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第一章 再誕者の産声
さようなら
しおりを挟む時刻は午後9時だ。
午後9時とはいっても、半日15時間あるので実際は夕方くらいだ。
西の空へゆっくり太陽がしずんでいくのが見える。
勲章授与式が終わり、俺たちは思い思いの時間をすごしていた。
騎士隊の男たちは、可愛い双子天使に夢中だ。
エーラもアリスも大人たちが遊んでくれて大興奮の様子だ。
あの子たちは人見知りとかしないのか。
ちょっとしたパーティ会場みたいになったアルドレア家の庭のすみで、俺はミルクの入ったグラスを手に、ゲンゼと隣り合って座る。
「お別れとなると寂しいですね」
俺は言う。
「ええ、まったくです。王女様も『レトレシア魔術団』の方も本当にいい人ばかりでした。名残惜しいですね」
ゲンゼは柔らかい表情だった。
頭のうえで耳がしゅんとしなだれている。
「それにしても、アーカムは流石ですね」
「なにがです?」
「それです」
エフィーリアにもらった剣を持ちあげて、目で「これですか?」とたずねる。
「同郷の友がウィザードの称号を受けることは誇らしいことです。喜ばしいことなのです。なのですが……アーカムが気がついたらずっと遠くに行ってしまったような気がして、なんだか、もやもやします」
彼女が哀愁ただよう眼差しをしていた理由だろう。
置いて行かれる気持ちは痛いほどわかる。
学生の頃、いつのまにか俺以外のみんなはすこしずつ前へ、前へといってしまっていた。気がつけば、まわりは大人になってた。俺だけがいつまでも子供のまま。童貞のまま。やかましいわ。
「俺はいつまでもゲンゼといっしょだ」
「アーカム……?」
「……。はは、なんてね。僕も友達の少ない身です。ゲンゼと離れてしまったらきっと孤独に耐えかねてダメになってしまうんでしょうね」
「アーカムは優しいです。でも、その優しさに甘えて、より高い空へ飛びあがるあなと枷になりたくありません。同情はいりません」
同情じゃない。
「……ゲンゼにだってすごい力があるじゃないですか。草属性の魔術はとても稀少な才能だし、それに森を風のように駆け抜けることもできる。すごい力ですよ」
「アーカムは風そのものになれます。知ってますよ、空飛べるようになったんですよね」
「……まあ少しだけです。ほんのちょっとだけですよ」
「アーカムは偉大な魔術師になる器です。魔術はさることながら、頭もまわりますし、誠実で、優しくて、困った人を見捨てません」
「過大評価もいいところです。僕はそんな立派な人間じゃないです」
「暗黒の末裔と子供時代を過ごしたなんて噂が広まれば、きっと、アーカムにとってよくないことが起こります」
「なにを言い出すんですか……?」
「見てください」
ゲンゼは騎士隊のほうをへ視線を向ける。
別にどうということはない。
みんな楽しく談笑しているだけだ。
「みんな、わたしを暗黒の末裔として見ています。人権派の王女様のまえだから態度にはださないんでしょう。もちろん、王女様も内心ではわたしを恐れているはずです」
「そんなこと」
「あります。アーカムは知っているでしょう」
これまでクルクマで何十件とゲンゼへの迫害があった。
あのガキたちだけじゃない。その両親、村に立ち寄った旅人、行商人。
みんなゲンゼを暗黒の末裔として恐れ、攻撃する。
「誰が悪いとかそういう話じゃないのです。わたしがわたしであることが最大の罪なんです」
ゲンゼはこちらへ向き直る。
「アーカム、聞いてください」
「……なにをですか」
「わたしの声をです」
澄み渡る青空の瞳が、まっすぐに、ひたすら真摯に見つめてくる。
俺は薄々気づいていたのかもしれない。
いつかその時が来ることを。
「わたしはあなたの役に立ちたかったです。でも、あなたの全幅の優しさに応える方法がないんです。どれだけ探しても、報いることができません。そして、ついに時間切れになりました。もう、アーカムの隣にいることも叶いません」
説得するように語りかけてくる。
彼女の白い手が俺の頬を撫でる。
「あなたの邪魔だけはしたくない。……親友として」
「なんでそんなことを」
「わたしが暗黒の末裔だからです。アーカムはおおきな不利益をこうむることになるでしょう」
「違うよ、不利益とか、そういうんじゃない……一緒にいたら得とか、損するとか、そういう利害の話じゃないですよ」
意志の問題だ。
さあ、言え、彼女を繋ぎとめるために。
「僕は……僕は…………ゲンゼのことを…………」
言葉が出てこない。
「ゲンゼには、比較的多めに僕のこと考えて欲しいと、思っています」
なんかやばい奴になってしまった。
もっと的確に端的に言えないのかお前は。
情けない男め。
「だから、つまり何が言いたいかって言うと、ゲンゼの人生において一番印象深い登場人物にさせてほしいってことですよ」
自分でも呆れた。
もっと簡単な言葉があるだろうに。
だが、まあ、及第点だ。
意志は伝わっただろうから。
ゲンゼディーフは目を丸くして驚いていた。
次に寂しそうな眼をすると、優しげに瞳を細める。
「蒼翠の主人よ、我が願いに応えよ──≪ウルト・プランテ≫」
頬に触れていた彼女の手から緑の茨が伸びて俺に絡みつく。
茨は概念化され、魔力の呪縛となった。
アルト、イルト、ウルト……四式魔術、だと?
そんな馬鹿なことが──
「魔力シードを寄生させました。今のアーカムではとても解呪することはできないでしょう」
「なんで……そんな……」
「あなたにかけた呪いは条件付きの魔力シード。発動すれば、アーカムの器官を締めてあなたを気絶させます。発動後は、アーカムの魔力で術式は再装填され、運営されつづけるので半永久的にあなたを呪縛しつづけます。条件はわたしを目撃することです」
なんだよ、それ、なんなんだよ、それは。
「……ゲンゼ、どうしても、そばにはいてくれないんですか?」
俺は問いかける。
とっさに白い手を掴む。
「そばにいたらダメですよ。アーカムはとても優しいから……。きっとわたしを助けようとしてしまいます。それであなたが傷つく」
「……助けないです、そばにいるだけですから」
「ふふ、そんな子供じみたこと言わないでください。あ、でも、アーカムはまだ7歳でしたね。では、許してあげるとしましょう」
「ゲンゼだってただの子供じゃないですか……」
「そう思ってるのはアーカムだけです。わたしは暗黒の末裔ですよ」
ゲンゼはそう言って、腰をあげると、歩き去っていく。
手が離れる瞬間の、指先の冷たさがやけに手に残った。
豊かに毛をたずさえる黒耳。
振れる漆黒の尻尾。
夜に溶けこむ美しい闇の髪。
すべてが儚い幻のように消えようとしている。
「待って、待ってください、ゲンゼ!」
魔力の茨が俺の喉《のど》を締めあげていく。
視界がかすむ。意識が遠いていく。
追いかけることすらできない。
「げん、ぜ」
「……さようなら。あなたとの時間はわたしの誇らしい記憶です」
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