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Chapter.8

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「……こんな感じでいかがでしょう」
 書きあがったイラストを、隣にいる宿に見せる。思っていたより顔が近くて、思わずドキリとしてしまう。
「うわー、すげー!」描きあがるまでの工程を見ていた宿が感嘆し、「嬉しいです! ありがとうございます!」子供のようなリアクションで、チヤから受け取ったノートを眺めて心底嬉しそうに笑みを浮かべている。
(いや~! 成仏しそう!)
 その、後光が射した(ようにチヤには見える)笑顔に、冷静を装いつつ「とんでもないです」謙遜するが、頬は上気している。
 宿は一緒に渡された袋にノートをそっと入れて、バッグへしまった。
「今日から大事に使います」
「ありがとうございます」
 コゲラノートのスケジュール帳は、10月から翌年3月まで使える仕様だ。いまは12月なので、すぐにでも使える。これから一年弱、自分が手を加えた物を宿が使い続けると思うと、嬉しさでますます頬が熱くなる。
「もっとお時間がかかるものだと思ってました」
「本格的な、こう…色を入れたり細部までリアルにってなるとお時間いただいちゃいますけど、このサイズのイラストでしたら、今くらいのお時間で描けますね」
「プロの方にこんなこと言うのもなんですけど、さすがですね」
「いえいえ、恐縮です……」
(うまく描けてよかった……)
 人に見られて描くことに慣れているわけではないけど、特に意識しすぎることもなかった。しかし相手が宿だと違う。人前で絵を描く云々の前に、宿がいるだけで緊張してしまう。
 机の上、端に追いやられていたミルクティーのカップを目の前に戻して、口をつける。同じタイミングで、宿もコーヒーを飲んだ。どちらも、同じように温(ぬる)くなっている。
「新成さんも、スケジュール管理はアナログなんですか?」
 隣の席に座ったままの宿に問いかけた。
「そうですね。常にPCや端末が手元にあるとは限りませんし、電源も。やっぱり手書きが速いです。単に字を書くのが好きなだけなんですけど」
「すごくわかります」
 チヤも仕事はアナログとPCの両方を使うが、アイデアは手書きが多い。簡単なスケッチはタブレットでもできるけど、ただ文房具類が好きだから使いたいだけ、と理由は単純だ。
「あ、あと。今日お会いしたらお伝えしようと思ってたんですけど」
 カップを置いて宿が切り出す。
「はい」
 深い意味はないとわかっているのに、心臓がドキリと跳ねた。
「差し支えなければ、今度の挿絵のお話、今後ここで打ち合わせできるとありがたいんですけど、どうですか?」
「はい、お時間合うときでしたら、是非」
 さりげなく言ったつもりなのに、妙に力が入ってしまった。少しの後悔は宿には見えていないようで、
「あぁ、助かります。岳元出版、ルート的に微妙に行きづらくて……」安心したように笑った。「シガラキさんも締切とか抱えてると思うので、無理はなさらない程度でお会いできると嬉しいです」
「はい、かしこまりました。いつでもご用命ください」
「またわがまま言ってすみません。挿絵描いてもらうの初めてなんで、少し不安で」苦笑しながら言った矢先、宿がハッとした表情になり「シガラキさんのお仕事内容に不安があるわけではないので!」慌てて付け足した。
 その勢いにチヤは一瞬驚いて、でもすぐに笑顔になる。
「はい。ポートフォリオを見て決めてくださったんですよね? でしたらきっと大丈夫です」
 チヤの言葉に、宿は再度安心したように、そして少し申し訳なさそうに笑った。
(すごくまっすぐな人なんだなー)チヤが思う。そして、ますます好きになってしまう。でへでへとゆるんだ笑顔にならぬよう気を付けて、“社会人の笑み”(とチヤが思っている顔)を作る。
「最終的には尾関さんを通してお話することになるかと思いますが、細かい部分は描く前にご指定いただけると大変助かります」
 ある程度まで描いて納品したものに修正指示が出されると、進行具合によっては全て描き直しになって相当キツイ。
「かしこまりました」
 宿がチヤと同じように言って、お辞儀をした。
「尾関さんには僕のほうから話しておきます。ほんとすみません、色々と……。絵に関しては門外漢なもので……」
 宿が気まずそうに言ってコーヒーをすする。
「いえ、お気遣いいただいて、とても助かります」
 微笑むチヤに宿が何か言おうとして口を開くと、机の上に置かれたスマホが音を立てて震えた。持ち主である宿が驚いて目を丸くし、会話の邪魔をした小型端末をにらむように眉間にしわを寄せる。
 表示された画面を確認して少しの間操作すると、チヤに向き直った。
「すみません、急に打ち合わせが入ってしまったので、これで……」
「あっ、はい。お疲れ様です。お声かけていただいて、ありがとうございます」
「いえいえ、来ていただいたのはこちらですから。ありがとうございました」
「はい」
 宿はコーヒーをグーッと飲み干した。立ち上がり元の席に移動してコートを着てバッグを肩から下げると
「では、またご連絡さしあげます」
 チヤに笑いかけた。
「はい、お待ちしております」
 チヤは立ち上がってお辞儀をし、その場で宿を見送る。
 宿の姿が消えて少しあとに、遠くでドアの開閉音が聞こえた。カランコロンカラン♪
 退店したと認識をして、息を吐きながらチヤが椅子に腰を下ろす。
(キンチョーしたぁ~!)
 口を覆った両手の先から吐いた息が漏れ、眼鏡を曇らせた。
(夢だったのかな)
 ぼやけた視界がだんだんとクリアになっていく。外気と同じ温度に戻ったレンズの向こうに、宿が使っていたコーヒーカップが見えた。
(夢にしてはリアルが過ぎる)
 両手をそのままスライドさせて頬杖をつき、こっそり頬をつまんでみる。
(痛い。そして痩せよう……)
 親指と人差し指で自身の頬をむにむにとつまみながら思う。
 パーテーションから姿を見せた雁ヶ谷がチヤの視線の先に気付き、
「片付けちゃっていい? それとも置いておく?」
 コーヒーカップを指しながら、チヤに問うた。
「えっ? あっ?」
「別にいいよ? 描きたいなら。この席、新成くんしか案内しないし」
「お知り合いなんですね」
「まぁねぇ、この席、予約してもらってるくらいだし」
「それもそうですね……」
「チヤちゃんこそ知り合いだったの? こないだ新成くんが来てたときはそんな感じしなかったけど」
「あのあと急に……一緒にお仕事することになったんです」
「あ、そうなんだ。そりゃ楽しみだな。本が完成したら教えてね」
「もちろん」
 この店で遭遇していなければ、いまここで宿と会うことはなかったかもしれない。そう思うと、この店を運営して、宿から席の予約を受けた雁ヶ谷にも感謝したい。
「あ。……スミマセン。カップ、描きたいんで置いておいてもらっていいですか?」
「はいはい、了解です」
「あと、追加でジンジャーエールをお願いします」
「はーい、かしこまりました」
 雁ヶ谷は笑顔で返事して、カウンター内へ戻った。
 チヤはスケッチブックを開いてペンケースから色鉛筆を取り出し、そのまま紙へ走らせた。
 無地の紙にコーヒーカップの縁取りを生み出す。ペンを変え、色を重ねながら先ほどまでそのモチーフを使っていた人物のことを思い出すと、自然と笑みがあふれ出した。
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