君と俺は二度泣いた

一片澪

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09.詮索や推測は好きではない。

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ポポとの衝撃の出会いから少し経ち、その日も一日を無事に終えた基臣は自宅で長めの入浴を済ませてすっかり馴染んだソファに座る。

最近もっぱらの楽しみはやることを全て済ませてからじっくりと集中する読書だ。
以前からも読書は習慣だったが楽しみの度合いが段違いだと基臣自身も理解しているレベルで楽しい。
取り敢えずグラス一杯程度の酒を用意するけれど本が面白すぎて酒をほったらかしにしてすっかり温くなっているなんて珍しくもないくらい集中してしまう。

クレイヴァルはいつも基臣に本を二冊ずつ貸してくれる。
一冊は真面目な薬師関連の本、そしてもう一冊はこの世界のことを教えてくれる読みやすい娯楽関係の本だ。
薬師関連の本は基臣の習得状況を把握しているクレイヴァルがその時に最適だと思う一冊を貸してくれるから学びやすい。非常に助かっているので真面目に勉強させてもらっている。

しかし基臣は誰にも言わないけれど、ポポと会ってから少しだけ打ち解けた気がするクレイヴァルが貸してくれる『娯楽関係』の本が何度も言うが最近一番の楽しみなのだ。
特に今日は「筆者の独断と偏見だけでよくこの本を書いたな、という一冊だ」と『あの』クレイヴァルが少しだけ、本当に少しだけ口元に笑みらしきものを浮かべて渡してくれたこともあり、特に気になってしょうがなかったので酒の用意もせずうきうきしながら本を開く。

「『種族図鑑』……見た目とテーマは真面目そうだけどな」

そんなことを思いながら読みだしたら……ツッコみどころ満載を軽く飛び越えてツッコみどころしかないその『自称:図鑑』に基臣はまさに釘付けになった。


「――っ、く……ぶっ」


――駄目だ、面白い。

どのくらい面白いかと問われると「誰もいない部屋で読んでいて一人で吹き出すくらい」と答えるくらいこの本は面白い。

この世界には「写真」が無いので図鑑関係は基本絵だ。
だから今まで見たものはどれもが圧倒的な写実性を誇る精密さで写真を彷彿とさせる見事な完成度の絵ばかりだった。
でも……『コイツ』は一味も二味も違う。

ハッキリ言ってしまえばとても図鑑に載せるレベルの絵ではないほどに下手だ。
だが「言いたいことは何故か分かる!」という実に微妙なラインを確実かつ的確に突いてくる上に妙に味がある。
癖になる……嫌いじゃないというか、好きだ。

最初の数ページで既に心を完全に掴まれた基臣は索引を利用して『ヒト族』を探した。
この著者の目に我々ヒト族はどう映るのかが気になって仕方がない。そして見付けたページを開いて基臣はまた一人だけの部屋で笑った。


『ヒト族:見た目が綺麗で頭が良いし総魔力量もそこそこあるけれど性格が悪い。頭が良いからこその狡猾さと陰湿さ、計算高さと二面性がある。でも身体能力は低すぎるので大事にしよう。』


「ぷっ……言いたい放題だなお前……これは一体何人のヒト族に会って出した結論なんだよ」


『見た目が綺麗』と言っていたくせに相変わらず絵は酷い。
しかし黒髪黒目で描かれているのでもしかしたらこの世界に落ちて来るヒト族は基臣やポポの奥さんのように日本人やアジア系が多いのかもしれないな、なんて思いながら視線を進める。

そしてある部分で基臣は思わず息を飲んだ。


『恋愛観:意味不明。番を認識出来ない種族ではあるが伴侶を得てもたった数年で心を移したり、複数人を相手に同時進行したり普通にする。しかし結ばれた当初は本人達なりには本気で愛しているつもりらしいのでなお性質が悪い。打算で伴侶を選ぶこともある珍しい種族。』


「……――」


酷い言い草だ、と一笑に付することは出来なかった。
だって強ち嘘ではないからだ。
現代日本での離婚率の高さは独身だった基臣だって当然知っているし、医局にいれば医師と看護師の不倫なんて公然の秘密として嫌でも耳に入って来た。

この著者は確かに絵は壊滅的に下手だが観察眼自体はとても鋭い。だからただの図鑑ですら普通に楽しい読み物として楽しめる位の物を産み出せたのだ。
少し冷静になった基臣はヒト族に関する項目はまだ残っていたが無意識に索引のページを開き、クレイヴァルの種族であるクトゥラ族を探して読み始める。


