猫をかぶるにも程がある

如月自由

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番外編

1 ご両親へご挨拶

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「え、東京って二、三分置きに電車が来るの!?」

 隣に座る彼女は驚いたように目を見張った。すらりと長い足を組みながら。俺たちが今乗っている電車の乗客はまばらだ。平日だからだろうか。

「うん。俺が普段使ってる路線は大体それくらいの間隔かな」
「ヤバ。じゃあさ、絶対遅刻しないよねそれ」
「えっと……」
「あれ? 何でどもってるの? あれれ?」

 面白がるような表情で俺の顔を覗き込む彼女――千夏ちゃん。やや気まずく思いながら目を逸らすと、千夏ちゃんは「あっははは!」と快活な笑い声を上げた。お兄さんそっくりの笑い方だ。

 彼女は千冬くんの三つ下の妹だ。ショートカットに、すらりとした高身長、長い手足、焼けた肌を持つ彼女は、健康的かつ中性的な美人だ。彼女の方が、唇が薄いなどややあっさりめの顔立ちをしているが。
 学校が終わった後に駅で俺と千冬くんを待っていたらしく(千冬くんのご両親は平日の方が休みを取りやすいらしく、今日は平日である)、彼女は制服を着ていた。
 紺色のセーラー服でリボンは青、防寒用に黒タイツ、そしてチャコールグレーのダッフルコート。女子校だからか上品なデザインの制服だった。
 千冬くんの妹だけあってすごく美人だ。キラキラしたオーラまで纏っているから、気後れすることこの上ない。

 ただ、俺は異性が苦手なのだが、千夏ちゃんはそういう意味での嫌悪感はない。
 それは彼女のコミュ力の高さのおかげでもあるし、彼女の性的指向からいって間違いなく、俺に恋愛対象としての関心を持たないからでもある。
 俺は女に好意を持たれるのが苦手だ。きっかけは高校時代、面倒な女に好かれたことだ。

 クラスの中心にいる派手な女にとって俺は、安全圏のいじれる男だったらしい。陰キャだから脅威にはならず、だけど顔は良いから愛玩用にはちょうどいい。そんなところだろうか。
 好意を孕んだくすくす笑い、俺を格下だと思っているからこそ飛び出す「カワイイ~!」、俺のギターを勝手に触る遠慮のなさ、踏み込んでほしくない部分をずかずか踏み荒らすデリカシーのなさ、やや過度なボディタッチ。
 全てが不快だった。なのに相手が怖くて、いつも曖昧な笑みで誤魔化していた俺自身も不快だった。

 かと思えば、同じ軽音部の女が勘違いして付き纏ってきたこともあった。
 何でも、好きな音楽やバンドで盛り上がった際に俺が笑ったり、タメ口で話しかけたり(俺は仲良くない相手には基本的に敬語だ)したのがきっかけで、「私だけが本当の綱島くんを知っている」と思ったとか何とか。
 本当の俺とやらを彼女に見せた覚えはまるでなかったが。ただ同じ趣味を持つ同じ部員として、そこそこ親しくしただけなのに。

 とにかく、千夏ちゃんにはそういった嫌な感じが微塵もない。そもそも彼女の恋愛対象に入る訳がないから当たり前だが。
 だから気後れこそするが、一緒にいるのは不快ではない。彼女はお兄さんのことが大好きで、千冬くんの話を振るとにこにこ楽しそうに話してくれるから、なおさら。

 俺たちは他愛もない話をしながら電車に揺られていた。新幹線で東京から長野まで来た後、しばらく電車に乗った先の比較的栄えた駅で千夏ちゃんは待っていたのだが、橘家へ行くにはそこからもう少し電車とバスに乗る必要があるらしい。
 俺は旅行へ全然行かないから、東京から出たことがあまりない。だから窓の外に見える景色はどれも新鮮だ。千冬くんが暮らしてきた場所だと思うと、愛おしさすら感じられる。

 千夏ちゃんに言われるがまま電車からバスに乗り換え、少しの間乗った後に降りて驚いた。そこは想像していたよりもずっと風情溢れる昔ながらの町だった。下に敷かれているのは石畳で、周りを取り囲むのは綺麗な景観と木造の歴史ある建物たち。
 きょろきょろとしていたら「一樹さんこっちだよ!」と千夏ちゃんに手招きされて、慌てて俺は歩き始めた。

