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第五章 都市国家の聖獣

越えなくてはいけない壁

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 カイロ・カトレアはカトレア家の末妹として生まれた。
 産まれた時にはまだ姉妹の何人かは人間の姿を取っていた。
 
 聖獣の祝福を受けられるのは大変に誇りある事だ。
 尻尾と耳は神話のチカラに触れた証であるからだ。

 だが、往々にして聖獣の神秘を宿した者は、その先で人を失う。

 カトレアの当主はそれが定めだと考えていた。
 聖獣の姿に近づくことが正しい道だと考えていた。

 では、人間の姿に戻れるカイロは未熟なのか。
 姉妹の中で最も優れた魔術師であり、聖獣フェンロレン・カトレアの上澄みたちと誰よりも共鳴し、今では手足のように扱うことができる。

 カトレア王はカイロを異端だと考えていた。
 自分の娘ながら獣と人間のふたつを保ったままの彼女が異様に映った。

 語尾が娘だけわんなのも気になった。
 わざとやっているわけではなさそうだ。
 しかし、自分の語尾にはわんなどというあざとい現象は起きていない。

 いったいこの差はどこからやってきているのだろうか。

 カイロが氷属性四式魔術を会得し、魔導書に書かれた内容を完全に理解し、現実に神秘を手繰り寄せた時、カトレア王はその才能に目を瞑った。

 自分の娘はもしかしたらカトレアの到達点なのかもしれない。
 彼女ならばあるいは聖獣フェンロレン・カトレアに見えるのかもしれない。

 ただ、その時が訪れる前に聖獣の姿を目撃した者が現れた。

 カイロは一族の期待を知っていた。
 いまはもう人間ではなくなった彼らの求道すらも背負ってここまで修行してきた。

 産まれた時から魔術と聖域での交信を行った。
 ドラゴンクラン大魔術学院へ赴き、そこで魔術の勉強をした。
 聖獣を源流にする氷属性式魔術をかの学院に伝え、おなじく氷属性式魔術の適正を持っていた唯一の教授を上回る超越的な魔術を披露した。
 もう”半世紀”近くも前の話である。
 
 それからは城の地下に長らく閉じこもり、そしてカイロは研鑽を重ね、聖獣のチカラを内に宿す術を模索してきた。
 聖獣に見え、そして理解する。
 信仰は学術へ。次元の思索を得る。
 カトレアは正当なる探求者なのだ。

 カイロは思う。

(アーカム、貴様は我が人生の真ん中に突然として現れた壁だ。星の運命が貴様をこの地へ導いたのには意味があったはずだ。やはり我はその意味を知らなければならない。どうして我ではなく、カトレアの一族の誰でもなく、お前なのだ。教えてくれアーカム)

 カイロは大狼となり、アーカムをギロっと見下ろす。
 
(聖獣、見えているか。ここで、今この場所で、我はやつを打ち破る。そうすれば我にもその姿を見せてくれるだろう。我もまた選ばれし者になれるのだろう?)

「がるるるるっ”!」

 フェンロレン・カトレアの上澄みたちが薄氷の地をだっだっだっと駆ける。
 風のように素早く、アーカムに襲いかかる。
 
 迎え撃つのは正確無比な風の弾丸だ。
 夜空の瞳に捉えられない速さはない。
 加えてアーカムには超直観がある。
 いかに身体能力にハンディを抱えていようとも彼の杖裁きと高速の連続詠唱があれば対応できない敵の方が少ない。

 さらに今、アーカムの手には『メレオレの杖』がある。
 魔樹メレオレの枝を芯に使ったこの魔術杖は、一発一発の消耗が増す代わりに威力があがる攻撃強化系の杖である。
 軽く打つだけで、それまで使って来た最高等級の杖『コトルアの杖』では、十分な威力をだすために、攻撃する際にアーカム自身が意識して魔力を込める必要があったが、『メレオレの杖』にはそれがない。

 ある種、意図せずとも威力がですぎてしまうことを意味する魔力量が少ない魔術師にとっては諸刃の剣の性質である。
 一方で、魔力の潤沢なアーカムにとっては、思考することが減ったおかげで迷いなく連射できる相性の良い杖であった。

 ゆえに最初に戦った時よりも強烈な風の弾丸によって、フェンロレン・カトレアの上澄みたちはものの5秒足らずでアーカムによって裁かれてしまった。
 撃ち抜かれた狼は魔力の粒子となって神秘の空間に溶けるように還っていく。

「っ、あれは」

 アーカムは向こうのほうから白と青の毛をたずさえた大狼がやってきていることに気づく。
 カイロではない。
 
(あれも上澄みか。地上の広場で死んでたような大型の個体ってわけだな)

 大型の上澄みとともにカイロも動き出した。
 重さを感じさせない軽やかな動きでアーカムへ喰らいつく。

(その噛み砕き攻撃……骨の二、三本で済みます? カイロさん?)
 
