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第四章 悪逆の道化師
試練の時
しおりを挟むアーカムは顔色ひとつ変えずに杖をしまう。
とてつもない神業をやってのけたのに、そこまでの事をしていないとでもいいたげなほど、えらく落ち着いている。
(アルドレア様にとってはこれくらい難しいことではないということなのでしょうか)
エレントバッハはごくりと生唾を飲みこむ。
自然と緊張が高まっていた。
自分がどれほどの英雄と行動を共にしているのか、それを意識してしまったからだ。
(ただの英雄ではありません……もしかしたら、この人は……)
「これで継承戦はおしまいですか」
「え? ぁ、はい、あとは『聖刻』を回収するだけですね」
「そうですか」
「……本当にありがとうございました」
エレントバッハは遠い目をする。
「もう屋敷の外は明るくなり始めていることでしょう」
胸の高鳴りを感じていた。
(この夜明けは、アルドレア様が繋いでくださった私の運命。ここからはじまる、私の本当の戦いが)
エレントバッハには夢がある。
聖神国の路地裏で人知れず飢え死にする者を無くすことだ。
トニス教会の抱える闇、教会の誇る力。
異教徒の排斥に使う姿勢。
成熟した組織には腐敗がつきめのだ。
すべてを正しく使えれば、明日の食にすら困る貧しさを無くすことができる。
(教会は正しく富を分配できていません)
国家を超える超組織へ立ち向かうには、司祭家を継承することが絶対条件だ。
エレントバッハは正しいと信じる己の正義のために、神の定めた世界に道を開くために自分の人生を使う決意をしていた。
「正直、昨夜が人生最後の日になると思っていました。皆、私ひとりではとても克服できない強敵ばかりでした。今夜のことを決して私は忘れません、アルドレア様」
エレントバッハは頬を薄く染め「では、参りましょう」と、一夜の戦いを終わらせに行く。
「待ってください」
アーカムはエレントバッハの手をがしっと掴む。
(アルドレア様の手って大きいです……分厚くて……って、何を考えているんですか、私は!)
「ど、どうしたんですか、アルドレア様」
「『守護者《ガーディアン》』は『貴族《ノーブル》』を討たれたら、もう戦う理由は無いですよね」
「ええ。雇い主がいなくなれば、勝利後の膨大な報酬を手に入れられなくなりますから。多くの場合、彼らが『貴族《ノーブル》』のために命を掛けてくれるのは、報酬があるからですので」
ここまで言ってから、エレントバッハは「あ、もちろん、勝ったのでアルドレア様にも十分な報酬を用意できると思います」と付け足した。
「それはよかったです。お金が必要だったので。ですが、まだ報酬をもらうのは早いみたいです」
アーカムは鏡をエレントバッハへ渡して、黒いジャケットを脱ぎ始めた。
袖をまくり、筋骨逞しい前腕がのぞく。
紐ネクタイを緩め「ぁーぁ……」とアーカムはどことなく、嫌そうな顔しながら、準備を進めていく。
エレントバッハは彼の腕の血管に、無意識に視線を奪われていた。ふと、我に帰り「あの、アルドレア様?」と問うてみた。
「人狼を討ちます」
「っ」
鏡を見る。
人狼がフローレンスを丸呑みして、胃に収めていくのが見えた。
(もしかして、『貴族《ノーブル》』を守るため?)
「こ、ここから、狙撃すれば……」
「試すには試します。ですが、そのためにはエレントバッハさん、ベルトを掴んでてください」
アーカムのまわりにさわやかな風が集まる。
それは、彼の魔力器官に蓄積された純魔力が、風の魔力へ変換されていることの目に見える証である。
エレントバッハは慌てて、アーカムの腰に捕まった。
────
──アーカムの視点
うえー、食べちゃってるんですけど。
おいおい、何してくれちゃってんのよ。
これもう俺の医学的知見から言わせてもらえば、帝王切開して、赤ずきん救出オペレーションするしかなくなっちゃったでしょうがよ。
さて、それじゃ撃ちますか。
でも、なにで撃とうか。
《アルト・ウィンダ》じゃ、人狼を倒すのはパワー不足な気がする。
使うとしたら《イルト・ウィンダ》だ。
でも、残存魔力は多くない。
俺の魔力は常に枯渇状態だから、日々、絶対魔力量──魔力量の最大値──は成長し続けてる。3歳のあの時、魔力量に関する研究を始めた日からずっと成長はし続けている。
ただ、それでも95%の回復速度低下は厳しい。
おそらく《イルト・ソリス》は撃てない。
厳密に言えば撃てるが、撃たない。
擬似太陽魔術は同クラスで、十分な適正を持ってる魔術の30倍の魔力を消費する。
俺の適正は風 > 水 > 火。
《ソリス》は《ウィンダ》なら25発分。
《ウォーラ》なら30発分。
《ファイナ》なら35発分。
慎重に魔力を使わないと、戦えなくなって、おしまいだ。
剣術で挑む選択肢もあるが、ハッキリ言って剣気圧を使えない俺の剣術なんて、厄災相手には何の意味もない。
もし魔術が使えなかったら、継承戦の最初に戦った剣士にも負けていたことだろう。
俺が狩人流四段なのは、ハイパーモードありきでの話にすぎないのだ。
エレントバッハから鏡を受け取る。
「風の精霊よ、力を与えたまへ、
大いなる息吹きでもって、
我が困難を穿て、
風神の力で持って、天空を調停したまへ
──《イルト・ウィンダ》」
完全詠唱風属性三式魔術。
まだ狙撃の感覚は残ってる。
すべての風を束ねて槍とする。
削り、抉り、穿つ、大気の暴威よ。
恐ろしの獣を滅ぼせ。
廊下の床を、壁を、天井を引き剥がしながら、暴力の絶槍は飛んでいき、曲がり角を二つ向こうの人狼に命中する。
大気の力が、灰色の毛並みをむしりとり、その下の脂肪と筋肉をズタズタに破壊する。
だが、完全には捉えきれておらず、人狼が身を傾けたことで、風の槍は廊下の奥へ飛んでいってしまう。
コントロール不能になったので、魔術を解除する。
俺は鏡を凝視する。
鏡の向こう、獣の眼差しがこちらを見てくる。
怪物は健在だ。
胸に風穴を開けたと思ったが、毛と皮をシェーバーで剃ったくらいの傷しかついていない。
だが、手応えはある。
一点突破型の《イルト・ウィンダ》の風槍ならば、あの厄災を屠るだけの威力はある。
怪物の姿が鏡から消えた。
せまってくる重たい足音。
ひと呼吸のあとに奴はここへ来る。
ふた呼吸のあとには俺の首は千切れ飛ぶ。
アーカム・アルドレア、15歳、試練の時だ。
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