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15.誠意には誠意で応えることにした。

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メッセージを送ると即電話が来る。
そしてその電話が終わった後には如月の方から用があった時に連絡が取れるように灯莉がメッセージを送る。
そんな流れが二人の間で当たり前になった頃にはもう灯莉は如月のことを「透麻」と呼ぶようになっていた。

不意に灯莉のコートのポケットの中にあるスマホが鳴る。
今灯莉は現場に顔を出して事務所に戻る途中で近年ではすっかり数を減らしている歩道橋の上を歩いていたのだが、丁度中ほどで歩みを止めて相手を確認することも無く電話を取る。

「――もしもし、どうした透麻?」

気負う事無く電話を取れるようになってどの位の時間が経っただろうか。
透麻は最初彼自身が宣言した通り灯莉には「連絡」以上のことは何一つ求めて来ない。灯莉はその事実を静かに積み重ね続ける透麻に対して確かに信頼を覚えるようになっていた。

「次の現場に移動中で少し時間が出来たのであわよくば一分でも灯莉さんの声が聞きたいと思って掛けました。――今大丈夫ですか?」

さらっとそんなことを言う年下の男はやはり洞察力にも長けたαなのだろう。
二人の間で交わす会話の回数を重ねれば重ねる程どんどん灯莉の性格を把握しているようだ。具体例を挙げると灯莉は「お兄ちゃん」なので、年下に甘えられると弱い所などがそれに該当する。

腕時計でちらりと時間を確認すると幸いなことにまだ時間に余裕があった。
灯莉はやれやれと心の中だけで思いつつ、それでも悪い気はしないことを自覚しながら高い位置にある手摺りになんとなく片肘をついて眼下を走る片側三車線の交通量が多くて流れの悪い道路を見下ろしながら返事をする。

「現場から事務所に戻る途中で外にいるけど、少しなら大丈夫だよ」

軽く透麻からの問いへの答えを返しながらも灯莉はなんとなく目の前の光景を見て他所事に少しだけ思考を割く。東京という大都市はどうしてこう何もかもが混み入っているのだろう。
まだ陽は落ちていないがずらずらと連なるブレーキランプの明かりをぼんやりと眺めつつ返すと電波の向こうの透麻の声のトーンが分かりやすく上がった。

「良かった! 最近忙しそうであんまり話せなかったじゃないですか」
「俺よりお前の方が忙しいに決まっているだろう。売れっ子俳優が一介のサラリーマンより暇な筈が無い」

事実をありのまま言っただけなのに、透麻はまるで灯莉が冗談でも言ったかのように楽しそうに声を上げて笑った。この男は、ああ見えて意外と無邪気に笑う時がある。
テレビで見ている印象だと「ふっ」と口元だけでろくに声も出さずに笑うイメージが強かったが、親しくなったと言って良いのか迷う距離感ではあるが電話で話す回数が増えているのは事実なので敢えて親しくなったという表現を使うと意外と人懐っこい部分もある。
一人っ子だと言っていたから年上に懐くのが上手いのかもしれないな……なんて思っていると、交差点をこちらに曲がろうとする救急車が見えた。

救急車は赤色灯を光らせサイレンを高らかに鳴らして、スピーカーで注意を促す文言を響かせながら慎重に交差点に侵入してくる。
本来緊急車両に真っ先に道を譲ることは当然のはずなのに知らん顔で通過するマナーの悪いドライバーもいて灯莉はなんだかモヤモヤしていた。
灯莉にしてみれば、たったそれだけのことだったのに――電波の向こうの透麻が何故か思いっ切り息を飲んだのだ。

「――灯莉さん、答えたくないならはぐらかしてください。もしかして今、〇〇に居ますか?」
「え? 丁度歩道橋の近くだけどなんで?」

透麻に対して一定の信頼を持っていた灯莉は透麻が言った言葉にプラスして自分の情報を開示した。すると透麻は信じられないと言った声色で、本当に信じられないことを言ったのだ。

「まさか……キャメルのコートとか、着たりしてません……よね?」
「……」

灯莉は思わず絶句した。――だって本当に、着ていたから。

妹の莉帆が服装に無頓着な灯莉を引き摺って連れて行ったちょっと良い店で買った、年齢を重ねてもずっと着られますよと店員にも言われた質の良いキャメルのチェスターコートを……今まさに着ているのだ。
聡い透麻には灯莉の無言が肯定だとアッサリ伝わったのだろう。最近はめっきり聞く事の無かった少し慌てたような早口で透麻は言う。

