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六日目
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『六日目』
夢を見ている。
タダヒトは、なぜだかそう確信できた。ふわふわとする頭は、まるで痛みを知らず、心地よい波に揺れていて。
それが、あまりにも嘘っぽかったからだ。
タダヒトが最後に覚えているのは、殴られる感覚と痛み、罵倒する荒くて静かな声だった。きっとまた、気絶してしまうほどにいたぶられ、そしてどこかに放られてしまったのだろうと、事の末路を空想した。
「タダヒト」
ふと、どこからか声がした。タダヒトが求めて止まない声が、確かに聞こえてきた。
最後に聞いたのは彼の声は、怒声であったので、今聞こえた声があまりにも自分の願望通りな声色であったために、随分と都合のいい夢を見ているなぁと思ってしまう。
けれど、それが夢だとしても、彼に返事がしたくて。タダヒトは、声を出そうと口を開いた……のだが。
声が、出なかった。
「タダヒト、頼む。どうか今日が終わるまでは、耐えてくれ。絶望しないでくれ。俺がいなくても、頑張ってくれ……こんなこと、俺が言えた立場じゃねぇのはわかっている。けれど、頼んだぜ。約束、忘れないでくれよな」
そういうと、彼の気配が離れていくのを感じた。都合のいい夢でも、いいようにはできないらしい。未だ声を出せないままのタダヒトは、それでも声を出そうともがいて、苦しい息を吐いた。
好きなんだと、そう伝えたかったのに。それでもその思いは、声にはならなかった。
「っ、あ! は、っ、いった」
「んお! おお、起きたか、タダヒト君」
「は、はー、あ、れ、たか、ですか?」
「おう、わっしだ。で、ここはわっしの部屋。体、痛むか?」
「う、っ……え、ええ、と、だいぶ、いたい、です」
目が覚めると共に、全身に痛みが走り、最悪の目覚めをタダヒトに与えてくれた。その呻き声に反応するように、近くから隆の声が聞こえた。
声の方を向けば、眉を下げて心配げな表情の隆がタダヒトを見ていた。
「え、っと、なにが、どうなって……?」
「あー……あの犬野郎がなぁ、結構ガチめにタダヒト君をいたぶったみてぇで。夜の時間になって廊下に出てみれば、タダヒト君が床に倒れてたんよ。幸い顔に傷はなかったが、体の方は酷くてなぁ。打撲に擦り傷、切り傷に近いものまであった。ありゃあ、鞭かなんかの裂傷じゃろ?」
「あ……あぁ、そ、うです。昨日、部屋に連れ込まれて、首輪を乱雑に引かれて、服を脱がされてから……っ」
「ああ、いいんだ思いださんでも! 今はなんもせんでええから、寝ておきぃなぁ」
昨日の事が脳内でフラッシュバックすると、その恐ろしさを思い出して体が震えてしまう。賢に部屋でされた数々の暴力、数多の暴言、容赦のない辱めは、今日までのどの行いよりも苛烈ものだった。
『明日で、最後なんですもんね……ああ、タダヒト君には、私を忘れられなくなるくらいのことを、してあげたいですねぇ』
そういって笑った彼の顔を思い出すと、怖くて、恐ろしくて、タダヒトは体を強ばらせてしまう。
そこで、はたと夢の事を思い出した。剛がいてくれれば、少しは落ち着けそうな気がしたのだ。夢のような言葉を言ってくれなくても、せめて顔だけでも見ることができれば、と。
「あ、あ、の、たか……ご、剛、君は、いますか?」
「おん? あー、獅子の兄ちゃんは……今は、いねぇよ」
「いま、は?」
「タダヒト君の傷の手当て、それはあの兄ちゃんがしたんだ。わっしは不器用だけ、そんな丁寧にはできんからな」
「っ!」
夢だと思っていたのだが、剛は確かに自分の側にいたのだ。それがわかったタダヒトは、どうしようもなく嬉しくなってしまう。あの言葉が夢だったとしても、彼が自分を心配してくれていたであろうことが、現実であったことが嬉しかった。
「そ、それで、剛君は、今どこに?」
「あの兄ちゃんなら……今日は、もう帰ってこねぇ」
「……え?」
「今日、俺とあの犬野郎に提案してきたんだ。今日はタダヒト君への権利を主張しないから、明日、実験が終わるまで、自分に権利を譲ってくれ、とな。だから、今日はタダヒト君への命令権は、わっしとあの野郎とで半々なんだわ」
「そ、んな」
彼がどういう意図でそんな計画を立てたのかを推測する余裕を、今のタダヒトは持ち合わせていなかった。だから、もういないというその一点だけが、彼の心に突き刺さってしまった。
瞬間、体が冷たくなっていくような感覚と、渇いていくような感覚が同時に襲ってきた。それは、あまりにも強大になってしまった、寂しいという感情の表れであった。
いっそ痛みとさえ呼べる感情を前に、堪えきれずに涙がこぼれてしまう。嗚咽を漏らしてしまう。
「う、っ、うあ、あぁぁぁ……」
「た、タダヒト君……大丈夫だ、ようは今日を乗り切ればええんじゃ。それにわっしもいるけぇ、どうにかしてみようぜ、な?」
「う、っく……た、たか、たかぁ。さみしい、さみしいよぉ……」
「そうだな、ああ、うん。ほら、好きなだけ泣きぃ。胸ならかしてやるけぇ」
止めどなく溢れてしまう感情の洪水を、タダヒトは抑えることができなくて、すっかり泣きじゃくってしまった。
そんな、子供のようになってしまったタダヒトを前に、隆は少しだけ慌ててしまったが、すぐに彼を抱き締め、その頭を優しく撫でながらどうにかなだめようとした。
心の痛みは、体の痛みをとうに越えてしまっていて、タダヒトはただ隆の胸で、泣きじゃくることしか、できなかった。
「う……ご、ごめんなさい、タカ。子供みたいに、泣いてしまって」
「だぁいじょうぶじゃぁ、気にすんなって。それよか、体は大丈夫そうなのか?」
「う、んと、なんとか……痛いは痛いですけど、死ぬほどではなさそうですから」
「かぁ、よかった。あー、ところでよぉ……そろそろ離れても、えいかな?」
「え、っと、できればもう少し、くっついていたいのですが……ダメですか?」
「あー、いやー、ダメじゃあ、ねぇんだが。その、言いにくいんだが、こう、興奮しちまうんだわ、可愛い子に泣きつかれっとよぉ」
「タカ……貴方って人は」
泣き止むまでにどれほどの時間を要したか、定かではなかった。けれど、どうにかして心を落ち着かせたタダヒトは、抱きついたままの姿勢で、隆と会話を続けていた。
こんな状況でも、隆は隆であるようで、彼は傷付き、しなだれた状態のタダヒトにさえ、いや、そんなタダヒトだからこそなお一層、興奮をしているようであった。
「うー、すまん……けんどよぉ、わっしという男は、どこまでいってもこういうやつなんだわ。前にも言ったろぉ? わっしのコミュニケーションというんは、どうしてもセックスに繋がっちまうんだ。ベッドの上以外じゃあ、なんも楽しくない……そういう、ダメな男なんだよ、わっしは」
「……でも、それがタカらしいと、うん、今ならそう思いますね」
「お、いうねぇ」
「ね、タカ。僕、その、まだ貴方と離れたくないんです。貴方の命令でも、できればしたくないんです。だから、それ以外なら、なんでもします。体は痛いし、あまり無理はできないんですけど……それでも、できるかぎりなんでもしますから、命令、してください」
