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第六章 怪物派遣公社
呪いと穢れの者たち
しおりを挟むゲンゼの縄を解けば、彼女は表で起こっている騒動を収拾しに行く。
それがどんな方法かはわからないが、きっと酷い目に遭うのはわかった。
俺はわかっていながら、巨釜の縁を掴み、ひょいっと飛び乗った。彼女の拘束を解除するために。
ゲンゼの蒼穹の視線が交差する。
8年ぶりにちゃんと見た彼女の姿は変わっていた。
艶やかな黒髪は長く伸び、巨釜の底でふわっと広がっていた。
彼女の眼差しに覚悟を見た。諦観の色をしているが、失われていくなかで大事なものを守ろうとする泥臭い足掻きの覚悟だった。
メレオレの杖を抜き、ゲンゼを拘束する縄を風でやさしく切り裂く。
体が自由になったゲンゼは、一足で巨釜を飛びだすと、そのまま扉のほうへ。
壁際に立てかけてある大杖は持って行かないのか?
「杖を忘れてますよ」
「それを持っても相手に都合がいいだけですよ。わたしには反撃の意志がないのだと伝えなければ」
言って、扉を開けて行ってしまう。
杖を持っていくことは、相手に暴力の口実を与える、ということだろうか。
俺もあとを追いかける。
建物入り口のある広間へともどってきた。
そこで起こっていた光景を目にした途端、俺は名状しがたい怒りにかられた。
────
巨大樹に潰された宿屋の一階、広々としたエントランスでは子供たちの泣き声が響いていた。黒い耳と尻尾をたずさえた皆が、隅っこのほうで身を寄せ合い、こどもたちは大人たちの背後に隠れていた。
広間のそこら中に獣人が倒れている。
2階へと続く階段は崩れており、男の獣人が白目を剥いて破片に身体を貫かれ、ぐったりと動かなくなっていた。
壁には血痕が飛散し、怪我をして腕を押さえている者もいる。
暗黒の末裔たちがねめつける先、紺色のローブを着た魔術師が3名いた。
彼らのまわりには何やら淡く光りを帯びたフルプレートの鎧に身を包んだ騎士が2名。王立魔術騎士団だ。
「汚らしい犬畜生どもが。穢れた混血が、気安く触れていい身分ではないぞ」
言って、ローブの袖をわざとらしく払うのは魔術師たちのまんなかに佇む男だ。
神経質そうな顔をしており、線が細く、頬がこけている。
この男の足元にぐったりしている子供がいる。意識がない。
ゲンゼディーフは表情を変えず、あしもとの子へ手を駆けより、その肩を抱いて引き寄せようとする。
張り手がふりぬかれ、ゲンゼディーフの頬がはじかれた。。
「いいご身分ではないか。私が先ほどから声を荒げているのに、挨拶もないのかね」
「失礼いたしました。お許しください」
「ふん。……して、どうしたものか」
男はなにから言及するべきか迷ったようにあごをしごく。
陰湿な視線は眼前でうやうやしい態度をとるゲンゼディーフを舐めるように泳ぐ。
その視線の意味は、男からは口を開かないという意思表示であった。
この場ではゲンゼディーヌからの話の切り出しと、謝罪がなければ、さらに男は不機嫌になることだろうと思われた。
ゆえに彼女は口を開いた。
「ピザンチア卿、この度の無礼を深くお詫び申し上げます」
「……」
「なにとぞ手荒な手段はお控えくださいませ、どうかお願いします」
「なにを申しますか、ヴォラフィオーレ殿。まるでこちらが進んで暴力に訴えかけているかのような言いぐさではありませんか」
「いえ、そのようなことは決して」
「そうでしょう、そうでしょう。呼んだのにすぐ出て来ないのですから、これは致し方のないしつけですよ。ああ、可哀想に、きっと苦しかったでしょう」
ピザンチアと呼ばれた神経質そうな男は、杖先でゲンゼディーフのあごを持ち上げる。つまらなそうに視線を投げ、つま先で突くようにして、ぐったりした子供をひっくりかえす。首元に手痕の青あざがくっきり残っており、首を強く力で絞められたのが見て取れた。
「アーカム、あいつらいきなり入って来た。やりたい放題だよ」
アンナは隣に立つアーカムへこそっと耳打ちした。
声に怒気がふくまれているのが、アーカムにはわかった。
アーカム同様、暴力の現場でアンナは我慢していた。
「ピザンチア卿、どこか、この場は杖をお納めください」
「ええ、もちろん。私たちはよきパートナー。共存と協力の仲ですから。私だってこんな手荒なことはしたくなかったんです。本当ですぞ、ヴォラフィオーレ殿」
ピザンチアはゲンゼディーフに一歩近づき、細い肩をポンポンっと叩く。
その時だった。パンッ。張り裂けたような音が響いた。
同時にゲンゼディーフが倒れる。
