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一日目
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まあ、ね。あのどうしようもなく愚かな友人は、金銭に関してあまりにもだらしなかったからさ。億万が一にでも彼に貸したお金が返ってくるとは、少しも考えていなかったわけなんだけれども。
それに、大多数の人々から客観的に見て、成功した作家であると忌憚なく賞賛される私なのだ。幸い金に困ることはないものだから、気にもしていなかったのだけれども。
けれどもさ、まさか彼が死んでしまうとは、考えていなかったのだよ。私よりも早くに、死んでしまうだなんてことは、少しも。あの愚かな友人は、もう少し生き汚いと思っていたのに。
それに、だ。いや、それ以上に、かな。
まさか彼が、自分の唯一の家族として残った一人息子を、借金のかたとして私のもとへ送ってくるとは、微塵も思っていなかったのさ。
いったい、彼はどれだけ酷い親だったのやら。私のもとにやって来たみすぼらしい若者は、おずおずと手紙を渡したきり、なにも話そうとはしなかった。心中を察すれば、話したくもないのだろうというのはまあ、想像はつくのだけれども。
だから、ね。私はその若者を、追い返してもよかったんだよ。彼がいたところで、私が得をすることなんて、全然、まったく、これっぽっちもないのだから。まあ、もし身寄りがなくても、それでも借金のかたとしての生活をするよりは、幾分かましだろうと思ったわけだよ。
けれども。
けれどもね。
けれども彼は、運が悪かったのさ。
私はその時、悪魔的とも思える提案を、思いついてしまったのだ。
考えてしまったのだ。
だから、私はその若者を、家に招き入れた。懐に置いておくことにした。
帰す気をすっかり、なくしてしまった。
そうして、手紙に書いてある通りの事実を、その若者に口頭で確認を取った。
君は、私にその身を、その心を、その命を、預けてくれるんだね?
と。
若者は、無言のまま、頷いた。
ああまったく、どうしようもない愚かな友人よ。君は、自分の子供をどうしたかったのだ。どこまでも薄情なやつだよ。
けれど。
まあ。
私よりは、ましな人間だったのだろうな、とは思うけれどもね。
友人の息子を、私は、作品のためになるであろう見聞を深めるために、利用しようと考えているのだから。
さあ、色々と準備をしなければ。
人気の少ない場所と別荘、カメラをいくつもと、それと……そうだな、三人ほど協力者を。
そして、目の前の若者。
すでに、好奇心に胸を躍らせている私は、やっぱり、人でなしなんだろうな。
もしあの世で友人に会ったら、笑い話にしてしまおう。
はは、それがいい。
あの友人がどんな顔をするか、今から楽しみでしかたがない。
心の底から、そう思った。
『なにをしてもいいのであれば』
冬の寒さが和らいできた春の頭、三月の中旬。とある別荘に、三名の獣人が集められていた。
一人は、優しそうな表情の、大型犬種の血をひく犬獣人。年の程は四十を過ぎといったところである。
一人は、目つきが鋭く、燃えるように赤い鬣をもつ獅子獣人。年の程は二十を迎えてすぐといったところである。
一人は、気怠げで、どこか下卑た雰囲気を隠せない虎獣人。年の程は三十の半ばといったところである。
三人は、その別荘……二階建ての一般家屋であるので、果たして別荘か怪しいそこ……の、リビングにある四人用のテーブルを囲むように座っていた。が、なにか会話をするわけでもなく、また、互いへ視線を向けることもなく、ただ誰かを待っているように静かに座っていた。
というのもこの三人、互いに知り合いというわけではない。むしろ、他人とはっきり言い表せてしまう程に、見知らぬ間柄なのである。
では何故、そんな他人同士の三人が一つ屋根の下に集まっているのか。いったい、なにを目的として集められたのか。
それを語るには、とある求人……もとい、ある作家の依頼メッセージを、それぞれが受け取ったところまで遡ることになる。
『急募。男性、獣人、同性愛者、人間好き。三名』
『日給十万』
『一週間の住み込み、生活費保証』
『文芸作品のための、心理的実験への参加依頼』
『身体的な危険は、なし』
『詳しい要項を知りたい方のみ、返信されたし』
「なんでしょうこれ……普通の迷惑メッセージじゃないな」
そんな怪しいメッセージがソーシャルネットサービスのアカウントに届き、それに興味を示したのが彼、サモエド種の犬獣人である『佐島 賢(さしま けん)』であった。
「文芸作品のための実験、ですか。なんでしょうそれは、なんだか気になりますね」
賢は、無類の本好きであった。いや、本というよりは、人間心理をといた物語が好きだった。
自分では理解のできない心理を、本を通して知ることが、最近の趣味であった。
彼の部屋にある大きな本棚には、そんな内容の書物がずらりと並べられているのだ。
「奇しくも、会社の希望退職に応えてすぐですし。次の就職先を探す前の一稼ぎにもなるでしょうかね。失業保険はまあ、申し込みを後回しにすれば……なにより、一体どんな作家さんが募集をしているのか、気になりますしね」
年のわりに強い好奇心に、本性におされる形で、賢はその求人に応募をしたのだった。
『詳しい要項』
『ある別荘地で、六日間暮らして頂く。六泊七日だ』
『そのさい、一人の、人間の青年も含めて、共に過ごして頂く』
『彼には、命の危険を伴わない程度なら、なにをしてもいい』
『話しをする。共に過ごす。触れ合う。遊ぶ』
『殴る。蹴る。罵る。甚振る』
『弄ぶ。貶める。辱める。愛する』
『文字通り、なにをしてもらってもかまわない』
『つまり、六日間、なにをしてもいい人間の青年と共に、四人で過ごして欲しい』
『七日目、最後の一日に実験のディスカッションを行い、終了。期間は合わせて、一週間』
「それだけで日給十万……まじか!」
困窮する大学生である、赤く燃ゆる鬣の獅子獣人『宇城 剛(うじょう ごう)』は、送ったメッセージに返ってきたそれを見て、目をギラつかせた。
初めは、こういうネットにありがちなスパムメッセージだと思っていたのだが、あまりにも金銭的に困っていた剛は、藁にも縋る思いでメッセージを返したのだった。
「別に、なにをしてもいいってんなら、なにもしない、ってのをしてもいいんだろうな。じゃあ、楽勝な仕事じゃねぇか……まあ、もしその人間が可愛いやつだったら、ちょっと手ぇだしてみても、いいが」
若さ故に、色々と欲に素直な彼は、すっかりその求人に応募することを決めてしまっていた。
『各部屋にはカメラが仕掛けられている』
『一週間の記録をするためであり、流出の可能性はゼロである』
『それぞれ、カメラを気にせず生活をして欲しい』
『無論、人間の青年になにをすることも、ためらわないで欲しい』
『したいと思ったことを、したいようにして欲しい』
『この実験内容を把握した上で、募集を希望する者は、年齢、獣人種、身長体重、現在の職、連絡用のアドレスを記載の上、返信されたし』
「ほぉ、怪しい。怪しいねぇ……が、しかし、ぐ、ふふ、目も眩む好待遇だねぇ」
だらしない格好で下品に笑う、気怠そうな虎獣人『中長 隆(なかなが たか)』は心底楽しそうな表情を浮かべていた。散らばった部屋の中で、何も身に着けずにごろりと寝転がりながら、その手は既に、かの求人への応募を済ませていたのだった。
「なんでも、なんでもね。いい響きじゃあねぇか。っくく、ひひひ、本当にそうなら、愉快な仕事じゃねぇの。何日か様子を見てから、その青年とやらをたらし込めちゃったりなんかして……ぐっふふ」
まるで欲望を隠そうともしない彼は、にたりと笑いながら、自身の一物を握っていた。硬直し、屹立したそれが、彼の興奮度合いを表しているようであった。
と、
かくして、その三名に、採用の通知が届いたのだった。その後数回のやりとりを経て、とある駅が集合地として告げられた。
そこで、三人はそれぞれ、初めて顔を合わせたのであった。
「やあ、待たせてしまい申し訳ない。客人に茶を振る舞うなど、滅多にすることじゃないのでな。手間取ってしまった」
その三人がいるリビングに、一人の男性が、紅茶の入ったカップとケーキを置いた皿を乗せたトレーを両手で持って、現れた。初老の、人間の男性である。言わずもがな、この求人を出した張本人、作家の男性その人である。
