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第四章 悪逆の道化師

幕間:イセカイテック3

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  第7研究室に入室するほかの研究員たちに聞いても、だれも伊介林音の行方を知らないという。
 
 門限なので彼女は第6研究室に戻ることにした。
 第7研究室があるのは第6研究室とは違うビルだ。
 地上800mの渡り廊下を使って移動しても、門限をどうしても過ぎてしまった。

 キサラギは如月博士に怒られる予感を抱きながら帰着した。

「ただいま帰りました」

 部屋に入るなり、その光景が目にとびこんでくる。

 キサラギは濡れた床を見やる。
 真っ赤に染まった血だまりを。

「伊介博士。こんなところにいたんですね」

 キサラギは膝をおって、血だまりにしゃがみこんだ。
 黒いコートが汚れるが気にしていなかった。
 物言わぬ屍となった伊介林音《いかいりんね》。
 苦痛に見開かれたまぶたを、彼女はそっと閉じてあげた。

 偉大な科学者は人知れず71年の人生に幕を下ろしたのだった。

 突如、警報が鳴りだした。
 同時に銃を手にした兵士たちが研究室に突入してくる。

「そこを動くなESIK」
「人間殺しの罪でお前に緊急処理が決まった。無駄な抵抗はしてくれるなよ」

「キサラギはなにもしていません」

「嘘までつけるようになったか。人形風情が生意気な」

 容赦なく発砲される。
 音を優に上回る速度で鉛玉が発射され、キサラギの頭が弾かれる。
 だが、キサラギが倒れることはない。
 すぐにけろっとした綺麗な顔で、彼女は発砲者を見つめかえした。

「7.62mm。キサラギのマナニウム装甲を抜くのは不可能です」

「黙れ! お前たち! このぶっ壊れたポンコツを連行しろ!」

 この日、イヴ・シュトライカ・イカイ・キサラギは殺人アンドロイドとして機能を緊急停止させられた。

 
 ────


「そんなはずがないッ! イヴが人殺しをするなんてありえませんッ!」

 如月博士は悲痛な声をあげる。
 
 ここはイセカイテック社研究部の会議室。
 現在、それぞれの研究室をあずかる立場にいる主任研究員が13人全員この場所にあつまって長机を囲んでいた。

「俺もキサラギちゃんが人殺すとか思えないなあ」

 第6研究室主任研究員も自分の部下を守るために援護に入る。
 如月博士にとっては、この主任だけが味方である。

「でも、彼女は発見当初、かなり高度な武装をしていたらしいじゃないかね」

 第10研究室主任研究員・緒方京介はねちっこい声で言った。
 
「そもそも、あれは汎用人工知能だ。ロボット三原則で運用される従来の命令自動遂行装置付きウォーキングスクラップとは違うんだろう? 自分で思考し、人を殺す。うん、大いにあり得る話じゃないか、どうなんだ」

 緒方は第6の主任を見やる。

「そこのところお、この馬鹿野郎に説明してあげなあ、如月」
「はい、主任」

 如月博士は早急に相違した資料ファイルを、会議参加者のデバイスへ送信した。
 みなそれぞれのデバイスで片手間に資料を眺める。

「そうならないよう毎日、朝、昼、晩、項目に従って面談をしてきました。イヴに危険な兆候はなかった。それに、社会規範的に悪と判断されるものを行えないようポテンシャルは高めに設定されてる。殺人なんて一番の禁忌行為です。できるはずがない」
「それじゃあ、あなたがそのポテンシャルを解除したのでは?」

 如月博士は目を丸くして、カッと激昂すると「馬鹿な事を言わないでください、緒方博士!」と睨みつけた。

「でも、一番可能性は高い。死んだ伊介林音博士はあのアンドロイドの共同開発者だろう。君たちはどちらがイヴの生みの親を名乗るかで争っていたと聞いたよ」
「それは、ほんのジョークレベルの話です! 私と林音は真の友だった!」
「30歳以上も年齢が違うのに?」
「そんな前時代的なこと言うとは思いませんでした。21世紀に生きてるんですか? 私たちはともに文化的活動にとりくみ、ゲームをし、創作活動をする友達です」
「ふーん。まあ、でもさ、推理小説の犯人は決まって一番被害者と親しい人間だ」
「っ、それは、そんな憶測でだけでものを語るなんて……科学者として恥ずかしくないのですか、緒方博士」
「さっきから先輩への言葉遣いじゃないなあ。そっちの『ミスターAI』もさっきすごい暴言を俺に吐いてたけどさあ」

