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第六章 怪物派遣公社
再会のゲンゼディーフ
しおりを挟むどこもかしこも塵と埃が埋積し、形容しがたい陰湿さが漂っている。
廃墟っぽいさびれた街をすこし歩くと、いっそう人気がなくなってきて、目につくのはみすぼらしい服を着た浮浪者ばかりだ。
大きな町や都市を訪れると、必ずといっていいほどそこに光と影が存在する。
人が集まるほどに、社会集団に内在する諸属性が水と油のように分離し、分離はコミュニティを形成する。
ここは端的に言えばスラム街と呼ばれる場所なのだろう。
「パットはここに住んでるんですか」
「うん、ずっとここだよ」
「危険はあったりしますか」
「あるけど、ないかな。ここのみんなは外のほうがずっと恐いって思ってるし、内側ならフラッシュがいるから、だれもぼくたちにいじわるはしないよ。前は酷かったみたいだけど」
「フラッシュ?」
「お兄さんと戦ってたがフラッシュだよ」
ああ。あの雷神流の。
確かにあんなのが暗黒の末裔を守ってたら、ちょっかいなんてかけようとは思わない。
「そういえば、お兄さんのお名前は?」
「アーカム。アーカム・アルドレアって言います」
「冒険者?」
「どうしてわかったんです?」
「えへへ、とっても強いから」
「ありがとうございます。あの雷神流……フラッシュも冒険者ですか?」
「うんん」
「冒険者になればたくさん稼ぎそうですけど」
「……フラッシュは冒険者になれないよ。黒いもん」
パットは顔をうつむかせてボソっとつぶやいた。
それまでおしゃべりだった彼が言葉尻をすぼめていくのに、どこか罪悪感が湧いた。
俺とパットはそれっきり言葉を交わすことはなかった。
パットは慣れた足取りで草木の生い茂るスラム街を歩いていく。
どんどん暗い方へ進み「ここだよ」と、ついぞボロボロの家を指さした。
だいぶ年季が入っており、見た目からしてかび臭いが、サイズは非常に大きく、部屋数の多い大型の宿屋を思わせた。
言及するべきは建物が巨大な樹になかば埋もれていることか。スラム街が全体的に緑化しているせいなのか、建物が身長20mほどの太い樹の根っこに浸食されて、押しつぶされそうになっている。
あるいは根っこのおかげで上手いこと安定しているのかもしれないが。
なかに入る。
「パット! どこに行ってたんだ?!」
「え、えっと、ちょっと散歩に……そ、それより、賢者さまいる? お客さんがいるんだ」
「……ああ、いるよ、魔術工房にいらっしゃる。あんたたちのことを探してたよ」
建物に入るなり、俺は息を呑んだ。
そこには見渡す限りのもふもふ耳、しっぽ、しっぽ、しっぽ。
ちみっこい暗黒の末裔たちがいっぱいだったのだ。
ちみっこだけではない。老いも若きもいる。
みんなスクロールを広げ、両手を掲げ、一生懸命になにかをしている。
俺の夜空の瞳は魔力の流れを微粒子レベルでとらえていた。
ゆえに彼らが懸命に取り組む作業が、魔力を圧縮し、結晶化させているものだと理解できた。
ここにパットの言葉は裏付けられたのだ。
「嘘だろ……」
「だから言ったでしょ?」
「……うん、ごめん」
「えへへ」
なんということだ。
まさか魔力結晶をつくっていたのが本当だったなんて。
だとしたらこの魔力結晶を売り、彼らは富を得ているはずだ。
富を得ているということは、すなわち泥棒をする必要が無い。
畢竟、パットがノーラン教授から魔力結晶を盗んだ一連の動機が不明になる。
それを説明するのはパットの言葉、ノーラン教授がパットたちから魔力結晶を盗んだというさっきまで懐疑的だった説だ。
うーん、でも、盗むって言ってもな……ノーラン教授もお金に困っているわけじゃないし、魔力結晶界隈の第一人者ならわざわざスラムの暗黒の末裔から物を奪うこともないんじゃないか……?
「こっちだよ!」
パットは俺の手を引いて、奥へといざなう。
尻尾を嬉しそうにフリフリしており、ご機嫌なのがうかがえた。
俺を説得できたと思っているらしい。可愛い……。
「賢者さま! ただいま!」
奥まった部屋は宿屋の一室を改修してつくられた、違法建築くさい異質な部屋となっていた。
床も壁もひっぺはがされ、掘られ、掘られ、掘られ、下方へ20段ほどの階段が伸びており、横にも拡張されており、学校の教室程度の広々とした空間になっていた。
空間の壁際は巨大な樹の根っこの内側にあたるらしく、古ぼけた幹と時間の経過を感じさせる樹肌が露出していた。
奥の方に白いローブに身を包んだ者がいた。
戸棚の近くでなにかしていたが、手を止め、こちらをサッと見やる。
「パット? まったくどこに行ってたんですか。さっきフラッシュたちを探しにいかせて……」
言いかけ、彼女は言葉を途切れさせた。
我が眼を疑った。
この魔眼が見間違うはずなどないというのに。
漆黒の髪。暗黒をうちに秘めたキリっと立つふさふさの耳には、真白い耳毛が溢れている。几帳面に切り揃え、整えられた毛尾は彼女のこだわりポイントであり、自慢の証であった。
夏の空を切り取ったような蒼穹の瞳、儚い美しさに言葉を失う。
「……ゲンゼ?」
「………………アーカム」
お互いに名をこぼした。
言葉がでてこなかった。
とっくに諦めて部分があったのかもしれない。
それはあまりに突然で、それまで諦めて忘れて気にしないでいたのに、しかし、その時がやってくると、どうしようもなく遠かったものが、今まで求めていた物が手に入ったような気になってしまう。
俺は階段を降りようと、足を踏みだす。
と、その時、猛烈な苦しみが俺を襲った。
ああ……これは、この気管にからまった茨の棘が肉を喰い込み、締め上げて来る感覚は……。
足がもつれ階段を派手に転がり落ちる。
そこで俺の意識は途絶えた。
せっかく届いたのに。
なんて情けないのだろう。
忘れていた古い戦いに俺はまた負けた。
────
意識が浮上し、目が覚める。
うっすら重たい瞼をもちあげると、あの少年、パットが俺の顔をのぞきこんでいた。
「……ゲンゼは?」
「あ、起きた」
そう言って、パットはタッタッタッと掛けていき、「起きたよー!」と声をあげた。
あたりを見渡すと、かび臭いうす暗い個室であった。
わずかに開いた窓から昼の日差しが注がれ、青い空が見えている。
足音が戻って来た。
だが、今度は複数だ。
「アーカム、おはよ」
「あれ……アンナ? どうしてここに……」
「あの黒いわんわん、逃げようとしてたから捕獲しといた」
「黒いわんわんって……だいたい黒いわんわんじゃないですかね」
「白いローブを着た、賢者わんわん」
ふむ、いったいどういう経緯で賢者わんわんを捕獲するにいたったのか……。
わからない。とりあえず俺が意識を失っている間にひと悶着あったのは確かだな。
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