彼は、駅に集まる三人を、車で迎えに来た。軽く挨拶をすると、三人を車に乗せて、この別荘まで運んできたのだった。
そのさい、彼は名前は明かさないと公言した。あえて名乗る必要はない、と。
「あ、お構いなく。その、先生は雇い主なのですから」
「そぉですな、作家の先生。わっしとしては、茶よりも話しがしたいんですわ、っくく」
「……俺が運ぶ。先生は座っていてくれ」
なので、三人はそれぞれ、依頼主の彼を先生と呼ぶことにしたのだった。
賢が申し訳なさそうに先生を気遣うような言葉を述べ、隆は相変わらずニタニタと笑い、剛は言葉よりも先に立ち上がって先生の持つトレーを引き受けていた。
それだけで、この三人の性格が透けて見えるようであった。
「おお、すまないな……ええと、獅子の、ゴウ君」
「っす……はい、お茶」
「ああ、ありがとう」
「あ、すみません」
「っひひ、どぉも」
剛が、片手でトレーを持ちながら、各人の目の前に紅茶の入ったカップと、ケーキが乗った皿を置いていく。それを横目に、先生は口を開く。
「貴方が犬のケン君。そちらが虎のタカ君だね。名前呼びで失礼。互いにフルネームまでは知られたくないだろうし、明かさないための配慮だと思ってくれ。一応、ケーキを用意したが、甘いものが苦手なら申し出てくれ」
「大丈夫、っす」
「私は、好物ですので」
「ありがたぁくいただきやすよ、くっくっ」
「それならよかった。では、お茶を飲みながらでよいので、話しを聞いてくれ。今回の実験について今一度説明をしたいと思う」
隆は、茶を受け取るとすぐに口をつけ、ケーキも乱雑な手つきで貪り始めた。それでも、目はしっかりと先生を見やっていた。
剛は、トレーをキッチンに持っていってから、静かに席に戻った。特段、お茶やケーキに手をつける様子はない。
賢は、片手にフォークを持ちながら、けれどケーキには手をつけず、しっかりと体を先生に向け、真摯に話しを聞く姿勢をしていた。
「まず報酬についてから明言しようか。大事なことだしな。日給は十万。今日を含めて七日間で、計七十万だ。あまり好ましくないのだが、途中での辞退の際もそれまでの給料を支払おう。個人的な贈与であるので、この額であれば税金はかからない。まあ、グレーゾーンだがね。友人に対する頼み、とでも捉えてもらおうかな。どちらにしろ、口外は厳禁、ということだ」
「っす」
「ちなみに、私が誰かを探るのも、極力止めてほしい。まあ、いずれこの体験を元に作品を出した場合はわかってしまうのだろうが……それまでは、私のことはしがない作家某、として接してくれたまえ」
「はい、わかりました。先生のプライベートには関与致しません」
「あとは実験の内容だが……まあ、事前に説明した通りだ。とある人間の青年と暮らしてもらう。その青年には、生命の危機に関すること以外は、なにをしてもいい。言葉通りの意味で、文字通りの意味だ。事前に躊躇うなと記載していたが、初めのうちは慣れないだろうから、躊躇だってしてもいい。悩みながら、彼に接してくれたまえ。君達のリアルな反応を期待している」
「そう! それでさぁ、先生。わっしが一番気になっているのはですね、その人間君とやらが、どんなやつなのかなんでさぁ……顔を、見させてはもらえねぇんですかね、へっへ」
相づちを挟みながら話しを聞いていた三人だったが、隆だけは先生の話に割り込んで、一つの提案を声高に主張した。
その声に、残る二人も、少しだけ相づちをしながら、先生を見た。気になっているのは隆だけではない、ということだ。
「おっと、確かにな。顔合わせをして、君達の所感を直接耳にするというのも、データとして有用そうだ。それに、配慮も足りなかったな……これから一週間を共にするのだから、いの一番に顔を見せるべきであった。あいすまない、すぐに連れてくるので、少し待っていてくれたまえ」
先生はそう言うと、リビングから出て行った。三人はその後ろ姿を見送ると、各々紅茶に口をつけるなり、ケーキにフォークをいれたりと、しようとしていた。
「なあ、お前さんらよぉ」
そんな、さっきまでの静けさを取り戻そうとした場を、隆が、言葉で止めた。賢は、手を止めて隆を見やり、剛はケーキを食べることを止めず、視線も向けなかった。
「どうしてこんな怪しいところに来たんだ? ひひ、まあわっしの言えたことじゃぁねぇがな」
「ああ、えっと。私はその、興味があって。この、心理実験というか……作家の先生が、いったいどんなことを知りたくて、このような場を設けたのかが気になりまして」
「へぇ、あんたぁ中々、面白いやつだな。興味、ねぇ。で、お前さんは?」
賢は、先生に対する態度とほとんどかわらず、隆向かい合って、そう話した。対して剛は、呼ばれるまでは彼に視線を向けることはなかった。
「……金払いが良くて、詐欺でもなさそうだったから」
呼ばれて、渋々顔を向けた剛は、隆を心底軽蔑する様な眼差しで睨み付けた。どうも、隆のだらしない態度が、いい加減なその姿勢が、気に食わないらしい。
「へぇへぇ、わかりやすくていいねぇ。ま、わっしも金が貰えるのは最高に嬉しいがなぁ」
「貴方は……ええと、タカ、さんは。その、どうしてこちらに?」
「あぁん? わっしはのぉ、人間の男を好きにできるっちゅうから、たまらず応募したんよ。殺す以外は何をしてもいいってんだから……好きに扱ってええんじゃろ?」
「え、ええ、まあ、そうでしょう、けれど」
「そもそも、ゲイの人好きを集めている時点で、黙認しちょるよな。つまり、わっしがそいつを、どれだけ犯してもえいっちゅうわけだ。なぁ?」
「……どうしようもなく下品なおっさんだな、あんた」
「ひひ、っくひひ、言うじゃあねえか、兄ちゃんよぉ。ま、いいさ。どうしようもないっちゅうのも、下品っつうのも、さんざん言われ慣れてとるけぇなぁ。わっしが一番、わかっちょるよぉ。っひひ」
剛が、我慢できずに口にした悪態を、隆は驚くほどあっさりと受け流した。そうも気にかけない態度をとられては、さしもの剛も、それ以上なにかを言う気にはなれなかったようで、口を噤んだ。
「やあ、待たせてすまない。連れてきたよ」
そんなやりとりをしている間に、先生が戻ってきた。彼の横には、灰色の作業用ツナギを着た、細くて脆そうな印象の、人間の青年が立っていた。
「これが、件の青年だ。名前はタダヒト。文字通りの、ただの人だ。歳は二十歳そこそこだ。さ、挨拶をしなさい」
そう言われ、彼は怖ず怖ずと三人の前までやってきた。三人とも、そんな彼を、じっくりと観察していた。
短く刈り上げた髪は、清潔感を思わせる。眉は太く、丸目のせいかどこか幼さを感じるものの、成熟した男らしさもあるように見えた。鼻は小さくまとまり、口は少し大きく、けれど唇は少しだけ薄かった。獣人と違い横に生える耳は、たぶの大きな、柔らかそうな肉付きをしていた。頬はしゅっとしており、少し痩せている印象を見るものに与えた。
身長は百七十に届くかどうかといったところだ。体の肉付きについては、彼の着ているツナギのせいでわかりにくいのだが、線の細さだけは容易に想像ができる雰囲気があった。
「あ、の。タダヒトといいます。その、えっと、これから約一週間、皆様と共に過ごさせて、い、いただきます。暮らすうえでの家事、雑務は僕が致しますので、洗濯物や食事に関するご意見は、僕にお願いします」
「そういことだ。これは、皆さんのハウスキーパーとしての役割もしてもらう。まあ、もちろんその役割の最中でも、なにをしてもいいわけなので、滞った場合は各員で家事をしてもらうかもしれないが」
「っ」
「さて、どうかね諸君。これを見ての感想を是非とも聞きたいところなのだが」
先生がそういうと、隆が立ち上がった。立ち上がり、のそのそとタダヒトの目の前まで来ると、自分より背の低い彼の頭に手を置きながら、ニヤニヤと笑って返事をした。
「ええのぉ。あぁ、こいつはえぇ。しっかりと男だが、弱々しくて可愛らしい。いい人間だなぁ。顔つきも中々だ……わっしは、こいつが気にいった、っひひ」
「それはよかった。ではタカ君は、この実験を好意的に進めてくれるだろう、と捉えさせてもらおうか。二人はどうかな?」
「俺は、別になにをするつもりもない……と、思っていたんすけど。けど、まあ、家事くらいなら手伝ってやろうかな、とは思いましたね。そこのおっさんが邪魔しそうなので」