離れたくなかった。一人になりたくなかった。剛がいない今、自分一人だけで今日を過ごせるほどの強さを持っていないことは、自分が一番よくわかっていた。
だから、タダヒトは隆に縋った。実験上、縋ることを許されない立場の彼だが、それでも、一人にならないためならばなんでもするという気概で、乞い願ったのだ。
それは、どうにかして今日を生きようとする意思だ。この分水嶺を乗り切るための、全力の行動なのである。
明日、剛に会うための、だ。
「おん……そいじゃあ、つきあってもらおうかねぇ。中は、昨日は綺麗にしちょったよな? んで、ほとんど飯もくっちょらんな? じゃあ、ま、大丈夫じゃろ」
「はい……ねえ、タカ」
「なんね?」
「タカは、最初の頃から僕を見て、その、性的に興奮していましたよね? そんなに僕と、セックスするのは楽しい、ですか?」
タダヒトは、彼の目を見ながら問うた。隆が、一瞬複雑な心境を表情に出したのも、それを一瞬で隠していつもの軽薄な笑みを浮かべたのも、全てしっかりと見ていた。
「そりゃあ、楽しいぜ? 楽しいし気持ちいいし、なによりわっしにはこれしかねぇからなぁ」
「そ、ですか。じゃあ、タカは僕のこと自体を、いったいどう思っていますか?」
「……」
「……」
「はぁ……なあ、タダヒト君。わっしはその問に、相応しい答えを用意することはできる。けんどなぁ……今さら、この生き方を曲げることなんざできやしねぇのさ。だから、よぉ、否定はしてくれるな。わっしはこの生き方に、少しも後悔なんざしちゃいねぇんだからよぉ」
その言葉で、タダヒトは全てを理解した。隆が自分に向ける感情も、彼が手放せない生き方も、それがどれだけ大事な物なのか、も。
だから、彼が言わなかったのなら、それまでなのだ。タダヒトは、余計な気をつかわなくていいのだ。そう、隆は遠回しに言ってくれたのだと、そう感じた。
お前は、ただ獅子の兄ちゃんのことを思っていれば、それでいいのだ、と。
「……はい、わかりました、タカ。ね、タカって、実はかっこいいんですね」
「なーん、今さら気付いたんら?」
「はい。それじゃあ、えっと、お手柔らかにお願いします」
「おう、任せちょきぃ」
そういうと、隆が少し身を動かした。ベッドが、緩く軋む音を上げた。
「あー、やっべぇ、こんなにイクのがまんすんのなんざ、いつぶりだぁ……ぐ、う、チンポ、とけちまいそうだ」
ベッドが揺れる。しかし軋むほどではないくらいに緩慢な動きで、緩くベッドが揺れる。
「あぁぁ、っ、ふ、っははは、っ。あ、そこ、すごい、いい、っ」
「やーっぱゆっくりやさしくすんのもええのぉ……タダヒトくんも、ちょっとよゆうあるじゃぁねぇの」
たまに、軋むほどの動きをする。と、ベッドの上で抱き合っている二人から、それぞれとろけそうなほどの声が、溢れて部屋を満たしていく。
「あ、あんっ、ん、や、だめ、そんなうごかれると、さすがに、っんあぁ」
「お、っとぉ。は、やぁべ、わっしもでるとこじゃったぁ……はー、っ」
「は、っ、む、むりに、うごくから、ですよ?」
「なまいきなくちをきくのぉ……だれだぁ、タダヒトくんをこんなエッチなこにしたんはぁ」
「タカ、でしょ、ぉにっ」
「……そうだったなぁ」
二人は、いつかのようなゆっくりとしたセックスを楽しんでいた。違うところがあるとすれば、あの日よりももっとゆっくりと、タダヒトの体を気遣って優しい動きを心がけているところ。
それと、タダヒトが少しだけセックス慣れをし始めていたことだった。
もしくは、体の痛みが邪魔をして、快楽を弱くしているのか。なんにしろ、鳴いて乱れていただけだったタダヒトは、挿入されながらも隆と会話ができるほどになっていた。
「は、っ……ちょい、つ、っかれた」
「ぼく、も。いま、なんじなんでしょう?」
「あー? しらんなぁ」
「え? で、でも、たしかケンさまと、こうたいするじかんがあるんじゃ?」
「わっしは、はあ……時間にルーズじゃけぇ、知らんよ。そも、あんな犬野郎にタダヒト君を渡したくはねぇら。獅子の兄ちゃんならまだしも」
いったい、どれくらいゆるゆると体を交えていたのだろうか。もう、外はすっかり太陽が沈んでいた。五時六時は余裕で過ぎているだろうと想像できるくらいには、暗くなっていた。
「だけど、あの人なら……その内部屋に呼びに来るくらいしそうだけれど」
「あー。たぶんもう、突入されちょう思うぜぇ」
「へ?」
隆が言っていることが、いまいち理解できなかった。突入されていたら、もう賢が現れているだろう。それなのに、この部屋の扉は開かれていない。と、タダヒトはぐずぐずになった頭でどうにか考えていた。
すると。
――ドンドンドン
「おぉっと。いんやぁ、ばれちまったかぁ」
扉が乱暴に叩かれる音がした。タダヒトはそれに驚いて、体を縮こまらせ、隆は自身の一物をずるりと引き抜いてから、服も着ないで扉の射線からタダヒトを庇うように、仁王立ちした。
瞬間。ばきり、という大きな音がした後に、扉がゆっくりと開いた。どうやら、ドアノブごと鍵を壊したらしかった。
「……よくも、騙しましたね」
扉が開いた先には、毛並みがぼさぼさになっている賢が、ただ立っていた。その手には、金槌が握られていた。どうやらそれで、ドアノブを壊したらしい。
見た目から正常でないことがわかる彼の、発する言葉はどこまでも静かであったが、その静かさの中に潜む怒気は、すでに隠せる領域を越えているようだ。言葉の端々に、苛立ちが滲んでいるのを、二人は感じていた。
「まさか、部屋をすり替えていたとは、思いもしませんでしたよ」
「はて、なにを言ってるんかねぇ。誰かさんがタダヒト君をボロボロにしちまったから、あの獅子兄ちゃんが看病してくれて、その役をわっしが引き継いだだけじゃよぉ。わざわざ場所を移すまでもねぇだらぁ?」
「白々しい……どちらにしても、時間切れですよ。まったく、防音設備がここで徒になるとは、夢にも思っていませんでしたね」
「はーん? まあ、今日はやさーしくしちゅうけぇ、タダヒト君の声もわりと小さかったからのぉ、かっかっか!」
どこまでも愉快そうに笑う隆は、賢の怒気に当てられても少しも引こうとしなかった。部屋に入られた段階で、タダヒトを渡してしまえばいいものを、彼はそうしなかったのだ。
まるで、タダヒトを守るように、彼は賢の目の前に立ちはだかっていた。
「御託は結構。さ、それを寄こしなさい」
「それ、っちゅうんは?」
「そこの、ベッドの上に転がっている! 実験体に決まっているでしょうが!」
隆が嘲笑を浮かべながらのらりくらりとした返事をするのに、賢はついに耐えきれなくなったのか、怒りにまかせて金槌を思い切り地面に叩き付けた。床が、無事ではないと思われる音を立てて、タダヒトはビクリと体を震わせて、縮こまってしまった。
「はーん。タダヒト君け? いんや、まるで物を指しているみてぇな口調だったからよぉ、気付かんかったわ、ひひひ」
「物、みたいなもんでしょうよ、それは。だって、なんでもしていいんですから。それには、なんでも。こんな、私みたいな人物でも、なんでも、していいんですから!」
