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10.え? 待って待って。何もかもが分からない。
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「……」
――まさかこの短時間で出るか?! しかも、実際に耳にスマホを当てていたら間違いなく盛大なキーン! を食らうくらいの声量で普通出るか?
ここ最近呆気に取られて言葉が出て来なくなる頻度がやけに多いことに気付いているが今はそれどころじゃない灯莉が何かをするより先にテーブルに置いたままのスマホから声が聞こえているので取り敢えず耳に当ててみた。
「すみません、切……切れては――無い? あ、俺がっ、違う私が大きな声を出したから驚かせてしまったのですね。あの、すみません。私が今落ち着きますのでどうかお待ちください。えっと――」
「……えっと」
「「……」」
えっと、のタイミングが奇しくも重なり双方が同時に相手に譲る形になった為無意味な沈黙が生まれてしまった。
これ……どうするの? こんな会話を立て直す力は灯莉には無い。
かといって自分から電話を掛けておいて無言のまま切るのは人としてよろしくないことは理解している。
困惑しているのは二人とも同じだということは十二分に伝わって来たが、会話を回そうと舵を切ってくれたのは年下のαだった。
「如月 透麻と申します。最初に許されなくて当然だと言うことは承知の上ですが、貴方に人間として最低な絶対に取り返しのつかない非道な振る舞いをしたことを謝らせてください。大変申し訳ございませんでした」
「――っ」
「そしてご連絡を頂いたこと、更に先日も助けて頂いたことにもお礼を言わせてください。本当に、ありがとうございました」
「ぁ……はぁ」
驚いた灯莉の口から出たのは我ながらどうかと思うレベルの情けない言葉とも呼べない音だった。
だって灯莉の立場としては番関係のことは謝られた所で「良いよ気にしないで」と軽く言える問題では到底無いし、連絡したことはまあ良いとして「先日助けた=インナーシャツ」なのだ。
この状況でまともに返事が出来る会話材料が少なすぎるから妙な反応でも許して欲しい。
でも流石にこれ以上沈黙は良くない。何か言わないと。何か言わないといけないのは分かっているが何も出て来ないんだから仕方ないじゃないか。灯莉は心の中でそう自問自答し、一つの決断をした。
――うん、無理。撤退しよう。
そしてあっさりと白旗を上げた灯莉の心はしれっとこの意味不明な通話のクロージングに向かう。
「えっと、ではこの辺で……」
「えっ?! ちょ、あ、すみません。ええとあの、お、終わりですか?! ――ああ、そうか。そうですよね、また私が自分の気持ちを優先して返答に困る話題を最初に出したから困らせてしまったんですね。すみません」
そうですね、その通りです。
なんて当然言えない灯莉を置き去りに電波の向こうのαは明らかに狼狽し何かをぶつぶつと呟いている。
――名前、は駄目だな個人情報だ。
――あだ名……いや、馴れ馴れし過ぎるだろう。
――趣味? そんな楽しい会話をして許されるのか?
