猫をかぶるにも程がある

如月自由

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番外編

2 ご両親へご挨拶

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 格子状の扉を開けた先にあったのは、広々としたフロントだった。全面畳張りでちり一つ落ちていない。奥にはガラス越しの日本庭園がある。木の枝や石に雪が積もっていて風情溢れる光景だ。
 橘一家が暮らしているのはここではなく、この旅館から少し離れたところに建てた家だそう。だが、どうしても旅館の方も見てほしかったそうで、ご両親と会うのはこの旅館だ。
 俺たちの足音と話し声しか聞こえない。今日この旅館は休業日らしい。だから実質貸切状態だ。

 千冬くんの先導に従って階段を登り、廊下を歩いていく。
 太陽光に照らされた中庭の日本庭園、柔らかい感触を伝えてくる畳、頭上でぼんやり光る和風のランプ。全てゆったり癒されるデザインのものだが、俺の心臓は一歩ごとに鼓動を早めていく。
 緊張しまくっていた俺は、千冬くんの「何かごめんな」という言葉に驚いてよく分からない返事をしてしまった。千冬くんが「何だその声」と笑いながら言う。

「うちの父さんと母さん、すげー気合い入れちゃってんだよ。だからわざわざ家じゃなくて旅館の方に呼び出しちゃってさ。こんな場所で挨拶って緊張しちゃうよなー」
「え、あ、いや、うん」
「お兄が恋人連れてくるの初めてだからねー。私の恋人はほら、幼稚園の頃から仲良かったし何度もうちにお泊まりしてるしで今更紹介なんてしないから、余計じゃない?」
「あーそっか、子供の恋人紹介イベントが今回で初なのか。にしても気合い入れすぎじゃね? 俺もうちょっとフランクな感じ想像してたんだけど」
「まーそうだねえ。何か古風なお見合いみたいな雰囲気になっちゃってるもんね」
「よくドラマとかで見るやつだ。日本庭園の中庭あるし余計それっぽいな」
「あとはお若いお二人でーみたいな」

 あっはっは、と声を揃えて笑う千冬くんと千夏ちゃん。俺にとっては全く笑い事じゃない。すごく帰りたくなってきた。やっぱりこの格好、場違いすぎるだろ。
 俺はそそくさと上着を脱いで裏返しに持ち、服装と髪型を極力整えて、歩きながらアクセサリー類を外せるだけ外した。焼石に水だが。ピアスは仕方がないから諦める。

 やがて千冬くんが立ち止まったのは「鶴の間」と書かれた一番奥の部屋の前。千夏ちゃんが「連れてきたよー」と言いながら襖を開けて――緊張のあまり一瞬意識が飛んだ。
 千冬くんに「おい、一樹? どうした?」とつつかれて慌てて息を吹き返した。手が震えている。
 どうしていいか分からない。とにかく挨拶はしなきゃいけない。でもご両親の顔を見る心構えはまだできていない、どうしよう、とぐるぐる考えて、俺は訳も分からずに勢いよく頭を下げた。

「お、お世話になっておりますッ!」

 言ってから気付いた。絶対に一言目を間違えた。案の定変な沈黙に包まれる。もう頭の中は真っ白だ。どうしよう間違えた! ここから何をどう挽回すればいい!?

「……営業マン?」

 ぽつりと千冬くんが呟く。途端、俺の背後からも前方からもふきだす音が聞こえた。笑われている。千夏ちゃんはおろかご両親にもくつくつ笑われている。俺は恥ずかしくてたまらなくて、穴があったら入ってそこで死んでしまいたくなった。

「一樹お前、体育会系営業マンとかじゃないんだから、もっとこう、初めまして~とかさ」
「あ、そ、そっか。あの、ええと、お初にお目にかかります! 綱島一樹と申します!」
「もうちょっとフランクな方が」
「え、ふ、フランク……? じゃあえっと、その、綱島一樹と申す! ……あれ?」
「武士になれとは言ってないんだよなぁ」

 もう駄目だ。死にたい。
 俺の意味不明な言動が妙に緩い千冬くんのツッコミによって、なぜだか漫才のようになってしまった。千冬くんのご両親らしき人たちと千夏ちゃんの爆笑が聞こえる。
 俺は顔を覆った。最悪だ。何でこんな失敗しちゃうんだよ。俺は半泣きになりながら必死に謝った。