「……この実験的には、あんたみてぇのが一番正しいんかもしれんな。けんどよぉ、獅子の兄ちゃんもそうだが、わっしだってもう、タダヒト君を実験用のモルモットみてぇには見れんのさ。こいつぁ、ただの人だ」
「はっ、馬鹿馬鹿しい。あの若者といい、貴方といい、馬鹿ばかりだ。馬鹿だ、馬鹿野郎だ! なのに、なのに何故私より楽しそうにしているんですか! 羨ましい、妬ましい、腹立たしい……そこを、どけっ!」
ただ口で怒りを表現し、我を忘れたふうであった賢を目の前にし、隆は油断していた。いや、そもそも金槌なんかを持ってきている時点で、もう少し慎重になるべきだったのかもしれない。
実力行使を、考慮するべきだったのかもしれない。
賢は唐突に、拳を隆の腹に突き出して、思い切り殴り抜けた。隆は、それをもろに食らってしまい、床に転がるように倒れこんだ。
「ぐうっ! がは、っ」
「た、タカっ!」
「さあ来なさい! お前は、私と楽しむ時間なんだ! 早く、来いっ!」
「や、っ、タカ、タカぁっ!」
ベッドでかたまっていたタダヒトは、床に倒れ伏したタカへと手を伸ばした。その腕を、賢が乱暴に掴むと、雑に引いて、一糸まとわぬタダヒトの体をそのまま引きずっていく。
それでも、タダヒトは倒れ伏した隆が心配で、引かれる腕の痛みも忘れて、じたばたと暴れていた。
「っぐ、おい、まてよなぁ、こんの狂犬野郎が」
「……それは、私のことですか?」
まだ床にうずくまっている隆が、ゆらりと起き上がりながら、賢へと最大級の嫌悪を込めた声を吐き捨てる。それが、琴線に触れてしまったのか、タダヒトを乱雑に廊下へと放ると、賢は振り返ったのだ。
「おん、他に誰がいんだ」
「……」
賢はそのまま、どうにか立ち上がろうとしている隆に、ゆっくりと近づいた。ゆらり、ゆらりと、まるでふらついているような足取りで。その足が目の前まで来て、隆はつい、と視線を上に向けた。
が、その視線が、賢の表情を捉えることはなかった。
「ふざけたことを!」
「ぶっ、ぐ、あ……っ」
賢の足が、顔を上げた隆のそこを、思い切り蹴り上げたのだ。隆は衝撃で少しだけ飛ばされると、今度は床に仰向けで倒れ伏してしまう。
その、無防備に晒された縦縞のない白い部分に、賢は容赦なく足を振り下ろした。
何度も、何度も。
「私は、普通、なんだ! それだけが、取り柄で、今日まで、どれだけ、っ、どれだけ苦労したか、わからないだろう! 狂っているのは、私じゃ、ない! 私、以外の、奴らの方だっ!」
「がっ、ぐ、ぶ、うっ!」
たまらず、隆は体を丸めるが、それでも容赦なく振り下ろされる足に、体を痛めつけられていく。ついには、痛みに呻く声すら出せなくなってしまう。が、それでも賢は蹴り続けた。踏み続けた。
「や、やめて! ケン様、やめて、くださいっ!」
その惨状をみていたタダヒトは、ついに耐えきれなくなり声を上げた。その、悲痛そのものである叫びは、怒りに塗れた賢の耳にも届き、足を止めるとくるりと振り返り、タダヒトを見下した。
「ふ、っふふふ、タダヒト君は、優しいんですね……ええ、そうですね、そうでした。こんな人に、割く時間はないんでした。ああ、勿体ないことをしてしまいました。止めてくれて、ありがとうございます」
あまりにも落ち着いた声色で、賢はタダヒトにそう語りかけると、部屋の扉を乱雑に閉め、タダヒトの体を抱き、移動し始めた。
隆の様子が心配だったタダヒトであるが、抱えられてしまっては最早抵抗もできず、ただ、賢にされるがままに部屋まで運ばれてしまうのだった。
タダヒトは、ベッドに放り投げられると、間髪入れずに両手を拘束されてしまう。簡易的な手錠ではあるが、それは人間の力では壊せる物ではなかった。
「ああ、まったく。体、べたべたではありませんか……拭いてあげますね」
「っ……」
隆と何時間も体を交えていたのだ。体は汗で汚れ、下腹部はローションや体液でべっとりと汚れていた。
それを、賢はある程度優しく、けれども機械的にタオルで拭っていった。逆らう気力がなくなっていたタダヒトは、されるがままに体を晒していることしかできないでいる。
「まったく。いや、ええ、いいんですけれどね。ふふ、さあタダヒト君、今日が、最後ですね」
「……」
「ああ、こうしてタダヒト君と過ごした一週間は、とても有意義でした。ええ、本当に。やっぱり、私は普通なのだなと、そう確信できたのですから」
「ふ、つう?」
「ええ、普通です。私は普通で、周りの人々が狂っているんだと、そう理解できました。だってそうでしょう? こんな実験に、片や絆されて棒に振り、片や性処理のことしか考えていないなど、愚かとしか言いようがない。狂っています」
手を拘束されて横たわるタダヒトの横へ、賢はゆっくりと腰を下ろした、その表情は、タダヒトからでは少ししか確認できなかったが、先ほどまでの怒りはすっかり消えているような、そんな穏やかなものであった。
「なんでもできるなら、いつもできないことをするのが普通でしょう? なんでもできるなら、いつも許されないことをするのが定石でしょう? なんでもできるなら、なにをしても許されてしかるべきでしょう? それを、くだらないあの人たちは理解していない! 実に狂っている!」
「ひ、あ……」
そんな、穏やかな表情であるにもかかわらず、彼の口にする言葉は、あまりにも狂っていた。そう、タダヒトは感じて、口から悲鳴がこぼれてしまうのを止められなかった。
なにより、ただ恐ろしかったのだ。彼が自分に暴力を振るっていることについても、普通であると思っていることが、恐ろしかった。
実験であっても、人体に暴力を振るうのに躊躇いがない一般人が、果たしているのだろうか。その人物は、果たして普通なのだろうか。恐怖で縮こまる脳内は、そんな疑問がぐるぐると渦巻いていた。
「ああ、ただ残念です。きっとかの先生は、私の行動を観察して、つまらないと思うのだろうと考えると、至極残念です。やっぱり私みたいな普通の人物には、この程度の行動をするので精一杯なんだろうと……」
彼が、苦痛を孕んだ声でそう言うと、途端に顔を覆って静かになってしまった。その沈黙に、タダヒトはなにかを口にする勇気は、なかった。
そのまま、何分、何十分と、賢は動かなかった。淡々と時間が過ぎていく。それはタダヒトにとっては大いにありがたいことであった。
できればこのまま済めばいい。そんなことを考え始めた、そのとき。
「うん……なら、せめて狂人らしいことを、してみましょうか」
彼は、意を決してしまったようであった。賢は、少しだけ動くと、手の届く範囲に置いてあった赤い首輪を取って、それを慣れた手つきでタダヒトの首に巻き付けた。
そうして、その姿を満足げに見下ろすと、おもむろにタダヒトの顔を、大きな手のひらで容赦なく叩いた。
「い、っ」
「嬉しそうな顔を、して下さいよ」
「ひ、や、いや、っ」
叩く力は非常に強く、頬がじんじんと熱を帯びていき、鋭く痛んだ。赤くなっていくその頬を、しかし賢は遠慮なく何度も叩いた。タダヒトが懇願する言葉を遮るように、何度も、何度も。
「昨日、鞭を使ったのは失敗でした。あれで裂傷が起こると、肌の赤なのか、傷なのか、わからないですからね……」