ピザンチアが強烈な張り手を見舞ったのだ。
その手には血がついている。
「ヴォラフィオーレ殿、わかっているでしょう。協力関係には信頼が大事であると」
ピザンチアは白いハンカチで手を拭いながら続ける。
「我々は善意でもってこの世界のどこにも居場所が無い、大罪の穢れたお前たちを飼ってあげているのですよ。その厚意を、踏みにじった。最悪だ。最低の行いだ。我が兄は非常に、ああ、それはもうとても言葉で表せないほどに、憤慨しておられる」
「誠に申し訳ありません、二度とこのような無いよう、よく言って聞かせます」
「それは当たり前のことですよ。私たちが求めているのは、そんなことじゃないです。あなたが監督している汚い畜生が行った、信頼に泥を塗る行為を糾弾しにきたのですよ」
「はい、おっしゃる通りです、ですから、どうか杖を……」
「カンピオフォルクスを侮辱し、裏切った。どうやって、このわだかまりを解消するかということです。本来ならお前たちなど、獣に食わせて処分してしかるべき。だが、人間は寛大だ。闇に生きる卑しい命でも生きることを許している。不浄の命を、生かしてもらっていることへの感謝を忘れるべきではない」
ピザンチアは杖をゆったり持ち上げ、ゲンゼディーフへ突きつける。
ゲンゼディーフは揺れる瞳孔で、まっすぐに見つめかえす。
ピザンチアは暗黒の末裔たちの畏れる顔が好きだった。
だが、ゲンゼディーフの眼差しはあまりのも気高い。
言葉で謝っていても、そこに屈服の色がないことがわかってしまうほどに。
ゆえにピザンチアは不愉快であった。
もっと這いつくばれ、もっと卑しく、惨めに許しを乞え──と。
アーカムはピザンチアの並べる侮辱の言葉の数々に、深く眉間にしわをつくり、いまのも崩れそうになる均衡を見守っていた。
同時に、弱々しく倒れたままのゲンゼディーフに「どうして何も言い返してやらないんだ」と、まるで理解できない状況に困惑していた。
否、アーカムにも理解できていた。
彼はどうしようもない当たり前と、それを認識していない自分へ怒っていたのだ。
暗黒の末裔への差別と迫害の深い歴史。
それは昔の話ではなかった。
ゲンゼディーフたち暗黒の末裔たちにとって今、この時、現在も当たり前だったのだ。
人として扱われず、その命は家畜にも劣る。
同じ獣人たちとは違って、いにしえの遥か遠い先祖の罪を背負わされつづける。
最大の困難は、それらが差別・迫害をする側にとって『悪』ではないこと。
人が害獣を駆除することに異を唱える者はいないのだ。
ピザンチアもまた特別に暗黒の末裔が嫌いなのではない。
貴族の家に生まれ、貴族の教養を獲得し、貴族として自分の命が尊いと知る者として、穢れた命を罰する正義の執行をしているのである。ごく当たり前として。
「ほら、立ってください、ヴォラフィオーレ殿」
表面上、丁寧な言動。ただし狂気がひそむ。
ピザンチアはゲンゼディーフの漆黒の艶やか髪を鷲掴みし、ひっぱって立たせようとした。
子供たちが泣き叫び「やめてください!」「ごめんなさい、ごめんなさい、もう悪いことしません……!」「許してください……っ」と懇願するように声を重ねる。
その時だった。
ピザンチアの手がぎゅっと横から掴まれた。
ゲンゼディーフの髪を掴む手が止まり、ピザンチアは怪訝に顔をあげる。
「手荒な真似はよしてください。あまりに不愉快なので」
「誰ですかあなたは。誰の腕を掴んでいると?」
「彼女の髪を離して。それ以上は不幸な結末を招くことになりますよ、ピザンチア卿」
アーカムは腹の底から震える声で、精一杯自制した声で言った。
横暴なる魔術師の腕をつかむ手には強い力が込められていた。
ピザンチアはその握力の意味がわからぬほど、愚かではない。
「おい、貴様……。いったい誰の腕を掴んでいると思ってる、この腕を離せ!」
「アーカム、やめて……お願い……わたしはいいですから……」
「なにも良くない。なにも納得できないですよ、ゲンゼ」
ピザンチアはゲンゼディーフの髪を離し、アーカムの腕を振りほどいた。
掴まれていた腕をそっと押さえる。袖をすこしまくると手の跡に青あざができており、そこがズキズキと痛んだ。
ピザンチアは不快感に自身へ舐めた態度をとる少年を睨みつける。
その眼差しを夜空の瞳がまっすぐに見つめかえした。
数多の死線を越えて来た強者《つわもの》の眼であった。
ピザンチアは息の詰まるような圧迫感を覚えた。
冷たい汗がにじみ、少年の覇気に一歩あとずさった。
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