「ふふ、ゴウ君は面白い意見だね。そうか、これを手伝いたいと……年が近いゆえの共感かな。まあ、その所感が、この一週間でどう変化するかが見物かな。さて、ケン君は?」
「私、は……その、叶うなら、まずは握手から。恐縮ながら、その、好み、ではあるといいますか。年甲斐もなく、少し、彼と話しをしてみたいと思ってしまって」
「なるほど。いや、それでいいのだよケン君。条件に同性愛者の人間趣味と銘打っているので、その反応も望むべきものだ。存分に触れ合い、コミュニケーションに励んでくれたまえ」
先生は三人の言葉を聞いて、とても楽しそうに頷いていた。
「さて、最後にいくつか重要な注意点を話して、私は退散しよう。一つ、これにはなにをしてもいいが……君達三人は、互いに邪魔をしあったり、争ったり、共謀うしたり……つまり、あまり関わりを持たないで欲しい。君達に与えられた権利は、一週間の生活と報酬、それと、これを好きにしていいということだけだ。もし、これになにかしたいときに、互いのタイミングが被った場合は、できるかぎり時間で交代とすること。とりあえずは一時間ごと、とでも先に取り決めておこうか。もし、時間に不満があった場合や、他にはなにかあれば、三人で穏便に話し合って決定をすること。そこは、三人で納得できる案であれば自由にしてくれてよい。了承して貰えるかね?」
その言葉に、三人が頷くのを見て、先生は大層満足気に、頷き返したのだった。
こうして、三人の獣人と一人の人間が一つ屋根の下で行う、奇妙な心理実験が始まりを告げるのだった。
『一日目』
いいかい、君には一週間、三人の獣人と暮らしてもらう。
それが終われば、君は自由の身だ。私からいくらかの資金援助をしてあげるから、好きに生活をするといい。
だが、気をつけたまえ。
もちろん、ただ三人と暮らせばいい、というわけではない。
三人には、君に、なにをしてもいいと伝えている。
君はもちろん、彼らのすることにできるだけ抵抗をしてはいけない。
できるだけというのは、本能的な抵抗はしかたなく認める、という意味だ。
つまり、最悪の場合彼らは、君に暴力をふるうかもしれないのだ。
もしかしたら、君を『殺して』しまうかもしれない。
だから精々、君は彼らに、気に入られるように振る舞うといい。
そういう態度を取ればある程度は受け入れられるだろう。なにせ、特別に人間の男性が好きな、男の獣人を集めたからね。
今から、その日までに、その体を少しはならしておくことを勧めるよ。
これからを生きていきたいのなら、ね。
タダヒトは、別荘邸の内部を確認していた。
まるで住宅街にあるような、二階建ての一般家屋である。実際、観光地からいくらか離れた、住宅街の外れにこの別荘は建っていた。
屋根は雪の影響を考え、斜めの作りになっていた。壁の色は柔らかなクリーム色である。
一階には、玄関を開けてすぐに、階段のある廊下。左右に扉があり、左がリビングとキッチンの、右が資材倉庫として活用されている部屋の扉だ。奥にトイレと、洗面所にバスルーム、洗濯機と乾燥機があった。
リビングは二つのエリアに分けられており、一つは大きなテレビを見るためにソファが設置されている、カーペット敷きのエリア。もう一つがダイニングキッチンに併設されており、大きな四角いテーブルと、椅子が四つ置かれている、食事スペースのあるエリア。これらが、壁の隔たりなく繋がって、一部屋のリビングとなっていた。
資材倉庫には、色々なものが、整理されながらも所狭しと置いてあった。食品や調理器具、生活雑貨はもちろんのこと、他にも色々。けれど、その色々を、タダヒトは確認しなかった。一つだけ見えたそれを確認し、見るのをやめたくなったのだ。
どうやら、色々と、三人が使うために用意されているであろう道具が、置いてあるみたいなのだ。なにに使うかと言えば、タダヒトに、である。なので、恐怖を覚えた彼は、その全てまでを確認できなかったのだ。
二階には、部屋が三つと、トイレが一つ。獣人三人の部屋だけが、用意されていた。
そう、タダヒトに部屋は用意されていなかった。最悪、一階のソファで寝ることができる。できるのだが、タダヒトはそれができるとは考えていなかった。
きっと、誰かの部屋で寝ることになるのだろうと、そう予想していた。
「……はぁ」
色々なことが頭を巡る中、タダヒトはとりあえず、夕飯の支度をしようと動いていた。冷蔵庫やパントリーに用意された食品群の中から、なにを作ろうか考えながら、キッチンにをぱたぱたと動き回っている。
と、
「よっす」
「あ。え、ええと、ゴウ、様でしたよね。どうか、なされましたか?」
そんな彼に、声をかけるものが一人。ダイニングからひょっこりと現れた赤毛の獅子、剛であった。強面で、あまり上手くコミュニケーションが取れなさそうだとタダヒトは判断していたのだが、そんな彼が、ラフなスウェット姿で、気さくに声を掛けて来たのだ。
途端、タダヒトの足が急に震え始める。四肢の末端から、熱が消えていく。慌てて取り繕うが、果たして気付かれていないだろうかと、焦ってしまい声が少し揺れた。
「様はやめてくれ。たぶん、あんたとは年が近いと思うから。俺さ、大学生なんだ。だから、普通に呼び捨てでいいよ」
「し、しかし……」
「ほら、あんたは俺達がなにをしようとしても、反抗できないんだろ? だったら、素直に名前を呼んでくれ。あと、敬語もなしだ」
「あ……わ、わかった。えっと、ゴウ、君?」
「ん、まあそれでもいいか」
燃えるような赤い鬣を持つ彼は、驚くほどに好意的な態度で接してきた。もっと、高圧的な態度でくるものだと考えていたので、少しだけ緊張を解くことができたタダヒトではあったが、けれどもまだ、油断ができるほどではない。
なにをされても、抵抗をすることはできない。許されない。
それが怖くて、どうしても及び腰になってしまうのだ。
「部屋に規則事項の紙があってさ、あんたは逆らわないことになっている、って注意書きがあったから。わりぃな」
「い、いや、悪くなんてないよ。それが、主人から課された命令だから」
「命令、ね。まあいいや。で、夕飯作るのか?」
「う、うん。けれど、貴方達三人の好みを聞いていなかったと思って……けれど、その、僕から話しかけたら、失礼に当たるのかなって、思った、から」
「まあそうか、あんたの立場だとどうしても気負うわな。とりあえず今日は当たり障りのないもんを作って、夕飯のときにそれとなく話題にすれば聞けるんじゃね?」
「な、なるほど」
剛は、気さくに話しかけてきたうえに、なぜだか相談事まで聞いてくれて、さらにアドバイスまでしてくれたのだ。タダヒトは驚きながらも、そのアドバイスを素直に受け入れることにした。
けれども、いったいなにが目的なのだろうと、考えながらも答えに辿り着けないタダヒトを横目に、剛はがさごそと、キッチンを漁っていくつかの材料を集め始めていた。
「だからさ、今日はカレーにでもしちゃおうぜ……おわ、すっげぇ。ブロック肉じゃん……俺、カレー食いてぇし。俺も手伝うよ」
「え、えぇ? そんな、僕の仕事だから、わざわざゴウ君が手伝わなくても」
「部屋でやることもねぇし、暇なんだよ。ま、命令として聞いてくれや」
そう言われてしまえば、タダヒトに断る権利はない。なので、せめてもと、タダヒトは率先して道具を揃えるために動き始めた。
野菜を揃え、ルーやチャツネなどの味付け品を探した。
鍋や皿、まな板に包丁、食器にレードル、等々の道具類を倉庫部屋からキッチンに運ぶ。
「ああ、紙に書いてあった資材倉庫って、そこの部屋なのか。な、エンボス系のゴム手袋はあるか?」
「え、っと……あったあった。大きいサイズでいいかな?」
「ん、ありがとさん。水に濡れると毛が抜けやすいの気になるから、料理を作るときは、はめるようにしてんだ」
「そう、なんだ」
そうまでして手伝いをしようとする彼が、なにを考えているのかさっぱり見当もつかない。けれども、だからといって直接聞くわけにはいかず、二人でキッチンに並び、調理を始めることになった。
野菜を洗ってから皮を剥き、適当な形に切りそろえていく。
「あー、あのさ。あんたはまあ、俺たちのことが怖いだろうけれど……なんつぅか、俺はできれば、あんたとは仲良くやりたいと思ってんだ」
「は、はぁ」
