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第10話 日曜の朝(さわやか!)
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洗面所を飛び出して六時ちょうど。広大なリビングへ行くと、陣がタブレットを貸してくれた。
「リモートクラスはBoomでやるんですか? スマホじゃやりにくいと思うから、これ使って。アプリ入ってるので。あと、マイクもどうぞ」
「助かります! 申し訳ありません!」
陣の家からは、至れり尽くせりのアイテムがたくさん出てくる。
お礼を言いつつドキドキしながら、外の景色が映り込まないよう壁を映してカメラを設置すると、アカウントを入力してビデオチャットのルームに入室した。
すでにスタッフが待機しているので、ホスト機能を共有する。
『おはようございます、七瀬先生。今日は代行クラスよろしくお願いします』
「はい、こちらこそ! よろしくお願いします」
生徒がこのオンラインクラスに入室できるのは、開始十分前からなので、それまでは自前のヨガマットを敷いてストレッチをする。
いつもはクラスの前に三十分ほど近所を走って体を温めるが、今日はそんな時間がない。せめて動揺を落ち着かせようと、深く呼吸をしながら肩回りや背中をほぐした。
時間になると、ヨガマットの上に胡坐で座り、徐々に入って来る生徒のチャットメッセージや音声での呼びかけに答える。
「おはようございます。今日は代行をさせていただく講師の七瀬です、よろしくお願いします。カメラをオンにできる方はぜひお願いしますね。今日初めて受講される方はいますか? いたらメッセージくださいね」
日曜の早朝だというのに、五十人ほどの生徒さんが参加してくれている。
それでも、大半はカメラをオフにしていて、こちらから相手の顔も姿も見ることはできない。カメラがオンになっていれば、こちらからアドバイスもできるのだが、顔を見せてくれる人は十人もいなかった。
まだ起き抜けでパジャマのままの人も多いだろうし、自宅にもそれなりの広さがないと、なかなか全身を映せるスペースは取れないだろう。
「では、時間になりましたので、はじめていきます。十二月六日、日曜日の早朝クラスになります。みなさん、お休みの日の朝早くからご参加いただき、ありがとうござます」
合掌して頭を下げ、顔を上げた時だ。
タブレットの向こうに陣がヨガマットを敷いて、七瀬の方を向いて頭を下げている。
それを見て、単純にも自分がパァッと笑顔になったのがわかった。リモートクラスなのに、リアル受講してくれている人がいる。
「では合掌して、ご自身に向かって一礼しましょう。日曜日の朝に起きてここに座っているご自身を褒めてあげてください」
一時間前に起床したときからは考えられないほど、いつもどおりのテンションに戻っていることに深く感謝をして、陣に向かって一礼する。
「今朝はアサコ先生の代行です。普段と違うことをすると、時に思わぬアクシデントに遭遇したりして、冷静でいられないことってありますよね。実は私も、昨日はいつもと行動パターンが変わってしまって、起きてもまだ動揺したままだったんですね。それでも、こうしてヨガマットに座って体をほぐしているうちに落ち着いて、普段の自分に戻ることができました。これからどれだけアーサナで動いても、最終的にはここに帰って来られるよう、今いる場所をしっかり覚えておいてくださいね。そして、この場所を与えてくれた人――ご自身かもしれないし、ご家族かもしれませんが、感謝をしながら始めたいと思います」
開始前の短い挨拶に、陣への感謝を織り交ぜ、三十分の短いクラスを進めた。
七瀬はエネルギッシュに動くのが好きなので、起き抜けでもやや負荷が強いレッスンをするタイプだ。
寝起きで凝り固まった体をゆっくり解し、沈殿した心も一緒に解放する。
