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05.『α』と『Ω』の関係性は特殊かつある意味でとても双方にとって理不尽だ。
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灯莉は昼間のニュースを耳にしてから何故か心が落ち着かず、午後の業務はミスをしないことだけを重視して早めに切り上げ帰宅した。
そして帰宅する途中もクリーニングに出していた衣類の受け取りを忘れ一度引き返すという普段の灯莉らしからぬミスをしたりもして何とか家に辿り着いたのだが、帰宅時には普段感じることの無い妙な疲労感を覚えていた。
「なんだって言うんだ」
明日からは折角の三連休の為色々やろうと思っていたことがあるのに何故か身体が重い。
食事の用意をするのも億劫でソファに座り込んでいると仕事用の鞄に入れてあったスマホが着信を告げた。
「――父さん?」
珍しい相手からの着信に驚いたが灯莉は即座に電話を取ることにする。もしかしたら母に何かがあったのかもしれない。
「もしもし、どうしたの?」
いつもより少し早口で電話を取ったが、電波の向こうの父は普段と全く同じ冷静さだった。
「今何処にいる?」
「家だよ。ついさっき帰って来た」
それでどうしたの? と要件を尋ねるより先に「あと十分で行く」とだけ告げられて電話が切れてしまう。
「……なんだ?」
良く分からないがこれから父がここに来るらしい。
別に親子だし、後ろめたいことをしているわけでも無いので慌てて隠すような物も無い為灯莉は取り敢えず飲み物の用意をして父の到着を待つことにした。
「突然で済まなかったな」
「いいよ、それでどうしたの?」
車で来たと言った父にアルコールを出すわけには当然いかないのでお茶を淹れる。
父は礼を言って一口礼儀的に飲んだ後に「話がある」と真面目な顔で言った。基本的にいつも真顔の父だがちょっと普段とは違うものを感じて灯莉は同じように口を付けていたカップをテーブルに置く。
「何?」
「お前を噛んだあのαのことだ」
あまりにもタイムリーな話題に思わず灯莉は驚いたが、父は至って涼しい顔のまま続ける。
そんな父を冷たいと感じる人間もいるかもしれないが、時には感情を挟まず事実だけを淡々と言われた方が話を聞きやすいこともあるのだと灯莉は父から過去の経験を通して学んでいる。
「今日ニュースで病院に運ばれたらしいって言うのは聞いたよ」
「そうか。なら話は早い」
ふむ、と一つ頷いた父はさらりと事実確認に移る。
「あのαがお前を探すと言った動画を私も見た。お前はそれにどう対応した?」
「え? ああ、手紙を出して『会いたくない』って伝えたよ」
そこまで灯莉が言うと父は少し意外そうに目を細め「お前が手紙を?」と言った。
流石親だ。灯莉が自分からある種のリスクを冒して手紙を出すなんて思えないのだろう。だから灯莉もあっさりと事実を告げる。
「あの動画は莉帆が見たいって言ったからたまたま一緒に見たんだ。俺は捨てアドを取ってメールで済まそうとしたんだけど、確実に伝えたいなら手紙が良いってアイディアを貰って出張先の上海から莉帆に投函して貰ったんだよ」
そこまで言うと父は満足そうに微かに笑んでまた頷いた。
「流石莉帆。――的確な『攻撃』手腕だ。後で十分に褒めておこう、まあ今回の場合は些か強過ぎたがな」
「……攻撃?」
的確な手段だったと褒めるなら理解出来るが攻撃とはどういう事だ? と言う灯莉が抱いた疑問が表情に出ていたのだろう。
父は心なしか機嫌良さそうにお茶をまた飲んでから話を再開した。
「想像してみろ」
「あ、うん」
「お前はカラカラの砂漠でなんとか生きている一本の木だ」
「……うん?」
意味が分からなかったが父は無用なことは言わないタイプなので灯莉は取り敢えず言われた通りに想像してみる。
小首を傾げたままだったが素直に従った灯莉を見て父は言葉を続けた。
「大気中の水分や朝露でなんとか渇きを凌いで命を繋いでいたある日、誰かが気まぐれに小さなコップ一杯分の水をくれた。――さて、どうなる?」
「ちょっとでも飲めて嬉しいんじゃない?」
素直に返した灯莉に父は目を微かに鋭くして、言った。
「違うな。『もっと』飲みたくなるんだよ。それまで知らなかった潤うという感覚を知って、自分が今までどれだけ干乾びていたのかを強烈に実感するんだ。そしてもっともっと喉が渇く」
「……言われてみればそうかも」
――自分に置き換えて想像すると確かにそうだ。
喉がカラカラの時、口の中に大さじ一程度の水分を貰っても……無いよりは有難いけれどと言う感覚かも知れない。それどころか二リットルのペットボトルに口を直接つけて満足するまでがぶがぶと飲み続けたいと思うかもしれない。
でも、それがなんの話に繋がるのだろう? そう思い灯莉が父を見ると視線がばっちりとぶつかった。
「それと同様の現象が、あのαに今起きている」
「――はい?」
意味が分からなさ過ぎて灯莉の口から間抜けな声が出てしまった。
ちょっと恥ずかしいけれど親子だからまあ良いかと思うより先に父の話は続く。
「十五年。十五年あのαは『番』のフェロモンをまともに嗅いでいない。それが手紙が届いたことで幾ばくかでも満たされたんだ」
「――あ」
「その充足感を齎すフェロモンが日ごと薄れていく事実が連れて来る絶望と恐怖は計り知れない。『あの病院』に即運ばれたとなると恐らく意識レベルが相応に落ちているのだろう」
あの動画の中の場違いなジップロックを思い出す。
まさかあれは――手紙についた僅かな灯莉のフェロモンを少しでも長く留めようとする為のものだったと言うのか?