その手は、頬以外にも、胸や腹を叩いていく。それも、酷く強い力であり、タダヒトは呼吸が苦しくなるくらいの衝撃をうけ、灰に残る息を吐き出してしまう。
けれど、どうやら賢は肌を赤色に染めることに執心しているのか、手のひらでの殴打にこだわっていた。拳を使われていれば、体表どころか、骨や内臓に多大なダメージを与えられていただろう。
それでも、昨日の傷が残る体はタダヒトに止めどない痛みを与え、苛ませてくる。タダヒトは涙をこぼしながら、痛みに声を漏らしてしまう。
「ああ、ああいいですね……こんな私でも、誰かを好きにできる、好きに染められる……興奮、してきちゃいました。ね、タダヒト君。君は、あの虎獣人とセックスをしていたのですよね?」
「は、っ、うぅ」
「じゃあ、私ともしてくれますよね?」
そういうと、彼はズボンとパンツを、尻尾を引き抜くのに少しだけもたつきながら脱ぎ捨てて、それを見せてきた。
それは、興奮にいきり立った、賢の陰茎だった。隆や、剛の物と比べても一回り大きなそれを、賢は容赦なく、タダヒトの解れている秘部へと押し当てて。
「い、や、っ、あぁぁぁぁ!」
めり、ぎち、という音がタダヒトの中で響くのも気にせず、ねじいれてきたのだった。
「ふ、っふふ、ああ、タダヒト君、また、出しますよ、っ」
「や、やだぁ、も、くるし、っいっ」
「こぉら、出して下さい、でしょう?」
「い、や、やだ、たたかないで、ひんっ」
「じゃあ、ほら、おねだりして、下さいよ」
「ひ、っ、あ、っ……だ、だして、ください。な、なか、にっ」
「ふふ、よくできました。じゃあ、お望み通りに、っ、んぐっ」
「あ、あ、っ、うあぁぁ」
これで、何度目だろうか。タダヒトは、苦しくなっていく腹の感覚に、悲鳴に近い声を上げてしまった。その様子を見ている賢は、大層悦に入った表情で、タダヒトの中に白濁を吐き出していく。
無理矢理にねじ込まれてから、タダヒトは乱暴に犯されていた。乱暴、というのは、腰を振る動きや速度もそうだが、たんに、最中に暴力を振るわれるということを指す。タダヒトの体は、昨日よりもずっと酷く、赤くなっていた。酷く叩かれたところは、すでに青あざのようにもなっていた。
そのうえ、賢はタダヒトに色々と命令をしていた。その主立った内容は、タダヒトに色々な言葉を口にさせるというものであった。強請らせる、喜んでいるふうな言葉を言わせる、賢のことを褒める、等を言わせていた。
自身が思っていることとは真逆のような内容を無理矢理言わされて、タダヒトは精神的にボロボロになっていた。そうでなくても肉体的には既に限界なのだ。タダヒトは、もう自分からなにかをすることが、あらゆる意味でできなくなっていた。
抗うことも、逆らうことも、願うことも、思うことも。
「ふ、っふふ、お腹、膨れてきちゃいましたね。華奢な体だから、よく目立って、いいですね」
「は、はー、っ、あ、っ」
そうして、犯し続けられてどれくらいたっただろうか。その間、賢は何度も、何度も射精を繰り返し、タダヒトの体を己の欲望で満たしていった。彼は、いわゆる絶倫の類いであったようで、何度絶頂を繰り返しても、少しも萎える様子がなかったのだ。
もしくは、今まで溜め込んでいた欲が、止めどなく巡っているのか。それとも、この特殊な状況が、あまりにも大きな興奮を与えているのか。
「ねえ、タダヒト君。そろそろ、言ってくれませんかね」
「あ……」
「私のこと、好きだって、言ってくれませんかね」
「っ!」
そう言われ、うつろな目でだらしなく涙を流していたタダヒトの意識は、現実に戻されてしまう。恐ろしい物を見るような目で、賢を見上げた。
「そんな目をしないで、さあ」
「……」
言わなければどうなるか。そんなことくらい、タダヒトにはわかっていた。体中に刻まれる痛みが、訴えていた。ただ、言えば良いだけなのだ、と、自分をなだめる声が頭にこだまして、タダヒトは意を決して、口を開いた。
「ぼくが、っ、すきなのは……」
「はい」
「あなたじゃ、ないっ!」
「な、に?」
それでも、これだけは偽れなかった。例え体が、心も、限界まで痛めつけられたとしても、それだけは手放せなかった。
この実験で、初めて手にした感情を、偽りたくなかったのだ。
だから、タダヒトは抗った。力を振り絞って、希望を握りしめた。
「……っふ、ふふ。そう、か。君も、愚かな連中と、一緒というわけですか」
賢は、ずるりと一物を引き抜き、タダヒトにのし掛かった。そのさい、下腹部を圧迫され、また栓としていた一物がなくなったこともあり、ベッドへ体内に溜め込んだ白濁を漏らしてしまう。
けれど、それを気にしている余裕はなかった。
「なら、もう、いいです」
「んっ! ぐ、うっ!」
賢は、タダヒトの細い首に己の手を添えると、ぐ、と力をくわえ始めた。それは、あまりにも無遠慮な力加減であり、タダヒトは瞬間、呼吸ができなくなるような息苦しさを覚えた。
「もう、もういいです。もう終わるなら、私が終わりにします。ふふ、あははは! なんだか、ドラマチックですよね! 実験の最後に、被検体が殺される、なんていうのは!」
「が、はっ、っ、っ」
息が、できない。どころか、血流さえも止められているようで、頭が朦朧としてくるのを、タダヒトはどこか醒めた部分で感じていた。
殺される。殺されてしまう。
それも、しかたがないか、と思ってしまう。実験なのに、それに逆らった。なんでもしていいはずの自分が、それを拒んだのだ。だから、こうなってしまっても、しかたがない、と。
そう考えていた、冷静な部分にも白靄ががかかり始め、タダヒトは、死を直感した。
せめて、最後に彼の顔をみたかったな、と、そう思った意識も、薄れていく。
『約束、忘れないでくれよな』
けれど、彼の声だけは大きく頭に響いた。約束を、思い出した。それを、絶対に果たしたいと思った、その心を、奮い立たせてくれた。
「っ! っあぁぁ!」
「な、っぐ! い、った……」
タダヒトは、意識が飛びそうになるその瞬間に、思い切り体を跳ね上がらせて賢を後ろに突き飛ばすと、そのまま足に全力の力をくわえ、蹴った。それはいわゆる、火事場に発揮される力であり、その威力は体の大きな賢を退けるには充分であった。
賢は、もろに蹴りをくらい、壁にまで吹き飛んでしまった。背を壁に打ち付けると、しばらく苦しそうに呻いていた。
「い、いまのうちに……う、っ」
そのうちに逃げようと思ったタダヒトであったが、常時では考えられない力を発揮したこともあり、痛む体は軋み、いうことをきかなかった。そうして、ベッドの上でもがいていると、賢が苦しそうな咳をしながらも、どうにか立ち上がってこちらに視線を向けていた。
「げ、ほっ……やって、はーっ、くれましたね」
「あ、あ……」
「もう、もういいです。タダヒト君、君は、死んで下さい。普通な私にこんな暴力をふるうなんて、まして実験体のくせに、私に逆らおうとするなんて……許せないですね!」
死ね!
賢が、形相を怒りに歪めながらベッドに飛びかかろうとするのを、タダヒトは動かぬ体を抱えながら、見ていることしかできなかった。
今度こそ、万事休すか。そう思い、目を閉じたタダヒトは、襲い来る痛みに備え、体を強ばらせた。
――バン!