その独り言を聞いていると灯莉はなんだか逆に冷静になって来た。……そうだな、考えてみればその通りだ。話題に困るのは、お互い様なのだ。寧ろ如月の方が困るだろう。
如月が灯莉個人を特定しないように配慮すると口に出来る内容が限られてくる。その上世間話のような軽い話題や楽しい話題を選んでしまうと「お前俺に何したか忘れたのか?」とこちらの怒りを買う可能性が高いのだ。
……それでも、このαは自分と話をしようと努力している。
自分が何故如月にあそこまで電話をしなければと強く感じたのかはさっぱり分からない。
分からないが、どうしようもない程の『絶対に無理!!』という生理的な嫌悪は今現在感じていない。だから灯莉はずっと本人に機会があったら伝えようと思っていたことを言うことにした。
「あの」
「ッ、はい」
声をまた張りそうになったのを寸で止めたような返事だったが語尾が微かに弾んでいたように思う。
でもこの人は役者だからもしかしたら演じているのかも知れないな……なんてことを思いながら灯莉は口を開いた。
「『あの事故』の時のことを、俺は何も覚えていないんです」
「――え?」
如月から返って来たのは驚きとは少し違う響きを持った声だったが灯莉は然程深く考えずにずっと思っていたこと、そしてずっと願っていたとも言えることを伝える。
「実際に貴方に噛まれて中途半端な状態であっても『番関係』になった事実は認識してはいますが別にあの時のことを思い出してフラッシュバックに悩まされたりとかも無いんです。――俺の中ではもう終わったことなんです」
だから、と一度息を吸った灯莉は伝えることに必死で静かになった如月に気付くことなく続ける。
「――お互い事故だったと割り切ってもう忘れましょう。そしてそれぞれの人生を生きた方がずっと良いと思うんです」
実際に直接会わなければ灯莉はずっとβの男性に擬態して生きていける。
すっかりフリーの期間の方が長いが灯莉には元カノが数人いた。その時はまだ若かったから結婚なんて双方考えていなかった為ある意味気軽に付き合えたのだ。
だがある程度の年齢に達した時『βのフリ』をしている自分の身体……強いていうなら生殖能力に不安が出た。
何も言わなくても相手をβだと思って付き合っていたから今まで交際した女性達と第二性の話をしたことはお互いに一度たりとも無い。
それでも男のΩとβの女性が結婚して子供をもうけている例はゼロでは無いから理論上子供を望むことも不可能では無いとは思う。
しかしこの先も誰かと交際関係を続け年齢を重ねて仮に結婚という流れになった時、自分が本当は中途半端な状態でも『番にされているΩ』であることが相手に何かしらの悪い影響を与えて女性にとってとても貴重な二十代という時間を結果的に奪うことがどれだけ罪深いのかに気付いてしまってから灯莉は意識して恋人を作ることをしなくなった。
だが別に不安や不都合な点は今の所無い。
家族もいるし、定年まで続けたいと思える仕事もある。お金だって慰謝料として受け取った分とは全く別に順調に貯めている。
三十歳の誕生日を迎えて一区切りついたら何か新しいことを見付けて、趣味に生きるのも良いなと灯莉は本気で思っていたのだ。
それに如月は誰がどう見ても優秀なαだ。
モテないはずがないし、今だってきっと彼の周りには彼を求める人間がたくさん居ると思う。
如月が男女性も第二性も超越して相手を惹きつけるだけの飛びぬけた魅力を持っている男性だというのは明白だ。
だから子供の頃に犯した過ちをいつまでも悔いて、それを償う為に人生を捧げて後悔のまま生きようとしなくても良い。
灯莉は彼より収入は比べるまでもなく少ないし人生経験もずっと劣るだろうがせめて年上の人生のちょっとした先輩としてそこだけは伝えてあげたかった。
だから重くならないように、本当にもう良いからと出来るだけ穏やかに伝えたつもりだったのに。
「ッ、……ック――――ぅ…………グスッ」
――電話口で、泣かれた。
抑えようと頑張ったのは最初の数秒だけでその後はとても演技とは思えないレベルの……灯莉が思わずおろおろしてしまうくらいの本気の号泣をこのαは惜しげもなく披露したのだ。
――え? この人『抱かれたい男ランキング一位』を今年獲れば殿堂入りになる人だよね?
え? この人αだよね?
え? 別の人? 俺今話しているのって別の人なの? 同姓同名? あ、代理の電話番を頼まれたマネージャーさん? どゆこと? ねえ、本当に意味が分からないんだけど俺がテレビで見ていたあの人こんな無様に泣く人なの?!
見た目のイメージだと明らかに「ミステリアスで落ち着いた何考えているか分からない系」の人でしょう?
今まで見て来て「情緒豊かな大型わんこ系」の匂いを感じたことは一度たりとも無いけれどコレが素なの?
え? 待って待って。何もかもが分からない。
取り敢えずデビュー当初から推している熱量高めのファンですら引きそうなマジ泣きを……やめよう?