形容しがたい感情に言葉が出ない。
そんな灯莉を見て父は大きな右手を軽く灯莉に制するように見せてから続けた。
「世間ではあまり取り上げないが番に会えない『α』側にも負担が無い訳では無い。――私もあれと同じαだ。同情する余地がゼロかと言われれば違うが、私は自分の息子であるお前の方がずっと大事だ。だから、これからある話をお前にする」
「――えと?」
「まったく、お前があれを認識する前にさっさと死んでいてくれればこんな話をしなくても済んだものを」
忌々しそうに眉間に皺を寄せた父を見て灯莉の脳内は疑問だらけだったが取り敢えず父の言葉を待つことにした。
父の話はこうだった。
昔、父の古いαの友人も突発的なヒート事故に巻き込まれる形でそれまで一切面識の無かったΩと番った。
この場合公衆の面前でヒートを起こしたΩ側にも非が無い訳では無かった為警察沙汰にはならなかったらしい。αはΩに寄り添おうとしたが、好きな相手がいたΩ側がそれを拒んだ。
その為その後の話し合いは三か月に一度のヒートの時に限り、極めて事務的に発情を抑える為だけに二人は肉体関係を持つということで落ち着いた。
だがそのαは常にΩに優しく接し、寄り添った。でもΩの頑なな心は一切変わらなかった。
しかし二人が双方不本意ながらも番ってから三年ほど経ち、そのαは事故で呆気なくこの世を去ってしまった。
Ωは自分を縛り付けたαの死を待ち望んでいた筈なのに……現実は違った。
心はαを拒絶していたが、本能はとっくの昔に「たったひとりの番」だと理解していたのだ。
Ωはそのことを相手の「死」という今更どうしようもない現実に直面してようやく認めた。――失ったαが自分にとってどれだけ大事な存在だったか、を。
そしてあのαこそが人生で本当の意味で唯一無二の『番』だったのだと気付き、その後Ωは精神の均衡を崩し最終的には後を追ったらしい。
「『ソレ』と類似した現象がお前に起きる可能性がゼロでは無いことが――私はとても恐ろしい」
「……」
「αとΩの関係性は特殊かつある意味でとても双方にとって理不尽だ。血も、法も、これだけ発達した現代医学ですら凌駕する程の繋がりを時に両者の意思に関係なく一瞬で作り上げてしまう」
父にそこまで言われて灯莉は怖くなった。
如月に特別な思い入れは今の所無いと思っている。しかし、いくらそうでも最悪死なれたり深刻な体調の悪化を辿られるのも後味が悪い。さらに言うとその影響が自分にまで及ぶ可能性があることもとても恐ろしい。
でも……その為に自分が本当の意味で『Ω』になれるのかと言われると――即答出来ないし、したくないと思ってしまう。
そんな灯莉の心を見透かしたように父は言った。
「『直接会うのは嫌だが死なれるのは後味が悪い』と思っているだろう?」
「そうだね」
「『自分と関係ない所で勝手に生きていてくれればいいのに』と思っているだろう?」
「その通りだよ」
灯莉が真っすぐに視線を合わせたまま自分本位と言われてもおかしくない本音を告げると、父は真面目な表情をキープしたまま言った。
「なら、お前が今穿いているパンツを寄越せ。それで当面の問題は解決する」
「――はい?」
数秒前までまともだった父親が、頭がおかしくなったとしか思えないことを突然言い出した時……どうするのが正解なんだろう。
灯莉は沈黙が落ちた自宅リビングでそんなことを真剣に考えた。
そして帰宅する途中もクリーニングに出していた衣類の受け取りを忘れ一度引き返すという普段の灯莉らしからぬミスをしたりもして何とか家に辿り着いたのだが、帰宅時には普段感じることの無い妙な疲労感を覚えていた。
「なんだって言うんだ」
明日からは折角の三連休の為色々やろうと思っていたことがあるのに何故か身体が重い。
食事の用意をするのも億劫でソファに座り込んでいると仕事用の鞄に入れてあったスマホが着信を告げた。
「――父さん?」
珍しい相手からの着信に驚いたが灯莉は即座に電話を取ることにする。もしかしたら母に何かがあったのかもしれない。
「もしもし、どうしたの?」
いつもより少し早口で電話を取ったが、電波の向こうの父は普段と全く同じ冷静さだった。
「今何処にいる?」
「家だよ。ついさっき帰って来た」
それでどうしたの? と要件を尋ねるより先に「あと十分で行く」とだけ告げられて電話が切れてしまう。
