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第三章 闇の住まう深緑
アーカムに関する考察
しおりを挟むアーカムは1日の多くを安楽椅子に座って過ごす。
本人は基本的にずっと森を見つめているだけだ。
瞬きはする。
呼吸もしてる。
本能的に必要なことは出来る。
カティヤからいろいろ話を聞いていた。
アーカムに関して驚くべきことが発覚した。
「アーカムは食べない?」
「何も食べないのだ。この1年間ほとんど食べていない」
ありえるのだろうか。
いや、ありえるわけがない。生物なんだから。
話によれば、少しだけ水を飲むことはあるらしい。
ただ、量から考えて生命活動を維持するための水ではないようだ。
カティヤいわく「水を飲む感覚を求めてる」とのこと。
アーカムは本来は外界から何も摂取する必要がないのかもしれない。
でも、以前は普通にご飯を食べていた。
この変化は……あるいは進化は、いったいなんなのだろうか。
「眠る必要もないようなのだ」
アーカムは1日中テラスで、ボーっとしているらしい。
飽きもせず、ずっとだ。
どこかのタイミングで居眠りしているのかもしれないが、カティヤいわく見張りをつけて数日間監視した結果、寝ているそぶりを全く見せなかったという。
ここでひとつの仮説があたしのなかに登場することになる。
アーカム、人間ではない説。
ありえる。大いにありえる。
彼の剣気圧はおかしいほど強い。
かといって常時展開できるわけじゃない。
魔術の才能も信じられない領域だと先生はいっていた。
どれか一つの属性を二式まで高めたのなら、魔術師としては大成していると言われるらしいのだが、アーカムはバンザイデスにやってきた10歳の時点で風属性と水属性、火属性の3つの分野で三式までたどり着いていた。
おかしい。
人類史上最高の天才といえば人聞きはよいかもしれないが、その正体が人間じゃないと考えたほうが納得できる天才っぷりだ。
食を必要とせず、睡眠も必要としない。
人間の原始的な三大欲求を克服した、まったく新しい生命体なのいかもしれない。
たまたま、ヒトの形をしているだけで、その本質はまるで違う──のかもしれない。
思い返せば、彼には性欲というものがまったくなかった。
あたしは美形の自覚はある。
最近は騎士団の若い騎士に声をかけられることも増えて来た。
それなりにアーカムのことを意識して、身なりも整えているつもりだ。
なのに、我が相棒のミスター・朴念仁はあたしに一度も手をだしてこなかった。
3年間だ。3年間、同じ部屋で過ごしたのに、夜這いのひとつもしてきやしない。
正直、ちょっと待っていた。
それは認めよう。
アーカムが外出しているあいだに、無防備な下着姿でアーカムのベッドにもぐりこんで、匂いを胸いっぱいに摂取し、そのまま寝たたふりをしたこともあった。
あれは天才的な作戦だなと思った。
アーカムがあたしを起こすのを遠慮したら、彼はあたしのベッドで眠るだろうし、あたしを起こすのを遠慮しなければ、下着姿について言及しない訳にはいかないのだから。
ただ、アーカムは想像の斜め上をいった。
彼は床で寝たのだ。
ちょっと殴りたくなった。
声かけろよ、と。来いよ、と。
ちょっとだけ魔がさして触れ、と。
すこしくらいイタズラしろ、と。
あたしに魅力がないのか、と不安になった夜であった。
あるいはただ単にアーカムが、ビンテージ級の意気地なしなのかと思ったが……そうではなかったのだろう。
今ならわかる。
アーカムには性欲がないのだ。
食欲、睡眠欲と同様に必要としていないのだ。
だから、あたしの無防備を利用して、いやらしいこともせず、紳士でありつづけられるのだろう。
こうなってくると股間にモノがついているのかも疑わしい。
「アーカムにはついているの?」
「え?」
「いや、だから……」
「……。ああ、まあ、ついているぞ」
カティヤは頬を染めながら答えてくれた。
察しが良くて助かる。
介護をする最中、服を着替えさせる必要もある。
知っていておかしなことではない。
「アーカムは良くも悪くも世話がかからない。だから、そなたもかやつを見捨てずに面倒を見てくれると助かるのだ」
というわけで、アーカムの世話をすることになった。
ある意味、自分の中だけで完結した完成した生物のように見える彼には、なんの手助けも必要ないのかもしれない。
とはいえ、筋肉が固まらないようマッサージをしたり、たまに水を飲ませてあげたり、里のなかを一緒に散歩したり、あたしにできることは何でもするようにした。
「アーカム、どうやって絶滅指導者を倒したか覚えてる?」
もちろん、なにも答えてくれない。
でも、あたしは話しかけ続けた。
────
1カ月が経つ頃。
水面に映る自分の顔が痩せていることに気がついた。
今までこんなゆったりした時間をすごしたことがなかった。
