上 下
259 / 676

259・逃走劇(イシェルタside)

しおりを挟む
 エスリーア公爵領・イルディルドの町。夜も明るいこの町でも、深夜ともなると、その喧騒は幾分和らいでいた。そんな夜闇を走る鳥車が一つ。中に乗っていたのは、もうまもなく捕縛命令が出される予定であるイシェルタ・エスリーアだった。

「私が何故このような目に……!」

 歯噛みしながら町を脱出したイシェルタは、今後の計画を立てていた。
 ……もっとも、そのどれもが甘い妄想。自分に都合の良い展開を思い描いただけにしか過ぎないのだが、それでも彼女にとっては希望の光だった。

 全ては順調に進んでいた。公爵の地位にいたウィンギアの妻が死に、悲しみに暮れていた彼を慰め、逢瀬を重ねていくうちに結ばれた。その後、ウィンギアに【マインド・ポリューション】を掛け、解けそうになるたびに重ね掛けして、誰にも気付かれないように出張後に行方不明という形でイルディルドから離れたところにある町の館の地下に幽閉。
 娘には彼女の為に、諸外国の貴族と交流を深めていると嘘までついていた。

 本来、手に入る事なんてあり得ないほどの立場。公爵夫人としての地位。贅沢な暮らし。その全てを守るためだけに動いていたイシェルタは……今、それらを失おうとしていた。

(まだ。まだ挽回出来る手は残っているはず。私の魔導で精神を操っている貴族はまだいる。そう、焦る事なんてない)

 いざとなった時の逃走経路。保護してくれる貴族の手配も、事前に終わらせていた。だからこそ、冷静さを保ちながら、こうして甘い妄想に浸る事が出来た。
 もっとも――それももうすぐ幕を降ろす事になるのだが。

 その始まりは、人目につかぬように夜の道を進んでいた時だった。ラントルオの足元で急に起こった派手な音だけで威力の小さい爆発だった。驚いたラントルオは、ペースとバランスを一気に崩し、焼き切れていた手綱がそのまま千切れ、鳥車を横転させながら逃げて行ってしまう。

「きゃああああああ!?!?」

 唐突な出来事に、頭がついていけずに叫び声を上げたイシェルタは、咄嗟とっさに頭を抑えて鳥車が止まるのを待っていた。

「な、何が……」

 やがて収まった回転と揺れに、怪我をしていないか確認したイシェルタは、状況を把握する為に外に出る。
 そこにはラントルオに見放され、無様に転がっている御者と護衛の兵士が二人、見下ろすように立っている黒いローブを着た二人の男だった。

「はぁー、ほんま、つっかえんおばはんやったなぁ。なんでぼくらが後始末せんといけへんの? なぁ、そう思わん? レアディはん」
「ふん、くだらねぇな。さっさとぶち殺して女抱き行くぞ。お前もくるだろ? アロズ」
「ご一緒させてもらいますわぁ。あんさんの目利きはたしかやからなぁ。今から楽しみですわ」

 目の前で話している事が、イシェルタには理解できなかった。
 狐人族の訛りが強い黒ローブの男が言っている事がわからない……とかではなく、自分を殺しにきた挙句、女の話をしている事が、彼女の理解の範疇はんちゅうを超えていた。

「あ、貴方達は……」

 驚き戸惑う声を上げたイシェルタに気づいた黒ローブの男達は、互いに顔を見合わせて笑う。

「おばはん、あんた、もう用済みやて。今まで稼がせてもろたし、ほんまごくろーやったな。せめてらく~に死なせたるから、無駄に抵抗せんでんといてな?」
「ふ、ふざけた事を……! 死ぬのはお前達です! 【マインドポリューション】!」

 イシェルタは得意な精神に干渉する魔導を発動させるが、黒ローブの男達にはまるで効いていなかった。忠誠を誓う姿を強くイメージしていたイシェルタにとって、驚愕きょうがくするには十分なものだった。

「おー、こっわ。やっぱ無駄に歳だけとったのはあかんな。状況が全く見えてへん。レアディはんもそう思わへん?」

 人を小馬鹿にするようにケタケタと笑いながらおちょくる黒ローブの男に対して、もう一人の方は喚くイシェルタに対して嘲笑ちょうしょうを向けていた。

「ははっ、そうだな。この女の頭ん中は、さぞかし花畑なんだろうぜ。ま、何でも良いけどよ。とっとと終わらせるぞ」
「はいはーい。ほな、さよなら。【マグマピットフォール】」

 別れを告げた男の魔導が発動して……イシェルタが脱出しようとしていた鳥車の下に大きな穴が開いて、一直線に落下してしまった。

「い、いやよっ……私は、私はぁぁぁぁぁっっっ!!」
(こんなところで……! こんなところで終わる訳ない!! 私は誰よりも裕福に! 煌びやかに! 誰より――)