「……なんだ?」
良く分からないがこれから父がここに来るらしい。
別に親子だし、後ろめたいことをしているわけでも無いので慌てて隠すような物も無い為灯莉は取り敢えず飲み物の用意をして父の到着を待つことにした。
「突然で済まなかったな」
「いいよ、それでどうしたの?」
車で来たと言った父にアルコールを出すわけには当然いかないのでお茶を淹れる。
父は礼を言って一口礼儀的に飲んだ後に「話がある」と真面目な顔で言った。基本的にいつも真顔の父だがちょっと普段とは違うものを感じて灯莉は同じように口を付けていたカップをテーブルに置く。
「何?」
「お前を噛んだあのαのことだ」
あまりにもタイムリーな話題に思わず灯莉は驚いたが、父は至って涼しい顔のまま続ける。
そんな父を冷たいと感じる人間もいるかもしれないが、時には感情を挟まず事実だけを淡々と言われた方が話を聞きやすいこともあるのだと灯莉は父から過去の経験を通して学んでいる。
「今日ニュースで病院に運ばれたらしいって言うのは聞いたよ」
「そうか。なら話は早い」
ふむ、と一つ頷いた父はさらりと事実確認に移る。
「あのαがお前を探すと言った動画を私も見た。お前はそれにどう対応した?」
「え? ああ、手紙を出して『会いたくない』って伝えたよ」
そこまで灯莉が言うと父は少し意外そうに目を細め「お前が手紙を?」と言った。
流石親だ。灯莉が自分からある種のリスクを冒して手紙を出すなんて思えないのだろう。だから灯莉もあっさりと事実を告げる。
「あの動画は莉帆が見たいって言ったからたまたま一緒に見たんだ。俺は捨てアドを取ってメールで済まそうとしたんだけど、確実に伝えたいなら手紙が良いってアイディアを貰って出張先の上海から莉帆に投函して貰ったんだよ」
そこまで言うと父は満足そうに微かに笑んでまた頷いた。
「流石莉帆。――的確な『攻撃』手腕だ。後で十分に褒めておこう、まあ今回の場合は些か強過ぎたがな」
「……攻撃?」
的確な手段だったと褒めるなら理解出来るが攻撃とはどういう事だ? と言う灯莉が抱いた疑問が表情に出ていたのだろう。
父は心なしか機嫌良さそうにお茶をまた飲んでから話を再開した。
「想像してみろ」
「あ、うん」
「お前はカラカラの砂漠でなんとか生きている一本の木だ」
「……うん?」
意味が分からなかったが父は無用なことは言わないタイプなので灯莉は取り敢えず言われた通りに想像してみる。
小首を傾げたままだったが素直に従った灯莉を見て父は言葉を続けた。
「大気中の水分や朝露でなんとか渇きを凌いで命を繋いでいたある日、誰かが気まぐれに小さなコップ一杯分の水をくれた。――さて、どうなる?」
「ちょっとでも飲めて嬉しいんじゃない?」
素直に返した灯莉に父は目を微かに鋭くして、言った。
「違うな。『もっと』飲みたくなるんだよ。それまで知らなかった潤うという感覚を知って、自分が今までどれだけ干乾びていたのかを強烈に実感するんだ。そしてもっともっと喉が渇く」
「……言われてみればそうかも」
――自分に置き換えて想像すると確かにそうだ。
喉がカラカラの時、口の中に大さじ一程度の水分を貰っても……無いよりは有難いけれどと言う感覚かも知れない。それどころか二リットルのペットボトルに口を直接つけて満足するまでがぶがぶと飲み続けたいと思うかもしれない。
でも、それがなんの話に繋がるのだろう? そう思い灯莉が父を見ると視線がばっちりとぶつかった。
「それと同様の現象が、あのαに今起きている」
「――はい?」
意味が分からなさ過ぎて灯莉の口から間抜けな声が出てしまった。
ちょっと恥ずかしいけれど親子だからまあ良いかと思うより先に父の話は続く。
「十五年。十五年あのαは『番』のフェロモンをまともに嗅いでいない。それが手紙が届いたことで幾ばくかでも満たされたんだ」
「――あ」
「その充足感を齎すフェロモンが日ごと薄れていく事実が連れて来る絶望と恐怖は計り知れない。『あの病院』に即運ばれたとなると恐らく意識レベルが相応に落ちているのだろう」
あの動画の中の場違いなジップロックを思い出す。
まさかあれは――手紙についた僅かな灯莉のフェロモンを少しでも長く留めようとする為のものだったと言うのか?
