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第五章 都市国家の聖獣

氷の賢者

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 アーカムはメレオレの杖をぶらりと下げた無防備な状態で歩み寄る。

「もう魔力が残っていないように思います」
「どうしてそんなことがわかるのだ。のこのこと氷盾の後ろから姿を現すとは。いまその顔を氷で打ってやるわん」
「無理ですよ」

 アーカムはわずかに語気を強めて言った。
 澄んだ宝石のような瞳は、カイロをじっと見つめている。

「この眼のことを言いませんでしたか。魔力の流れが僕には見えています。カイロさんの魔術発動をはじめてみたわけじゃない。そっちの魔力残量もおおかた目途がつきます。もうほとんど残ってない」

 カイロは耳をしょんぼりとしぼませる。
 逆立っていた毛も寝てしまい、闘志が薄れていく。

「くーん」

 カイロのもとに上澄みの大狼がやってきて、悲しげに鼻を鳴らした。

「魔力獣、解除……わん」

 上澄みは魔力の粒子となって霞のように消え、カイロの指輪へと吸い込まれていく。
 
「まるで生きていないみたいです」

 アーカムは今しがた消えた上澄みのいた場所を見つめてつぶやく。
 
「生きてなどいないわん……すべては我の魔力獣の魔術……その造物すぎない……わん」
「そうだったんですか? それじゃあフェンロレン・カトレアの上澄みっていうのは……」
「聖獣の身から湧いた守護者たち、それを我には操ることなどできなかった。これはただの人形遊びだ。フェンロレン・カトレアの上澄みに似せて我が編み出し、そしてそれを操って、聖獣の使徒のつもりでいただけなのだ……わん」

 カイロは寂しげに告白する。
 
「噴水広場で死んでいたあの大きな狼の死体は? 魔力獣ならどうしてわざわざあそこに死体を残したんですか?」
「あれは上澄みだ。本物のな。我の知らないところで本物の聖獣の使徒は戦い、そして死んだ。だから、後任として我は聖獣フェンロレン・カトレアの代行者となっただけにすぎない。……もっとも、お前のほうがふさわしいようだが。わん」

(フェンロレン・カトレアの上澄み、それはこれまでに見た無数の狼たちではなく、ただ一匹の大狼を示す言葉だったのか。そして、その大狼はとっくに死んでいた)

「お前を倒せば我も聖獣にとって特別な存在になれると思った……わん」

 アーカムは同情する。
 
「僕はなんて返せばいいんですか」
「なにも言う必要はない。惨めなだけだわん」
「わかりました」
「……。はあ、もう戻るぞ。ここにいつまでもいても仕方ないわん」

 アーカムとカイロは聖域をあとにし、書庫まで戻って来た。

「渡したい物があると言ったな。わん」
「ああ、そう言えばそうでした。カイロさんに言われたから書庫に来たんでした」

「アーカム、いる?」
 
 書庫へアンナが入って来た。
 暗く埃っぽい室内を見渡してアーカムとカイロの姿を認めると、つかつかとやってくる。

「報奨金がもらえた。路銀には十分だと思う」
「ありがとうございます、アンナ」
「……。なんか二人とも焦げ臭いけど」
「気にしないでください。たいしたことじゃないです」

 カイロは黙したまま冷汗をかく。
 アーカムに負かされたとアンナの耳に入れば「負け犬わんわん」とかからかわれると思ったからである。

「こほん。これが渡そうと思っていた物だわん」

 ゆえにアンナが勘付く前にそうそうに話を進めた。

 アーカムは「これは」と、カイロに渡された薄い本を手に取る。
 古びた表紙の本だ。何度も読み返された形跡がありくたびれている。
 ただ保存状態は良く、記された神秘の知恵は読み取れる。

「氷属性四式魔術の魔導書だ。わん」
「《ウルト・ポーラー》、ですか」
「ああ。お前なら修められるだろう。それを修めれば『氷の賢者』を名乗る資格があろうと言うものだ。わん」
「いいですか、もらっても」
「誰がやると言った。わん」
「いや、カイロさんが……」
「貸すだけだ。ここで学んでいけわん」

(属性魔術のなかでも四式魔術以降は、アディが買ってくれた魔導書にも載ってなかったしな。たしか利権関係の問題とか……そんなんだったかな?)

