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殺しておくべきだった

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 ──第3人魚水槽室

 シャレたライトセットがムードを醸し出す暗室の中には、『学会長』アルバートと、もう一人の客人しかいない。

「誇りを失ったクズは、人の優しさを受ける権利などないと、俺は思っている」

 アルバートは水槽の中で、もがき苦しむフレデリックに無機質な視線を向けながら言った。
 
 フレデリックは魔術の心で唱えて、水の流れに魔力を通す。水流は水槽の一点に集中して圧力をかけて、厚いガラスを破壊する。

 人魚たちのために作られた水槽から、何千リットルもの水が一気に放出され、フレデリックもまた流れ出てきた。

 部屋が浅い湖に変貌した。

 くるぶしまで水で満たされた床の上で、フレデリックは盛大にえづき、肺の中の水を吐き出す。

「げほ、がほっ、がぁあ! ゲホゲホっ!」
「礼節が人を作る。誇りが貴族を作る。礼節と誇りを欠いたお前は、せいぜい虫といったところだろう」
「ぐぉ、ぐぅ! 赫絲縫合ッ!」

 血の糸が水辺から飛び出し、アルバートの身体を幾十にも拘束して動きを完全に封じた。

「死ねぇえええ──《湖圧線斬》!!」

 水属性式魔術のなかでも、広い攻撃範囲と、致死性を持つ魔術の術式が完成する。

 フレデリックの手のひらの上に収束した水は、みるみるうちに圧力を高めていく。
 やがて、臨界点に到達すると、前兆無く超高圧で水の線が放たれ、四方八方を斬り刻みはじめた。

 動きを封じられたアルバートは避ける手段がない。だが、彼が何かせずとも、部屋の入り口を守っていたダ・マンが動いた。

 ダ・マンは胸を張って、アルバートを背に立っているだけで、主席魔術師の攻撃魔術から、主人を完全に守りきってみせた。

 フレデリックは苦虫を噛み潰したような顔をして、今度は手中の水を槍の形に変えて、それを発射した。

 ダ・マンは片手で槍を掴んで受け止める。

「ッ?! ば、バカな、触れるだけで肉を削ぐ激流だぞ……!」
「一見形状を固定されている槍は、実は螺旋状に渦巻いている、とな」

 ダ・マンが握力で槍を握りつぶす。

「残念ながらダ・マンは物理的符号に対して強い耐性を持つ。あんたじゃ、彼に血を流させる事はできない」
「黙れぇい!」

 フレデリックは周囲の水をアルバートとダ・マンを中心に肉を削ぎ落とす激流へと変えた。

 身動きの取れないアルバートは「これは避けようか」と言うと、ボチャンっと足元の水へ深く沈んだ。

 フレデリックは慌ててどこへ行ったのか目を凝らして、首を左右へ振る。

「話をしようか、フレデリック・ガン・サウザンドラ」

 アルバートは腰裏で腕を組み、フレデリックの背後でそう言った。

「話す事などありはせんわッ!」

 血の糸が、すべてを切断する死の光線のように横薙ぎに一気に払われる。

 アルバートの身体が、真っ二つに切り裂かれる。
 
 フレデリックは当たると思っていなかったのか、歓喜の表情で「やった……ッ!」とつい声を漏らした。

「語弊があったようだ」
「ッ!?」

 フレデリックの背後で、アルバートの声が響く。

 確かに殺したはず!
 何が起こった?!

 フレデリックは、バシャバシャと水しぶきをあげ、四つん這いで、慌ててアルバートから離れる。

 アルバートは冷めた目で、怪書の背表紙についた宝石が砕けるのを確認する。

「何の魔術だ……死を無かったことにする能力……? そんなものがあるわけがない……! 一体何のトリックだ!」
「俺はお前に説明の余地を与える、と言っているんだ。6年前、お前たちがアダンを見捨てた事は別に恨んでいないさ。魔術家である限り、ああいう行動はありえるからな」
「あ、当たり前だッ! き、貴様らは魔術家としての価値を示さなかったッ! あの状況で負債にしかならないアダンを、最高傑作の婿に選ぶ事など出来るわけがないッ!」

