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後日談02:「結婚を前提に同棲させてください」前編

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二人がちゃんと番ってすぐ後くらいから透麻の「一緒に暮らしたいアピール」が始まった。
お互いの仕事の都合もあるが半同棲と呼んでも差し支えない頻度で灯莉は透麻の家に泊りに来ているのだが、透麻からのアピールは露骨というよりは清々しい程にストレートだからアピールという言葉は不適当かも知れない。

「灯莉さん、一緒に暮らしましょう」
「そのうちな」

今朝も出勤前の灯莉の傍で朝から無駄にキラキラしているご尊顔をこれまた無駄にキリっとさせて透麻から言われたので灯莉は自分の考えをそのままサラッと返す。

それに対して透麻が何かを言って来るより先に灯莉が通勤鞄を持って「じゃあ行ってきます」と言えば少しだけ不満そうな顔をしていた透麻の機嫌は即直って「いってらっしゃい!」と返って来る……まあ、そんな毎日だ。

誰がどう見たって高級なマンションのエントランスを抜けて灯莉は駅までの道を歩く。
そんな何気ない時間の中でも、灯莉の思考はやっぱり冷静だった。

――『同棲』ってことだよな。普通に考えて。

今まで灯莉には数人の元カノたちが居た。
しかし誰とも同棲経験はないし、同棲を検討したこともない。
それは灯莉が人当たりの良い性格をしつつも意外とパーソナルスペースが広い上に自分一人の時間をしっかり確保しないと強いストレスを感じる性質を併せ持っているからだ。

色々と考えながらも習慣から無意識の内にスマホを取り出して改札を抜ける。
透麻の自宅からの通勤は掛かる時間こそ大差ないが灯莉が今借りているマンションからの経路よりも人が少なく通いやすい。
流石に毎朝必ず座席に座れるほどの空き具合では無いが、すし詰めで呼吸すら控えたいレベルでは全くない為はっきり言ってとても楽だ。

そして何より『α』と『Ω』である自分達の関係性を考えると透麻の家に灯莉が移るのが妥当な上、番ったばかりの自分の『Ω』を自由に出勤させて自分の拠点ではない場所に帰ることを許している透麻はかなり心の広いαであることは灯莉自身深く理解していた。

だって普通の『α×Ω』の組み合わせになると大抵Ωはαの家に番った瞬間に囲い込まれる。
酷い場合だと職場への退職手続きすらαが独断で行って、Ωが気付いた時には自分の借りていた部屋を既に解約されている……なんて話も決して珍しくないのだ。

その極端とも言えるαの行動はいくら本能から来るものだとしても時に非難の的にもなるし、Ω側がαが自分達の存在を『所有物』扱いしている何よりの証拠だと強く嫌悪する意見として上がったりもする。

それを思うと、透麻は我慢してくれている。
ヒート休暇が明けて灯莉が出勤する段階になって少しだけ見た表情が何よりの証拠だ。
流石プロの役者なだけあってすぐにいつもの顔に戻ったが、きっとあの寂しさと苦しさの葛藤を織り交ぜた微妙な表情が全てだったのだろう。

いずれは必ず自分達も『同棲』に至る。それは確定している。
それでも気ままな独身として二十代を好きに生き抜いた灯莉にとっていくら相手が『番』といえども他人と同じ家でずっと暮らすことを選ぶのは正直に言ってしまえば気が重い。

――自分が『普通のΩ』だったら迷うことはなかったのだろうか?
最愛のαと無事に番って、一緒に居られる喜びを心の底から噛み締められるΩだったらそれこそ「仕事なんてもう行きたくない! ここでずっと透麻の帰りを待っている!」なんて健気で可愛らしいセリフの一つでも言えたのだろうか。

そこまで考えたタイミングで電車は職場への最寄り駅に停まり、灯莉はホームへと降りた。
周りは自分と同じそれぞれの勤務先に向かうであろう通勤途中のサラリーマンたちで混雑しており、誰もが無感情な顔つきで各々の目的地へと歩いて行く。
恐らく九割以上がβだと思われる何てことない灯莉にとっては馴染んだ風景だ。

「……そんなのは、俺じゃないな」

立ち止まると他人の迷惑になる為歩きながら自嘲気味に小さな声で呟いたが、灯莉の独り言は誰の耳にも届かなかった。



そんな困惑と自問自答を繰り返していた灯莉だったが、やはり透麻との同棲が急速に現実味を帯びて来た。
と言うのもついにしびれを切らした透麻が何故か灯莉の職場の近くの高そうなマンションの物件情報を複数持って来て、こともあろうに「俺がプレゼントするので何処でも好きな所を選んでください!」なんて物凄く良いことをして褒められるのを期待している犬のような顔で明るく言って来たからだ。

それに対して灯莉が感じた素直な怒りを懇々と説明すると、透麻は納得した。
一応αなんだからΩを言い負かすことだって物理的に従わせることだって出来るはずなのにそれをせず、ただしょんぼりとした顔で謝る透麻の姿を見て――うっかり灯莉が自分から言ってしまったのだ。