 緒方は暗い視線で、如月博士と、第6の主任研究員をねめつける。

「なんだよお、やんのかよお、緒方あー?」
「調子乗んなって言ってんだよ。こっちは一流大学卒業、一流大学院で博士号とった真のエリートさまだ。それに最先端の科学領域に挑んでる異世界学者様だぞ。お役御免のAI屋が対等に話してんじゃねえよ」

 緒方は勢いのあまり立ちあがり、第6の主任研究員と鋭い視線をかわす。
 しかし、すぐにそんな緊張は解かれた。

 ほかの主任研究員たちが失笑していたからだ。
 皆、緒方の言いぐさに「冗談よせよ」いった風に力なく首を横に振っている。

 緒方は居心地が悪くなり、舌打ちをして席についた。
 異世界開発が盛んなのは事実だ。
 しかし、それと緒方がデカい態度をとることには因果関係はゼロである。
 彼はお世辞にも成果を残している科学者とは言えなかったからだ。
 それどころか、最近のイセカイテックは、ほかの超巨大多国籍企業達に追いつかれつつあった。
 
「まったく生産性のない罵りあいばかりだね。埒が明かないとはこのことだね」

 2人の白熱する会話に水をさしたのは研究部部長だ。
 彼自身は第1研究室の主任研究員であるが、役職的にはひとつ上に位置している。
 ほかの12人の主任研究員をまとめる研究部のボスなのである。

「とにかく、いまは何らかの形で事態を収拾するのが先決だね。10年前の不祥事といい、今回といい、研究部への不信感を経営層の方々からひしひしと感じる」

 研究部部長は流し目を緒方へおくる。
 緒方はへらへらした顔をして「その件はお世話になりました」といった態度をする一方で、内心では「クソが……」と怒りを漏らしていた。
 
 緒方は研究部部長を恨んでいた。
 10年前、伊介天成を使って人体実験をしたのはほかならぬ、この部長だ。
 しかし、被験者だけでなく、装置の一部が虚無の海に消え復旧不可能になるという最悪の失敗のしかたをした。
 その結果、失敗の責任を取る人間が必要だった。
 部長はすべての罪と責任を緒方になすりつけて生きのびたのだ。
 そのくせ、自分は緒方をかばった情に厚い上司として、まわりの株をあげる狡猾っぷりである。

 あの時の礼は必ずしてやる。
 いまに見てろよ、タヌキじじい。

 緒方は腹の内で悪態をつく。

「とりあえずは、ESIKのブラックボックスの解析、それと如月くんの拘留《こうりゅう》ということで一旦の処置とする」
「待ってください、部長! アンドロイド開発のイメージダウンは今後の研究にとって致命的です! 疑いが残るようなマネは困ります!」
「これにて会議は終了、皆、仕事に戻ってくれたまへ」
「部長!!」

 如月博士の訴え虚しく主任研究員たちは会議室を出て行ってしまう。
 皆、研究分野の違う科学者だ。
 よその研究がとんざしようと、自分のところに「余った研究費がまわってくるからラッキー」程度にしか考えていない。

 会議室に残されたのは第6研究室主任研究員と如月博士だけだった。

「主任……イヴは人殺しなんてしません」
「わかってるう。キサラギちゃんは会議室にいたクソ野郎どもに比べたら天使だあ」
「……主任」
「皆まで言うなあ。最悪の時は、任せておけえ」
「…………あの子お願いします」

 その後、如月博士は武装兵士に連行され社内拘留所での監禁生活を強制された。

 監禁生活の間、如月博士は幾度も事情徴収された。
 時に10時間にも及ぶ過酷な尋問で、如月博士は衰弱していった

「イヴのブラックボックスを解析すればわかるって何度言えば理解してもらえるんです……」

 尋問官が如月の言い分を理解することはなかった。

「如月博士、厳正な調査の結果、君の殺人が立証された」
「…………は?」
「ブラックボックスには君が殺人をキサラギに行わせたとしか思えない改竄があった。よって、君には相応の処罰が科されることになる」

 絶望の宣告。
 如月博士は試験段階の異世界転移船への搭乗を強要された。
 如月博士はうなだれた。
 狂ってやがる。バカ野郎どもが。
 研究資金にしか目がないクズ。
 自分のポストを守るため、ことなかれ主義を通す無能どもばかりだ。
 より始末に負えないのは、自分の失敗を挽回するため他人をひきずりおろす害悪野郎だ。

 みんな病気だ。
 科学者やめちまえ。邪魔なんだ。

 この世界は腐っている。
 

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