突然、部屋の扉が乱暴に開かれた。その、大きな音に虚を突かれ、タダヒトも、賢も、扉の方へと視線を向けた。
そこにいたのは。
「おぉっと。ストップだ、ケン君。止まりなさい。もう、日を跨いでいる……七日目だ」
件の依頼主、小説家の先生が立っていた。
それと、もう一人。
「タダヒト! 無事か!」
赤に煌めく鬣をした獅子獣人が一人。
剛が、部屋に駆け込んできたのだった。
夢を見ている。
タダヒトは、なぜだかそう確信できた。ふわふわとする頭は、まるで痛みを知らず、心地よい波に揺れていて。
それが、あまりにも嘘っぽかったからだ。
タダヒトが最後に覚えているのは、殴られる感覚と痛み、罵倒する荒くて静かな声だった。きっとまた、気絶してしまうほどにいたぶられ、そしてどこかに放られてしまったのだろうと、事の末路を空想した。
「タダヒト」
ふと、どこからか声がした。タダヒトが求めて止まない声が、確かに聞こえてきた。
最後に聞いたのは彼の声は、怒声であったので、今聞こえた声があまりにも自分の願望通りな声色であったために、随分と都合のいい夢を見ているなぁと思ってしまう。
けれど、それが夢だとしても、彼に返事がしたくて。タダヒトは、声を出そうと口を開いた……のだが。
声が、出なかった。
「タダヒト、頼む。どうか今日が終わるまでは、耐えてくれ。絶望しないでくれ。俺がいなくても、頑張ってくれ……こんなこと、俺が言えた立場じゃねぇのはわかっている。けれど、頼んだぜ。約束、忘れないでくれよな」
そういうと、彼の気配が離れていくのを感じた。都合のいい夢でも、いいようにはできないらしい。未だ声を出せないままのタダヒトは、それでも声を出そうともがいて、苦しい息を吐いた。
好きなんだと、そう伝えたかったのに。それでもその思いは、声にはならなかった。
「っ、あ! は、っ、いった」
「んお! おお、起きたか、タダヒト君」
「は、はー、あ、れ、たか、ですか?」
「おう、わっしだ。で、ここはわっしの部屋。体、痛むか?」
「う、っ……え、ええ、と、だいぶ、いたい、です」
目が覚めると共に、全身に痛みが走り、最悪の目覚めをタダヒトに与えてくれた。その呻き声に反応するように、近くから隆の声が聞こえた。
声の方を向けば、眉を下げて心配げな表情の隆がタダヒトを見ていた。
「え、っと、なにが、どうなって……?」
「あー……あの犬野郎がなぁ、結構ガチめにタダヒト君をいたぶったみてぇで。夜の時間になって廊下に出てみれば、タダヒト君が床に倒れてたんよ。幸い顔に傷はなかったが、体の方は酷くてなぁ。打撲に擦り傷、切り傷に近いものまであった。ありゃあ、鞭かなんかの裂傷じゃろ?」
「あ……あぁ、そ、うです。昨日、部屋に連れ込まれて、首輪を乱雑に引かれて、服を脱がされてから……っ」
「ああ、いいんだ思いださんでも! 今はなんもせんでええから、寝ておきぃなぁ」
昨日の事が脳内でフラッシュバックすると、その恐ろしさを思い出して体が震えてしまう。賢に部屋でされた数々の暴力、数多の暴言、容赦のない辱めは、今日までのどの行いよりも苛烈ものだった。
『明日で、最後なんですもんね……ああ、タダヒト君には、私を忘れられなくなるくらいのことを、してあげたいですねぇ』
そういって笑った彼の顔を思い出すと、怖くて、恐ろしくて、タダヒトは体を強ばらせてしまう。
そこで、はたと夢の事を思い出した。剛がいてくれれば、少しは落ち着けそうな気がしたのだ。夢のような言葉を言ってくれなくても、せめて顔だけでも見ることができれば、と。
「あ、あ、の、たか……ご、剛、君は、いますか?」
「おん? あー、獅子の兄ちゃんは……今は、いねぇよ」
「いま、は?」
「タダヒト君の傷の手当て、それはあの兄ちゃんがしたんだ。わっしは不器用だけ、そんな丁寧にはできんからな」
「っ!」
夢だと思っていたのだが、剛は確かに自分の側にいたのだ。それがわかったタダヒトは、どうしようもなく嬉しくなってしまう。あの言葉が夢だったとしても、彼が自分を心配してくれていたであろうことが、現実であったことが嬉しかった。
「そ、それで、剛君は、今どこに?」
「あの兄ちゃんなら……今日は、もう帰ってこねぇ」
「……え?」
「今日、俺とあの犬野郎に提案してきたんだ。今日はタダヒト君への権利を主張しないから、明日、実験が終わるまで、自分に権利を譲ってくれ、とな。だから、今日はタダヒト君への命令権は、わっしとあの野郎とで半々なんだわ」
「そ、んな」
彼がどういう意図でそんな計画を立てたのかを推測する余裕を、今のタダヒトは持ち合わせていなかった。だから、もういないというその一点だけが、彼の心に突き刺さってしまった。
瞬間、体が冷たくなっていくような感覚と、渇いていくような感覚が同時に襲ってきた。それは、あまりにも強大になってしまった、寂しいという感情の表れであった。
いっそ痛みとさえ呼べる感情を前に、堪えきれずに涙がこぼれてしまう。嗚咽を漏らしてしまう。
「う、っ、うあ、あぁぁぁ……」
「た、タダヒト君……大丈夫だ、ようは今日を乗り切ればええんじゃ。それにわっしもいるけぇ、どうにかしてみようぜ、な?」
「う、っく……た、たか、たかぁ。さみしい、さみしいよぉ……」
「そうだな、ああ、うん。ほら、好きなだけ泣きぃ。胸ならかしてやるけぇ」
止めどなく溢れてしまう感情の洪水を、タダヒトは抑えることができなくて、すっかり泣きじゃくってしまった。
そんな、子供のようになってしまったタダヒトを前に、隆は少しだけ慌ててしまったが、すぐに彼を抱き締め、その頭を優しく撫でながらどうにかなだめようとした。
心の痛みは、体の痛みをとうに越えてしまっていて、タダヒトはただ隆の胸で、泣きじゃくることしか、できなかった。
「う……ご、ごめんなさい、タカ。子供みたいに、泣いてしまって」
「だぁいじょうぶじゃぁ、気にすんなって。それよか、体は大丈夫そうなのか?」
「う、んと、なんとか……痛いは痛いですけど、死ぬほどではなさそうですから」
「かぁ、よかった。あー、ところでよぉ……そろそろ離れても、えいかな?」
「え、っと、できればもう少し、くっついていたいのですが……ダメですか?」
「あー、いやー、ダメじゃあ、ねぇんだが。その、言いにくいんだが、こう、興奮しちまうんだわ、可愛い子に泣きつかれっとよぉ」
「タカ……貴方って人は」
泣き止むまでにどれほどの時間を要したか、定かではなかった。けれど、どうにかして心を落ち着かせたタダヒトは、抱きついたままの姿勢で、隆と会話を続けていた。
こんな状況でも、隆は隆であるようで、彼は傷付き、しなだれた状態のタダヒトにさえ、いや、そんなタダヒトだからこそなお一層、興奮をしているようであった。
「うー、すまん……けんどよぉ、わっしという男は、どこまでいってもこういうやつなんだわ。前にも言ったろぉ? わっしのコミュニケーションというんは、どうしてもセックスに繋がっちまうんだ。ベッドの上以外じゃあ、なんも楽しくない……そういう、ダメな男なんだよ、わっしは」
「……でも、それがタカらしいと、うん、今ならそう思いますね」
「お、いうねぇ」
「ね、タカ。僕、その、まだ貴方と離れたくないんです。貴方の命令でも、できればしたくないんです。だから、それ以外なら、なんでもします。体は痛いし、あまり無理はできないんですけど……それでも、できるかぎりなんでもしますから、命令、してください」