「俺がここに越してくれば一番良いだろ」

と。
瞬間的に「しまった」と思ったが、パアアッ!!! と即座に光り輝いた無駄に整った顔を見ていると「やっぱなし」とは当然言えず、いつ引っ越して来るのかを延々聞いてくる透麻をあしらって過ごした。
そしてその数日後、本格的な同棲はまだだがどちらかの家を行き来することが当たり前になった段階で珍しくお互い早い時間に透麻の家に帰れたのだが……透麻は難しい顔をしてソファではなくフローリングに正座をして切り出して来たのだ。

「灯莉さん」
「なんだよ?」

その顔があまりにも真剣でどんな悪い話が出て来るのか灯莉は一瞬身構えたが、透麻の口から出て来た言葉はこれだった。


「灯莉さんのご両親にきちんとご挨拶させてください」
「……なんで?」


なんで? と心の底からの疑問を返した灯莉に透麻の目がこれでもかと見開かれる。
そのまま数秒お互い無言で見詰めあったが、会話を再開したのは透麻だった。

「え? あの、だってちゃんと将来を見据えた同棲じゃないですか!」
「いや……ただの同棲だろ? お互い子供じゃあるまいし、大人同士の付き合いで家族にわざわざする挨拶なんて結婚とかの段階になってからで良いだろ?」

灯莉の言葉に透麻は一目見て分かる程のショックを受け、顔を少し青褪めさせながら続ける。

「た……ただの同棲……え? あ……まさか、昔……して……ました? 俺以外の……誰かと、同棲……」
「待て、してない。俺は家族としか一緒に暮らしたことがない」

ぷるぷるとまた泣きそうな空気を出し始めたので強く灯莉が言い切ると透麻はぎゅうっと拳を握ってから真面目な顔で口を開く。

「俺、最初致命的なミスをした自分の責任で確実に灯莉さんのご家族からの心証は最悪だって理解しているんです。でも灯莉さんの大事なご家族なら出来る限り仲良くなりたい。だから、ちゃんと今後は全ての筋を通して一生お付き合いをしていきたいんです!」
「……あ、うん」

不覚にもときめいた灯莉がそうどうにか言葉を返すと、透麻は「すみませんが」と前置きしたうえで灯莉に家族との日程調整を依頼してきた。
その時の透麻の表情は何故かとても硬いものだったが灯莉は気にせずスマホを開いて、どちらに連絡すれば良いか迷ったがやはり父を立てた方が良いだろうと思い父にささっとメッセージを打つ。
補足しておくと正式に番ったことはもう報告してある。


――透麻と一緒に住もうと思うんだけど、なんか挨拶したいんだって。
父さんと母さんの都合の良い日ある?


さらっと送ったメッセージに返事が来たのは数分後のことだった。
灯莉は普通にスマホを見たが、何故か透麻はビクッと大げさに反応している。その事に疑問は抱いたが特に気にせず受信した内容をそのまま読み上げた。

「透麻、最短で今度の日曜日うちの実家でどうだ? 母さんが手料理作ってくれるってさ」
「――コンドノニチヨウビ?!」
「はは、なんだよそのイントネーション」

透麻がふざけているのかと思って灯莉は笑いながら顔を上げて、一瞬絶句した。

「……エト、今日ハ、木曜日……デスネ」

――何その血の気が引いた顔。

そう思った灯莉は透麻の真意は不明だがさり気無くフォローをしておく。

「だな。急すぎて無理なら延期してもらうから言えよ」
「いいえ、行きます。絶対に行きます! すみません、那岐にちょっとスケジュール確認して来ますね! ご両親によろしくお伝えください! そして後で良いのでご両親の好きな物を教えてください!」
「……うん?」

バタバタと珍しく慌ただしい動作で自室へと戻って行った透麻の背中を見送って灯莉は一応先に父に返す。

――今スケジュール確認に行ったからちょっと待ってて。

直ぐに既読だけついてそのままだった。
灯莉はそれに対して何も思わなかったが、透麻が何の為に別室にわざわざ行ったの? と言う速度で戻って来て無駄に活舌の良い腹から出た声で言う。

「是非伺わせて頂きます! よろしくお願いします!」
「うんわかった。返事する」
「急かして恐縮ですが、一秒でも早くお願いします!」
「うん?」

良く分からないが透麻がたまに妙なことを言うのはいつものことだったので灯莉は特に気にせず「日曜大丈夫だって。よろしく」とだけ返しておいた。




***



そして今。
まさに、今である。

灯莉にとってはちょくちょく顔を出している実家に二人揃って向かい、軽い挨拶を交わし合ってから少し後。
母の話では妹の莉帆も一緒に挨拶したいらしく別件を片付けてから遅れて顔を出すつもりらしい。
普段とは別人のように誰が見ても明らかなレベルのぎこちない笑顔を浮かべた透麻が一つ咳払いをしてから真面目な顔をして灯莉の両親を見据え、無駄に男らしく言い切った。



「――お願いします! 私を、私を貰ってください!!!」



突然の意味の分からない言葉に灯莉は飲んでいた紅茶を盛大に吹き出し、母は余裕の表情で「あらあら」と笑いながら灯莉にティッシュの箱を渡す。
そして透麻の視線をガッツリ浴びていた父はいつもとなんら変わらないテンションで、眉一つ動かすこともなくさらっと返した。



必要いらない」



「…………」



――ねえ、この時間とこの空気……なんなの?
あと母さん、紅茶のおかわりは今要らないよ。








-----


※ 灯莉パパ

「……二分十五秒、ふむ……スケジュール管理能力は及第点か」
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