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10.『番』に対して誠実であろうとすることは、悪いことでは無いだろう。
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後日、無事に一日の勤務を終えて自宅で寛いでいるとドアをノックする音がした為基臣は本から顔を上げて玄関へと向かう。
「はーい?」
返事をしながら即ドアを開けるなんて日本にいた時では考えられないが、この世界にはモニター付きのインターフォンなんて当然無い。
だから返事をしながらドアを開けたのだが、そこには想像通りの男が渋い顔で立っていた。
「おう、どうした?」
基本無表情のクレイヴァルだが今は眉間に皺が寄っているので何かあったのだろう。
基臣はすっかりクレイヴァルの扱いに慣れていたので軽く声を掛けたが、話し掛けられた当の本人はまだ渋い顔のままだ。
「相手を確認せずにドアを開けるのは止めろと以前も言ったはずだが?」
「聞いたな。で、俺はお前に『防御魔法があるから大丈夫だ』って言った」
涼しい顔で返した基臣にクレイヴァルはため息とも呼べないような小さな息を吐く。
日本にいた時の基臣は相手に言われたことを取り敢えず受け止めて自分の中で感情の処理をする癖が染みついていた。しかしこっちの世界に来て生きている内にそれが気付いた時には薄れていたのだ。
だからクレイヴァルが何を言って来ようともその時自分が思ったことを即言葉として返すのだが、それに対してクレイヴァルは呆れることはあっても気を悪くした素振りを見せたことは無い。
日本人の平均身長+αの基臣でも少し見上げる程クレイヴァルは長身だ。
褐色の肌に落ち着いた銀色の髪、そして濃い灰色の瞳は近くで見ると銀色が散りばめられた宝石のような地球産の人間ではあり得ない色彩を持っている上に、同性だと分かっていても見惚れる程顔が良い。
「――なんだ?」
「お前の顔ってさ」
じっと至近距離で顔を見過ぎたせいでクレイヴァルから問われた基臣はまた深く考えることなく思っていたことを言葉にした。
「カッコいいのは大前提として、なんかすげえ『綺麗』なんだよな。でも女性的な要素は一ミリも無いし……かといって男臭くも無いんだよな。こういうの、どうやって表現すれば良いんだ? 俺、選べるならお前みたいな顔になりたかった」
「どんな返事を期待して俺にそんな質問しているのか理解に苦しむ」
「いてっ」
ぺしっと軽い力で先日クレイヴァルに貸した一冊の本が基臣のおでこに置かれた。
それを受け取りながら基臣は「それもそうか」と思いつつ話題を切り替える。意外にも二人揃って推理モノが好きだと分かってから基臣はこっちの世界に来て見付けて気に入った本を主にクレイヴァルに貸していた。
「面白かっただろ?」
「ああ。まさかアイツが裏切っていたとは思わなかった……もう一度読み返して納得出来る部分があって二度楽しめた」
「だよな? あー、日本にいた頃に揃えた本をお前に見せてやりたいよ。絶対気に入る作家が何人もいるんだ」
読書が子供の頃からの趣味だった基臣は自宅に書斎を持っていた。
そこには壁一面の本棚を設置して子供の頃に憧れた自分の好きだけを詰め込んだ空間を作っていたのだ。
日本に未練はほとんど無いがあのコレクション達をもう二度と拝めないことだけは素直に惜しい。
日本語で書かれた本をクレイヴァルにポンと貸しても最初は当然読めないだろうが、知識に対しては非常に貪欲なこの男ならその内普通に読めるようになるだろうという確信がある。
「――帰りたいか?」
基臣からするとなんてことない世間話の一つだったがクレイヴァルはそうは受け取らなかったのかもしれない。
相変わらずほぼ動かない表情の代わりに少しだけ感情が乗った低い声の問い掛けに基臣は首を振る。
「別に。今更戻ってもな、としか思わない。ただ身一つでこっちに来たのは正直不便だよ。空間魔法のついたこの指輪一つ分だけでも私物を持ってこられたらありがたかった」