あの、言いたいことあるなら聞くから取り敢えず――
「一回、一回取り敢えず……な、泣き止もう? ね?」
(多分)イケメン俳優本人の嗚咽の文字化は彼のイメージ保護の為に控えておこうと灯莉は強く思った。
――まさかこの短時間で出るか?! しかも、実際に耳にスマホを当てていたら間違いなく盛大なキーン! を食らうくらいの声量で普通出るか?
ここ最近呆気に取られて言葉が出て来なくなる頻度がやけに多いことに気付いているが今はそれどころじゃない灯莉が何かをするより先にテーブルに置いたままのスマホから声が聞こえているので取り敢えず耳に当ててみた。
「すみません、切……切れては――無い? あ、俺がっ、違う私が大きな声を出したから驚かせてしまったのですね。あの、すみません。私が今落ち着きますのでどうかお待ちください。えっと――」
「……えっと」
「「……」」
えっと、のタイミングが奇しくも重なり双方が同時に相手に譲る形になった為無意味な沈黙が生まれてしまった。
これ……どうするの? こんな会話を立て直す力は灯莉には無い。
かといって自分から電話を掛けておいて無言のまま切るのは人としてよろしくないことは理解している。
困惑しているのは二人とも同じだということは十二分に伝わって来たが、会話を回そうと舵を切ってくれたのは年下のαだった。
「如月 透麻と申します。最初に許されなくて当然だと言うことは承知の上ですが、貴方に人間として最低な絶対に取り返しのつかない非道な振る舞いをしたことを謝らせてください。大変申し訳ございませんでした」
「――っ」
「そしてご連絡を頂いたこと、更に先日も助けて頂いたことにもお礼を言わせてください。本当に、ありがとうございました」
「ぁ……はぁ」
驚いた灯莉の口から出たのは我ながらどうかと思うレベルの情けない言葉とも呼べない音だった。
だって灯莉の立場としては番関係のことは謝られた所で「良いよ気にしないで」と軽く言える問題では到底無いし、連絡したことはまあ良いとして「先日助けた=インナーシャツ」なのだ。
この状況でまともに返事が出来る会話材料が少なすぎるから妙な反応でも許して欲しい。
でも流石にこれ以上沈黙は良くない。何か言わないと。何か言わないといけないのは分かっているが何も出て来ないんだから仕方ないじゃないか。灯莉は心の中でそう自問自答し、一つの決断をした。
――うん、無理。撤退しよう。
そしてあっさりと白旗を上げた灯莉の心はしれっとこの意味不明な通話のクロージングに向かう。
「えっと、ではこの辺で……」
「えっ?! ちょ、あ、すみません。ええとあの、お、終わりですか?! ――ああ、そうか。そうですよね、また私が自分の気持ちを優先して返答に困る話題を最初に出したから困らせてしまったんですね。すみません」
そうですね、その通りです。
なんて当然言えない灯莉を置き去りに電波の向こうのαは明らかに狼狽し何かをぶつぶつと呟いている。
――名前、は駄目だな個人情報だ。
――あだ名……いや、馴れ馴れし過ぎるだろう。
――趣味? そんな楽しい会話をして許されるのか?