形容しがたい感情に言葉が出ない。
そんな灯莉を見て父は大きな右手を軽く灯莉に制するように見せてから続けた。
「世間ではあまり取り上げないが番に会えない『α』側にも負担が無い訳では無い。――私もあれと同じαだ。同情する余地がゼロかと言われれば違うが、私は自分の息子であるお前の方がずっと大事だ。だから、これからある話をお前にする」
「――えと?」
「まったく、お前があれを認識する前にさっさと死んでいてくれればこんな話をしなくても済んだものを」
忌々しそうに眉間に皺を寄せた父を見て灯莉の脳内は疑問だらけだったが取り敢えず父の言葉を待つことにした。
父の話はこうだった。
昔、父の古いαの友人も突発的なヒート事故に巻き込まれる形でそれまで一切面識の無かったΩと番った。
この場合公衆の面前でヒートを起こしたΩ側にも非が無い訳では無かった為警察沙汰にはならなかったらしい。αはΩに寄り添おうとしたが、好きな相手がいたΩ側がそれを拒んだ。
その為その後の話し合いは三か月に一度のヒートの時に限り、極めて事務的に発情を抑える為だけに二人は肉体関係を持つということで落ち着いた。
だがそのαは常にΩに優しく接し、寄り添った。でもΩの頑なな心は一切変わらなかった。
しかし二人が双方不本意ながらも番ってから三年ほど経ち、そのαは事故で呆気なくこの世を去ってしまった。
Ωは自分を縛り付けたαの死を待ち望んでいた筈なのに……現実は違った。
心はαを拒絶していたが、本能はとっくの昔に「たったひとりの番」だと理解していたのだ。
Ωはそのことを相手の「死」という今更どうしようもない現実に直面してようやく認めた。――失ったαが自分にとってどれだけ大事な存在だったか、を。
そしてあのαこそが人生で本当の意味で唯一無二の『番』だったのだと気付き、その後Ωは精神の均衡を崩し最終的には後を追ったらしい。
「『ソレ』と類似した現象がお前に起きる可能性がゼロでは無いことが――私はとても恐ろしい」
「……」
「αとΩの関係性は特殊かつある意味でとても双方にとって理不尽だ。血も、法も、これだけ発達した現代医学ですら凌駕する程の繋がりを時に両者の意思に関係なく一瞬で作り上げてしまう」
父にそこまで言われて灯莉は怖くなった。
如月に特別な思い入れは今の所無いと思っている。しかし、いくらそうでも最悪死なれたり深刻な体調の悪化を辿られるのも後味が悪い。さらに言うとその影響が自分にまで及ぶ可能性があることもとても恐ろしい。
でも……その為に自分が本当の意味で『Ω』になれるのかと言われると――即答出来ないし、したくないと思ってしまう。
そんな灯莉の心を見透かしたように父は言った。
「『直接会うのは嫌だが死なれるのは後味が悪い』と思っているだろう?」
「そうだね」
「『自分と関係ない所で勝手に生きていてくれればいいのに』と思っているだろう?」
「その通りだよ」
灯莉が真っすぐに視線を合わせたまま自分本位と言われてもおかしくない本音を告げると、父は真面目な表情をキープしたまま言った。
「なら、お前が今穿いているパンツを寄越せ。それで当面の問題は解決する」
「――はい?」
数秒前までまともだった父親が、頭がおかしくなったとしか思えないことを突然言い出した時……どうするのが正解なんだろう。
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