「ま、さっきから命令をしまくっている俺が言っても信用ないだろうけどさ。だから、なんだ、あんたは俺にならなにを話してもいいぜ。嫌だったら、それを素直に言ってくれていい。他の二人はどうだかしらねぇけど、俺にはそんな感じで接してくれていい……じゃなくて、そう接してくれ、って言えばいいのか?」
「う、ん。わかった。その、僕としても、とても嬉しい申し出だから。だかれ、素直に受け入れさせてもらうね。はぁ……少し気が楽になったかも」
「だろうな、あんたずーっと緊張で表情ガチガチだったぜ?ま、わかるよ。なんだよ、なにをしてもいいって。無茶苦茶な実験するよな、作家の先生様はよぉ」
話しながらも、材料を切る作業は順調に進んでいく。平行してタダヒトは、タマネギから材料に火を通す作業を始めた。
「まあ、それはもういいんだ。僕は、先生になにをされても文句は言えない、そういう立場に生まれてしまったんだから」
「生まれ……なんだか奇妙な境遇なんだな」
「まあ、ね。奇妙って言うならば、ゴウ君も奇妙だよ。どうして手伝いなんかを? それに、その、君達は……僕に、なにをしてもいいんだよ? なにかを、しようとは思わなかった?」
「あー……俺さ、ほとんど報酬が目当てで応募したんだわ。本当は、一週間だらだら過ごして、テキトーに終わらせるつもりだったんだ。が、まあ、あんたと顔を合わせて、ちょっと気持ちが変わってな。なんつぅか、なにをしても報酬が貰えるなら、あんたとは仲良くしたいなと思ったわけだ。ほら、残りの二人はなんか……関わったら疲れそうだろ? だからせめて、俺には気楽でいてほしいって思ったわけ」
「な、んだか……ゴウ君は、見た目と違ってずいぶんと優しいんだね」
「言うな。自分で言ってて恥ずかしくなってきたところだ」
材料が全て、鍋に入れられた。タダヒトはそれを炒めながら、スパイスをいくつか投入し、味を作り始めた。剛は、炊飯器から釜を取ると、米を分量いっぱいまでいれ、とぎ始める。
「まあ、正直に言っちまえば、下心がないわけではねぇんだが。あんた線は細いが、中々整った顔つきをしてるし。他の二人も、満更でもなさそうな様子だったぜ? まあ、あの虎おっさんは微塵も隠す気はねぇみたいだが」
「へ、へぇ、そうなんだ。う、嬉しいけれど……僕はその、別段同性とか、獣人とかが恋愛対象、ってわけではないからなぁ」
「そうなのか。募集要項に、男性で同性愛者の、人間好きって指定があったから、どんな理由があるかと邪推してたんだが……なんだ、あんたが男を好きだからってわけじゃねぇのか」
「だね。まあ、その条件は先に聞いていたから、体の準備だけはしておいたんだけど、ね。きっと避けられないだろうし。迫られれば、痛みは少なく事を終えるようには、一応できるんだけれど」
「そう、なのか……なあ」
剛が、炊飯器のセットを終え、鍋に向かっているタダヒトを見やりながら声をかける。先ほどまでの雑談していたときよりも、少し真剣そうな声色に気付いたタダヒトは、鍋の火を止めてから、振り返った。
「そうまでして、あんたはどうしたいんだ? この実験で、あんたがモルモットになる理由が、なんかあんのか?」
鬣が、炎のように揺れ動いている錯覚を覚える。タダヒトは、彼の赤銅色をした瞳も、揺れているように見えた。
「聞きたいなら……まあ当然、教えるんだけれども。さして面白い話しでもないから、かいつまんででもいい、かな?」
「おう」
剛の返事を聞いて、タダヒトは鍋に向き直った。水を入れ、具材に火を通していた途中の鍋に火を入れ直し、使用した器具や、倉庫から持ってきたばかりの皿を洗い始めながら、なぜこんなことになってしまったのかを、話し始める。
「僕は、あの先生の、友人の息子なんだ。つまり僕の父と先生は、知人なんだ。父は、まあ有り体に言ってダメな人間でね、特に金銭に頓着がなくて、おざなりで……その上、ろくでなしだった。母が亡くなった後に、父は僕を、こう言いながら育てたんだ。お前は、俺の借金のかたにする、だからせめて健康に育て、ってね」
「なんだそりゃ。クソみてぇな親だな」
「でしょ? もちろん、借金のかたになるなんてゴメンだからさ、学生の間から稼げるだけ稼いだんだ……色々としてね。でも、いざ父が死んで、その借金がいくらかわかって、途方に暮れたよ。全然足りないんだ。だからしかたなく、僕は先生のところへと足を運んだ。逃げてもよかったのかもしれないけれど、それも怖くて、ね。で、今に至る」
「つまり、実験用のモルモットになることで、あんたはあんたの父親の借金を返す、ってことなのか」
「そういうこと。借金がなくなれば、僕は僕の貯めたお金で、それなりに暮らしていける……だから、無事にこの実験を終えたいんだ。そうすれば、僕は生まれて初めて、本当の自由になれるってわけ」
洗剤をつけて洗った食器を、今度はすすぎ始める。水で流した食器をどうしようかと、持った手を宙で迷わせていると、剛が、清潔なふきんを片手に、その皿を受け取ってくれた。
「なーるほどなぁ。あんたも大層、苦労してんだな」
「否定は、しないよ。実際大変だったからなぁ。ゴウ君は、優しいから助かるけど、残りの二人は、どうだろうね……」
「俺たちはそれぞれ、不干渉が基本ルールみたいだからなぁ……俺には、どうすることもできなさそうだ。わりぃな」
「ううん、いいさ。こうして、普通に話せる人が一人いるだけでも、凄く助かるから。ありがとうね」
「よせよ。だから俺も下心ありきだって言っただろ? 金もそうだが、あんたを抱きたい気だって、もちろんあるんだから」
「まあ……ゴウ君なら、そんなに気負わずに体を預けられる、かな。準備はしてきているし、それ以前に……そういうことなら、少しだけど仕事として、ある程度してきたこともあるからさ」
「おいおい。タダヒト、発言には気をつけな……否定権がないあんたが、俺を煽ってどうすんだよ」
最後の食器を剛に渡し終えた、その手を掴まれ、引かれる。身長差があるので、顔との距離は少し遠いが、彼の目が、獣性に煌めいたのを、タダヒトは見逃さなかった。
「ご、ごめん」
「っ……ち……あー、いや、わりぃなタダヒト。昂ぶると、抑えきれねぇタチなんだ」
「いや、こっちが悪いから」
「はぁ。ま、じゃあ手を出したくなったら、出させてもらうさ。せめて精々、覚悟しといてくれ。なにせ俺は、あんたになにをしてもいい、んだからな」
タダヒトの手を放し、体を離しながら、剛は努めて理性的に、そう言った。その目には、先ほどまでのギラつきはすっかりなく、気さくな彼がいるだけだった。
タダヒトは、今一度、発言には気をつけようと心に留めながら、剛を見やった。
「わかった。忠告、ありがとうね」
「礼を言うな、バカ。かっこがつかねぇだろうが」
剛は、そう悪態を吐きながら、少しだけ笑っていた。
それに、大多数の人々から客観的に見て、成功した作家であると忌憚なく賞賛される私なのだ。幸い金に困ることはないものだから、気にもしていなかったのだけれども。
けれどもさ、まさか彼が死んでしまうとは、考えていなかったのだよ。私よりも早くに、死んでしまうだなんてことは、少しも。あの愚かな友人は、もう少し生き汚いと思っていたのに。
それに、だ。いや、それ以上に、かな。
まさか彼が、自分の唯一の家族として残った一人息子を、借金のかたとして私のもとへ送ってくるとは、微塵も思っていなかったのさ。
いったい、彼はどれだけ酷い親だったのやら。私のもとにやって来たみすぼらしい若者は、おずおずと手紙を渡したきり、なにも話そうとはしなかった。心中を察すれば、話したくもないのだろうというのはまあ、想像はつくのだけれども。
だから、ね。私はその若者を、追い返してもよかったんだよ。彼がいたところで、私が得をすることなんて、全然、まったく、これっぽっちもないのだから。まあ、もし身寄りがなくても、それでも借金のかたとしての生活をするよりは、幾分かましだろうと思ったわけだよ。
けれども。
けれどもね。
けれども彼は、運が悪かったのさ。
私はその時、悪魔的とも思える提案を、思いついてしまったのだ。
考えてしまったのだ。
だから、私はその若者を、家に招き入れた。懐に置いておくことにした。
帰す気をすっかり、なくしてしまった。
そうして、手紙に書いてある通りの事実を、その若者に口頭で確認を取った。
君は、私にその身を、その心を、その命を、預けてくれるんだね?
