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第一章 再誕者の産声
いつかその日は来る
しおりを挟む湯船に揺蕩うような心地よい気分。
その堕落を拒絶して、まぶたを持ちあげる。
自分の部屋の天井だ。
息を大きく吸いこめば、紙とインクの匂いがした。
いつもの俺の部屋の香りだ。
「帰って来た……」
まわりには誰もいない。
昨晩のことを思いかえす。
船から脱出した俺は、焼けたトンネルでアディ、ジェイク、ノザリス、フラワー、騎士たちが気絶していたのを見つけた。
サイコキネシスで強く体を打ち付けられてたようだったが、幸いにも死人はいなかった。
緒方は異世界人の死を研究していた。
実験に使うために生かしておいたのだろう。
その緒方についてだが、俺はやつの封印が間違ってもだれかに解除されないように、あの異世界転移船をやつの墓標とするべく、入り口を完全に塞いだ。
≪アルト・ウィンダ≫でトンネルと崩し、地表部分の穴も埋めてしまった。
異世界転移船について調べる必要はあったが、それは一旦後回しにすることにした。
王女さまに俺たちの深夜の探索を秘密にするのは無理だった。
エイダムの戦死という犠牲が出てしまったからだ。
俺を守るため真っ先に緒方に立ち向かった英雄的騎士だ。
後ろめたさを感じながらも、彼の名誉をまもるべく、俺をかばってリッチの魔法を受けて亡くなったのだと伝えた。
リッチたちの危険な儀式で召喚されたA級モンスターに苦戦し、激しい戦闘ののち、あの地下の空間は崩壊した──そういうことになっている。
騎士たちは掘り起こすことを進言してきたが、俺は「もしかしたらA級アンデッドが生きてるかもしれません! 藪蛇《やぶへび》になってはエイダムさんの犠牲が無駄になります!」と浅ましい嘘をならべて、なんとか事をおさめた。
「アーク、おはよう。昨晩は大変だったな」
リビングに降りるとアディがカップ片手に本を読んでいた。
「おはようございます。父様も体はもう平気ですか?」
「そこら中ズキズキ痛むさ。それに、頭を強く打ったせいでなにがあったかよく思い出せないんだよ」
「リッチに吹き飛ばされた時のことですね」
そういうことになっている。
幸運なことに緒方は背後からサイコキネシスで全員を無力化していたので、だれも彼の異質な能力を目撃していない。
だから、俺の嘘ですこし補足すれば、捏造は簡単だった。
「アーカム、おはよう。王女様を知らないか?」
「ヘンリックさん、おはようございます。キッチンにいらっしゃるかと」
「そうか。ありがとう」
去ろうとするヘンリックは、足を止めて振りかえる。
「昨晩は、大変だっただろう。自分も加勢できていれば、エイダム様は」
「ヘンリック様の責任じゃないです」
「……すまない」
「謝らないでください。僕のチカラ不足です。僕が足手まといにならなければよかったんです」
「お前は優れた魔術師であると同時に、優れた戦士だ。自分たち全員が認めている。エイダム上級騎士と隣立つのはお前しかいなかった。……無用に自分を責めるべきではないと思う」
ヘンリックは瞑目しうなずくと、キッチンへ行ってしまった。
その後も、ぞくぞくと宿泊人が降りてくる。
エフィーリアとエヴァが作ってくれた朝食の席に加わってきた。
朝食を終えた俺たちはその後、エイダムの眠る例の場所に向かった。
昨晩、悪夢への入り口となった穴はすでに塞がれている。
代わりに簡易的な墓標が建てられている。
騎士団の一行とエフィーリア、ヘンリック、『レトレシア魔術団』がそれぞれ墓石に剣で傷をつけていた。
レトレシア魔法王国での慣習らしい。
殉職した国の英霊への餞別である。
僭越《せんえつ》ながら俺も短剣で傷をつけさせてもらった。
「正式な墓は彼の実家であるフライアンス家の統治領に設けられるでしょう」
エイダム・フライアンス、ここに眠る。
騎士たちのすすり泣く声が静かに響く。
「穏やかな場所ですわ」
エフィーリアはつぶやくように言った。
「アーカム」
「はい」
「エイダム上級騎士殿の最後を教えてくださいますか?」
騎士たちが俺に視線をあつめる。
ジェイクたちは黙ってうなづいてくる。
「彼は最後まで勇敢でした。恐ろしいアンデッドに怯まず、僕を助けるため──」
俺は語りつづけた。
すみません、エイダムさん。
でも、俺にはこうするほかないんです。
願わくばこの世界にやつらの痕跡を残したくないんです。
戦死者への餞別をすませた彼らは、数日間の滞在延長を余儀なくされた。
怪我人がいたためだ。
5日ほど経過して、彼らは王都へと経つことになった。
ウィザード勲章の正式な授与式を開く旨を伝えられたが、俺は式を辞退した。
まったくそういう気分じゃなかった。
騎士団長を死なせた罪悪感もあった。
「では、いつか王都へいらっしゃった時のために式はとっておきますわ」
「お気を使わないでください。本当に必要ありませんので」
「そう言われるのでしたら、わかりましたわ……」
無礼ともとれる俺の拒絶をエフィーリアは許してくれた。
こうしてすべての非日常は終わった。
俺とアルドレア家の平穏は戻ってきた。
ベッドに身を投げて茫然とする。
みんな帰った。
ゲンゼもいなくなった。
緒方は異世界に来ていた。
イセカイテックはやがて軍隊を率いてくるかもしれない。
推測されるのは超能力者の絶望的な力。
「……もう、知らないよ。知らねえよ。ふざけんな!」
頭がどうにかなりそうだった。
なんでこうなった。
すこし前まで幸せだった。
アディがいて、エヴァがいて、エーラにアリスがいて、そして、ゲンゼがいた。
それでよかった。それで満足だったのに。
今はすべて張りぼてに見える。
俺はどうしたらいいんだよ。
「兄さま」
「……アリスか」
てくてく歩いてくるアリスを抱っこする。
アリスはとても頭がいい。
言っちゃなんだが姉エーラよりだいぶ賢い子だ。
「すごいこえだった」
「ごめんな、驚かせちゃったか?」
アリスを抱きしめる。
俺の妹。
俺の家族。
前世じゃ他人を大切に思ったことなんてなかった。
なのに今はこれほどに愛おしい。
だが、そんなもの関係ない、奴らには。
イセカイテックはこの子を殺してマナニウムとして消費する。
「にいさま?」
「大丈夫だ、大丈夫だぞ、俺が守ってやる。俺がそんなことさせない」
アリスだけじゃない。
やつらはすべてを焼き尽くす。
すべてを奪い尽くす。
彼女も……
「ゲンゼ……」
させるか。
彼女を守る。
彼女の生きるこの世界を守る。
そのために強くならなければ。
「俺だけが、救える。俺だけが守れる」
「にいさま、ありすもいっしょだよ」
「そうだな。アリスもだ」
いつかその日は来る。
「父様、ちょっといいですか」
アリスを抱っこしたまま訪れた父の書斎。
「第三式魔術の魔導書を買ってはいただけませんか」
「……いいだろう。お前には必要な物なのだろう?」
「はい。それと魔法魔術大学のことなんですが──」
いつかその日は来る。
だから、いまできるすべてを。
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