 脱出する事も出来ずにマグマの溜まる穴の奥底に落ちて行ったイシェルタが最期に思った事。それは成り上がって得た幸運を手放したくない。最も哀れな女の末路に相応しい下卑た願いであった。

「ふん、馬鹿が。公爵に見初められたところで満足しときゃ、今頃それなりに幸せだったろうによ」

 レアディと呼ばれた黒ローブの男は、イシェルタが消えた場所を眺め、唾を吐き捨てた。

「レアディはん、後始末も終わったし、さっさと行こうや」
「おう、ご苦労さん。とびっきりの酒と女を奢ってやるよ」
「さっすが! 話わかるわぁ」

 もう一人の黒ローブ――アロズは、嬉しそうな声を上げて、レアディの後ろを付いて行く。
 後に残ったものは何一つない。鳥車どころか、人すら。残ったのはただ、暗闇のみだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】私の結婚支度金で借金を支払うそうですけど…?

まりぃべる
ファンタジー
私の両親は典型的貴族。見栄っ張り。 うちは伯爵領を賜っているけれど、借金がたまりにたまって…。その日暮らしていけるのが不思議な位。 私、マーガレットは、今年16歳。 この度、結婚の申し込みが舞い込みました。 私の結婚支度金でたまった借金を返すってウキウキしながら言うけれど…。 支度、はしなくてよろしいのでしょうか。 ☆世界観は、小説の中での世界観となっています。現実とは違う所もありますので、よろしくお願いします。

余命半年のはずが?異世界生活始めます

ゆぃ♫
ファンタジー
静波杏花、本日病院で健康診断の結果を聞きに行き半年の余命と判明… 不運が重なり、途方に暮れていると… 確認はしていますが、拙い文章で誤字脱字もありますが読んでいただけると嬉しいです。

魔道具作ってたら断罪回避できてたわw

かぜかおる
ファンタジー
転生して魔法があったからそっちを楽しんで生きてます! って、あれまあ私悪役令嬢だったんですか(笑) フワッと設定、ざまあなし、落ちなし、軽〜く読んでくださいな。

私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?

新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。 ※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!

神の血を引く姫を拾ったので子供に世界を救ってもらいます~戦闘力『5』から始める魔王退治

六倍酢
ファンタジー
116人の冒険者が魔王城に挑んで、戻って来たのは2人。  ”生還者”のユークは、幸運を噛みしめる間もなく強制的に旅立つ。 魔王に出会った経験と、そこで目覚めた能力で、これから戦乱に落ちる世界で一足先に成長を始める。  人類が脅威に気付いた時、ユークは対魔物に特化した冒険者になっていた。 さらに、『もし、国を救って下されば。あなたの子を産みます。ぽっ』 この口約束で、ユークは一層の進化を遂げる。 ※ トップはヒロインイメージ 『長い髪を結った飾り気のない少女』

異世界転生した時に心を失くした私は貧民生まれです

ぐるぐる
ファンタジー
前世日本人の私は剣と魔法の世界に転生した。 転生した時に感情を欠落したのか、生まれた時から心が全く動かない。 前世の記憶を頼りに善悪等を判断。 貧民街の狭くて汚くて臭い家……家とはいえないほったて小屋に、生まれた時から住んでいる。 2人の兄と、私と、弟と母。 母親はいつも心ここにあらず、父親は所在不明。 ある日母親が死んで父親のへそくりを発見したことで、兄弟4人引っ越しを決意する。 前世の記憶と知識、魔法を駆使して少しずつでも確実にお金を貯めていく。

【完結】お花畑ヒロインの義母でした〜連座はご勘弁!可愛い息子を連れて逃亡します〜

himahima
恋愛
夫が少女を連れ帰ってきた日、ここは前世で読んだweb小説の世界で、私はざまぁされるお花畑ヒロインの義母に転生したと気付く。 えっ?!遅くない!!せめてくそ旦那と結婚する10年前に思い出したかった…。 ざまぁされて取り潰される男爵家の泥舟に一緒に乗る気はありませんわ! ★恋愛ランキング入りしました! 読んでくれた皆様ありがとうございます。 連載希望のコメントをいただきましたので、 連載に向け準備中です。 *他サイトでも公開中 日間総合ランキング2位に入りました!

晴れて国外追放にされたので魅了を解除してあげてから出て行きました [完]

ラララキヲ
ファンタジー
卒業式にて婚約者の王子に婚約破棄され義妹を殺そうとしたとして国外追放にされた公爵令嬢のリネットは一人残された国境にて微笑む。 「さようなら、私が産まれた国。  私を自由にしてくれたお礼に『魅了』が今後この国には効かないようにしてあげるね」 リネットが居なくなった国でリネットを追い出した者たちは国王の前に頭を垂れる── ◇婚約破棄の“後”の話です。 ◇転生チート。 ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇なろうにも上げてます。 ◇人によっては最後「胸糞」らしいです。ごめんね;^^ ◇なので感想欄閉じます(笑)

処理中です...