ときどき、カメラがオンになっている生徒さんに声をかけ、「のりかさん、きれいに背筋が伸びてますね」とか「藍子さん、バランスいいですよ」「陣さん、とってもきれい」などなど、褒める言葉をかけていく。
レッスンを進めるうちに外は明るくなってきて、終わる頃にはうっすらと息が上がって、汗ばむくらいになっていた。
「では、これで早朝クラスを終わりにします。早い時間にも関わらずご参加いただき、ありがとうございました。すてきな日曜日をお過ごしくださいね」
合掌に始まり、合掌に終わる。すべての生徒さんが退出したのを見届け、七瀬もアカウントをログアウトした。
そしてヨガマットの上に正座をすると、再び合掌して深々と頭を下げる。
「陣さん、ほんっっっっとうにありがとうございました!」
「いえいえ、僕こそレッスンにタダ乗りしちゃって、すみません」
安楽座のままの陣も、合掌で頭を下げてくる。でも、その精悍な顔立ちには楽しげな笑みが浮かんでいた。
「全然! 陣さんが一緒に受けてくださったので、とても楽しかったです。いえ、私が楽しんでる場合じゃないのですが……」
「やっぱり七瀬センセーのレッスン、いいですね。寝起きとは思えないくらい、体がすっきりしました。一日、充実して過ごせそうです」
「ヨガ講師冥利に尽きます。それで、あの……昨日からの事情を、お教えいただけないでしょうか……途中から記憶がなくて」
レッスンで昇る朝日と共に気分も高揚したが、現実に立ち返ったらやや精彩を欠いてしまった。
でも、そんな七瀬を見て陣はさわやかに笑い飛ばす。
「そうですね、とりあえず朝食にしませんか。大したものはありませんが」
「な、何から何まで、恐縮です……お手伝いします」
「ベーコンエッグとトーストくらいなので、すぐできますし、センセーはその間にお着替えをどうぞ」
甘えっぱなしでいるのも申し訳ないが、人様のおうちで七瀬にできることはない。言われるままベッドルームに入って着替え、荷物をまとめて玄関に置くと、そろりそろりとリビングに戻る。
すると、コーヒーのいい香りが立ち、パンの焼ける香ばしい匂いが漂っていた。
心安らぐような空気で、我知らず頬が緩んでしまった。
「リモートクラスはBoomでやるんですか? スマホじゃやりにくいと思うから、これ使って。アプリ入ってるので。あと、マイクもどうぞ」
「助かります! 申し訳ありません!」
陣の家からは、至れり尽くせりのアイテムがたくさん出てくる。
お礼を言いつつドキドキしながら、外の景色が映り込まないよう壁を映してカメラを設置すると、アカウントを入力してビデオチャットのルームに入室した。
すでにスタッフが待機しているので、ホスト機能を共有する。
『おはようございます、七瀬先生。今日は代行クラスよろしくお願いします』
「はい、こちらこそ! よろしくお願いします」
生徒がこのオンラインクラスに入室できるのは、開始十分前からなので、それまでは自前のヨガマットを敷いてストレッチをする。
いつもはクラスの前に三十分ほど近所を走って体を温めるが、今日はそんな時間がない。せめて動揺を落ち着かせようと、深く呼吸をしながら肩回りや背中をほぐした。
時間になると、ヨガマットの上に胡坐で座り、徐々に入って来る生徒のチャットメッセージや音声での呼びかけに答える。
「おはようございます。今日は代行をさせていただく講師の七瀬です、よろしくお願いします。カメラをオンにできる方はぜひお願いしますね。今日初めて受講される方はいますか? いたらメッセージくださいね」
日曜の早朝だというのに、五十人ほどの生徒さんが参加してくれている。
それでも、大半はカメラをオフにしていて、こちらから相手の顔も姿も見ることはできない。カメラがオンになっていれば、こちらからアドバイスもできるのだが、顔を見せてくれる人は十人もいなかった。
まだ起き抜けでパジャマのままの人も多いだろうし、自宅にもそれなりの広さがないと、なかなか全身を映せるスペースは取れないだろう。