あたしは待つのが苦手なのだろう。
14歳の若輩にゴールの見えない待機時間は、あまりにも遅い。
あたしはもっとずっと速い時間を生きて来たんだから。
「なにか新しいことをはじめたほうがいいぞ。限界が近いように見える」
「……。それじゃあ、あんたたちに剣を教えてあげるよ」
アーカムに割く時間を数時間ばかり、剣術の訓練にあてた。
生徒はジュブウバリの女戦士たちだ。
あたしも剣を振らせてもらった。
「アンナ先生! わたしの剣を使ってください……っ!」
剣の腕を認められたのか、武器をプレゼントされた。
使い慣れた長剣ではない。
厚い刃のナタみたいな剣だ。
扱いにくいけど、無いよりはマシだろう。
「すごいのだな、アンナは……まったく勝てる気がしないぞ」
カティヤにも稽古をつけるようになった。
彼女はセンスがいい。
ただ、すべての技術が独学の技だ。
「正しい剣のふりかた、体の使い方を学ぶ必要があるよ。あんたはセンスがすごくいい。だけど、人類が長い時間かけて積みあげた理屈を体に覚えさせないと、現代の戦闘にはまるでついていけないよ」
彼女は狭い世界で生きている。
この世界の中だとカティヤは最強だ。
でも、彼女はそこで満足してない。
その先に行く意志がある。
「我はそなたに負けた。闇の魔術師たちを前にして、自分の未熟さも知った。この通りだ、何も失わないためにそなたの技を教えてくれ」
「いいよ。ちゃんと付いてきて」
なんでもありの超実践剣術たる狩人流は、カティヤとすこぶる相性がよかった。
というか、アマゾーナの戦士たちと相性がよかった。
────
2カ月が経とうとしていた。
アーカムの意識は戻ってこない。
「アーカム……何か、答えてよ」
手を強く握りしめる。
彼の手が壊れるくらい。
だけど、何の反応もない。
膝にかけたブランケットのうえに、力なく置かれているだけだ。
もうだめかもしれない。
「あたしは青いな……まだ2カ月しか経ってないのに……」
毎日、逃げ出したくなる。
1秒後に、背を向けて走り出さないよう耐え続ける。
それが、何時間も、何日も続いていた。
お願いです。
アーカムを返してください。
────
3カ月が経とうとしていた。
心のどこかで諦めながらも、あたしは里にとどまり続けた。
長く耐える秘訣は、それを直視し続けないことだ。
なので、剣に没頭することにした。
アマゾーナの独特な戦闘方法から、あたしも学ぶ日々だ。
カティヤは一日中、武器をぶんぶん振り回している。
めきめき強くなっていくのがわかる。
里の者たちの言葉をちょっとずつ練習した。
最近は、多少交流ができるようになってきた。
子供たちはよくアーカムとあたしのところに遊びに来る。
子供たちは無邪気にアーカムの膝に乗ったりする。
だけど、アーカムは森を見つめたままだ。
────
6カ月が経つ。
「アーカムを置いていくのか」
カティヤは寂しそうな声で言った。
「あたしはあたしが思うほど強くなかったんだよ」
自分だけが取り残された世界。
アーカムはもう二度と正気を取り戻さない。
そんな嫌な想像が一日中なにをしていても脳裏をよぎる。
そこへ加えて、カティヤの才能と戦闘勘のすばらしさに舌を巻き、いつしかあたしは追いつかれる恐怖を覚えるようになっていた。
あたしは立ち止まったままなのに。
あたしだけ止まった時間に捕らわれているのに。
なぜあんただけ、そんな駒を連続で前進させることが許されるの?
そんな意地悪で、みみっちいことも考えてしまう。嫌な性格だ。
せめて何かひとつくらい良い事があっても罰はあたらない。
「アーカム、何か言ってよ」
強く手を握る。
夜空の瞳は森の奥をだまって見つめている。
もう限界だ。
「……。あ」
その時だった。
アーカムの手に力がこもった気がした。
もう一度、握ってみる。
気をぬけば見落としてしまいそうになるほどの微力だ。
けれど、確かに握りかえしてくる。
「そなたにはまだやるべきことがたくさんあるのだろうな。無理に引き留めはしない。あとのことは我とジュブウバリに任せるといい」
「……もうちょっと、頑張ってみようかな」
「っ、そうか! それはよかった。気が変わったのだな。皆も喜ぶ、そなたのような優しい娘は皆大好きだからな」
何度か求婚されるくらいには女の子たちにモテている気がする。
じゃなくて、アーカムだ。
彼が反応を示してくれているのだ。
これは快復へ向かっている兆しなのだろうか。
希望が芽生えると、未熟なあたしでもまだ頑張ろうと思えた。
それからの日々は、すこしだけ楽しかった。
依然として、なにかを喋ってくれるわけではない。
だが、手を握れば、ちゃんと反応がかえってくる。
そんなことだけですべてが救われたような気させした。
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