上 下
8 / 120

Chapter.8

しおりを挟む
「……すげぇテンション」
(そりゃそうでしょ……)
 社長――堀河沙江子とひぃなは高校生のとき同じクラスになってから、かれこれ二十数年来の付き合いだ。日常のどうでもいい話や仕事のこと、そして将来設計のことももちろん話している。その中でまったく話題にあがることのなかった“攷斗との結婚”は、まさに青天の霹靂だろう。
「じゃあ……書こうか」
「うん」
 二人並んで椅子に座る。
 攷斗が雑誌を広げ、丁寧に付録の婚姻届を取り外して机上に広げた。
 ピンク色で印刷されたその書類を、ひぃながペンも持たずマジマジと見つめている。
 攷斗はその顔を覗き込んで、
「……やっぱり、やめる…?」
 静かに問いかけた。
 その表情が思いのほか寂しそうで。
「ううん? やめないよ?」
 子供をなだめるような口調で答え、微笑みながら攷斗を見つめた。
「こっち側書くの初めてで心配だから、良く確認してから書こうと思って」
 事務業のさがはいつでも付きまとう。
「そっか…そうだね。俺も心配だから、書き方教えて?」
 内容とは裏腹に、表情が安心に満ちた。
「うん。……なんか懐かしいね」
 攷斗が入社した当時のことを思い出して、ひぃなが笑う。
「ん?」
「棚井にそういうの聞かれるの、めっちゃ久々」
「ここ入りたてのときはなんもわかんなかったから」
「あの頃はタメ口じゃなかったのにねぇ」
「そりゃそうでしょ。先輩だし年上だし、敬語も使うわ」
 それが退職を機に“これからは先輩後輩じゃないから”という急な宣言と共に、攷斗はひぃなに敬語を使わなくなった。名前を省略して呼び捨てにし始めたのと同じタイミングだ。
 攷斗にならそうされても嫌じゃなかったので、その提案をそのまま受け入れて早五年。いまではどちらもすっかり馴染んでいる。
 人懐っこい性格と、少年のように可愛らしくそれでいて整った顔立ちはとても人受けが良い。業務の飲み込みも速いうえに気が利くという何拍子もそろった後輩が、可愛くないはずがない。

 その“可愛い後輩”が、書類上で“夫”になろうとしている。

 ひぃながバッグに入っている愛用のボールペンを取り出して持つと、手のひらにジワリと汗が滲んでいる。知らぬうちに緊張していたようだ。
「ちょっと」気持ちをほぐすために立ち上がって「住民票、持ってくるね」攷斗に宣言した。
「うん」
 ひぃなはバッグから仕事用のキーケースを取り出し、オフィスの一角にある鍵付きのロッカー前へ移動した。開錠して、【従業者名簿:事務部門】と書かれたファイルを取り出す。ファイリングされたクリアポケットの中から自分の従業者名簿のページを開いて、片側に入れられた住民票を取り出した。ファイルをロッカーに戻して施錠する。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

身代わりお見合い婚~溺愛社長と子作りミッション~

及川 桜
恋愛
親友に頼まれて身代わりでお見合いしたら…… なんと相手は自社の社長!? 末端平社員だったので社長にバレなかったけれど、 なぜか一夜を共に過ごすことに! いけないとは分かっているのに、どんどん社長に惹かれていって……

羽柴弁護士の愛はいろいろと重すぎるので返品したい。

泉野あおい
恋愛
人の気持ちに重い軽いがあるなんて変だと思ってた。 でも今、確かに思ってる。 ―――この愛は、重い。 ------------------------------------------ 羽柴健人(30) 羽柴法律事務所所長 鳳凰グループ法律顧問 座右の銘『危ない橋ほど渡りたい。』 好き:柊みゆ 嫌い:褒められること × 柊 みゆ(28) 弱小飲料メーカー→鳳凰グループ・ホウオウ総務部 座右の銘『石橋は叩いて渡りたい。』 好き:走ること 苦手:羽柴健人 ------------------------------------------

友情結婚してみたら溺愛されてる件

鳴宮鶉子
恋愛
幼馴染で元カレの彼と友情結婚したら、溺愛されてる?

長い片思い

詩織
恋愛
大好きな上司が結婚。 もう私の想いは届かない。 だから私は…

隠れ御曹司の愛に絡めとられて

海棠桔梗
恋愛
目が覚めたら、名前が何だったかさっぱり覚えていない男とベッドを共にしていた―― 彼氏に浮気されて更になぜか自分の方が振られて「もう男なんていらない!」って思ってた矢先、強引に参加させられた合コンで出会った、やたら綺麗な顔の男。 古い雑居ビルの一室に住んでるくせに、持ってる腕時計は超高級品。 仕事は飲食店勤務――って、もしかしてホスト!? チャラい男はお断り! けれども彼の作る料理はどれも絶品で…… 超大手商社 秘書課勤務 野村 亜矢(のむら あや) 29歳 特技:迷子   × 飲食店勤務(ホスト?) 名も知らぬ男 24歳 特技:家事? 「方向音痴・家事音痴の女」は「チャラいけれど家事は完璧な男」の愛に絡め取られて もう逃げられない――

溺愛ダーリンと逆シークレットベビー

葉月とに
恋愛
同棲している婚約者のモラハラに悩む優月は、ある日、通院している病院で大学時代の同級生の頼久と再会する。 立派な社会人となっていた彼に見惚れる優月だったが、彼は一児の父になっていた。しかも優月との子どもを一人で育てるシングルファザー。 優月はモラハラから抜け出すことができるのか、そして子どもっていったいどういうことなのか!?

拗らせ女の同期への秘めたる一途な想い

松本ユミ
恋愛
好きだった同期と酔った勢いで 一夜を共にした 恋愛が面倒だと言ったあなたに 「好き」だと言えなくて 身体だけでも繋がりたくて  卑怯な私はあなたを求める この一途な想いはいつか報われますか?

隠れオタクの女子社員は若社長に溺愛される

永久保セツナ
恋愛
【最終話まで毎日20時更新】 「少女趣味」ならぬ「少年趣味」(プラモデルやカードゲームなど男性的な趣味)を隠して暮らしていた女子社員・能登原こずえは、ある日勤めている会社のイケメン若社長・藤井スバルに趣味がバレてしまう。 しかしそこから二人は意気投合し、やがて恋愛関係に発展する――? 肝心のターゲット層である女性に理解できるか分からない異色の女性向け恋愛小説!

処理中です...