離れたくなかった。一人になりたくなかった。剛がいない今、自分一人だけで今日を過ごせるほどの強さを持っていないことは、自分が一番よくわかっていた。
だから、タダヒトは隆に縋った。実験上、縋ることを許されない立場の彼だが、それでも、一人にならないためならばなんでもするという気概で、乞い願ったのだ。
それは、どうにかして今日を生きようとする意思だ。この分水嶺を乗り切るための、全力の行動なのである。
明日、剛に会うための、だ。
「おん……そいじゃあ、つきあってもらおうかねぇ。中は、昨日は綺麗にしちょったよな? んで、ほとんど飯もくっちょらんな? じゃあ、ま、大丈夫じゃろ」
「はい……ねえ、タカ」
「なんね?」
「タカは、最初の頃から僕を見て、その、性的に興奮していましたよね? そんなに僕と、セックスするのは楽しい、ですか?」
タダヒトは、彼の目を見ながら問うた。隆が、一瞬複雑な心境を表情に出したのも、それを一瞬で隠していつもの軽薄な笑みを浮かべたのも、全てしっかりと見ていた。
「そりゃあ、楽しいぜ? 楽しいし気持ちいいし、なによりわっしにはこれしかねぇからなぁ」
「そ、ですか。じゃあ、タカは僕のこと自体を、いったいどう思っていますか?」
「……」
「……」
「はぁ……なあ、タダヒト君。わっしはその問に、相応しい答えを用意することはできる。けんどなぁ……今さら、この生き方を曲げることなんざできやしねぇのさ。だから、よぉ、否定はしてくれるな。わっしはこの生き方に、少しも後悔なんざしちゃいねぇんだからよぉ」
その言葉で、タダヒトは全てを理解した。隆が自分に向ける感情も、彼が手放せない生き方も、それがどれだけ大事な物なのか、も。
だから、彼が言わなかったのなら、それまでなのだ。タダヒトは、余計な気をつかわなくていいのだ。そう、隆は遠回しに言ってくれたのだと、そう感じた。
お前は、ただ獅子の兄ちゃんのことを思っていれば、それでいいのだ、と。
「……はい、わかりました、タカ。ね、タカって、実はかっこいいんですね」
「なーん、今さら気付いたんら?」
「はい。それじゃあ、えっと、お手柔らかにお願いします」
「おう、任せちょきぃ」
そういうと、隆が少し身を動かした。ベッドが、緩く軋む音を上げた。
「あー、やっべぇ、こんなにイクのがまんすんのなんざ、いつぶりだぁ……ぐ、う、チンポ、とけちまいそうだ」
ベッドが揺れる。しかし軋むほどではないくらいに緩慢な動きで、緩くベッドが揺れる。
「あぁぁ、っ、ふ、っははは、っ。あ、そこ、すごい、いい、っ」
「やーっぱゆっくりやさしくすんのもええのぉ……タダヒトくんも、ちょっとよゆうあるじゃぁねぇの」
たまに、軋むほどの動きをする。と、ベッドの上で抱き合っている二人から、それぞれとろけそうなほどの声が、溢れて部屋を満たしていく。
「あ、あんっ、ん、や、だめ、そんなうごかれると、さすがに、っんあぁ」
「お、っとぉ。は、やぁべ、わっしもでるとこじゃったぁ……はー、っ」
「は、っ、む、むりに、うごくから、ですよ?」
「なまいきなくちをきくのぉ……だれだぁ、タダヒトくんをこんなエッチなこにしたんはぁ」
「タカ、でしょ、ぉにっ」
「……そうだったなぁ」
二人は、いつかのようなゆっくりとしたセックスを楽しんでいた。違うところがあるとすれば、あの日よりももっとゆっくりと、タダヒトの体を気遣って優しい動きを心がけているところ。
それと、タダヒトが少しだけセックス慣れをし始めていたことだった。
もしくは、体の痛みが邪魔をして、快楽を弱くしているのか。なんにしろ、鳴いて乱れていただけだったタダヒトは、挿入されながらも隆と会話ができるほどになっていた。
「は、っ……ちょい、つ、っかれた」
「ぼく、も。いま、なんじなんでしょう?」
「あー? しらんなぁ」
「え? で、でも、たしかケンさまと、こうたいするじかんがあるんじゃ?」
「わっしは、はあ……時間にルーズじゃけぇ、知らんよ。そも、あんな犬野郎にタダヒト君を渡したくはねぇら。獅子の兄ちゃんならまだしも」
いったい、どれくらいゆるゆると体を交えていたのだろうか。もう、外はすっかり太陽が沈んでいた。五時六時は余裕で過ぎているだろうと想像できるくらいには、暗くなっていた。
「だけど、あの人なら……その内部屋に呼びに来るくらいしそうだけれど」
「あー。たぶんもう、突入されちょう思うぜぇ」
「へ?」
隆が言っていることが、いまいち理解できなかった。突入されていたら、もう賢が現れているだろう。それなのに、この部屋の扉は開かれていない。と、タダヒトはぐずぐずになった頭でどうにか考えていた。
すると。
――ドンドンドン
「おぉっと。いんやぁ、ばれちまったかぁ」
扉が乱暴に叩かれる音がした。タダヒトはそれに驚いて、体を縮こまらせ、隆は自身の一物をずるりと引き抜いてから、服も着ないで扉の射線からタダヒトを庇うように、仁王立ちした。
瞬間。ばきり、という大きな音がした後に、扉がゆっくりと開いた。どうやら、ドアノブごと鍵を壊したらしかった。
「……よくも、騙しましたね」
扉が開いた先には、毛並みがぼさぼさになっている賢が、ただ立っていた。その手には、金槌が握られていた。どうやらそれで、ドアノブを壊したらしい。
見た目から正常でないことがわかる彼の、発する言葉はどこまでも静かであったが、その静かさの中に潜む怒気は、すでに隠せる領域を越えているようだ。言葉の端々に、苛立ちが滲んでいるのを、二人は感じていた。
「まさか、部屋をすり替えていたとは、思いもしませんでしたよ」
「はて、なにを言ってるんかねぇ。誰かさんがタダヒト君をボロボロにしちまったから、あの獅子兄ちゃんが看病してくれて、その役をわっしが引き継いだだけじゃよぉ。わざわざ場所を移すまでもねぇだらぁ?」
「白々しい……どちらにしても、時間切れですよ。まったく、防音設備がここで徒になるとは、夢にも思っていませんでしたね」
「はーん? まあ、今日はやさーしくしちゅうけぇ、タダヒト君の声もわりと小さかったからのぉ、かっかっか!」
どこまでも愉快そうに笑う隆は、賢の怒気に当てられても少しも引こうとしなかった。部屋に入られた段階で、タダヒトを渡してしまえばいいものを、彼はそうしなかったのだ。
まるで、タダヒトを守るように、彼は賢の目の前に立ちはだかっていた。
「御託は結構。さ、それを寄こしなさい」
「それ、っちゅうんは?」
「そこの、ベッドの上に転がっている! 実験体に決まっているでしょうが!」
隆が嘲笑を浮かべながらのらりくらりとした返事をするのに、賢はついに耐えきれなくなったのか、怒りにまかせて金槌を思い切り地面に叩き付けた。床が、無事ではないと思われる音を立てて、タダヒトはビクリと体を震わせて、縮こまってしまった。
「はーん。タダヒト君け? いんや、まるで物を指しているみてぇな口調だったからよぉ、気付かんかったわ、ひひひ」
「物、みたいなもんでしょうよ、それは。だって、なんでもしていいんですから。それには、なんでも。こんな、私みたいな人物でも、なんでも、していいんですから!」
「……この実験的には、あんたみてぇのが一番正しいんかもしれんな。けんどよぉ、獅子の兄ちゃんもそうだが、わっしだってもう、タダヒト君を実験用のモルモットみてぇには見れんのさ。こいつぁ、ただの人だ」