 フレデリックは開き直ったように叫ぶ。
 同時に血の糸でもう一度アルバートの首を刎ねにかかる。

 アルバートは、顔横に高速で迫る血の糸を、片手で掴み取り、ピタっと受け止めた。

 フレデリックは目を見開く。

 呪いと毒を内包し、切断力において造血剣を上回る血の糸を、手で受け止めるなど、水の槍を掴み取る以上に信じられない無謀であった。

 アルバートは血の糸を引っ張り、フレデリックを自身の元へ、一気に引き寄せた。

 そして、躊躇なく手を槍のような貫手にして、フレデリックの腹に穴を空けた。

「あぁあああ!」

 痛みの悲鳴が水槽室にこだまする。

「くそ、めがァ……ッ、このクソガキめがッ、こんな馬鹿なことをしおって…! 誰に対してやっているのか、わかっているのか……ッ!」
「魔術界の汚物か?」
「私は、主席だぞ……ッ! 協会の主席魔術師だ! 主席は世界そのものだ! 許されるわけがない、魔術協会はこんな蛮行許さん、必ず後悔させてやるぞッ、アルバート・アダンッ!」

 アルバートは手を抜いて、フレデリックの身体を捨てるようにダ・マンに投げた。

 ダ・マンは、フレデリックを受け取ると、無造作にその右足を大きな手で握りこんだ。

「……は? き、貴様、一体何を──」

 フレデリックの言葉を待たずに、彼の右足は腰から引っこ抜かれてしまう。

 いとも容易く行われるえげつない残酷。

 声にもならない悲鳴が響いた。
 痛みと恐怖の絶叫だ。

 フレデリックは主席になった日のことを思い出す。

 今まで『血の一族』とは疎遠だった魔術師たちが、列を成してサウザンドラとの関係を求めてきた。

 顔の良い貴族の少年たちが、親に連れられアイリスの元へとやってきた。

 皆が必死でサウザンドラに気に入られようとしていた。

 フレデリックは最高の気分だった。
 あの時、世界の中心になったのだ。

 誰も逆らえない。誰も拒まない。

 高明な魔術師も主席魔術師の前では、肩揉み係に成り下がる。
 どんな美女だって手に入れられる。貴族の娘でも、大商会の娘でも自由に選べる。
 逆らう者は、たとえ3代続いた魔術師だろうが、指先一つで簡単に消すことが出来る。
 
 すべての富と権利の終点だ。

「ぁ、が、ぅぁ……ッ」

 フレデリックは痛みに現実に引き戻される。

 自分の代で7代目、実に300年かけた主席魔術師にまで上り詰めた。
 その自分がどうしてこんな仕打ちをされなくてはならないのか。

 フレデリックは本気でわからなかった。

「ぁ、ぁ、うがが、ぅぅ」

 あまりの痛みに痙攣しながらも、かろうじて意識は保っていた,

 止血、止血だ……【練血式】で再生を……。

 這いずり、少しでもあの恐ろしい化け物ダ・マンから離れる。

「殺しておくべきだった……あの夜に……」

 フレデリックは涙を流しながら、あの日の夜を思い出す。
 
「アイリスが我が家に戻るなら、と、お前を生かしておいたが……間違いだった……殺しておくべきだったんだッ! あの時、あの夜にッ! 情け容赦なく!」

 アルバートはフレデリックの言葉に訝しむ顔をする。

 アイリスが家に戻らない……?
 それは設定の話だったと思うが……。

 何の事を言ってるのかわからなかった。
 かつて、アイリスが没落したアダンへやってきた時、アイリスは「婚約破棄に納得できず、家出して来た」とか言っていた気がする。

 記憶をたどりながら、フレデリックの言葉の意味を考える。

「見逃せ……貴様が、誇りある貴族と言うのなら……私を見逃せ……ッ!」
「意味不明だな。理屈を説明しろ」
「わからないのか?! サウザンドラは娘を籠絡した仇敵に、慈悲を与えてやったのだ……貴様を見逃した……ならば、お前も私を見逃すのが義理を通すというものだろうッ!」
「それは通らない。なぜなら、サウザンドラはアダンの研究成果をあとで摘み取るという打算の元、ただ俺たちを泳がせた。つまり、自家の利益の為だ。アダンの為じゃない」