と。
若者は、無言のまま、頷いた。
ああまったく、どうしようもない愚かな友人よ。君は、自分の子供をどうしたかったのだ。どこまでも薄情なやつだよ。
けれど。
まあ。
私よりは、ましな人間だったのだろうな、とは思うけれどもね。
友人の息子を、私は、作品のためになるであろう見聞を深めるために、利用しようと考えているのだから。
さあ、色々と準備をしなければ。
人気の少ない場所と別荘、カメラをいくつもと、それと……そうだな、三人ほど協力者を。
そして、目の前の若者。
すでに、好奇心に胸を躍らせている私は、やっぱり、人でなしなんだろうな。
もしあの世で友人に会ったら、笑い話にしてしまおう。
はは、それがいい。
あの友人がどんな顔をするか、今から楽しみでしかたがない。
心の底から、そう思った。
『なにをしてもいいのであれば』
冬の寒さが和らいできた春の頭、三月の中旬。とある別荘に、三名の獣人が集められていた。
一人は、優しそうな表情の、大型犬種の血をひく犬獣人。年の程は四十を過ぎといったところである。
一人は、目つきが鋭く、燃えるように赤い鬣をもつ獅子獣人。年の程は二十を迎えてすぐといったところである。
一人は、気怠げで、どこか下卑た雰囲気を隠せない虎獣人。年の程は三十の半ばといったところである。
三人は、その別荘……二階建ての一般家屋であるので、果たして別荘か怪しいそこ……の、リビングにある四人用のテーブルを囲むように座っていた。が、なにか会話をするわけでもなく、また、互いへ視線を向けることもなく、ただ誰かを待っているように静かに座っていた。
というのもこの三人、互いに知り合いというわけではない。むしろ、他人とはっきり言い表せてしまう程に、見知らぬ間柄なのである。
では何故、そんな他人同士の三人が一つ屋根の下に集まっているのか。いったい、なにを目的として集められたのか。
それを語るには、とある求人……もとい、ある作家の依頼メッセージを、それぞれが受け取ったところまで遡ることになる。
『急募。男性、獣人、同性愛者、人間好き。三名』
『日給十万』
『一週間の住み込み、生活費保証』
『文芸作品のための、心理的実験への参加依頼』
『身体的な危険は、なし』
『詳しい要項を知りたい方のみ、返信されたし』
「なんでしょうこれ……普通の迷惑メッセージじゃないな」
そんな怪しいメッセージがソーシャルネットサービスのアカウントに届き、それに興味を示したのが彼、サモエド種の犬獣人である『佐島 賢(さしま けん)』であった。
「文芸作品のための実験、ですか。なんでしょうそれは、なんだか気になりますね」
賢は、無類の本好きであった。いや、本というよりは、人間心理をといた物語が好きだった。
自分では理解のできない心理を、本を通して知ることが、最近の趣味であった。
彼の部屋にある大きな本棚には、そんな内容の書物がずらりと並べられているのだ。
「奇しくも、会社の希望退職に応えてすぐですし。次の就職先を探す前の一稼ぎにもなるでしょうかね。失業保険はまあ、申し込みを後回しにすれば……なにより、一体どんな作家さんが募集をしているのか、気になりますしね」
年のわりに強い好奇心に、本性におされる形で、賢はその求人に応募をしたのだった。
『詳しい要項』
『ある別荘地で、六日間暮らして頂く。六泊七日だ』
『そのさい、一人の、人間の青年も含めて、共に過ごして頂く』
『彼には、命の危険を伴わない程度なら、なにをしてもいい』
『話しをする。共に過ごす。触れ合う。遊ぶ』
『殴る。蹴る。罵る。甚振る』
『弄ぶ。貶める。辱める。愛する』
『文字通り、なにをしてもらってもかまわない』
『つまり、六日間、なにをしてもいい人間の青年と共に、四人で過ごして欲しい』
『七日目、最後の一日に実験のディスカッションを行い、終了。期間は合わせて、一週間』
「それだけで日給十万……まじか!」
困窮する大学生である、赤く燃ゆる鬣の獅子獣人『宇城 剛(うじょう ごう)』は、送ったメッセージに返ってきたそれを見て、目をギラつかせた。
初めは、こういうネットにありがちなスパムメッセージだと思っていたのだが、あまりにも金銭的に困っていた剛は、藁にも縋る思いでメッセージを返したのだった。
「別に、なにをしてもいいってんなら、なにもしない、ってのをしてもいいんだろうな。じゃあ、楽勝な仕事じゃねぇか……まあ、もしその人間が可愛いやつだったら、ちょっと手ぇだしてみても、いいが」
若さ故に、色々と欲に素直な彼は、すっかりその求人に応募することを決めてしまっていた。
『各部屋にはカメラが仕掛けられている』
『一週間の記録をするためであり、流出の可能性はゼロである』
『それぞれ、カメラを気にせず生活をして欲しい』
『無論、人間の青年になにをすることも、ためらわないで欲しい』
『したいと思ったことを、したいようにして欲しい』
『この実験内容を把握した上で、募集を希望する者は、年齢、獣人種、身長体重、現在の職、連絡用のアドレスを記載の上、返信されたし』
「ほぉ、怪しい。怪しいねぇ……が、しかし、ぐ、ふふ、目も眩む好待遇だねぇ」
だらしない格好で下品に笑う、気怠そうな虎獣人『中長 隆(なかなが たか)』は心底楽しそうな表情を浮かべていた。散らばった部屋の中で、何も身に着けずにごろりと寝転がりながら、その手は既に、かの求人への応募を済ませていたのだった。
「なんでも、なんでもね。いい響きじゃあねぇか。っくく、ひひひ、本当にそうなら、愉快な仕事じゃねぇの。何日か様子を見てから、その青年とやらをたらし込めちゃったりなんかして……ぐっふふ」
まるで欲望を隠そうともしない彼は、にたりと笑いながら、自身の一物を握っていた。硬直し、屹立したそれが、彼の興奮度合いを表しているようであった。
と、
かくして、その三名に、採用の通知が届いたのだった。その後数回のやりとりを経て、とある駅が集合地として告げられた。
そこで、三人はそれぞれ、初めて顔を合わせたのであった。
「やあ、待たせてしまい申し訳ない。客人に茶を振る舞うなど、滅多にすることじゃないのでな。手間取ってしまった」
その三人がいるリビングに、一人の男性が、紅茶の入ったカップとケーキを置いた皿を乗せたトレーを両手で持って、現れた。初老の、人間の男性である。言わずもがな、この求人を出した張本人、作家の男性その人である。
彼は、駅に集まる三人を、車で迎えに来た。軽く挨拶をすると、三人を車に乗せて、この別荘まで運んできたのだった。
そのさい、彼は名前は明かさないと公言した。あえて名乗る必要はない、と。
「あ、お構いなく。その、先生は雇い主なのですから」
「そぉですな、作家の先生。わっしとしては、茶よりも話しがしたいんですわ、っくく」
「……俺が運ぶ。先生は座っていてくれ」
なので、三人はそれぞれ、依頼主の彼を先生と呼ぶことにしたのだった。
賢が申し訳なさそうに先生を気遣うような言葉を述べ、隆は相変わらずニタニタと笑い、剛は言葉よりも先に立ち上がって先生の持つトレーを引き受けていた。
それだけで、この三人の性格が透けて見えるようであった。
「おお、すまないな……ええと、獅子の、ゴウ君」
「っす……はい、お茶」
「ああ、ありがとう」
「あ、すみません」
「っひひ、どぉも」
剛が、片手でトレーを持ちながら、各人の目の前に紅茶の入ったカップと、ケーキが乗った皿を置いていく。それを横目に、先生は口を開く。
「貴方が犬のケン君。そちらが虎のタカ君だね。名前呼びで失礼。互いにフルネームまでは知られたくないだろうし、明かさないための配慮だと思ってくれ。一応、ケーキを用意したが、甘いものが苦手なら申し出てくれ」
「大丈夫、っす」
「私は、好物ですので」
「ありがたぁくいただきやすよ、くっくっ」
「それならよかった。では、お茶を飲みながらでよいので、話しを聞いてくれ。今回の実験について今一度説明をしたいと思う」
隆は、茶を受け取るとすぐに口をつけ、ケーキも乱雑な手つきで貪り始めた。それでも、目はしっかりと先生を見やっていた。
剛は、トレーをキッチンに持っていってから、静かに席に戻った。特段、お茶やケーキに手をつける様子はない。