「な、何か……すごいね、ここ」

 俺の口から転がり落ちたのはそんなアホな感想だったが、千夏ちゃんのお気に召したみたいだ。「でしょお!」と自慢げに胸を張っている。

「ここね、昔ながらの温泉街なんだよ。今日はド平日だからあんまり人いないけど、休日だと浴衣着た人たちが結構歩いてるんだ」
「へえ……何ていうか、趣があっていいね」
「でっしょー! 私、この町が大好き。お兄もきっとそうだと思うよ」

 俺は周囲を見回しながら、うんと頷いた。
 千冬くんは現代的な人間に見えて、実は日本古来のものが結構好きだ。以前特技として抹茶を点てることを挙げた時には驚いた。家業の手伝いの一環で覚えたらしい。
 だからきっと、千冬くんも実家や地元が大好きなんだろうな。

 今日日観光地でしか見ないような趣ある木造建築を横目に歩く。俺はしばらく町の風景をぼうっと眺めていたが、不意に千夏ちゃんが呟いた「もうすぐだよー」という言葉で一気に現実へと引き戻された。
 そうだ。俺は千冬くんのご両親へご挨拶するためにここへ来たのだ。ご両親へ……ご挨拶……。大丈夫だろうか、いきなりこんな男が「息子さんとお付き合いしてまーす」なんて現れて。「お前なんかにうちの息子はやらん!」って怒られるんじゃないだろうか。俺が親だったらこんな男がやってきたらまず反対するし。

「あの、千夏ちゃん」
「ん? 何?」
「俺、この格好でご両親と会って、大丈夫かな……?」

 実のところ今日の服装は千冬くんが「一樹はこういう服が似合うよなー」と言いながら選んでくれたものだったが、歩けば歩くほど自分の格好が町から浮いているように感じる。千冬くんの意見を聞かずにもっと地味な格好をしてくるべきだったかもしれない。
 俺が今日着ているのは、ダークトーンの総柄セーターとオーバーサイズのジーンズ、同じくオーバーサイズのモッズコートであり、全て古着だ。ピアスをはじめとしたアクセサリーもそれなりの数つけている。正直、恋人の親への挨拶時に適した格好ではないと思う。
 もうちょっと綺麗めで落ち着いた格好の方がいいんじゃないかとか、総柄のセーターは派手すぎじゃないかとか、オーバーサイズはだらしなく見えないかとか、ピアスやネックレスやウォレットチェーンは外すべきじゃないかとか、俺は服を選ぶ千冬くんに色々言った。言ったが、「格好良いから大丈夫!」「別に服装とか気にするような親じゃねーよ」で終わり。

「うーんと、うちの親は格好とか気にする親じゃないから大丈夫だと思うよ。ただ――」
「ただ?」
「一樹さんみたいなファッションの人、ここら辺にはあんまりいないから……もしかしたら最初はびっくりしちゃう、かも?」

 言いづらそうに言葉を選ぶ千夏ちゃん。俺は食い気味に「や、やっぱりそうだよね!?」と返した。
 人の格好を気にするようなご両親じゃないとはいえ、だ。もちろんこの服装を選んでくれた千冬くんのセンスを疑う訳じゃないが、彼ってしっかりしてるようで、変に抜けた部分があるから……。
 俺の反応が予想外だったみたいで、千夏ちゃんは俺の顔を意外そうに見た。俺は曖昧に笑いながら呟く。

「あー……これ、千冬くんが選んでくれた服装なんだよね。いやもちろん千冬くんがセンスない訳では全然ないんだけど、ご両親へのご挨拶って場だし、俺はもうちょっと大人しい格好の方がよかったんじゃないかって思ってて……」
「なーるほど。お兄が選んだんだ。じゃあそのまんまでいいんじゃない?」
「ほ、本当に?」
「ほんとほんと。そりゃ、落ち着いた格好の方が世間一般的には好印象だけどさ、お兄はたぶん、一番『らしい』格好の一樹さんを連れてきたかったんじゃないかな」
「な、なるほど……?」
「あ、そんな話してたらもう着いちゃった。じゃーん、ここです!」