「す、すみません、ふざけてる訳じゃないんです、ただちょっと緊張しちゃって……すみません、本当にすみません……」
「ほら、こんなとこに呼び出したから一樹が緊張しちゃってんだろ。だから俺はこっちじゃなくて家の方にしようって言ったのに」
「だ、だって、せっかくなら旅館の方も見てもらいたいだろ……」
「ごめんなさいねえ。そんなに緊張しないで、顔を見せてくれる?」

 恐る恐る顔を上げると、そこにはにこにこと微笑んだ着物姿の男性と女性が座っていた。どちらも非常に容姿が整っている。何ならきらきらして見えるくらい。さすが千冬くんのご両親だ……。
 座ってと促されるまま座椅子に座り、俺は深呼吸した。もう一度きちんと挨拶しなければ。さすがにさっきのは挨拶したうちに入らないだろう。
 とんでもない失敗をやらかして許されたからか、最初よりは緊張がマシになっている。俺は意を決して口を開いた。

「あ、は、初めまして。千冬くんと半年ほど前からお付き合いさせていただいている、綱島一樹と申します。その……こちらつまらないものですが、よければ」

 買っておいた東京銘菓をそっと机越しに手渡す。緊張がマシになったと言ったが嘘だ。銘菓を渡す手が予想以上に震えていた。

 受け取ったのはお母様の方だった。黒髪を結った顔立ちのはっきりした美人が「一樹くんね。はい、ありがとう」とにこやかに受け取ってくれた。千冬くんはどちらかといえばお母様似なのかもしれない。
 そうしたら横から「何だよお、俺が一樹くんから受け取りたかったのにさぁ」とお父様が割り込んできた。わざとらしく口を尖らせている。
 彼はすっきりとした美形だった。が、そのシャープな印象は、わざとらしい構われ方と「お父さんは引っ込んでなさい」とお母様に邪険に追い払われてしょんぼりする様子で台無しだった。いい意味で。
 この一連のやり取りだけですでに温かい家庭だと分かる。こういうご両親だから千冬くんみたいな人が育ったんだろうな。

 お母様からお茶を勧められ、俺はぺこぺこしながら恐る恐る口をつけた。ろくに味も分からなかったが、とりあえず「美味しいです」と答えておく。
 どうしよう。何を話せばいいんだろう。変な汗が背中を伝う。ご両親は大事な息子さんの連れてきた男がこんなしょうもない男で幻滅してるんじゃないだろうか。俺だったら絶対にげんなりする。

「一樹くんは――」
「わひゃいっ」

 よく分からない声を上げてしまった。ご両親と千夏ちゃんにくすくすと笑われてしまう。もう嫌だ。

「あんまり緊張しないでいいのよ」
「そうだぞ。それで一樹くんは、千冬と同じ学科の子だったよな?」
「あっ、は、はいっ! 文学部英文学科に所属しております!」
「一樹一樹、これ面接じゃないから」

 ガチガチに緊張しながら背筋を伸ばして勢いよく言ったせいか、千冬くんにそう突っ込まれてしまった。再び三人がくすくすと笑う。もう駄目だ。死にたい。
 そんな感じで何一つ上手く行かなかった滑り出しだったが、彼らの圧倒的なコミュニケーション能力に押されて、いつからか俺はある程度肩の力を抜いて話せるようになった。さすがは千冬くんと千夏ちゃんのご両親というべきか。コミュ強すごい。

「へえ~! バンドをねえ! いやあ、青春だなあ! それで、どんな曲やってるの?」
「あ、その、一応今はオリジナルがメインで。あの、学園祭みたいな学校行事では時々既存バンドのカバーをやったりするんですけど、でも基本的にはオリジナル曲で、ライブハウスを借りてライブをやってます」
「オリジナル? すごいわねえ! 今ここでちょっと聞かせてっていうのは厳しい?」
「あ、できます。まだ一曲だけなんですけどネット上に上げてるので。ええっと、ちょっと待ってくださいね……あ、えっと、これです」

 スマホを操作して動画サイトの検索窓にファストラバーズと入れ、出てきたアカウントをタップして表示する。
 アカウントを開設してから大体三ヶ月。MVの準備が追いつかず上げているのは一曲分しかないが、登録者数は五桁を超えている。
 曲がたまたまSNSでバズったり、DTMの作曲で知名度を稼いでいた祐介が、そっち名義での固定ファンを引っ張ってきたりしたおかげだ。後者の割合がより大きいかもしれない。祐介様々である。