「絶対に振り返らないでください。――貴方の顔を見たら、『俺』は絶対に追い掛けてしまう」
「――っ」

透麻は自分の一人称を無意識か意識的にかは知らないが『私』と『俺』で使い分ける時がある。
基本は社会人らしく『私』だが、ごくたまに焦ったり興奮したりした時だけ『俺』が出て来るのだ。……今の場合は多分、焦っているのだと思う。そんなことを考えている灯莉だって正直全くもって冷静じゃない。
冷静じゃない時ほど現実逃避を兼ねて余計なことを考えてしまうのが灯莉の癖だった。しかし今は本気でそれどころじゃない。

「俺の進行方向は右だけど、そっちに行くのは良いのか?」

一つ息を吐いて灯莉は透麻の良心に賭けた。
これで灯莉を騙すのなら、何がどうなろうと徹底的に拒絶して結果的に自爆になっても絶対に許さないと強く思いながら言うと透麻は駆け引きなんて一切考えてもいないような即答で返して来る。

「大丈夫です。俺たちはこのまま直進するので、丁度反対車線になります」
「……――分かった」

電話を切っても良い筈なのに何故かそうはせず、灯莉は片腕で自然と横顔を隠すようにして足早に自ら宣言した方向に歩き出す。
この階段を下った先に万が一にでも透麻がいるなら、身体能力に優れたα相手では無理だろうけれどそのお綺麗な商売道具の顔面に拳の一つでもくれてやろうと強く誓いながら歩いた。

しかしその心配は必要なかったようで、歩道橋の階段を降りた先にはごくごく普通の他人には一切興味を持っていない都会特有の無関心な通行人たちが行きかっているだけだった。
その事に灯莉はひどく安心した。
そしてその安心の種類を自分の中で正確に認識して、思わず声が柔らかくなる。

「……お前、俺のこと騙さなかったな」
「当り前じゃないですか。でもかなり今一杯一杯なのであんまり可愛いことは言わないでくださいね。こう見えて私結構足が速いんです」
「こう見えてじゃなく、どう見ても速そうだよ」

くくっと喉の奥で笑った灯莉は交通量の多い道路から離れる様に敢えて脇道に逸れた方向に向かいながら会話を続けた。

「なんで分かったんだ?」
「救急車のサイレンだけなら偶然だと思ったんですけど、アナウンスまで完全一致だったのでまさかと思いました」

ははは、と灯莉はすれ違う人の視線も気にせず思わず声を上げて笑った。

――αとはここまで恐ろしい生き物なのか。
普通に電話をしているだけでも相手の背景と自分の周りを全て冷静に俯瞰して見られるほど自然に脳みそを使って生きているのか。

その事実をこんな些細なことから見せ付けられた灯莉は、ずっと思っていたけれど敢えて言葉にしなかった核心めいた話題に敢えて自分から触れてみることにした。

「お前本当は俺の仕事も生活圏もなんとなくでも分かってるだろ?」
「――そう、ですね。裏を取っていないので何とも言えませんがある程度予測はついています」

想像通りの静かな声に灯莉はまた小さく笑った。
透麻は……このαは、本当に灯莉の希望に沿うように行動する事を決めているらしい。
その明晰な頭脳と同年代からすると飛びぬけた経済力でいとも簡単に解決出来ることなんて山ほどあるのに、敢えてそれをせず灯莉とこんな今日日の小学生カップルよりも歩みが遅いままごとのような関係に甘んじてくれているのだ。
だから灯莉は、誠意には誠意で応えることにした。


「伊岡 灯莉、三十歳。職業は建築士。電話番号は0*0-478*-3*97だ。今度からそっちに連絡寄越せよ、スマホ二台持ち歩くのは地味に面倒なんだ」
「――えっ?!」


本気で驚いている透麻の反応に笑った灯莉は「地下鉄乗るからじゃあな」と言って電話を切った。
割と早口で一度しか言わなかったから聞き取れなくても不思議では無いと思っていたのに、数分後改札を通る為に取り出したいつものスマホには既にSMSが届いていた。――流石α様である。



――信用してくれてありがとうございます。俺、絶対に裏切りません。



思わず緩んだ口元をさり気無く隠した灯莉は涼しい顔を取り繕って、代り映えのしない窓の外をぼんやりと眺めた。
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