『クトゥラ族:空中戦ではほぼ敵なしと言われるほど強い少数種族。理性的であり好戦的な人間は多く無いがその分本気で怒らせたら命懸けだと心得た方が良い。』


「アリア先生も強いって言ってたけど、本気で強いんだなアイツの種族……」

独り言を呟きながら視線を進めるとヒト族とは対極とも言える恋愛観に関する記載があった。


『恋愛観:死ぬほど一途。本能で惹かれる番認定ではなく理性をもって自ら唯一の番を定めるタイプの種族。成人までに魔術で翼を隠す方法を体得するが翼の内側に一枚だけ各自色が異なる特別な羽根を持ち、それを自らが定めた相手に渡すことで相手を番と定め生涯番だけを愛し抜く。』


「……すげえロマンチストじゃん」

基臣は知っている。
こう言った書物に書かれている内容はあくまでも『傾向』として捉えるのが正しいと。
しかしまだ全て読んでいないがヒト族に関する記載があまりにも的を射ていたのでちょっと信憑性の高さを感じてしまっただけだ。


クレイヴァルに何か事情があることは基臣もなんとなくだが理解している。
思い返してみると最初に出会ったあの日、基臣に薬を渡した後さっさといなくなったクレイヴァルを騎士の一人が複雑そうな顔をしてフォローした。
それを皮切りにアデリー先生や街の人の態度を見ていてもあのどうかと思うレベルの不愛想さの割にクレイヴァルのことを本気で嫌っている人間を見た事が無いのも不思議なのだ。

一般的に治癒師よりも民に近い薬師は街の人間から大事にされ慕われている場合が多い。
しかしそれにしたってあの無表情さと不愛想さでここまで敵を作らないほどの要素になるとは思えない。
他人の個人的な事情を邪推してどうこうする趣味は基臣には無いが、時折耳に入る言葉が勝手に脳内で仮説を組み立ててしまう。


――クレイヴァル、たまに『昔』みたいに笑うようになったな。
――クレイヴァルが最近少しずつだけど『前』みたいになって嬉しい。


薬師の診療所の帰りにそんな会話をしながら治癒師の診療所の脇を帰って行く人間達の言葉を数回聞いている限りクレイヴァルの振る舞いと言うか性格が変わる程の『何か』があったのだろう。
そしてこの世界の人間達は皆それを『あんなことがあったのだから、仕方がない』と受け入れている。

それを総合して考えていくと――恐らく『番関係』で何かがあったのだろうな、という結論に至るのだ。



ただでさえこちらの人間の寿命は驚異的に長い。
それなのに一生でたった一人しか愛さないとはどういう感覚なのだろう。

基臣は手元にある図鑑のページの一節を指先で無意識になぞりながら考える。

こっちの世界での『番』や『伴侶』の扱いは日本よりも遥かにバリエーションが豊富で種族や個人によって重さが面白いほど異なる。
出会った瞬間即激しく燃え上って相手のことなど何一つ知らなくても求めずにはいられない種族もいればクトゥラ族のように自らが理性をもって自分自身で再選考不可の相手を定め、一生を捧げる種族もいる。
そうかと思えば『番=唯一無二、絶対変更不可』ではなく『番=結婚相手、本当に最悪の場合は離別も可能』という種族もいる。
しかし皆基本的にパートナーを定めると一途で誠実なことには変わりないから、それを踏まえて考えるとやはり『ヒト族』の恋愛観は軽いと言われても仕方がないと言えるだろう。


「クレイヴァルの奴、番にフラれたのか? それとも――」


そこまで考えて基臣は「やめたやめた」と敢えて声に出して図鑑の最初の方に戻った。
気になってヒト族の索引を見てしまうまで読んでいたページだ。そこに視線を戻した基臣は読み始める前に一つ溜息を吐いて本を置き、ワインを一杯だけ飲むことにする。



――生きていれば誰だって何かしらある。
他人には触れられたくない部分だって基臣にも当然ある。

勝手な詮索や推測は基臣自身されたくないので他人にもしたくない。



「これも暇な奴ほど下らない噂が好きってやつになるのかね」



気持ちを切り替えようとしても脳裏に残る推測が煩わしくて、その日は読書を中断してワインを呷りさっさと眠った。
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