賢は、片手にフォークを持ちながら、けれどケーキには手をつけず、しっかりと体を先生に向け、真摯に話しを聞く姿勢をしていた。
「まず報酬についてから明言しようか。大事なことだしな。日給は十万。今日を含めて七日間で、計七十万だ。あまり好ましくないのだが、途中での辞退の際もそれまでの給料を支払おう。個人的な贈与であるので、この額であれば税金はかからない。まあ、グレーゾーンだがね。友人に対する頼み、とでも捉えてもらおうかな。どちらにしろ、口外は厳禁、ということだ」
「っす」
「ちなみに、私が誰かを探るのも、極力止めてほしい。まあ、いずれこの体験を元に作品を出した場合はわかってしまうのだろうが……それまでは、私のことはしがない作家某、として接してくれたまえ」
「はい、わかりました。先生のプライベートには関与致しません」
「あとは実験の内容だが……まあ、事前に説明した通りだ。とある人間の青年と暮らしてもらう。その青年には、生命の危機に関すること以外は、なにをしてもいい。言葉通りの意味で、文字通りの意味だ。事前に躊躇うなと記載していたが、初めのうちは慣れないだろうから、躊躇だってしてもいい。悩みながら、彼に接してくれたまえ。君達のリアルな反応を期待している」
「そう! それでさぁ、先生。わっしが一番気になっているのはですね、その人間君とやらが、どんなやつなのかなんでさぁ……顔を、見させてはもらえねぇんですかね、へっへ」
相づちを挟みながら話しを聞いていた三人だったが、隆だけは先生の話に割り込んで、一つの提案を声高に主張した。
その声に、残る二人も、少しだけ相づちをしながら、先生を見た。気になっているのは隆だけではない、ということだ。
「おっと、確かにな。顔合わせをして、君達の所感を直接耳にするというのも、データとして有用そうだ。それに、配慮も足りなかったな……これから一週間を共にするのだから、いの一番に顔を見せるべきであった。あいすまない、すぐに連れてくるので、少し待っていてくれたまえ」
先生はそう言うと、リビングから出て行った。三人はその後ろ姿を見送ると、各々紅茶に口をつけるなり、ケーキにフォークをいれたりと、しようとしていた。
「なあ、お前さんらよぉ」
そんな、さっきまでの静けさを取り戻そうとした場を、隆が、言葉で止めた。賢は、手を止めて隆を見やり、剛はケーキを食べることを止めず、視線も向けなかった。
「どうしてこんな怪しいところに来たんだ? ひひ、まあわっしの言えたことじゃぁねぇがな」
「ああ、えっと。私はその、興味があって。この、心理実験というか……作家の先生が、いったいどんなことを知りたくて、このような場を設けたのかが気になりまして」
「へぇ、あんたぁ中々、面白いやつだな。興味、ねぇ。で、お前さんは?」
賢は、先生に対する態度とほとんどかわらず、隆向かい合って、そう話した。対して剛は、呼ばれるまでは彼に視線を向けることはなかった。
「……金払いが良くて、詐欺でもなさそうだったから」
呼ばれて、渋々顔を向けた剛は、隆を心底軽蔑する様な眼差しで睨み付けた。どうも、隆のだらしない態度が、いい加減なその姿勢が、気に食わないらしい。
「へぇへぇ、わかりやすくていいねぇ。ま、わっしも金が貰えるのは最高に嬉しいがなぁ」
「貴方は……ええと、タカ、さんは。その、どうしてこちらに?」
「あぁん? わっしはのぉ、人間の男を好きにできるっちゅうから、たまらず応募したんよ。殺す以外は何をしてもいいってんだから……好きに扱ってええんじゃろ?」
「え、ええ、まあ、そうでしょう、けれど」
「そもそも、ゲイの人好きを集めている時点で、黙認しちょるよな。つまり、わっしがそいつを、どれだけ犯してもえいっちゅうわけだ。なぁ?」
「……どうしようもなく下品なおっさんだな、あんた」
「ひひ、っくひひ、言うじゃあねえか、兄ちゃんよぉ。ま、いいさ。どうしようもないっちゅうのも、下品っつうのも、さんざん言われ慣れてとるけぇなぁ。わっしが一番、わかっちょるよぉ。っひひ」
剛が、我慢できずに口にした悪態を、隆は驚くほどあっさりと受け流した。そうも気にかけない態度をとられては、さしもの剛も、それ以上なにかを言う気にはなれなかったようで、口を噤んだ。
「やあ、待たせてすまない。連れてきたよ」
そんなやりとりをしている間に、先生が戻ってきた。彼の横には、灰色の作業用ツナギを着た、細くて脆そうな印象の、人間の青年が立っていた。
「これが、件の青年だ。名前はタダヒト。文字通りの、ただの人だ。歳は二十歳そこそこだ。さ、挨拶をしなさい」
そう言われ、彼は怖ず怖ずと三人の前までやってきた。三人とも、そんな彼を、じっくりと観察していた。
短く刈り上げた髪は、清潔感を思わせる。眉は太く、丸目のせいかどこか幼さを感じるものの、成熟した男らしさもあるように見えた。鼻は小さくまとまり、口は少し大きく、けれど唇は少しだけ薄かった。獣人と違い横に生える耳は、たぶの大きな、柔らかそうな肉付きをしていた。頬はしゅっとしており、少し痩せている印象を見るものに与えた。
身長は百七十に届くかどうかといったところだ。体の肉付きについては、彼の着ているツナギのせいでわかりにくいのだが、線の細さだけは容易に想像ができる雰囲気があった。
「あ、の。タダヒトといいます。その、えっと、これから約一週間、皆様と共に過ごさせて、い、いただきます。暮らすうえでの家事、雑務は僕が致しますので、洗濯物や食事に関するご意見は、僕にお願いします」
「そういことだ。これは、皆さんのハウスキーパーとしての役割もしてもらう。まあ、もちろんその役割の最中でも、なにをしてもいいわけなので、滞った場合は各員で家事をしてもらうかもしれないが」
「っ」
「さて、どうかね諸君。これを見ての感想を是非とも聞きたいところなのだが」
先生がそういうと、隆が立ち上がった。立ち上がり、のそのそとタダヒトの目の前まで来ると、自分より背の低い彼の頭に手を置きながら、ニヤニヤと笑って返事をした。
「ええのぉ。あぁ、こいつはえぇ。しっかりと男だが、弱々しくて可愛らしい。いい人間だなぁ。顔つきも中々だ……わっしは、こいつが気にいった、っひひ」
「それはよかった。ではタカ君は、この実験を好意的に進めてくれるだろう、と捉えさせてもらおうか。二人はどうかな?」
「俺は、別になにをするつもりもない……と、思っていたんすけど。けど、まあ、家事くらいなら手伝ってやろうかな、とは思いましたね。そこのおっさんが邪魔しそうなので」
「ふふ、ゴウ君は面白い意見だね。そうか、これを手伝いたいと……年が近いゆえの共感かな。まあ、その所感が、この一週間でどう変化するかが見物かな。さて、ケン君は?」
「私、は……その、叶うなら、まずは握手から。恐縮ながら、その、好み、ではあるといいますか。年甲斐もなく、少し、彼と話しをしてみたいと思ってしまって」
「なるほど。いや、それでいいのだよケン君。条件に同性愛者の人間趣味と銘打っているので、その反応も望むべきものだ。存分に触れ合い、コミュニケーションに励んでくれたまえ」
先生は三人の言葉を聞いて、とても楽しそうに頷いていた。
「さて、最後にいくつか重要な注意点を話して、私は退散しよう。一つ、これにはなにをしてもいいが……君達三人は、互いに邪魔をしあったり、争ったり、共謀うしたり……つまり、あまり関わりを持たないで欲しい。君達に与えられた権利は、一週間の生活と報酬、それと、これを好きにしていいということだけだ。もし、これになにかしたいときに、互いのタイミングが被った場合は、できるかぎり時間で交代とすること。とりあえずは一時間ごと、とでも先に取り決めておこうか。もし、時間に不満があった場合や、他にはなにかあれば、三人で穏便に話し合って決定をすること。そこは、三人で納得できる案であれば自由にしてくれてよい。了承して貰えるかね?」
その言葉に、三人が頷くのを見て、先生は大層満足気に、頷き返したのだった。
こうして、三人の獣人と一人の人間が一つ屋根の下で行う、奇妙な心理実験が始まりを告げるのだった。
『一日目』
いいかい、君には一週間、三人の獣人と暮らしてもらう。
