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第九節 迫りくる世界の闇・セイル編

第177幕 キオクノニンギョウ

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 息をのみ、腰の方に差してある『グラムレーヴァ』をいつでも抜けるように構える俺を馬鹿にするかのように、ラグズエルはゆっくりと剣を抜き放ち、こちらに先端を向けてくるくると回していた。

「お前が『エルズ・ヴェスヴィア』なら……なんでこんな回りくどいことを……!」
「おいおい、なんでも教えてくれるとでも思ってるのか?
 お前は本当に愚かな男だな。自分で『考える』事も出来ないのか? ん?」

 今までのラグナスの姿は仮面であったかのように唐突に豹変したラグズエルの態度に戸惑いを覚えるけど……それでもここまで来て、引き返すなんて事が出来るわけがない。

 ジリっと足を地面に擦るように身構え、少しずつ間合いを見定めるように動くのだけれど、ラグズエルの方はそれすらも薄ら笑いで見ているだけだった。

「じゃあなんで……俺にお前自身の事を打ち明けた?
 別にラグナス・ファルトのままでもお前にとっては問題なかったはずだ」
「確かにな。
 ま、ちょっとしたご褒美ってやつだ。
 俺をはっきりと疑ったのはお前が初めてだからな。
 ……もっとも、お前以外の奴はみんな記憶を書き換えて疑いの目を逸らしていた、ということでもあるが」

 くくっ、と含むように笑うラグズエルの言葉は、『自由に記憶を変える事が出来る』と言っているようだけれど……それならなんで俺には何の影響もない?
 こいつの言葉が本当なら、俺がくずはの変化に気付かれないように記憶を弄ることだって出来たはずだ。

 だけど、なぜそれをこいつはしなかったんだ?

「はっ、不思議そうな顔をしてるな。
 大方、『どうして自分にはなんともないんだ?』ってか。
 それすら俺の仕組んだ罠である可能性すら見抜けないとはな」
「……どういう意味だ」
「はははっ、言葉通りだよ。
 お前、自分の記憶が本当に正しいと思ってるのか?
 もしかしたら……今この場に対峙しているお前自身ですら『偽り』かもしれないってことさ」

 最初、言葉を重ねていくラグズエルが何を言っているのかわからなかったが……最後まで聞いて、意味を理解して……俺は愕然としてしまった。

 目の前の男が言ってることが全て本当であるなら……いや、それすらもラグズエルに記憶を操作されて、そう思い込んでるだけなのかもしれない。
 ただ、彼が退屈だったから俺は敵対するように――あるいは全く知らない別の誰かが、俺とラグズエルを戦わせる為に記憶を操作したと考えても不思議じゃなかったからだ。

「くくっ、ほら、お前の記憶のくずはだって……それは本当のくずはかな?
 彼女の仕草は? 口癖は覚えているか? そういえば、ジパーニグには彼女以外にももう一人勇者がいたな」

 ラグズエルの言葉に俺は司の姿を思い出していた。
 もう半年以上も前になるはずだけれど、それぐらいでは忘れられないほど、あいつは俺たちに色々としてきたっけな。

 俺が司の事を思い出しながら、ラグズエルの事を見据えていると……彼は心底おかしいというような笑い声をあげていた。

「な、なにがおかしい……!」
「いいや? もう一人の勇者はなんて言ったけか……。
 まあ、なんでもいいか。
 くずははそいつのことを確か女だって言ってたな」
「何を言っている? 司は男だ。
 それはくずはが一番良く知っているはずだ」
「それはお前が確認したのか? ほら……よく思い出してみろよ。
 こげた茶色に近い髪に、それと同じ目の色。身長はお前より少し高いくらいか。
 胸はないと言っていいくらい小さく、男として振る舞うから誰もがそう思っていた――」

 ラグズエルの言葉に『何を馬鹿な事を』と思うのだけれど、心のどこかでそれを完全否定出来ない自分がいた。
 ……いや、司は最初から男だ。あれで女であるはずがない。

 頭の中には女性にしては背の高い司と、俺が知っている司の二人の姿が重なって……それを頭から追い出すように振り払う。

 女なら、エセルカを襲う理由がないし、周りに他の子を侍らせるように従わせる必要だってない。
 なら、やっぱりあいつは男だ。

「くっ……くくっ……」
「何がおかしい! 司は男だ!
 それは間違いないだろう!?」
「ああ、そうだな。
 だが、それを断言するまで随分と時間がかかったなぁ?
 俺がその気なら、お前を仕留める事が出来るくらいは頭の中で戦ってたぞ?」

 茶番を見るかのように笑いながら、左手の親指で首を横一閃に掻っ切るような仕草を見せつけてくるラグズエルを見て……俺は自分がかなり注意散漫になっていたことを自覚した。

「俺の能力を知ってなお、自分の記憶が信じられるわけないよな?
 頭の中弄り回されて……良いように玩具にされてる可能性だって十分にあるんだもんなぁ?
 人の記憶というのは曖昧あいまいだ。ちょっとした事でそれが本当かわからなくなる」

 ラグズエルは演説でもするかのように剣を持ったまま両手を広げて俺を中心にゆっくりと回るように歩く。
 俺自身、気持ち悪さを感じながら……それでも決して目を離さず、ラグズエルをにらみ続ける。

「なんでもいいだろう? 俺の魅せる甘い偽物きおくに浸っていても。
 辛い本物きおくも代わりに無くしてやってるんだからな」
「それは違う! 俺たちは――」
「……セイル。なんで僕が君にここまで教えたと思う?」

 俺の言葉を遮り、ラグズエルはラグナスとして接していたときのような口調と声音……柔らかな笑みを浮かべて問いかけてきた。
 それがわかれば苦労しない。

 今、こうしていることすらなんでなのかわからないのに、そんなことにまで頭が回るわけがない。

「ほんの気まぐれさ。
 こんな事をしてるからか、僕の事を話すなんて滅多にないからね。
 どうせその記憶すら残らないのであれば、多少は教えてやってもいいかなって思ってさ」
「ラグナス……!」
「ははっ! 違うね、俺はラグズエルだ! さあ、お前の記憶も壊してやるよ。
 その後は……君もくずはと同じ、僕の思うままに動く操り人形さ」

 わざとラグナスのときの口調を混じえながら、悪意のある笑みを浮かべて……ラグズエルは魔方陣を展開した。
 それに対し、俺は『グラムレーヴァ』を抜き放ち、両手でしっかりと握りしめて地面を蹴るように走り出す。

 ――これも、ラグズエルが作り出した記憶から俺が判断したことなのか?

 そんな心に刺さるような疑問、不安を残したまま。
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