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01.疲れ切ったギリアラサー女のこころ。
しおりを挟む――疲れた。
そう、疲れたのだ。美鈴は疲れているのだ、猛烈に。心身共に。
高杉 美鈴三十五歳はもう本当に色々とくたくただった。
〇〇県と言う誰もが「長閑で良さそうだね」と優しさからド田舎をマイルドに言い換えてくれる様な土地で生まれ、その田舎の県庁所在地の専門学校を卒業しそのまま地元の中途半端な規模の零細企業に就職した時点で華々しい未来なんてそもそも期待できなかったのだと年を取った今なら断言できる。
同期は自分を含め三人。
その内一人は就職してたった一年で同じ会社の先輩と出来婚して退職。もう一人も就職して三年しない頃には結婚して会社を去って行った。
それからも会社は若い女の子を年に一~三人ほど採用したが皆が皆入社から長くても五年以内に所謂寿退社で去って行くのだから会社としても最初からそのつもりで採用しているとしか思えない。
美鈴より年上の女性達も会社には当然居るが彼女達は皆子供どころか孫がいる五十代以上の肝っ玉母さんを通り越して肝っ玉ばあさんレベルの猛者達ばかり。……知っている? 都会の人には理解出来ないと思うから一応言っておくけれど田舎の実状なんて令和になって数年経ってもこんなものだからね。ハハハ。
とにかく、そんな会社の中で美鈴の立場は実に中途半端で切ない物だった。
とうの昔に結婚して嫁の愚痴と孫の世話で忙しいと肩や腰を擦るグランマ達とさっさと手頃な男を捕まえてとっとと結婚しなくちゃ! と忙しい二十代前半の女の子達……その間のエアポケットの様な場所にいるのがまさに美鈴だった。
しかしこの会社の皆は良くも悪くも優しくて善良な人達。
美鈴ちゃん、と言う呼び方は昨今のコンプラに引っ掛かると妙な所だけ気を使ってくれて呼ばれる時は必ず高杉さんだし「なんで結婚しないの?」なんて言われる事も無い。……まあ確実に思われてはいるだろうが。
ただ毎日同じ時間に出社して、似た様なルーティンワークを熟し、十五年以上勤めているのに大して上がりもしないギリギリワーキングプアの基準から僅かにはみ出ている給料と名ばかりの『正社員』の肩書を貰う為だけに生きている……そんな人生。
「……疲れた」
就職した時からずっと住んでいる1K、家賃四万二千円のアパートが美鈴の城。会社からの住宅手当は五千円で給料の低さを考えれば無いよりは有難いけれどたったそれだけで福利厚生に手厚い優良企業を語られたらたまったもんじゃない程度の物だ。
ふと帰宅と同時に付けたテレビの中で国家公務員の冬の平均ボーナスの金額が出ている……その額なんと約六十七万四千三百円。
「はは……あー、あほくさ」
それだけのボーナスを手にする人間はきっとそれなりの努力をして、それなりの苦労を重ねているのだ。だから金額だけ聞いて妬むなんてお門違いだ、と自分の心を宥めて一度深呼吸をする。
自分が今この生活を送っているのは過去の自分が積み重ねた取捨選択の結果なんだ……そうだ、全て自己責任。
「自己責任、自己責任、っとぉ!!!」
ぶつっとテレビを消してまとめて炊飯し冷凍しておいたご飯をレンジに放り込み、冷蔵庫から作り置きの惣菜が入った百均タッパーを小さな机に運んでしまうだけで質素な夕食の準備はほぼほぼ終わる。
一人で毎日代わり映えのしない生活を続け年齢だけを重ねていると、こんな人生いつまで続くのだろう? そんな漠然とした不安に襲われる事が増えた。特に最近はすごく多い。
仕事をしているからまあなんとか生活は回っているし、貯金だって少しは頑張っている。
でも。
でもこんな状況で貯められるお金なんて身体を壊して入院でもしたら一瞬で吹き飛んでしまう。
現役世代でもそうなんだから老後なんてもう……恐ろしくて想像すらしたくない。
「やめだやめ!もう、暗くなってもしょうがない」
ブンブンと頭を振って解凍が終わったご飯を窮屈なラップから救出したけれど、ちょっと横着をして四角い状態のまま茶碗に放り込んだ。大丈夫、食べる時に箸でちょっとほぐせば問題無い。
――良いんだ。
私はこれで十分だ、そうでしょう?
大した稼ぎも無いくせに酒だギャンブルだと母さんに散々苦労をさせて、その挙句不摂生が祟って病気になったら当たり前の様に看病して貰っていたあんな男のようなヤツと結婚したらそれこそ人生終わりだ。
――ごめんね美鈴。お母さんあんな人だなんてちっとも気付けなかったの。
優しいけれど悲しさを含んだ声と痩せた母の手を思い出す。
おっとりとした可愛らしい母は私に対していつもそう謝ってくれていた。
でもそんな母も私の生物学上の父が病死して数年後銀行勤務をしているバツイチの男性と再婚して今は穏やかな奥さん暮らしが出来ているのがせめてもの救いだ。
それまでは知らなかったけれど銀行勤務は転勤が本当に多いらしくて母は新しく夫となった義父と一緒に二、三年に一度は色々な土地を回っているそうなのだが義父が母を本当に大切にしてくれるおかげもあってか幸せそうなのが娘としては最高に嬉しい。
元々母がようやく手に入れた幸せを邪魔しないように距離感は広めにと思っていたがその必要もあまりない程物理的に離れたのでたまに電話し合うほどの丁度良い関係で今は落ち着いて居る。
「こんな時はさっさとする事済ませて、現実逃避が一番だよね」
二十代の頃は楽しめた恋愛ドラマも今はもう感情移入すら出来ない位に美鈴は干上がっている。
そんな美鈴が見付けた現実逃避先、それはネット上に転がっているウェブ小説。中でも今や定番とも言える異世界モノが最近とっても好きだ。
何かのコラムで異世界モノがここまで流行ったのは現代日本の生きづらさの裏返しだと言う意見を読んで確かになあ、と心の底から納得した事もある。
今日も今日とてさっさと家事や入浴を済ませベッドにもぐりこんだ美鈴は様々な作品の世界観に酔いしれ、束の間の心の安寧を得た。
新規の素敵な話を探すよりもブックマークしてあるお気に入りの作品のお気に入りの部分を繰り返し読み込む方が楽しかったりもする。……新しい物より馴染んだ物にいってしまうのはそれなりに年齢を重ねたせいだろうな、という客観的な思考は頭の隅に無理矢理追いやった。
せっかく楽しい気分になれたのに自分で水を差す馬鹿が何処に居ると言うのか。
「あー…私も異世界転移したいなあ。飛び切りご都合主義が効いてて、優しい世界観のとこ限定で」
そんなもの、したらしたでしんどいと知りつつも現実逃避の気持ちからぽつりと呟いて時計を確認。
明日も仕事だからもう寝なきゃな…とスマホに受電ケーブルを刺して部屋の電気を消し瞼を閉じれば三秒で寝れる。
そんな寝つきの良さは美鈴の唯一の特技でもあった。
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