それが終われば、君は自由の身だ。私からいくらかの資金援助をしてあげるから、好きに生活をするといい。
だが、気をつけたまえ。
もちろん、ただ三人と暮らせばいい、というわけではない。
三人には、君に、なにをしてもいいと伝えている。
君はもちろん、彼らのすることにできるだけ抵抗をしてはいけない。
できるだけというのは、本能的な抵抗はしかたなく認める、という意味だ。
つまり、最悪の場合彼らは、君に暴力をふるうかもしれないのだ。
もしかしたら、君を『殺して』しまうかもしれない。
だから精々、君は彼らに、気に入られるように振る舞うといい。
そういう態度を取ればある程度は受け入れられるだろう。なにせ、特別に人間の男性が好きな、男の獣人を集めたからね。
今から、その日までに、その体を少しはならしておくことを勧めるよ。
これからを生きていきたいのなら、ね。
タダヒトは、別荘邸の内部を確認していた。
まるで住宅街にあるような、二階建ての一般家屋である。実際、観光地からいくらか離れた、住宅街の外れにこの別荘は建っていた。
屋根は雪の影響を考え、斜めの作りになっていた。壁の色は柔らかなクリーム色である。
一階には、玄関を開けてすぐに、階段のある廊下。左右に扉があり、左がリビングとキッチンの、右が資材倉庫として活用されている部屋の扉だ。奥にトイレと、洗面所にバスルーム、洗濯機と乾燥機があった。
リビングは二つのエリアに分けられており、一つは大きなテレビを見るためにソファが設置されている、カーペット敷きのエリア。もう一つがダイニングキッチンに併設されており、大きな四角いテーブルと、椅子が四つ置かれている、食事スペースのあるエリア。これらが、壁の隔たりなく繋がって、一部屋のリビングとなっていた。
資材倉庫には、色々なものが、整理されながらも所狭しと置いてあった。食品や調理器具、生活雑貨はもちろんのこと、他にも色々。けれど、その色々を、タダヒトは確認しなかった。一つだけ見えたそれを確認し、見るのをやめたくなったのだ。
どうやら、色々と、三人が使うために用意されているであろう道具が、置いてあるみたいなのだ。なにに使うかと言えば、タダヒトに、である。なので、恐怖を覚えた彼は、その全てまでを確認できなかったのだ。
二階には、部屋が三つと、トイレが一つ。獣人三人の部屋だけが、用意されていた。
そう、タダヒトに部屋は用意されていなかった。最悪、一階のソファで寝ることができる。できるのだが、タダヒトはそれができるとは考えていなかった。
きっと、誰かの部屋で寝ることになるのだろうと、そう予想していた。
「……はぁ」
色々なことが頭を巡る中、タダヒトはとりあえず、夕飯の支度をしようと動いていた。冷蔵庫やパントリーに用意された食品群の中から、なにを作ろうか考えながら、キッチンにをぱたぱたと動き回っている。
と、
「よっす」
「あ。え、ええと、ゴウ、様でしたよね。どうか、なされましたか?」
そんな彼に、声をかけるものが一人。ダイニングからひょっこりと現れた赤毛の獅子、剛であった。強面で、あまり上手くコミュニケーションが取れなさそうだとタダヒトは判断していたのだが、そんな彼が、ラフなスウェット姿で、気さくに声を掛けて来たのだ。
途端、タダヒトの足が急に震え始める。四肢の末端から、熱が消えていく。慌てて取り繕うが、果たして気付かれていないだろうかと、焦ってしまい声が少し揺れた。
「様はやめてくれ。たぶん、あんたとは年が近いと思うから。俺さ、大学生なんだ。だから、普通に呼び捨てでいいよ」
「し、しかし……」
「ほら、あんたは俺達がなにをしようとしても、反抗できないんだろ? だったら、素直に名前を呼んでくれ。あと、敬語もなしだ」
「あ……わ、わかった。えっと、ゴウ、君?」
「ん、まあそれでもいいか」
燃えるような赤い鬣を持つ彼は、驚くほどに好意的な態度で接してきた。もっと、高圧的な態度でくるものだと考えていたので、少しだけ緊張を解くことができたタダヒトではあったが、けれどもまだ、油断ができるほどではない。
なにをされても、抵抗をすることはできない。許されない。
それが怖くて、どうしても及び腰になってしまうのだ。
「部屋に規則事項の紙があってさ、あんたは逆らわないことになっている、って注意書きがあったから。わりぃな」
「い、いや、悪くなんてないよ。それが、主人から課された命令だから」
「命令、ね。まあいいや。で、夕飯作るのか?」
「う、うん。けれど、貴方達三人の好みを聞いていなかったと思って……けれど、その、僕から話しかけたら、失礼に当たるのかなって、思った、から」
「まあそうか、あんたの立場だとどうしても気負うわな。とりあえず今日は当たり障りのないもんを作って、夕飯のときにそれとなく話題にすれば聞けるんじゃね?」
「な、なるほど」
剛は、気さくに話しかけてきたうえに、なぜだか相談事まで聞いてくれて、さらにアドバイスまでしてくれたのだ。タダヒトは驚きながらも、そのアドバイスを素直に受け入れることにした。
けれども、いったいなにが目的なのだろうと、考えながらも答えに辿り着けないタダヒトを横目に、剛はがさごそと、キッチンを漁っていくつかの材料を集め始めていた。
「だからさ、今日はカレーにでもしちゃおうぜ……おわ、すっげぇ。ブロック肉じゃん……俺、カレー食いてぇし。俺も手伝うよ」
「え、えぇ? そんな、僕の仕事だから、わざわざゴウ君が手伝わなくても」
「部屋でやることもねぇし、暇なんだよ。ま、命令として聞いてくれや」
そう言われてしまえば、タダヒトに断る権利はない。なので、せめてもと、タダヒトは率先して道具を揃えるために動き始めた。
野菜を揃え、ルーやチャツネなどの味付け品を探した。
鍋や皿、まな板に包丁、食器にレードル、等々の道具類を倉庫部屋からキッチンに運ぶ。
「ああ、紙に書いてあった資材倉庫って、そこの部屋なのか。な、エンボス系のゴム手袋はあるか?」
「え、っと……あったあった。大きいサイズでいいかな?」
「ん、ありがとさん。水に濡れると毛が抜けやすいの気になるから、料理を作るときは、はめるようにしてんだ」
「そう、なんだ」
そうまでして手伝いをしようとする彼が、なにを考えているのかさっぱり見当もつかない。けれども、だからといって直接聞くわけにはいかず、二人でキッチンに並び、調理を始めることになった。
野菜を洗ってから皮を剥き、適当な形に切りそろえていく。
「あー、あのさ。あんたはまあ、俺たちのことが怖いだろうけれど……なんつぅか、俺はできれば、あんたとは仲良くやりたいと思ってんだ」
「は、はぁ」
「ま、さっきから命令をしまくっている俺が言っても信用ないだろうけどさ。だから、なんだ、あんたは俺にならなにを話してもいいぜ。嫌だったら、それを素直に言ってくれていい。他の二人はどうだかしらねぇけど、俺にはそんな感じで接してくれていい……じゃなくて、そう接してくれ、って言えばいいのか?」
「う、ん。わかった。その、僕としても、とても嬉しい申し出だから。だかれ、素直に受け入れさせてもらうね。はぁ……少し気が楽になったかも」
「だろうな、あんたずーっと緊張で表情ガチガチだったぜ?ま、わかるよ。なんだよ、なにをしてもいいって。無茶苦茶な実験するよな、作家の先生様はよぉ」
話しながらも、材料を切る作業は順調に進んでいく。平行してタダヒトは、タマネギから材料に火を通す作業を始めた。
「まあ、それはもういいんだ。僕は、先生になにをされても文句は言えない、そういう立場に生まれてしまったんだから」
「生まれ……なんだか奇妙な境遇なんだな」
「まあ、ね。奇妙って言うならば、ゴウ君も奇妙だよ。どうして手伝いなんかを? それに、その、君達は……僕に、なにをしてもいいんだよ? なにかを、しようとは思わなかった?」
「あー……俺さ、ほとんど報酬が目当てで応募したんだわ。本当は、一週間だらだら過ごして、テキトーに終わらせるつもりだったんだ。が、まあ、あんたと顔を合わせて、ちょっと気持ちが変わってな。なんつぅか、なにをしても報酬が貰えるなら、あんたとは仲良くしたいなと思ったわけだ。ほら、残りの二人はなんか……関わったら疲れそうだろ? だからせめて、俺には気楽でいてほしいって思ったわけ」
