもしれない。だから、味覚まで気が回らなくなっているのかも。
「疲れてるのかな。後片付け俺がやるから、お風呂先にどうぞ」
「うん…ありがとう……」
攷斗に促され、ご飯を食べて、早めに風呂に入る。リビングへ戻ると攷斗はノートパソコンを使って仕事をしていた。
「お風呂、お待たせ」
「うん、ありがとう」
「後片付けありがとう。ごめん…部屋、戻るね」
「……うん」
いつもならリビングでくつろいでお茶でも飲んで、テレビを見ながら攷斗が風呂から出てくるのを待つが、今日はその気力を保てない。
静かに自室のドアを開閉して、ベッドに横になる。
0
お気に入りに追加
35
あなたにおすすめの小説
幸せの見つけ方〜幼馴染は御曹司〜
葉月 まい
恋愛
近すぎて遠い存在
一緒にいるのに 言えない言葉
すれ違い、通り過ぎる二人の想いは
いつか重なるのだろうか…
心に秘めた想いを
いつか伝えてもいいのだろうか…
遠回りする幼馴染二人の恋の行方は?
幼い頃からいつも一緒にいた
幼馴染の朱里と瑛。
瑛は自分の辛い境遇に巻き込むまいと、
朱里を遠ざけようとする。
そうとは知らず、朱里は寂しさを抱えて…
・*:.。. ♡ 登場人物 ♡.。.:*・
栗田 朱里(21歳)… 大学生
桐生 瑛(21歳)… 大学生
桐生ホールディングス 御曹司
隠れオタクの女子社員は若社長に溺愛される
永久保セツナ
恋愛
【最終話まで毎日20時更新】
「少女趣味」ならぬ「少年趣味」(プラモデルやカードゲームなど男性的な趣味)を隠して暮らしていた女子社員・能登原こずえは、ある日勤めている会社のイケメン若社長・藤井スバルに趣味がバレてしまう。
しかしそこから二人は意気投合し、やがて恋愛関係に発展する――?
肝心のターゲット層である女性に理解できるか分からない異色の女性向け恋愛小説!
ウブな政略妻は、ケダモノ御曹司の執愛に堕とされる
Adria
恋愛
旧題:紳士だと思っていた初恋の人は私への恋心を拗らせた執着系ドSなケダモノでした
ある日、父から持ちかけられた政略結婚の相手は、学生時代からずっと好きだった初恋の人だった。
でも彼は来る縁談の全てを断っている。初恋を実らせたい私は副社長である彼の秘書として働くことを決めた。けれど、何の進展もない日々が過ぎていく。だが、ある日会社に忘れ物をして、それを取りに会社に戻ったことから私たちの関係は急速に変わっていった。
彼を知れば知るほどに、彼が私への恋心を拗らせていることを知って戸惑う反面嬉しさもあり、私への執着を隠さない彼のペースに翻弄されていく……。
アフォガード
小海音かなた
恋愛
大学生になった森町かえでは、かねてより憧れていた喫茶店でのバイトを始めることになった。関西弁の店長・佐奈田千紘が切り盛りするその喫茶店で働くうちに、かえでは千紘に惹かれていく。
大きな事件もトラブルも起こらない日常の中で、いまを大事に生きる二人の穏やかな物語。
イケメン御曹司、地味子へのストーカー始めました 〜マイナス余命1日〜
和泉杏咲
恋愛
表紙イラストは「帳カオル」様に描いていただきました……!眼福です(´ω`)
https://twitter.com/tobari_kaoru
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私は間も無く死ぬ。だから、彼に別れを告げたいのだ。それなのに……
なぜ、私だけがこんな目に遭うのか。
なぜ、私だけにこんなに執着するのか。
私は間も無く死んでしまう。
どうか、私のことは忘れて……。
だから私は、あえて言うの。
バイバイって。
死を覚悟した少女と、彼女を一途(?)に追いかけた少年の追いかけっこの終わりの始まりのお話。
<登場人物>
矢部雪穂:ガリ勉してエリート中学校に入学した努力少女。小説家志望
悠木 清:雪穂のクラスメイト。金持ち&ギフテッドと呼ばれるほどの天才奇人イケメン御曹司
山田:清に仕えるスーパー執事
あまやかしても、いいですか?
藤川巴/智江千佳子
恋愛
結婚相手は会社の王子様。
「俺ね、ダメなんだ」
「あーもう、キスしたい」
「それこそだめです」
甘々(しすぎる)男子×冷静(に見えるだけ)女子の
契約結婚生活とはこれいかに。
出会ったのは間違いでした 〜御曹司と始める偽りのエンゲージメント〜
玖羽 望月
恋愛
親族に代々議員を輩出するような家に生まれ育った鷹柳実乃莉は、意に沿わぬお見合いをさせられる。
なんとか相手から断ってもらおうとイメージチェンジをし待ち合わせのレストランに向かった。
そこで案内された席にいたのは皆上龍だった。
が、それがすでに間違いの始まりだった。
鷹柳 実乃莉【たかやなぎ みのり】22才
何事も控えめにと育てられてきたお嬢様。
皆上 龍【みなかみ りょう】 33才
自分で一から始めた会社の社長。
作中に登場する職業や内容はまったくの想像です。実際とはかけ離れているかと思います。ご了承ください。
初出はエブリスタにて。
2023.4.24〜2023.8.9
10 sweet wedding
国樹田 樹
恋愛
『十年後もお互い独身だったら、結婚しよう』 そんな、どこかのドラマで見た様な約束をした私達。 けれど十年後の今日、私は彼の妻になった。 ……そんな二人の、式後のお話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる