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第一章 再誕者の産声

ゲンゼディーフさん?

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 王女を道端で助けるなんて思っていなかった。
 まさか、まさかの出来事だ。
 
 俺はエフィーリア王女率いる『レトレシア魔術団』の旅の経緯を聞かせてもらった。
 こんな辺境の地にいったい何をしにきたのか、と。 
 彼女は国王の無能ぶり──エフィーリア自身が使った表現。決して俺が言ったわけではない──を糾弾するための抗議活動中らしい。

「抗議活動なんてして平気ですか?」
「平気だからやるとかではありません! しないとなにも変わらないのです!」
「正論すぎてなにも言えません……」

 俺が住んでいる魔法王国はなかなかに寛容《かんよう》で懐が深いようだ。
 他方、前の世界でイセカイテックに抗議をしようものなら、最速で鉛弾ぶちこまれて黙らされるんだが? あるいは異世界に追放されるんだが? うーん、この。

 エフィーリア王女の同行者は4人いた。

 浅黒い肌の寡黙な少年がヘンリック。
 エフィーリア王女お付きの騎士殿であらせられる。
 カッコいい。

 青白い髪の恐い顔の少年がジェイク・セントー。
 『レトレシア魔術団』のリーダーのようだ。
 魔術師だ。たぶん、適性は火の魔力だろう。

 紫瞳の知的な少女がノザリス・オーカストラン。
 エフィーリア王女をいじっていた。旧知の仲なのだろう。
 適正は水属性式魔術だろう。

 そして、最後が……白目むいて倒れている少女。
 オレンジ色の髪で活発そうな印象を受ける。
 風が彼女の適正な気がする。

「こいつはフラワーっつうんだ。さっきのお前の風の魔術が横を通りすぎたもんだから、びっくりしてこうなった」
「なんかすみません」

 俺はぺこりと頭をさげる。

「気にすんな。こいつは起きてるとうるせえから眠ってるくらいがちょうどいいんだからよぉ」

 ジェイクはそういってニカっと笑った。
 歯がギザギザだ。どこまでも凶悪な少年である。恐い。

「アーカム」

 黒い尻尾がぺしぺしと俺の膝裏を叩いてくる。

「なんです、ゲンゼさん」
「あの男の人には気をつけたほうがいいかと」
「? そうですかね」
「ええ。人間の子供くらいぺろっと食べたことのある顔をしています。隙を見せてはいけません」

 ちょっと、なんてこと言うんですかゲンゼディーフさん。
 聞こえてたらどうするんですか。
 顔恐いけどさ。

「げふんげふん! ところで、皆さん、ここまで歩きでこられたんですか? 言っちゃなんですが、こんなド田舎まで……」
「いえ、わたくしたちの馬はさきほど逃げてしまいまして」

 エフィーリア王女が口笛を吹く。
 遠くの空まで響く綺麗な音だった。
 されど、馬たちが帰ってくる気配はない。

「このとおり戻って来ておりません」
「なるほど」

 あのバケモノに驚いてしまったんだな。

「わかりました。これ以上、王女様たちに危険な目に遭ってもらうわけにはいきません。ご都合がつきましたら、ぜひ、当家の屋敷でお休みになられていってください」

 俺はそう言って、王女様ご一行を招待した。
 なるべく媚びているように聞こえないよう言葉を選んだ。

「まあ! それではぜひお邪魔させていただきますわ!」

 後輩には偉そうにしない。
 その分、上司には媚びない。
 俺はそういう人間だった。
 アーカムでも変わらずにいたい俺の根幹だ。

 
 ───


 家に帰ると、エヴァが絶句していた。

「母様、王女様たちをお連れしました」
「ひぃ……っ!」

 エヴァに腕をひっぱられ、顔をぐいっと寄せられる。

「こら、アーク……っ、どこで拾ってきたの?!」
「そんな野良猫みたいに……」
「あれは魔法王国の王女様よ!? わかってるの!!?」
「ええ、まあ。さっき自己紹介されました」
「どうするのよ、アディもいないのに、私ひとりで……」
「母様」
「なに、アーク?」
「母様はひとりじゃないです。僕がいます」
「ぐすん……そんなカッコいいこと言って……」

 エヴァは立ち直り、エフィーリアたちへ向かうと、一礼し、貴族らしい品性を感じる所作で「散らかっていますが、何卒ご容赦ください、王女様」と、普段では考えられないような、ビシッと引き締まった声音で彼らを歓迎した。

 貴族としてのエヴァをこれまで知らなかった。
 俺の知るエヴァは田舎に越してきて、俗世を忘れ、子供を産み育てる母親だったのだ。
 彼女のなかにも貴族としての教養が宿っているのは、当たり前でありながら、とても不思議なことのように思えた。

「ただいまー」

 夜になって、ようやくアディが帰って来た。
 
「あれが主人です、王女様」
「まあ、とても素敵な旦那さまですわ」

 表情が固まるアディ。

「おう、じょ……? アーク、これは一体……」
「オーケーです、父様」
「な、なにがだ?!」

 大丈夫だ、アディ。
 そのくだりはもうやったんだ。

 この日から、王女様と付き人、それと冒険者パーティが屋敷に滞在するようになった。

「アーカム」

 ゲンゼがちょんちょんと袖をつまんで引っ張ってくる。

「どうしたんですか」
「わたしもアーカムの家に泊まります」
「……理由を訊いても?」

 頬を膨らませ、眉根をよせ、不満そうな顔をしていらっしゃる。
 黒いお耳がへにゃんっ、としぼんでいるし。
 すこし怒っているように見える。
 普段は冷静沈着で聡明な彼女がこんな風になるのは珍しい。

「なんで王女さまを屋敷に泊めるなんて言ったのですか?」
「騎士貴族として、なにより魔法王国の国民として、王女様を森に置き去りにできないからですよ」
「本当は王女さまが綺麗だから、とか……」
「王女さまが綺麗でも関係ないです、というか綺麗じゃなかったら、なおさら湯を用意するために迎えてましたよ」
「いや、汚れじゃなくてですね」
「え? 顔? いや、綺麗かどうかは、身分と関係ないですし……うーん、どのみち貴族の義務として、助けてあげると思いますけど。これでは納得できませんか、ゲンゼ」
「本当にそれだけですね? 王家に使える貴族の義務としてですね?」
「もちろん」
「わかりました。それでは、わたしもアルドレア家のお世話になります」

 だから、なぜ?
 いや、別にエヴァもアディも断らないだろうし、なんなら俺に関してはちょっと嬉しいけどさ……むむ、待てよ、これはもしや!

 俺の灰色の脳細胞に稲妻がはしった。

 ジェラシー?
 ゲンゼ、お前、俺にやきもちを焼いてくれているのか?
 え、なにそれ、好き。もう結婚じゃない?
 その餅買わせていただいてもいいですか?

「ぅ、ぅぅ」
「アーカム?」
 
 勝手な歓喜でなんだか涙が出てきそうだった。
 俺のようなキモデブ汗油眼鏡スモーキンファッキン童貞42世がこんな可愛い女の子に……!
 
「ゲンゼ、どうして、そんなに泊まろうと?」
「そ、それは…………あの凶悪な男の子、ジェイク・セントーなる人食い魔術師からアーカムを守るためです。他意はありません。本当ですよ?」
「ぅぅ、心臓が……」
「大丈夫ですか、アーカム?」
「はあはあ、なんとか」

 言い訳が雑魚なんよぉ……。
 あまりの尊さにあやうく死にかけた。
 あぶねえあぶねえ。

 あとジェイクは人食い魔術師なんかじゃありません。やめなさい。

「それじゃあ、ゲンゼの部屋を用意しましょうか。いくつか空き部屋ありますけど、どこがいいですか?」
「アーカムのがいいです」
「はい?」
「だから、アーカムの部屋がいいです」
「……それは、僕の部屋が屋敷でも屈指の優良物件だからですか? たしかにあそこは日当たりがいいです。朝目覚めれば、小鳥のさえずりと共にうすら明るい空の青さに目を奪われます。寝過ごしても陽光が温かく包みこんでくれます。雨の日は──」

 女子との接触を神聖不可侵なものと考える陰キャにとって、美少女を傷つけたくないという思いは共通のイデオロギーだ。
 ゆえに高度な訓練を受けた陰キャほど、ナチュラルに女子をさける。

 女子社員がコーヒーを用意しだしたら、トイレにいって席を空けて、もどってきた時「あ、コーヒーみんなに淹れてくれてたんだ!」と間が悪い男を演じる。

 上階に行くほど人数が少なくなるエレベーターのシーンで、ついに後輩女性社員と2人だけになった時は、その子に「あ、今日ネクタイの色違いません? あ、一緒ですか……そうですか……」とか、絶対興味ないだろう話題で、間を埋めさせる努力をさせるのが申し訳ないから、わざと20階くらい手前でおりて、残りは階段使ったり。

 基本的に俺のような陰キャは気遣いの達人だ。

「──流石はゲンゼ。慧眼ですね。あの部屋の価値を見抜くとは。いや、ほんとすごい。その確かな目利きを称えて、ゲンゼに貸してあげましょう。僕は別の部屋を使いますからお気になさらず」
「アーカム」
 
 袖を引っ張られる。
 黒いふわふわ尻尾がぺしぺしと俺の膝裏を叩いてきていた。
 その眼差しは抗議してきている。
 ゲンゼのすこし潤んだ視線は、俺の童貞A.Tフィールドをいともたやすく無力化していく。
 どんな陰キャでもこの外堀の埋められ方では言い逃れできまい。
 好き。もうだめ。結婚しよう。

「アーカムは同室でもいいですか?」

 柔らかい笑顔、されど鋼の意志を感じさせる眼差し、

「……はぃ」
「ふふ、よかったです。では、わたしはアーカムと同じ部屋で寝ますね」

 完全に押し切られてしまっていた、

 それは結婚ですか? 
 結婚なんですか? 
 結婚ですよね?
 結婚と言ってください。
 あ、言いましたね?
 はい、結婚です──。
 
 脳内で式が挙げられるほどのやや強引な形でゲンゼディーフの滞在が決まった。
 こうしてアルドレア家の人口密度は、急激に増えることになった。
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