「な、んだか……ゴウ君は、見た目と違ってずいぶんと優しいんだね」
「言うな。自分で言ってて恥ずかしくなってきたところだ」
材料が全て、鍋に入れられた。タダヒトはそれを炒めながら、スパイスをいくつか投入し、味を作り始めた。剛は、炊飯器から釜を取ると、米を分量いっぱいまでいれ、とぎ始める。
「まあ、正直に言っちまえば、下心がないわけではねぇんだが。あんた線は細いが、中々整った顔つきをしてるし。他の二人も、満更でもなさそうな様子だったぜ? まあ、あの虎おっさんは微塵も隠す気はねぇみたいだが」
「へ、へぇ、そうなんだ。う、嬉しいけれど……僕はその、別段同性とか、獣人とかが恋愛対象、ってわけではないからなぁ」
「そうなのか。募集要項に、男性で同性愛者の、人間好きって指定があったから、どんな理由があるかと邪推してたんだが……なんだ、あんたが男を好きだからってわけじゃねぇのか」
「だね。まあ、その条件は先に聞いていたから、体の準備だけはしておいたんだけど、ね。きっと避けられないだろうし。迫られれば、痛みは少なく事を終えるようには、一応できるんだけれど」
「そう、なのか……なあ」
剛が、炊飯器のセットを終え、鍋に向かっているタダヒトを見やりながら声をかける。先ほどまでの雑談していたときよりも、少し真剣そうな声色に気付いたタダヒトは、鍋の火を止めてから、振り返った。
「そうまでして、あんたはどうしたいんだ? この実験で、あんたがモルモットになる理由が、なんかあんのか?」
鬣が、炎のように揺れ動いている錯覚を覚える。タダヒトは、彼の赤銅色をした瞳も、揺れているように見えた。
「聞きたいなら……まあ当然、教えるんだけれども。さして面白い話しでもないから、かいつまんででもいい、かな?」
「おう」
剛の返事を聞いて、タダヒトは鍋に向き直った。水を入れ、具材に火を通していた途中の鍋に火を入れ直し、使用した器具や、倉庫から持ってきたばかりの皿を洗い始めながら、なぜこんなことになってしまったのかを、話し始める。
「僕は、あの先生の、友人の息子なんだ。つまり僕の父と先生は、知人なんだ。父は、まあ有り体に言ってダメな人間でね、特に金銭に頓着がなくて、おざなりで……その上、ろくでなしだった。母が亡くなった後に、父は僕を、こう言いながら育てたんだ。お前は、俺の借金のかたにする、だからせめて健康に育て、ってね」
「なんだそりゃ。クソみてぇな親だな」
「でしょ? もちろん、借金のかたになるなんてゴメンだからさ、学生の間から稼げるだけ稼いだんだ……色々としてね。でも、いざ父が死んで、その借金がいくらかわかって、途方に暮れたよ。全然足りないんだ。だからしかたなく、僕は先生のところへと足を運んだ。逃げてもよかったのかもしれないけれど、それも怖くて、ね。で、今に至る」
「つまり、実験用のモルモットになることで、あんたはあんたの父親の借金を返す、ってことなのか」
「そういうこと。借金がなくなれば、僕は僕の貯めたお金で、それなりに暮らしていける……だから、無事にこの実験を終えたいんだ。そうすれば、僕は生まれて初めて、本当の自由になれるってわけ」
洗剤をつけて洗った食器を、今度はすすぎ始める。水で流した食器をどうしようかと、持った手を宙で迷わせていると、剛が、清潔なふきんを片手に、その皿を受け取ってくれた。
「なーるほどなぁ。あんたも大層、苦労してんだな」
「否定は、しないよ。実際大変だったからなぁ。ゴウ君は、優しいから助かるけど、残りの二人は、どうだろうね……」
「俺たちはそれぞれ、不干渉が基本ルールみたいだからなぁ……俺には、どうすることもできなさそうだ。わりぃな」
「ううん、いいさ。こうして、普通に話せる人が一人いるだけでも、凄く助かるから。ありがとうね」
「よせよ。だから俺も下心ありきだって言っただろ? 金もそうだが、あんたを抱きたい気だって、もちろんあるんだから」
「まあ……ゴウ君なら、そんなに気負わずに体を預けられる、かな。準備はしてきているし、それ以前に……そういうことなら、少しだけど仕事として、ある程度してきたこともあるからさ」
「おいおい。タダヒト、発言には気をつけな……否定権がないあんたが、俺を煽ってどうすんだよ」
最後の食器を剛に渡し終えた、その手を掴まれ、引かれる。身長差があるので、顔との距離は少し遠いが、彼の目が、獣性に煌めいたのを、タダヒトは見逃さなかった。
「ご、ごめん」
「っ……ち……あー、いや、わりぃなタダヒト。昂ぶると、抑えきれねぇタチなんだ」
「いや、こっちが悪いから」
「はぁ。ま、じゃあ手を出したくなったら、出させてもらうさ。せめて精々、覚悟しといてくれ。なにせ俺は、あんたになにをしてもいい、んだからな」
タダヒトの手を放し、体を離しながら、剛は努めて理性的に、そう言った。その目には、先ほどまでのギラつきはすっかりなく、気さくな彼がいるだけだった。
タダヒトは、今一度、発言には気をつけようと心に留めながら、剛を見やった。
「わかった。忠告、ありがとうね」
「礼を言うな、バカ。かっこがつかねぇだろうが」
剛は、そう悪態を吐きながら、少しだけ笑っていた。
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主人公。平凡なサラリーマンだったはずが、女友達に連れていかれた【デビルジャム】というホストクラブでスバルと出会ったのが運の尽き。
碧スバル(21)
指名ナンバーワンの美形ホスト。博愛主義者。優也に懐いてつきまとう。その真意は今のところ……不明。
「僕の方がぜってー綺麗なのに、僕以下の女に金払ってどーすんだよ」
「スバル、お前なにいってんの……?」
冗談? 本気? 二人の結末は?
美形病みホスと平凡サラリーマンの、友情か愛情かよくわからない日常。
塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。
そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。
美少年に転生したらヤンデレ婚約者が出来ました
SEKISUI
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ブラック企業に勤めていたOLが寝てそのまま永眠したら美少年に転生していた
見た目は勝ち組
中身は社畜
斜めな思考の持ち主
なのでもう働くのは嫌なので怠惰に生きようと思う
そんな主人公はやばい公爵令息に目を付けられて翻弄される
罰ゲームでパパ活したら美丈夫が釣れました
田中 乃那加
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エロです
考えるな、感じるんだ
罰ゲームでパパ活垢つくってオッサン引っ掛けようとしたら、めちゃくちゃイケメンでどこか浮世離れした美丈夫(オッサン)来ちゃった!?
あの手この手で気がつけば――。
美丈夫×男子高校生
のアホエロ
皇帝陛下の精子検査
雲丹はち
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弱冠25歳にして帝国全土の統一を果たした若き皇帝マクシミリアン。
しかし彼は政務に追われ、いまだ妃すら迎えられていなかった。
このままでは世継ぎが産まれるかどうかも分からない。
焦れた官僚たちに迫られ、マクシミリアンは世にも屈辱的な『検査』を受けさせられることに――!?
ヒロイン不在の異世界ハーレム
藤雪たすく
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男にからまれていた女の子を助けに入っただけなのに……手違いで異世界へ飛ばされてしまった。
神様からの謝罪のスキルは別の勇者へ授けた後の残り物。
飛ばされたのは神がいなくなった混沌の世界。
ハーレムもチート無双も期待薄な世界で俺は幸せを掴めるのか?
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