「では、時間になりましたので、はじめていきます。十二月六日、日曜日の早朝クラスになります。みなさん、お休みの日の朝早くからご参加いただき、ありがとうござます」
合掌して頭を下げ、顔を上げた時だ。
タブレットの向こうに陣がヨガマットを敷いて、七瀬の方を向いて頭を下げている。
それを見て、単純にも自分がパァッと笑顔になったのがわかった。リモートクラスなのに、リアル受講してくれている人がいる。
「では合掌して、ご自身に向かって一礼しましょう。日曜日の朝に起きてここに座っているご自身を褒めてあげてください」
一時間前に起床したときからは考えられないほど、いつもどおりのテンションに戻っていることに深く感謝をして、陣に向かって一礼する。
「今朝はアサコ先生の代行です。普段と違うことをすると、時に思わぬアクシデントに遭遇したりして、冷静でいられないことってありますよね。実は私も、昨日はいつもと行動パターンが変わってしまって、起きてもまだ動揺したままだったんですね。それでも、こうしてヨガマットに座って体をほぐしているうちに落ち着いて、普段の自分に戻ることができました。これからどれだけアーサナで動いても、最終的にはここに帰って来られるよう、今いる場所をしっかり覚えておいてくださいね。そして、この場所を与えてくれた人――ご自身かもしれないし、ご家族かもしれませんが、感謝をしながら始めたいと思います」
開始前の短い挨拶に、陣への感謝を織り交ぜ、三十分の短いクラスを進めた。
七瀬はエネルギッシュに動くのが好きなので、起き抜けでもやや負荷が強いレッスンをするタイプだ。
寝起きで凝り固まった体をゆっくり解し、沈殿した心も一緒に解放する。
ときどき、カメラがオンになっている生徒さんに声をかけ、「のりかさん、きれいに背筋が伸びてますね」とか「藍子さん、バランスいいですよ」「陣さん、とってもきれい」などなど、褒める言葉をかけていく。
レッスンを進めるうちに外は明るくなってきて、終わる頃にはうっすらと息が上がって、汗ばむくらいになっていた。
「では、これで早朝クラスを終わりにします。早い時間にも関わらずご参加いただき、ありがとうございました。すてきな日曜日をお過ごしくださいね」
合掌に始まり、合掌に終わる。すべての生徒さんが退出したのを見届け、七瀬もアカウントをログアウトした。
そしてヨガマットの上に正座をすると、再び合掌して深々と頭を下げる。
「陣さん、ほんっっっっとうにありがとうございました!」
「いえいえ、僕こそレッスンにタダ乗りしちゃって、すみません」
安楽座のままの陣も、合掌で頭を下げてくる。でも、その精悍な顔立ちには楽しげな笑みが浮かんでいた。
「全然! 陣さんが一緒に受けてくださったので、とても楽しかったです。いえ、私が楽しんでる場合じゃないのですが……」
「やっぱり七瀬センセーのレッスン、いいですね。寝起きとは思えないくらい、体がすっきりしました。一日、充実して過ごせそうです」
「ヨガ講師冥利に尽きます。それで、あの……昨日からの事情を、お教えいただけないでしょうか……途中から記憶がなくて」
レッスンで昇る朝日と共に気分も高揚したが、現実に立ち返ったらやや精彩を欠いてしまった。
でも、そんな七瀬を見て陣はさわやかに笑い飛ばす。
「そうですね、とりあえず朝食にしませんか。大したものはありませんが」
「な、何から何まで、恐縮です……お手伝いします」
「ベーコンエッグとトーストくらいなので、すぐできますし、センセーはその間にお着替えをどうぞ」
甘えっぱなしでいるのも申し訳ないが、人様のおうちで七瀬にできることはない。言われるままベッドルームに入って着替え、荷物をまとめて玄関に置くと、そろりそろりとリビングに戻る。
すると、コーヒーのいい香りが立ち、パンの焼ける香ばしい匂いが漂っていた。
心安らぐような空気で、我知らず頬が緩んでしまった。
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