「はっ、馬鹿馬鹿しい。あの若者といい、貴方といい、馬鹿ばかりだ。馬鹿だ、馬鹿野郎だ! なのに、なのに何故私より楽しそうにしているんですか! 羨ましい、妬ましい、腹立たしい……そこを、どけっ!」
ただ口で怒りを表現し、我を忘れたふうであった賢を目の前にし、隆は油断していた。いや、そもそも金槌なんかを持ってきている時点で、もう少し慎重になるべきだったのかもしれない。
実力行使を、考慮するべきだったのかもしれない。
賢は唐突に、拳を隆の腹に突き出して、思い切り殴り抜けた。隆は、それをもろに食らってしまい、床に転がるように倒れこんだ。
「ぐうっ! がは、っ」
「た、タカっ!」
「さあ来なさい! お前は、私と楽しむ時間なんだ! 早く、来いっ!」
「や、っ、タカ、タカぁっ!」
ベッドでかたまっていたタダヒトは、床に倒れ伏したタカへと手を伸ばした。その腕を、賢が乱暴に掴むと、雑に引いて、一糸まとわぬタダヒトの体をそのまま引きずっていく。
それでも、タダヒトは倒れ伏した隆が心配で、引かれる腕の痛みも忘れて、じたばたと暴れていた。
「っぐ、おい、まてよなぁ、こんの狂犬野郎が」
「……それは、私のことですか?」
まだ床にうずくまっている隆が、ゆらりと起き上がりながら、賢へと最大級の嫌悪を込めた声を吐き捨てる。それが、琴線に触れてしまったのか、タダヒトを乱雑に廊下へと放ると、賢は振り返ったのだ。
「おん、他に誰がいんだ」
「……」
賢はそのまま、どうにか立ち上がろうとしている隆に、ゆっくりと近づいた。ゆらり、ゆらりと、まるでふらついているような足取りで。その足が目の前まで来て、隆はつい、と視線を上に向けた。
が、その視線が、賢の表情を捉えることはなかった。
「ふざけたことを!」
「ぶっ、ぐ、あ……っ」
賢の足が、顔を上げた隆のそこを、思い切り蹴り上げたのだ。隆は衝撃で少しだけ飛ばされると、今度は床に仰向けで倒れ伏してしまう。
その、無防備に晒された縦縞のない白い部分に、賢は容赦なく足を振り下ろした。
何度も、何度も。
「私は、普通、なんだ! それだけが、取り柄で、今日まで、どれだけ、っ、どれだけ苦労したか、わからないだろう! 狂っているのは、私じゃ、ない! 私、以外の、奴らの方だっ!」
「がっ、ぐ、ぶ、うっ!」
たまらず、隆は体を丸めるが、それでも容赦なく振り下ろされる足に、体を痛めつけられていく。ついには、痛みに呻く声すら出せなくなってしまう。が、それでも賢は蹴り続けた。踏み続けた。
「や、やめて! ケン様、やめて、くださいっ!」
その惨状をみていたタダヒトは、ついに耐えきれなくなり声を上げた。その、悲痛そのものである叫びは、怒りに塗れた賢の耳にも届き、足を止めるとくるりと振り返り、タダヒトを見下した。
「ふ、っふふふ、タダヒト君は、優しいんですね……ええ、そうですね、そうでした。こんな人に、割く時間はないんでした。ああ、勿体ないことをしてしまいました。止めてくれて、ありがとうございます」
あまりにも落ち着いた声色で、賢はタダヒトにそう語りかけると、部屋の扉を乱雑に閉め、タダヒトの体を抱き、移動し始めた。
隆の様子が心配だったタダヒトであるが、抱えられてしまっては最早抵抗もできず、ただ、賢にされるがままに部屋まで運ばれてしまうのだった。
タダヒトは、ベッドに放り投げられると、間髪入れずに両手を拘束されてしまう。簡易的な手錠ではあるが、それは人間の力では壊せる物ではなかった。
「ああ、まったく。体、べたべたではありませんか……拭いてあげますね」
「っ……」
隆と何時間も体を交えていたのだ。体は汗で汚れ、下腹部はローションや体液でべっとりと汚れていた。
それを、賢はある程度優しく、けれども機械的にタオルで拭っていった。逆らう気力がなくなっていたタダヒトは、されるがままに体を晒していることしかできないでいる。
「まったく。いや、ええ、いいんですけれどね。ふふ、さあタダヒト君、今日が、最後ですね」
「……」
「ああ、こうしてタダヒト君と過ごした一週間は、とても有意義でした。ええ、本当に。やっぱり、私は普通なのだなと、そう確信できたのですから」
「ふ、つう?」
「ええ、普通です。私は普通で、周りの人々が狂っているんだと、そう理解できました。だってそうでしょう? こんな実験に、片や絆されて棒に振り、片や性処理のことしか考えていないなど、愚かとしか言いようがない。狂っています」
手を拘束されて横たわるタダヒトの横へ、賢はゆっくりと腰を下ろした、その表情は、タダヒトからでは少ししか確認できなかったが、先ほどまでの怒りはすっかり消えているような、そんな穏やかなものであった。
「なんでもできるなら、いつもできないことをするのが普通でしょう? なんでもできるなら、いつも許されないことをするのが定石でしょう? なんでもできるなら、なにをしても許されてしかるべきでしょう? それを、くだらないあの人たちは理解していない! 実に狂っている!」
「ひ、あ……」
そんな、穏やかな表情であるにもかかわらず、彼の口にする言葉は、あまりにも狂っていた。そう、タダヒトは感じて、口から悲鳴がこぼれてしまうのを止められなかった。
なにより、ただ恐ろしかったのだ。彼が自分に暴力を振るっていることについても、普通であると思っていることが、恐ろしかった。
実験であっても、人体に暴力を振るうのに躊躇いがない一般人が、果たしているのだろうか。その人物は、果たして普通なのだろうか。恐怖で縮こまる脳内は、そんな疑問がぐるぐると渦巻いていた。
「ああ、ただ残念です。きっとかの先生は、私の行動を観察して、つまらないと思うのだろうと考えると、至極残念です。やっぱり私みたいな普通の人物には、この程度の行動をするので精一杯なんだろうと……」
彼が、苦痛を孕んだ声でそう言うと、途端に顔を覆って静かになってしまった。その沈黙に、タダヒトはなにかを口にする勇気は、なかった。
そのまま、何分、何十分と、賢は動かなかった。淡々と時間が過ぎていく。それはタダヒトにとっては大いにありがたいことであった。
できればこのまま済めばいい。そんなことを考え始めた、そのとき。
「うん……なら、せめて狂人らしいことを、してみましょうか」
彼は、意を決してしまったようであった。賢は、少しだけ動くと、手の届く範囲に置いてあった赤い首輪を取って、それを慣れた手つきでタダヒトの首に巻き付けた。
そうして、その姿を満足げに見下ろすと、おもむろにタダヒトの顔を、大きな手のひらで容赦なく叩いた。
「い、っ」
「嬉しそうな顔を、して下さいよ」
「ひ、や、いや、っ」
叩く力は非常に強く、頬がじんじんと熱を帯びていき、鋭く痛んだ。赤くなっていくその頬を、しかし賢は遠慮なく何度も叩いた。タダヒトが懇願する言葉を遮るように、何度も、何度も。
「昨日、鞭を使ったのは失敗でした。あれで裂傷が起こると、肌の赤なのか、傷なのか、わからないですからね……」
その手は、頬以外にも、胸や腹を叩いていく。それも、酷く強い力であり、タダヒトは呼吸が苦しくなるくらいの衝撃をうけ、灰に残る息を吐き出してしまう。
けれど、どうやら賢は肌を赤色に染めることに執心しているのか、手のひらでの殴打にこだわっていた。拳を使われていれば、体表どころか、骨や内臓に多大なダメージを与えられていただろう。