 唯一上げているMVをタップし、スマホをご両親と千夏ちゃんに向けて渡すと、彼らは身を乗り出すようにして画面を覗き込んだ。

「うわやば。てか一樹さんめちゃくちゃ歌上手くない?」
「だろー!?」
「なんでお兄が自慢げなの、お兄なんもやってないでしょ」
「いやいや、このMVの素材撮ったの俺だから!」
「え、お兄すごいね」
「ま、まあ、編集したのは俺じゃないけど……」
「あんまりすごくなかった」
「うるせー! 動画編集は勉強中なんだよ!」

 相変わらず兄妹は仲良しだった。動画を見ながら二人でわいわいきゃいきゃい盛り上がっている。
 兄妹の方はまだいい。問題はご両親だった。彼らは時折感嘆詞を漏らすのみで、あとは黙って画面を見つめている。正直ものすごく緊張するし怖い。俺たちの曲、何か問題でもあったかな……。
 やがて動画が終わり、俺はそそくさとスマホをしまった。なんとなく気恥ずかしくて「ええっと、まあ、その、こんな感じで……」と曖昧に呟いて俯く。

「――すごい! すごいじゃないか!」

 大きな声に驚いて顔を上げると、お父様が目を輝かせながら俺の方へと身を乗り出していた。思ったよりも距離が近い。思わず身体を引こうとすると、彼は突然俺の両手を握って、上下にぶんぶんと振ってきた。

「いやあ、想像してたよりもずっとかっこよかった! 俺、感動しちゃったよ! みーんな上手いけど、一樹くん、本当に歌が上手いねえ! ギターも上手だ!」

 彼のきらきらした瞳と距離の近さが千冬くんと重なった。ああ、やっぱり親子なんだな。
 俺は勢いよくお礼を言うつもりだったのに、結局「あ、えと、ありがと、ございます……」なんてもごもごとした言葉しか出てこなかった。自分のコミュニケーション不全さが憎い。
 お父様の隣ではお母様が苦笑していた。彼女は彼の背中を無遠慮にばしばし叩く。

「ごめんねえ、一樹くん。お父さんね、昔ギターやってたのよ。それでこんなに興奮しちゃって」
「えっ、父さんほんとに?」
「おう、本当だぞ。まあでも、全然上達しなかったし、千冬が生まれた頃にやめちゃったんだけどな」
「へえー……初めて聞いた」

 お母様はふふと笑い声をこぼした後、「でも、本当に上手だったわ。たくさん練習してきたんでしょうね」と俺に笑顔を向けてきた。その慈しむような優しい笑顔も千冬くんと重なる。千冬くんは、ご両親からいいところをたくさんもらって生まれてきたんだろうな。

「そうだ一樹くん。俺の古いギターを貸すから、ちょっと弾いてみてもらうことってできる? たぶん家のどこかにあったはず」
「あ、も、もちろんです」
「本当? 嬉しいなあ! じゃあ、そうと決まれば早速ギターがどこに眠ってるか探しに帰らなきゃだね! いやあ楽しみだなあ。おっとそうだ、その前に一樹くん、うちの旅館って一通り案内してもらった?」
「あ、えっと、まだ」
「そうかそうか! じゃあ、旅館の案内は俺がしちゃおうかなあ。さっそく、よいしょっと。一樹くん、こっちこっち!」

 お父様はひとりでに盛り上がって、勢いをつけて立ち上がると、俺を手招きしながら歩き出した。足取りも声も弾んでいる。
 俺は困惑しながら立ち上がって、残された三人を振り返った。みんな苦笑しているし、一人として立ち上がる気配はない。

「一樹ごめんな。俺の父さん、ああいう人なんだよ」
「面倒くさい父親でごめんねー」
「でもあの人、付き合ってあげないともっと面倒くさくなるから、申し訳ないけどお父さんに付き合ってくれる? 一樹くん」
「なんだよ、みんなしてそんな言い方して。あんまり言うとお父さん拗ねるからな!」

 彼がわざとらしく言うと、笑い声が弾けた。その光景はドラマやアニメに出てくる仲良し家族そのもので、俺は何だか、これが「家族」ってやつなのかなあ、と考えた。
 これが家族なんだったら、俺の家族は見てくれだけ整えようとして失敗した紛い物だ。こんな笑い声なんて、俺の家の中で一度だって聞いたことがない。
 俺はなんて言えばいいのか分からなくて、楽しいのか悲しいのかも分からなくて、ただ頷いて彼の方へと小走りで向かった。
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