 アルバート湖でのアイリスとの死闘。
 
 あの戦いに負けたアルバートは、次に目覚める事はないと思っていた。

 だが、現実は違った。
 次に目が覚めたのはあの世ではなく、フカフカのログハウスのベッドの上だった。

 かたわらには泣き崩れるティナがいて、エドガーの代から飼われている黒犬パールが、つまらなそうな目で遠くから俺の事を見ていた。

 アダンは生かされた。
 それは事実だった。

 だが、慈悲などでは無かったはずだ。

 アルバートは淡々とかつてを振り返る。

「バカ者めが……アイリスの愛情を受けておきながら、なんたる不義理だッ、信じられん、この愚か者め、貴様はゴミだ、クソにたかるウジ虫だ……!」

 フレデリックは目を充血させて、かんしゃく気味に水面を、何度も何度もたたいた。

「アイリスの愛情、か。確かに魅力的だった。たとえ仮初の、俺の心を騙すための罠だったとしても……俺は、その愛に本気だった……」

 真実であると思いたかった。
 
 もしアダンが無ければ。
 家、歴史、研究、誇り、アダンに仕える者たち……すべてを投げ出して良かったのなら、あの愛が罠だとわかっても、知らぬふりをしていたかもしれない。

 屋敷も無くて、食べ物にも困り、金にも困っていた貧しい時期を覚えている。

 何もかも足りなくて、心の余裕がなくて……だが、アイリスが傍らにいたから頑張れた。

 いや、アイリスだけいれば良かった。
 それが何よりも大切だった。

 たとえ嘘だったとしても、確かに幸せな日々があった。

 戻れるものなら戻りたい。

 かつての自分に「アイリスは敵じゃない」と洗脳をして、裏切りに目を背けさせ、ずっと幸せでいて欲しい……破滅するまで。

「何を言っているんだ……貴様は……、あの夜、我が娘は貴様に裏切られ、心傷しながらも、貴様の命をかばったのだ……」

 フレデリックは疲れた声で何度も言う。

「アイリスがオレの命を救った? 笑えないな。もう少しマシな命乞いをしたらどうだ」
「本当だ……! 外見的には次期当主を軟禁していたアダンだぞ? 使い魔すら殺したお前たちに報復するには、良い時期だった!」

 フレデリックの言い分に、アルバートは特段おかしくない所が無いと思う。

 否、むしろなるべくしてなる展開ならば、こうなるだろう……とも。

 フレデリックはアルバートの反応に、生き残る道を見出した。

 いける!
 何故だか知らんが、いけそうだ!

 フレデリックは饒舌になっていく。

「騎士団を率いてジャヴォーダンまで進軍した私たちは、そこでアイリスを見つけた……血塗れで、傷だらけ、まさしく満身創痍……死の一歩手前だった」
「……」
「アイリスは言ったさ、実の父親である私にだ……『アルバート・アダンの唯一無二の信頼をうける妻として、彼を守るために戦います』とな……貴様は、我が娘アイリスのおかげで生かされたのだ」

 アルバートは顎に手を当てる。
 
「何がすれ違いがあったのかは知らん。だが、サウザンドラがアダンに施しを与えたのは厳然たる事実だ。だから、アダンよ、この場は私を見逃せ!」

 フレデリックは足を再生しきり、ゆっくりと立ち上がる。

 フレデリックはアルバートの心の、わずかな揺らぎを見切っていた。

 もしかしたら、アイリスは本当に俺のことを──。

「ははははは!」
「っ」

 アルバートが突如笑い出す。
 おかしくて仕方ないようにのけぞって、引き笑い気味にすらなる。

「いや、流石だ、フレデリック・ガン・サウザンドラ。危うく納得しかけた」

 アルバートは拍手をする。

「お前たちアイリスに何があったか知らない。ただ、お前が我が家を燃やし、アダンに仕える者たちを殺し、我が父を殺した罪は変わらん」
「ッ、ま、待て! そちらの宿罪は、アイリスで精算するッ! 私の、サウザンドラの最高傑作をお前にやると言っているのだ! お前はあれが好きなんだろ!」
「《水刃弾》」

 水の弾丸が、フレデリックの片腕を吹き飛ばして、弾ける血を宙に漂わせる。

「あがぁあああああああ!」
「アイリスがあの時何を考えたいのかは殺す前に俺の手で確かめる。そのため記憶魔術、そのためのスーパーナチュラルだ」

 アルバートは【観察記録】の中に、エドガー・アダンが残した記憶魔術に関する式を起動する。

 すると、水面から神々しい白光が、ゆっくりと浮き上がってきた。
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