 疑問を抱きながら風で身体をもちあげる。
 嵐の鎧をまとって機動力を大きく底上げしたアーカムは、カイロの牙を躱すと、その鼻頭を蹴って頭にのぼり、迫ってきていた大型の上澄みへ炎を放った。

「《イルト・ファイナ》」

 煉獄を開け放ち、あふれだした業火が空間の歪より湧いて出る。
 アーカムは杖先に意識を集中させ、それを炎の巨槍に変えて正確に上澄みへ放った。

「させないわん! ──《ウルト・ポーラー》!」
「っ」

 カイロが発した魔術のトリガーは氷属性四式魔術であった。
 アーカムによって放たれた火炎の巨槍が、白い壁によって遮られる。足元から一瞬でせりあがったそれは魔術で編み出された氷壁だ。

(カイロさんは無詠唱を使えないはず……となると、発動タイミングをずらしたといことか? 追加詠唱”ディレイ”、あるいは”セッティング”かな)

 アーカムは確かな戦術眼でなにをされたのかをすぐに理解していた。
 
(思えば、上澄みたちをけしかけて来た時にカイロさんだけワンテンポ遅く動き出してたな。その時に仕掛けは済んでたってことか)

「穿てわん!」

 地面からせりあがった氷の壁は、形を変えて槍のようになってアーカムへ向かう。
 一度魔術を発動さえしてしまえば、あとは魔術に込めた魔力を操作して、新しく魔術を発動せずとも攻撃を行える。もっとも卓越した魔術師だけに許された高等魔術であるが。

(流石は『氷の賢者』だ)

「《イルト・ファイナ》」

 アーカムは火炎のヴェールを敷いて氷をしのぐ。
 氷柱を束ねたような天然の千本槍は、火炎のヴェールを突き破る。

 氷属性四式魔術と無詠唱火属性三式魔術では、ベースの威力に差がある。
 しかも相手は氷の賢者。防ぐ盾としてただの《イルト・ファイナ》では力不足だった。

 とはいえ、力不足ならば足せばよいのだが……。

「《イルト・ウィンダ》」
「っ!」

 氷の槍がアーカムの眼前に迫った瞬間に、アーカムは二つ目の魔術を発動した。
 息もつかせぬ連続詠唱だ。カイロは出鱈目すぎる速さに挙動が止まる。

 風属性三式魔術は氷に負ける猛炎を背後からあと押しした。
 火炎は膨大な空気の塊を叩きつけられる。
 引き起こされるのは科学反応だ。
 
 すなわち体積の瞬間的増加──爆発である。

「ぐわああん!」
「あっつ!」

 両者ともに爆発に巻き込まれ、大きく吹っ飛んだ。
 もっともアーカムは嵐の鎧をまとっていたので、顔を火傷する程度で済み、カイロはその毛並みを焦がされただけだ。

 火炎を咆哮で吹き飛ばし「ぐ、この……っ!」とカイロはアーカムの姿を探す。

(まだ《ウルト・ポーラー》に込めた魔力は残っている。次の魔術発動はさせてもらえない。この魔術でアーカムを仕留めきる!)

「《イルト・ファイナ》」
「そこかわん!」

 カイロはバッと振り返り、残った氷属性四式魔術《ウルト・ポーラー》を使ってアーカムを貫こうと氷柱の雨を放った。散弾銃のごとく放たれた氷礫の連射を、アーカムは炎と風を使って逸らす。
 ただ連射あれる質量弾をすべて逸らすには魔術の持続力が足りない。
 アーカムはこのままでは被弾すると思い「《イルト・ポーラー》」とつぶやき自身の足元に氷の大盾をせりあがらせた。

 氷礫の連射は大盾をズタズタに破壊した。
 だが、そこまでだった。
 その後ろに身を隠したアーカムへ攻撃を届かせることはできなかった。

「はあ、はあ、はあ……」

 カイロは荒く息をつく。
 彼女は保有する魔力の9割を最初の《ウルト・ポーラー》に込めていた。
 一度しか魔術の発動を許してくれないとわかっていたからである。
 詠唱速度に決定的な差がある以上、カイロには最初の上澄みたちを使った時間稼ぎ以外に魔術を唱えることはできない。
 だから魔力効率が著しく落ちようとも、最初の発動にすべてを捧げた。
 ゆえにもう残された力はない。
 
「魔力量の差が継戦能力ではないですが……すこし勝負を急ぎすぎましたね」

 アーカムは氷の大盾の後ろから歩いて出て来た。

 決着はついたようだ。

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