 ふと、アーカムは思い出す。

「そういえば、四式魔術以降は魔法学校じゃないと学べないとか聞いたんですけど」
「ああ、それなら問題ない。厳密には師が必要という意味合いだ。称号として『賢者』を名乗る場合、その能力の保証者が必要だからわん。多くの魔術師は師を魔法学校で見つけるわん」

(はあ、なるほど。魔法学校に行く意味はより高等な魔術を学ぶのと同時に、師を見つけて保証人になってもらう、という意味合いも大きいのか)

 アーカムはひとつ勉強になったとうなづく。

「アーカム、お前、師はいるのか。わん」

(師ねえ……まあ、順当に考えれば……)

「いますよ。アディフランツ・アルドレア。僕の父親です」
「ふむ。我と一緒だ。わん。アルドレアは魔術を代々修める家系らしい」
「ええ。父は偉大な魔術師です」

 アーカムは胸を張って言った。

「であるならば、我を第二の師として仰ぐと言い。まあ、自分より才能で劣る者を師とするのに抵抗があるかもしれないが……それでも、お前の保証人くらいにはなってやれる」

 アーカムは即決する。

「よろしくお願いします」

 3人は聖域へと移動する。

 そこでカイロとアーカムの魔術修練がはじまった。
 アンナは隅っこのほうで壁に背をあずけ、つまらなそうに見学している。

「《ウルト・ポーラー》は氷属性式魔術の奥義だ。聖獣を起源とする魔術で、その使い手はおそらく世界でもカトレア家の者のみだ。わん。真髄はやはり聖獣の神秘を学ぶことにある。いくつかの魔法学校で科目として取り入れられているが、聖獣のいる領域で修練する機会のない者どもに《ウルト・ポーラー》まで辿り着いた魔術師がいるとは思えん。……わん」」
「え、そんな魔術を教えてもらってもいいんですか……」
「お前が救国の英雄だから伝えるのだ。わん」

(丸め込み政策の一環でもあると。たしかに『氷の賢者』を名乗ってたら表向きにはカトレアと知己の仲だってわかるのか。いや、表だからブラスマント家の、かな?)

「よし少し魔力が戻って来たわん」
「流石は聖域の回復効果ですね」
「離れていろ、手本を見せる。わん」

 カイロは杖を構える、深く息を吸いこむ。

「白の星よ、氷雪の力をここに
  あまねく神秘を、聖獣の御手へ還せ
   彼が目を覚まさぬうちに、世界を零へ導きたまへ
 幻氷の地に立つ、我ら彼方の脈々となる
    ──《ウルト・ポーラー》」

 詠唱を終えるとともに、杖を軽く一振り。
 白銀の魔力が練り上げられていく。
 アーカムの瞳には高密度の魔力粒子たちが氷へと姿を変えていく現象がありありと見えていた。

 その一粒一粒をカイロの意識がコントロールし、巨大な氷を地面から生やして見せた。

 高さ15m近い氷の茨が複雑に絡み合ったような見事な狼のスタチューである。
 孤高の狼を思わせるように天を見上げて吠えている。

 アーカムは「おお、お見事」と拍手する。

「《ポーラー》なら氷の道具を、《アルト・ポーラー》なら巨大な獣を氷漬けにし、《イルト・ポーラー》ならば家屋ごと霜のなかに沈め、《ウルト・ポーラー》ならば城塞すら凍てつかせることができよう。わん」

 カイロは汗を軽く拭い、一歩さがる。
 アーカムは杖を片手に、もう片方の手に魔導書を開いたまま持つ。
 ちなみにここに来る途中ですでに本は読み終えており、気になる箇所も何度も履修済みだ。

 アーカムの持つ魔眼が高性能すぎて、速読の能力も神の領域あがっているのだ。
 そして、読んだ内容は超直観というハイセンスのおかげで素早く彼のなかに蓄積され、肌感覚レベルまで昇華される。

「白の星よ、氷雪の力をここに
  あまねく神秘を、聖獣の御手へ還せ
   彼が目を覚まさぬうちに、世界を零へ導きたまへ
 幻氷の地に立つ、我ら彼方の脈々となる
    ──《ウルト・ポーラー》」

 アーカムはスンっと軽く杖を振った。
 すると、ズガっと巨大な氷角が天高く飛びだした。
 カイロの作り出したスタチューのように茨の装飾や、孤高の狼を表現するような繊細さはないが、とにかくデカく、天高く伸びている。

 カイロはそのデカさを見上げて、羨望に目を細めた。

(20……いや、25mはあるか。……流石だ、アーカム)

「なにわん。このブサイクな氷の塊は。まるで美意識が見られないわん」
「すみません。カイロさんすごいですね。あんな繊細に魔力を練り上げられるなんて」
「鍛錬に費やした時間が違う。簡単にマネされては師としてメンツが立たないわん」

 カイロはそう言ってから、やや自嘲気に笑う。

(今更、メンツもなにもないか)

「カイロさん、本当にありがとうございました、超能力者と次に戦う時にこの力は役に立ちます」
「やつらの残党がまだいるのだったな……。いいだろう、我とクリスト・カトレアはお前の戦いを支援してやる。情報があればお前のもとへ伝えてやる。わん」

 カイロはそういい尻尾でアーカムの足をぺしっと叩く。

「もう夜も遅い。帰るとよい『氷の賢者』よ」

 新しい肩書きで呼ばれ、アーカムは呆けた顔をしたが「はい」としっかりとした返事をかえした。

 アーカム・アルドレアは『氷の賢者』となった。
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