――きっと。
きっとクレイヴァルのこういう部分を街の皆は知っているのだろう。
不愛想でも無口でも表情筋が基本的に死んでいてもコイツは悪い奴では無いし感情が欠落しているわけでもない。
変化の無い表情を補うように自分を気遣う温度が見えるクレイヴァルの瞳を見て基臣は正直に答えた。
「……そうか。似たような物をこちらの世界で探すことは出来たか?」
「んー。日用品の類はこっち用の物にすっかり慣れたけど……やっぱり本はな、文化自体が違うからどうしようも無い」
そうか、ともう一度短く低い声で言ったクレイヴァルは今日もドアの内側に足を踏み入れようとはしない。
基臣的にはもうとっくにクレイヴァルは『仕事関係者兼知人以上友人未満=無害な相手』なので家に普通に入って来ても構わない。
寧ろソファに座ってゆっくりと読んだ本の感想について語り合ったりしたい。
クレイヴァルは感想を語り合うことが好きではないタイプなのかと最初こそ思ったが玄関先でこうしてそれなりに会話することも増えているのでそんなことも無い筈だ。
「なあ、良いから入って少し座って話して行けよ」
毎度の会話になるが切り出した基臣にクレイヴァルがまた顔を少しだけ顰めた。
「一人暮らしの家に軽々しく他人を入れるなと以前も言ったはずだが?」
「聞いたな。で、俺はお前に『防御魔法があるから大丈夫だ』って言った。……つーか、お前割と母親みてぇなこと言うよな」
まだ最後まで読み終えていないあの種族図鑑の一節が脳裏をちょっとだけ過ったのを誤魔化すように基臣が笑って言うとクレイヴァルは今度こそ大きなため息を吐く。
「俺に子供はいない」
「分かんねぇだろ?」
「分からない筈が無いだろう」
心底呆れたように言われて基臣はちょっとムッとした。
いくら恋愛観が一途でも身体まで一途である保証は何処にもないし、健全な大人だったら三大欲求の一つだけを過剰に排除するのは生き物として不自然なのだ。
ちなみにこっちの世界での『高魔力保持者』のパートナー探しの難しさはその時の基臣の頭の中からすっぽりと綺麗に抜け落ちている。
そんな基臣に対してクレイヴァルは呆れをすっかり消した声で言った。
「お前はどうなんだ?」
「――俺? 俺がなに?」
自分の質問の意図が全く伝わっていないことに気付いたクレイヴァルはまた小さくため息を吐いて、開いたままの玄関ドア付近の壁に軽く凭れ掛かったまま続ける。
「こちらの世界の99.99%の人間が望む『伴侶候補の鑑定』を拒んだんだろう? あちらの世界に残して来た『番』に操を立てている『非常に珍しいヒト族』だと専らの噂だぞ」
「……」
――俺は、女性ではない。
基臣は喉元までその言葉が出掛けたがこちらの世界では恐ろしいことに性別なんてあってないような物なので日本ほど重視されていない。
これもまた郷に入っては郷に従えの一つだと感情を処理する為に生まれた数秒間の沈黙をクレイヴァルはどうやら『肯定』と受け取ったことに別のことを考えている基臣は気付かない。
ただそう考えると納得がいく部分が多いな、という部分だけが脳内を占領している。
「だからお前……そんな母親みたいに気を使ってんのか?」
「俺に子供はいない。――それに『番』に対して誠実であろうとすることは、悪いことでは無いだろう」
「おいっ! お前でも笑えたのか?!」
「……本当に失礼な男だな」
ふ、と初めてクレイヴァルが微かにだが確かに笑った顔を見た衝撃で固まった基臣は「元の世界に番を残して来てなんていない」ということを伝えるのを忘れた。
「伴侶候補の鑑定」を拒んだのだって自分の力で生活していく基盤を整えるまで考える余裕が無いからということだけが理由なのだが、それを言葉にして伝える必要性なんて思いつきもしない。
「クレイヴァル、お前って無表情で不愛想で何考えてるか全然分かんねえけど……めちゃくちゃ紳士で良い奴なんだな!」