それでも、昨日の傷が残る体はタダヒトに止めどない痛みを与え、苛ませてくる。タダヒトは涙をこぼしながら、痛みに声を漏らしてしまう。
「ああ、ああいいですね……こんな私でも、誰かを好きにできる、好きに染められる……興奮、してきちゃいました。ね、タダヒト君。君は、あの虎獣人とセックスをしていたのですよね?」
「は、っ、うぅ」
「じゃあ、私ともしてくれますよね?」
そういうと、彼はズボンとパンツを、尻尾を引き抜くのに少しだけもたつきながら脱ぎ捨てて、それを見せてきた。
それは、興奮にいきり立った、賢の陰茎だった。隆や、剛の物と比べても一回り大きなそれを、賢は容赦なく、タダヒトの解れている秘部へと押し当てて。
「い、や、っ、あぁぁぁぁ!」
めり、ぎち、という音がタダヒトの中で響くのも気にせず、ねじいれてきたのだった。
「ふ、っふふ、ああ、タダヒト君、また、出しますよ、っ」
「や、やだぁ、も、くるし、っいっ」
「こぉら、出して下さい、でしょう?」
「い、や、やだ、たたかないで、ひんっ」
「じゃあ、ほら、おねだりして、下さいよ」
「ひ、っ、あ、っ……だ、だして、ください。な、なか、にっ」
「ふふ、よくできました。じゃあ、お望み通りに、っ、んぐっ」
「あ、あ、っ、うあぁぁ」
これで、何度目だろうか。タダヒトは、苦しくなっていく腹の感覚に、悲鳴に近い声を上げてしまった。その様子を見ている賢は、大層悦に入った表情で、タダヒトの中に白濁を吐き出していく。
無理矢理にねじ込まれてから、タダヒトは乱暴に犯されていた。乱暴、というのは、腰を振る動きや速度もそうだが、たんに、最中に暴力を振るわれるということを指す。タダヒトの体は、昨日よりもずっと酷く、赤くなっていた。酷く叩かれたところは、すでに青あざのようにもなっていた。
そのうえ、賢はタダヒトに色々と命令をしていた。その主立った内容は、タダヒトに色々な言葉を口にさせるというものであった。強請らせる、喜んでいるふうな言葉を言わせる、賢のことを褒める、等を言わせていた。
自身が思っていることとは真逆のような内容を無理矢理言わされて、タダヒトは精神的にボロボロになっていた。そうでなくても肉体的には既に限界なのだ。タダヒトは、もう自分からなにかをすることが、あらゆる意味でできなくなっていた。
抗うことも、逆らうことも、願うことも、思うことも。
「ふ、っふふ、お腹、膨れてきちゃいましたね。華奢な体だから、よく目立って、いいですね」
「は、はー、っ、あ、っ」
そうして、犯し続けられてどれくらいたっただろうか。その間、賢は何度も、何度も射精を繰り返し、タダヒトの体を己の欲望で満たしていった。彼は、いわゆる絶倫の類いであったようで、何度絶頂を繰り返しても、少しも萎える様子がなかったのだ。
もしくは、今まで溜め込んでいた欲が、止めどなく巡っているのか。それとも、この特殊な状況が、あまりにも大きな興奮を与えているのか。
「ねえ、タダヒト君。そろそろ、言ってくれませんかね」
「あ……」
「私のこと、好きだって、言ってくれませんかね」
「っ!」
そう言われ、うつろな目でだらしなく涙を流していたタダヒトの意識は、現実に戻されてしまう。恐ろしい物を見るような目で、賢を見上げた。
「そんな目をしないで、さあ」
「……」
言わなければどうなるか。そんなことくらい、タダヒトにはわかっていた。体中に刻まれる痛みが、訴えていた。ただ、言えば良いだけなのだ、と、自分をなだめる声が頭にこだまして、タダヒトは意を決して、口を開いた。
「ぼくが、っ、すきなのは……」
「はい」
「あなたじゃ、ないっ!」
「な、に?」
それでも、これだけは偽れなかった。例え体が、心も、限界まで痛めつけられたとしても、それだけは手放せなかった。
この実験で、初めて手にした感情を、偽りたくなかったのだ。
だから、タダヒトは抗った。力を振り絞って、希望を握りしめた。
「……っふ、ふふ。そう、か。君も、愚かな連中と、一緒というわけですか」
賢は、ずるりと一物を引き抜き、タダヒトにのし掛かった。そのさい、下腹部を圧迫され、また栓としていた一物がなくなったこともあり、ベッドへ体内に溜め込んだ白濁を漏らしてしまう。
けれど、それを気にしている余裕はなかった。
「なら、もう、いいです」
「んっ! ぐ、うっ!」
賢は、タダヒトの細い首に己の手を添えると、ぐ、と力をくわえ始めた。それは、あまりにも無遠慮な力加減であり、タダヒトは瞬間、呼吸ができなくなるような息苦しさを覚えた。
「もう、もういいです。もう終わるなら、私が終わりにします。ふふ、あははは! なんだか、ドラマチックですよね! 実験の最後に、被検体が殺される、なんていうのは!」
「が、はっ、っ、っ」
息が、できない。どころか、血流さえも止められているようで、頭が朦朧としてくるのを、タダヒトはどこか醒めた部分で感じていた。
殺される。殺されてしまう。
それも、しかたがないか、と思ってしまう。実験なのに、それに逆らった。なんでもしていいはずの自分が、それを拒んだのだ。だから、こうなってしまっても、しかたがない、と。
そう考えていた、冷静な部分にも白靄ががかかり始め、タダヒトは、死を直感した。
せめて、最後に彼の顔をみたかったな、と、そう思った意識も、薄れていく。
『約束、忘れないでくれよな』
けれど、彼の声だけは大きく頭に響いた。約束を、思い出した。それを、絶対に果たしたいと思った、その心を、奮い立たせてくれた。
「っ! っあぁぁ!」
「な、っぐ! い、った……」
タダヒトは、意識が飛びそうになるその瞬間に、思い切り体を跳ね上がらせて賢を後ろに突き飛ばすと、そのまま足に全力の力をくわえ、蹴った。それはいわゆる、火事場に発揮される力であり、その威力は体の大きな賢を退けるには充分であった。
賢は、もろに蹴りをくらい、壁にまで吹き飛んでしまった。背を壁に打ち付けると、しばらく苦しそうに呻いていた。
「い、いまのうちに……う、っ」
そのうちに逃げようと思ったタダヒトであったが、常時では考えられない力を発揮したこともあり、痛む体は軋み、いうことをきかなかった。そうして、ベッドの上でもがいていると、賢が苦しそうな咳をしながらも、どうにか立ち上がってこちらに視線を向けていた。
「げ、ほっ……やって、はーっ、くれましたね」
「あ、あ……」
「もう、もういいです。タダヒト君、君は、死んで下さい。普通な私にこんな暴力をふるうなんて、まして実験体のくせに、私に逆らおうとするなんて……許せないですね!」
死ね!
賢が、形相を怒りに歪めながらベッドに飛びかかろうとするのを、タダヒトは動かぬ体を抱えながら、見ていることしかできなかった。
今度こそ、万事休すか。そう思い、目を閉じたタダヒトは、襲い来る痛みに備え、体を強ばらせた。
――バン!
突然、部屋の扉が乱暴に開かれた。その、大きな音に虚を突かれ、タダヒトも、賢も、扉の方へと視線を向けた。
そこにいたのは。
「おぉっと。ストップだ、ケン君。止まりなさい。もう、日を跨いでいる……七日目だ」
件の依頼主、小説家の先生が立っていた。
それと、もう一人。
「タダヒト! 無事か!」
赤に煌めく鬣をした獅子獣人が一人。
剛が、部屋に駆け込んできたのだった。
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