その独り言を聞いていると灯莉はなんだか逆に冷静になって来た。……そうだな、考えてみればその通りだ。話題に困るのは、お互い様なのだ。寧ろ如月の方が困るだろう。
如月が灯莉個人を特定しないように配慮すると口に出来る内容が限られてくる。その上世間話のような軽い話題や楽しい話題を選んでしまうと「お前俺に何したか忘れたのか?」とこちらの怒りを買う可能性が高いのだ。
……それでも、このαは自分と話をしようと努力している。
自分が何故如月にあそこまで電話をしなければと強く感じたのかはさっぱり分からない。
分からないが、どうしようもない程の『絶対に無理!!』という生理的な嫌悪は今現在感じていない。だから灯莉はずっと本人に機会があったら伝えようと思っていたことを言うことにした。
「あの」
「ッ、はい」
声をまた張りそうになったのを寸で止めたような返事だったが語尾が微かに弾んでいたように思う。
でもこの人は役者だからもしかしたら演じているのかも知れないな……なんてことを思いながら灯莉は口を開いた。
「『あの事故』の時のことを、俺は何も覚えていないんです」
「――え?」
如月から返って来たのは驚きとは少し違う響きを持った声だったが灯莉は然程深く考えずにずっと思っていたこと、そしてずっと願っていたとも言えることを伝える。
「実際に貴方に噛まれて中途半端な状態であっても『番関係』になった事実は認識してはいますが別にあの時のことを思い出してフラッシュバックに悩まされたりとかも無いんです。――俺の中ではもう終わったことなんです」
だから、と一度息を吸った灯莉は伝えることに必死で静かになった如月に気付くことなく続ける。
「――お互い事故だったと割り切ってもう忘れましょう。そしてそれぞれの人生を生きた方がずっと良いと思うんです」
実際に直接会わなければ灯莉はずっとβの男性に擬態して生きていける。
すっかりフリーの期間の方が長いが灯莉には元カノが数人いた。その時はまだ若かったから結婚なんて双方考えていなかった為ある意味気軽に付き合えたのだ。
だがある程度の年齢に達した時『βのフリ』をしている自分の身体……強いていうなら生殖能力に不安が出た。
何も言わなくても相手をβだと思って付き合っていたから今まで交際した女性達と第二性の話をしたことはお互いに一度たりとも無い。
それでも男のΩとβの女性が結婚して子供をもうけている例はゼロでは無いから理論上子供を望むことも不可能では無いとは思う。
しかしこの先も誰かと交際関係を続け年齢を重ねて仮に結婚という流れになった時、自分が本当は中途半端な状態でも『番にされているΩ』であることが相手に何かしらの悪い影響を与えて女性にとってとても貴重な二十代という時間を結果的に奪うことがどれだけ罪深いのかに気付いてしまってから灯莉は意識して恋人を作ることをしなくなった。
だが別に不安や不都合な点は今の所無い。
家族もいるし、定年まで続けたいと思える仕事もある。お金だって慰謝料として受け取った分とは全く別に順調に貯めている。
三十歳の誕生日を迎えて一区切りついたら何か新しいことを見付けて、趣味に生きるのも良いなと灯莉は本気で思っていたのだ。
それに如月は誰がどう見ても優秀なαだ。
モテないはずがないし、今だってきっと彼の周りには彼を求める人間がたくさん居ると思う。
如月が男女性も第二性も超越して相手を惹きつけるだけの飛びぬけた魅力を持っている男性だというのは明白だ。
だから子供の頃に犯した過ちをいつまでも悔いて、それを償う為に人生を捧げて後悔のまま生きようとしなくても良い。
灯莉は彼より収入は比べるまでもなく少ないし人生経験もずっと劣るだろうがせめて年上の人生のちょっとした先輩としてそこだけは伝えてあげたかった。
だから重くならないように、本当にもう良いからと出来るだけ穏やかに伝えたつもりだったのに。
「ッ、……ック――――ぅ…………グスッ」
――電話口で、泣かれた。
抑えようと頑張ったのは最初の数秒だけでその後はとても演技とは思えないレベルの……灯莉が思わずおろおろしてしまうくらいの本気の号泣をこのαは惜しげもなく披露したのだ。
――え? この人『抱かれたい男ランキング一位』を今年獲れば殿堂入りになる人だよね?
え? この人αだよね?
え? 別の人? 俺今話しているのって別の人なの? 同姓同名? あ、代理の電話番を頼まれたマネージャーさん? どゆこと? ねえ、本当に意味が分からないんだけど俺がテレビで見ていたあの人こんな無様に泣く人なの?!
見た目のイメージだと明らかに「ミステリアスで落ち着いた何考えているか分からない系」の人でしょう?
今まで見て来て「情緒豊かな大型わんこ系」の匂いを感じたことは一度たりとも無いけれどコレが素なの?
え? 待って待って。何もかもが分からない。
取り敢えずデビュー当初から推している熱量高めのファンですら引きそうなマジ泣きを……やめよう?
あの、言いたいことあるなら聞くから取り敢えず――
「一回、一回取り敢えず……な、泣き止もう? ね?」
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