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第四章 悪逆の道化師
世紀の発見では
しおりを挟む──数時間前
真夜中の闇のなか、灰色の分厚いコートに身を包んだ大男がいた。
身長2mの上背だ。デカいだけで恐いが、丸メガネをかけ、常に穏やかに微笑んでいるせいか、すっかり柔らかい表情が染みついており、柔和な印象を見る者に与えてくる。
彼の名はマーライアス・アルハンブラ。トニス教会の神父である。
彼は草木に身を隠し、ただ静かにまぶたを閉じていた。
差し込む月光で、懐中時計の盤面をはかり、もうじき夜が明けることを認める。
彼は件の儀式が終わるのを待っている。
その時は来た。
ルールー司祭家の儀式が執り行われている屋敷が、解放されたのだ。外目にはわからない。だが、アルハンブラには深い神秘への造詣《ぞうけい》がある。
儀式が完了したのはすぐにわかった。
屋敷の玄関を開けて入る。
予想通りの人物が、エントランスで待っていた。
「ビショップ神父、ですね」
「来ると思っていました、宣教師さま」
「そうですか。では、話がはやいですね。悪魔を祓いに参上しました。案内願えますか、ビショップ・クロスニア神父」
「もう神父ではありません。ただ、ビショップとお呼びください」
ビショップはアルハンブラを案内して、激闘のあった6階へ。
屋敷の異空間化は解除されており、階段はおかしな配置になっていないし、廊下もぐねぐねと非実用的に入り組んでもいない。
2人の宣教師は黙したまま、足早に6階へやってきた。
────
──アーカムの視点
死ぬかと思った。まる。
お腹痛い(致命的な外傷)です。まる。
「エレントバッハさん、大丈夫ですか」
「傷口は焼きました、応急処置は済んでます。……アルドレア様のほうこそ」
「腹筋は鍛えてるので……」
「そういう問題でしょうか」
まあ、とりあえずお互いに無事でよかったよ。本当に。
悪魔を光で焼いたあと、空間隙間からヌッと、エレントバッハと人狼の『貴族《ノーブル》』フローレンス・ルールー・へヴラモスが排出されてきた。
悪魔は異空間に彼女たちをしまいっていただけらしい。
虚空に引きこむ能力だろう。触っただけで発動するのだから、おそろしい秘術だ。
「ぅ、殺さないで……、フローレンスは、もう、戦えないん……です……お願いします、お願いします」
青年に戻った人狼──本名をヨセフというらしい──は昏睡状態のフローレンスを抱きしめ、俺たちへ懇願してきた。そんなこと言われても……ね。
「残念ですが、この屋敷は『聖刻』がただひとりの聖人のもとに集結し、完成するまで誰も外へは出してくれません」
「そんな、フローレンスは、フローレンスは、悪魔に拐《かどわ》かされただけなんです……知ってるでしょう、闇の魔力がそんな簡単に芽吹く事などないと……」
ヨセフいわく、悪魔は何代も前からルールー家の儀式に手を入れて、なにかをやっていたのだと言う。勝者を必ず男にするため、継承権を持つ物たちに意図的に手札を配り、それにより、流れを操って来た。
「なんで男なんですか」
「わからない、そんなこと、僕に訊かれても、知らない……です」
「アルドレア様……私にはわかるかもしれません」
「聞きましょう」
「はい。私たち兄妹は、実は全員、違う母親から産まれてるんです。さらに言えば、お父様の代でも、継承権を持つ参加者は、皆、別の母から産まれたと言われています。昔は不思議に思っていたのですが……」
儀式のサイクルが早い、ということだろうか。もちろん、ただの勘だが。
当主が男で、複数の女性に子供を産ませたのなら、次の儀式の参加者は最短でそろう……とかね。
ただ、悪魔が何をしようとしていたのかは謎です。
「お願いだよ、フローレンスを、殺さないで……」
ヨセフは嘘を言っているように思えない。
闇の魔力は卓越した才能ある魔術師ほど芽生えやすいとは聞く。フローレンスは魔術を学んで数ヶ月だ。現実的に考えて、闇の魔力のほうから彼女に声をかけるには早過ぎる。
悪魔が拐かしたというのも事実だ。
彼女も被害者かもしれない。
だとしても、だとしても、だ。
「勝者は依然としてひとりだけです。僕は、僕の依頼主を勝たせたい。そのためにこの場にいる」
「そんな……それじゃあ、フローレンスは……」
昏睡状態の少女を見やる。
おでこと胸に黒いかさぶたみたいな物がある。
闇のチカラが致命傷を塞いでいるのだろう。
呼吸はしてるし、脈もある。
「このまま『聖刻』を引き剥がします」
エレントバッハはフローレンスのかたわらで膝を折り、取れた自分の右腕から『聖刻』を魔術で剥がし、無事な左腕へと移植していく。
「そういえば、なんで『聖刻』を奪われると、継承権を持つ者は亡くなってしまうんですか」
俺はたずねる。
