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第七節 動き出す物語 セイル編

幕間 囚われた未来

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 ヘルガとの戦いで負傷し、囚われたエセルカはアリッカルにて治療を受け、そのまましばらく療養する事になった。

 対外的に彼女はアンヒュルの攻撃を受け重傷。
 勇者くずはと彼女の仲間であるセイルは戦闘の最中にはぐれ、行方不明。
 二人とも激しい戦いによる負傷により、死亡してある可能性が高いだろう……という説明が為された。

 エセルカは内心穏やかではなく、自身が一体どんな目に遭うのかと戦々恐々とする日々を過ごすことになったが、彼女の不安を他所に、アリッカル側は不気味なまでに何もしてこなかった。

 ヘルガによってしばらく動けない程の傷を与えられた上、監視役まで付けられているのだが……それ以上のことは何もされてはおらず、食事も普通に出されている。

(ここは本当にアリッカルなのかな……?)

 エセルカがそんな無意味な希望的観測をしていた時、部屋の扉はゆっくりと開かれる。
 そこから姿を現したのは――ジパーニグのもうひとりの勇者である司だった。

 今まで絡んできた男の登場に思わず身構えたエセルカだったが、司はそれをなんの面白みもない表情で見ていた。

「こいつがくずはの仲間の生き残りねぇ……まだガキじゃないか」

 興味が薄そうに適当な視線を向ける司に対して、エセルカは戸惑いを覚えるばかりだった。
 彼の言動、視線……まるでを取っているようにしか見えない。

 冷めた目で周囲を見回している司の背後からもう一人。
 それは本来、アリッカルにはいてはならない者の姿がそこにはあった。

 ジパーニグの王・クリムホルン。
 彼の登場にエセルカの緊張は更に高まっていくが、肝心のクリムホルンはエセルカの様子を一瞥しただけで司の方に顔を向けていた。

「どうだ? この子は?」
「……こんな子供を連れて戦っていただなんて、くずはの奴は正気じゃなかったようですね。
 道理でアンヒュルにやられるなんて醜態を晒す訳だ」

 エセルカはなにか言いたそうな顔をしていたが、どうにも彼らの話にうかつに入っていくことは躊躇われ、口を挟めずにいた。
 クリムホルンは司の様子を確認するように幾度かの質問を繰り返し、司もそれに答えていく。

「くずはにはもう一人セイルと呼ばれる少年がいた。
 が……彼の生存も絶望的だろう」
「そうですか。自分には関係のないことですよ。
 安心してください。俺はこんな風にはなりませんから」
「うむ、よく言ってくれた。
 ならば行くがいい。最早我が国で頼れる勇者はお主一人となった。
 これからもよろしく頼むぞ」
「はい。期待には応えてみせますよ」

 権力を持っている者には礼儀正しい態度を取る司は、いかにもさわやかな好青年といった笑顔と共に頭を下げて退出する。
 残されたのはクリムホルンとエセルカの二人のみ。

 しばらく沈黙が場を支配し、重苦しい空気が包んでいたが、エセルカは意を決したかのように口を開く。

「なんで……司くんはその、私のことを……」
「『忘れていたのか?』……そう、聞きたいのであろう?」

 エセルカの問を先読みするように聞き返すクリムホルンは、心底面白いものを見ているかのように笑っていた。

「……そう、です」
「くく、くっくっくっ……その質問は全く無意味だとは思わないか?
 司はお主の事は覚えておらぬ。それは何より喜ばしいことではないか。
 あの男は妄執と呼ぶに相応しいほどには、お主に執心していたからな」
「で、でも……」

 確かにエセルカは司の事を辟易していた。
 襲いかかってきた相手に好意を抱け、というのは無理からぬ話だが……それを差し引いても彼女には納得できなかったのだ。

 あれだけのことをやった司がエセルカのことを全く覚えておらず、むしろ初対面の時よりも淡白な対応を取った――その事が何よりも彼女の恐怖を煽っていると言えるだろう。

「安心するといい。お主は大切な鍵だ。
 我らを新たな次元へと導いてくれる……『障害』を呼ぶ、な」
「な、何を言って……」

 怯えるエセルカに近づいたクリムホルンは、父親が娘を愛おしむようにゆっくりと髪を触り、頬を撫でる。
 慈愛にも満ちたその表情は、見るものが見れば傷ついた少女に優しく声を掛ける王のようにも見えるだろう。

 顔を青ざめ、小刻みに震える少女の感情を味わうように笑みを浮かべる恐ろしい男の姿だとは誰も思うことはない。
 クリムホルンは努めて優しく……しかし、その瞳は冷たく輝かせ、エセルカを見つめていた。

「あ、あなたたちは……」
「お主が知る必要はない。それよりも頼みたいことがあるのだよ。
 もし私の願いを聞いてくれるのであれば……そうだな、お主の望みをなんでも一つ聞いてやろうではないか」
「……望み?」

 こわごわとしながらもなんとか声をひねり出すエセルカに対し、クリムホルンは両手を広げ、謳うかのように言葉を紡ぎ出す。
 それは熱弁する学者のようでもあり、吟遊詩人の詩が佳境に入ったかのような熱さを感じるほど。

「そう、私に出来ることなんでも一つ。叶えてやろう。
 例えば――愛する者と、共に時を過ごしたい、というのはどうだ?」
「愛する……」

 話をするクリムホルンの言葉の一つ一つが身体に染み込んでいくかのように、エセルカの瞳は輝きを失っていき……王の魔法に囚われていく。

 夢見るほどに甘い戯言を聞きながら、それが現実になれば……という妄想が頭の中を支配する。

「さあ、『話をしよう』ではないか――」

 そして……少女は堕ちていく。
 深い闇の底に。
 母に抱かれ安心する乳飲み子のように、少女は王の言葉に囚われ――ただひたすら夢を見る。

 現実を侵す、恐ろしいあまい夢を……。
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