感動して笑顔で言い切った基臣にクレイヴァルはもう一つ盛大なため息を吐いて「さっさと施錠しろ」と言って基臣の返事を待つことなくドアを閉めていつものようにあっさりと帰って行った。
「はーい?」
返事をしながら即ドアを開けるなんて日本にいた時では考えられないが、この世界にはモニター付きのインターフォンなんて当然無い。
だから返事をしながらドアを開けたのだが、そこには想像通りの男が渋い顔で立っていた。
「おう、どうした?」
基本無表情のクレイヴァルだが今は眉間に皺が寄っているので何かあったのだろう。
基臣はすっかりクレイヴァルの扱いに慣れていたので軽く声を掛けたが、話し掛けられた当の本人はまだ渋い顔のままだ。
「相手を確認せずにドアを開けるのは止めろと以前も言ったはずだが?」
「聞いたな。で、俺はお前に『防御魔法があるから大丈夫だ』って言った」
涼しい顔で返した基臣にクレイヴァルはため息とも呼べないような小さな息を吐く。
日本にいた時の基臣は相手に言われたことを取り敢えず受け止めて自分の中で感情の処理をする癖が染みついていた。しかしこっちの世界に来て生きている内にそれが気付いた時には薄れていたのだ。
だからクレイヴァルが何を言って来ようともその時自分が思ったことを即言葉として返すのだが、それに対してクレイヴァルは呆れることはあっても気を悪くした素振りを見せたことは無い。
日本人の平均身長+αの基臣でも少し見上げる程クレイヴァルは長身だ。
褐色の肌に落ち着いた銀色の髪、そして濃い灰色の瞳は近くで見ると銀色が散りばめられた宝石のような地球産の人間ではあり得ない色彩を持っている上に、同性だと分かっていても見惚れる程顔が良い。
「――なんだ?」
「お前の顔ってさ」
じっと至近距離で顔を見過ぎたせいでクレイヴァルから問われた基臣はまた深く考えることなく思っていたことを言葉にした。
「カッコいいのは大前提として、なんかすげえ『綺麗』なんだよな。でも女性的な要素は一ミリも無いし……かといって男臭くも無いんだよな。こういうの、どうやって表現すれば良いんだ? 俺、選べるならお前みたいな顔になりたかった」
「どんな返事を期待して俺にそんな質問しているのか理解に苦しむ」
「いてっ」
ぺしっと軽い力で先日クレイヴァルに貸した一冊の本が基臣のおでこに置かれた。
それを受け取りながら基臣は「それもそうか」と思いつつ話題を切り替える。意外にも二人揃って推理モノが好きだと分かってから基臣はこっちの世界に来て見付けて気に入った本を主にクレイヴァルに貸していた。
「面白かっただろ?」
「ああ。まさかアイツが裏切っていたとは思わなかった……もう一度読み返して納得出来る部分があって二度楽しめた」
「だよな? あー、日本にいた頃に揃えた本をお前に見せてやりたいよ。絶対気に入る作家が何人もいるんだ」
読書が子供の頃からの趣味だった基臣は自宅に書斎を持っていた。
そこには壁一面の本棚を設置して子供の頃に憧れた自分の好きだけを詰め込んだ空間を作っていたのだ。
日本に未練はほとんど無いがあのコレクション達をもう二度と拝めないことだけは素直に惜しい。
日本語で書かれた本をクレイヴァルにポンと貸しても最初は当然読めないだろうが、知識に対しては非常に貪欲なこの男ならその内普通に読めるようになるだろうという確信がある。
「――帰りたいか?」
基臣からするとなんてことない世間話の一つだったがクレイヴァルはそうは受け取らなかったのかもしれない。
相変わらずほぼ動かない表情の代わりに少しだけ感情が乗った低い声の問い掛けに基臣は首を振る。
「別に。今更戻ってもな、としか思わない。ただ身一つでこっちに来たのは正直不便だよ。空間魔法のついたこの指輪一つ分だけでも私物を持ってこられたらありがたかった」
――きっと。
きっとクレイヴァルのこういう部分を街の皆は知っているのだろう。
不愛想でも無口でも表情筋が基本的に死んでいてもコイツは悪い奴では無いし感情が欠落しているわけでもない。