「『聖刻』は魂と結びついているので、それを引き剥がす行為は、肉体が抜け殻になることを意味するのですよ」
「あらかじめ剥がして置くこととか出来ないんですか」
見ていると、ヨセフという青年が可哀想に思えて来たので、無駄と思いながらも、何か手段がないかを模索してみることにした。
いや、模索なんて曖昧なものではない。
なんとなく、それはもう、勘としか言いようがないのだが、フローレンスを救うことが俺になら可能な気がしたのだ。
────
エレントバッハは自分の腕から『聖刻』を剥がしつつ、アーカムへ話しかける。
「そういえば、アルドレア様はいかにして教会魔術を? さっきはサラッと使えたとおっしゃってましたけど」
「ああ。見えるんですよ、この眼のおかげです」
アーカムはガラス玉のように硬い瞳をつつく。
「綺麗な瞳だとは思ってましたが……す、少しだけ触ってみても……」
「構いません」
「わあ、ひんやりしてますね。痛くないんですか」
「触感はないですね。厳密に言えば触られてる感覚はありますけど、かなり鈍いです。だから、ドライアイにも強いですよ。涙で潤っているわけではないですから」
「本当に不思議な魔眼ですね……能力は一体、差し支えなければ、聞かせていただけますか?」
「構いません」
アーカムはエレントバッハの瞳をまっすぐに見つめる。
エレントバッハはすこし気恥ずかしくなり、咳ばらいをする。
だが、すぐに浮ついた気持ちは吹き飛んだ。
アーカムの夜空の瞳が、まるで望遠レンズが光を調整するするように、ぐわっと開いたのだ。それも一枚や二枚の光彩ではない。寄せては引く波様に、星空という暗い海を内包した瞳は、数百枚からなる光彩を連動させて、流動的に動いていた。
エレントバッハは思わず息を呑んだ。
美しさに。荘厳さに。神秘と無限の夜空への畏怖畏敬に。
「この眼で注視すると、どんどん拡大されて、物事の微細までも把握できます。魔力の流れも見えるので、エレントバッハさんが何回か《アークライト》を使ったのと『聖刻』のなかに蓄積されていた魔力の模様から、だいたいの魔術式は知れました」
(魔術式を知ったところでって感じですけど……無詠唱魔術を使えるアルドレア様だからこそと言った感じですね……本当にとんでもない人です、アルドレア様は……)
エレントバッハの腕から『聖刻』を剥がす作業が終わった。
次はフローレンスの番だ。
「ヨセフさん、最後までお姉様の手を握ってあげてください」
「ぅぅ、嫌だ……なんでこんなことに……」
ヨセフの腕のなかのフローレンスから『聖刻』を剥がそうとする。
「待ってください。その作業、僕にやらせてくれますか」
「アルドレア様が?」
アーカムはエレントバッハに代わり、フローレンスから『聖刻』を取り除き、それをエレントバッハへ移植する。
本来は教会魔術の心得が必要であるが、これまでやり方を見ていたアーカムにとっては難しいことではなかった。
施術が終わると、エレントバッハは驚きの声を漏らした。
「フローレンスお姉様、まだ呼吸をしてます、脈も……生きています」
「よかったです」
「フローレンス? フローレンスは死なずに済むの?」
アーカムはヨセフの肩をポンポンっと叩き、優しく微笑んだ。
ヨセフは込み上げる涙をのみ、愛しい彼女を強く抱きしめた。
「アルドレア様、いったいどうやって……」
「『聖刻』を引き剥がす過程で、魂を傷つけてしまうというなら、それを切ってあげようと思いました。上手くいきましたよ」
「???」
「この眼があれば、魂を魔力の塊として視認できましたから、丁寧に『聖刻』と魂の縫い目をほぐしたんです」
「そんなことが……」
エレントバッハは震えあがる。
感動だった。それほどの施術が、神業が、さっき初めて教会魔術を使ったばかりの素人にできるなんて。否、素人など畏れ多い。おそらくトニス教会に在籍するどんな聖職者よりも、精密な魔力操作において、上回っているのだろう。
エレントバッハはそう確信してしまった。
天才アーカム・アルドレアはここに才能を証明したのだ。
(魂へ干渉するなんて……アルドレア様の才能、そして、魔眼……あなたは本当に最後まで驚かせてくれるお方です)
「この技術があれば、聖神国の司祭家は、兄妹たちで命を奪いあわずとも良いということになります」
「僕が聖神国に長居することはありませんが、この理論と実証は役に立つでしょう。すべてはエレントバッハさん次第ですが」
「はい、アルドレア様の奇跡を、奇跡で終わらせるつもりはありません」
エレントバッハは力強く拳を握りしめた。
と、そこへ、足音が近づいてきた。
荒れ果てた廊下の怪我人たちのもとへ、宣教師がやってきたのだ。
「おや。これはこれは……」
宣教師アルハンブラは、屍を晒す悪魔を発見して、目を丸くした。
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