 立ち止まった千夏ちゃんが誇らしげに手で指し示すのは、三階建ての立派な日本家屋だった。歴史の染み込んだ深い色の木とどっしりとした屋根瓦が印象的だ。木の格子状の入口があって、入口手前には古い木で出来た看板が立っている。そこに書かれているのは「橘屋旅館」の四文字。
 ……千冬くんの家業のことは前々から聞いていた。実家は旅館を経営していて、千冬くんは家業を継ごうかとぼんやり考えていたが、妹の方がずっと熱量高く継ぎたがっていたため、妹に任せて自分は上京してきた、と。
 聞いてはいた、が……「十部屋もない小さな宿だよ」「常連さんも従業員の人たちもいい人ばっかでさ、小さい頃からみんなに可愛がってもらってた」なんて発言から、アットホームな民宿を勝手に想像していた。それが実際はどうだ。

「し、老舗感えぐ……。てか、高級旅館……?」
「まあ、安くはないよ。確か百年ちょっと続いてたはず。大正時代からあるから」
「ひえ」

 既に帰りたくなってきた。絶対に服装を間違えた。冗談抜きで「お前なんかに息子は任せられん!」って怒られるんじゃないだろうか。
 尻込みする俺をよそに千夏ちゃんは遠慮なく格子状の扉をがらりと開け、大声で「お母さーん、お父さーん、お兄の彼氏連れてきたよー!」と呼びかけた。
 ちょっと待ってほしい、まだ心構えが全くできていない。具体的にはあと一時間くらい覚悟を決める時間が欲しい。どうしよう一言目は何がいいんだ? なんて名乗るべき? 持ってきた手土産はいつ渡すべき? ていうか――

「お、ようやく来た」
「うぐふっ」
「え、何?」

 思わず崩れ落ちてしまった。旅館の中から何気なく顔を出した千冬くんが、なんと和装だったのだ。
 灰色の着物に紺色の羽織ものを着た千冬くんは、いつもよりずっと大人っぽく見えた。突然の和装姿の千冬くんは目に毒だ。

「お兄わざわざ着替えたの?」
「うん。父さんと母さんが着物着て気合い入れてるから俺もーって」
「えー、じゃあ私だけ制服? 着替えた方がいい?」
「別に着替えなくてよくね? 俺は暇だったから着替えただけだし」
「んん、ならいっか」
「おー。で、一樹はどうした?」
「私もよく分かんない。一樹さんだいじょぶ?」

 二人に心配された俺は慌てて立ち上がって大丈夫だと答え――ようとして再び「うっ」と呻いた。駄目だ。千冬くんの和装姿が格好良すぎる。
 俺はしばらく深呼吸をして、落ち着いて覚悟を決めてからもう一度千冬くんのことを見た。大丈夫だ、最初よりはずっと慣れた。

「あの、千冬くん」
「ん?」
「写真を、撮っても、いいでしょうか」
「え、写真? 何の?」
「お兄のじゃない? 着物着てるお兄の写真」
「あーなるほど? 全然いいよ、何枚でもどーぞ」

 千冬くんは「橘屋旅館」と書かれた木看板の隣に立って微笑んでみせた。ぴんと背筋を伸ばしてこちらに微笑みかける千冬くんは、清廉とか凛とした、なんて言葉を使いたくなる美しさに溢れていた。いつものきらきら輝く格好良さとはまた別で、慣れないからちょっと刺激が強すぎる。

「か、かっこよすぎる……」
「あはは! じゃんじゃん褒めてくれていいぜ!」
「うっ……かわいい……」

 今度は満面の笑みで思い切りピースをしてみせる千冬くん。無邪気な笑顔が最高に可愛い。大好き。
 俺はいつまでもシャッターを切れるくらい興奮していたが、呆れ混じりの「ほんとにお兄のこと好きなんだね……」という千夏ちゃんの呟きを聞いて我に返った。

「あ、ご、ごめん! もう大丈夫ですありがとう!」
「そう? じゃ、案内するから中入って」

 千冬くんがどこか嬉しそうに先導して、千夏ちゃんがその後へ続く。俺は足を踏み入れる覚悟を決めて、恐る恐る「橘屋旅館」の中へと入っていった。
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