変化の無い表情を補うように自分を気遣う温度が見えるクレイヴァルの瞳を見て基臣は正直に答えた。
「……そうか。似たような物をこちらの世界で探すことは出来たか?」
「んー。日用品の類はこっち用の物にすっかり慣れたけど……やっぱり本はな、文化自体が違うからどうしようも無い」
そうか、ともう一度短く低い声で言ったクレイヴァルは今日もドアの内側に足を踏み入れようとはしない。
基臣的にはもうとっくにクレイヴァルは『仕事関係者兼知人以上友人未満=無害な相手』なので家に普通に入って来ても構わない。
寧ろソファに座ってゆっくりと読んだ本の感想について語り合ったりしたい。
クレイヴァルは感想を語り合うことが好きではないタイプなのかと最初こそ思ったが玄関先でこうしてそれなりに会話することも増えているのでそんなことも無い筈だ。
「なあ、良いから入って少し座って話して行けよ」
毎度の会話になるが切り出した基臣にクレイヴァルがまた顔を少しだけ顰めた。
「一人暮らしの家に軽々しく他人を入れるなと以前も言ったはずだが?」
「聞いたな。で、俺はお前に『防御魔法があるから大丈夫だ』って言った。……つーか、お前割と母親みてぇなこと言うよな」
まだ最後まで読み終えていないあの種族図鑑の一節が脳裏をちょっとだけ過ったのを誤魔化すように基臣が笑って言うとクレイヴァルは今度こそ大きなため息を吐く。
「俺に子供はいない」
「分かんねぇだろ?」
「分からない筈が無いだろう」
心底呆れたように言われて基臣はちょっとムッとした。
いくら恋愛観が一途でも身体まで一途である保証は何処にもないし、健全な大人だったら三大欲求の一つだけを過剰に排除するのは生き物として不自然なのだ。
ちなみにこっちの世界での『高魔力保持者』のパートナー探しの難しさはその時の基臣の頭の中からすっぽりと綺麗に抜け落ちている。
そんな基臣に対してクレイヴァルは呆れをすっかり消した声で言った。
「お前はどうなんだ?」
「――俺? 俺がなに?」
自分の質問の意図が全く伝わっていないことに気付いたクレイヴァルはまた小さくため息を吐いて、開いたままの玄関ドア付近の壁に軽く凭れ掛かったまま続ける。
「こちらの世界の99.99%の人間が望む『伴侶候補の鑑定』を拒んだんだろう? あちらの世界に残して来た『番』に操を立てている『非常に珍しいヒト族』だと専らの噂だぞ」
「……」
――俺は、女性ではない。
基臣は喉元までその言葉が出掛けたがこちらの世界では恐ろしいことに性別なんてあってないような物なので日本ほど重視されていない。
これもまた郷に入っては郷に従えの一つだと感情を処理する為に生まれた数秒間の沈黙をクレイヴァルはどうやら『肯定』と受け取ったことに別のことを考えている基臣は気付かない。
ただそう考えると納得がいく部分が多いな、という部分だけが脳内を占領している。
「だからお前……そんな母親みたいに気を使ってんのか?」
「俺に子供はいない。――それに『番』に対して誠実であろうとすることは、悪いことでは無いだろう」
「おいっ! お前でも笑えたのか?!」
「……本当に失礼な男だな」
ふ、と初めてクレイヴァルが微かにだが確かに笑った顔を見た衝撃で固まった基臣は「元の世界に番を残して来てなんていない」ということを伝えるのを忘れた。
「伴侶候補の鑑定」を拒んだのだって自分の力で生活していく基盤を整えるまで考える余裕が無いからということだけが理由なのだが、それを言葉にして伝える必要性なんて思いつきもしない。
「クレイヴァル、お前って無表情で不愛想で何考えてるか全然分かんねえけど……めちゃくちゃ紳士で良い奴なんだな!」
感動して笑顔で言い切った基臣にクレイヴァルはもう一つ盛大なため息を吐いて「さっさと施錠しろ」と言って基臣の返事を待つことなくドアを閉めていつものようにあっさりと帰って行った。
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