猫をかぶるにも程がある

如月自由

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番外編

1 救われた仲間だから

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 うわ女殴ってそうなタイプの男だ。

 彼を見た時最初に浮かんできた感想がそれだった。口に出していないとはいえ、とても失礼なことを考えてしまった。反省。

 覇気のない曖昧な表情、隈のある吊り目、ややハイライトのない瞳、印象の薄い鼻や口元、前髪を真ん中で分けた黒髪マッシュ、日焼けをしていない肌、骨張った長い指、やや猫背気味の姿勢。
 ダークトーンの派手な柄のセーター、古着感のあるモッズコート、オーバーサイズのジーンズ、黒いスニーカー、ポケットから覗く水色のタバコの箱、耳軟骨まで開けられたシルバーピアス。
 彼を構成する全てがアンニュイな雰囲気を醸し出していて、好きな人はとことん好きそうなタイプの男だ。
 これに加えてバンドマンで、バイト先はバーだと聞いたんだけど……私は内心嘆息した。お兄、もしかしなくても騙されてない?

「あ、えっと……千冬くんの妹さん、ですよね? 初めまして。その……僕、一樹って言います」
「はい。お兄からよーく聞いてます。一樹サン」

 私の固い声色に気付いたのか、少し顔を強ばらせた彼。隣に立つお兄は戸惑ったように口を開いた。

「どうしたんだよ千夏(ちなつ)。なんか不機嫌だけど」
「別に不機嫌じゃないよ。ただ……」
「ただ?」

 私は少し考えた後、思い切って彼の手を掴んだ。お兄と彼は驚いたように目を丸くする。

「お兄、うち帰る前にちょっと一樹さん借りるから」
「え、あ、」
「何で? 別にうち着いてから話せばいいじゃん」
「駄目なの! ていうか私――」

 怯んだように私を見下ろす彼に向かって、私ははっきりと言い放った。

「――この人がお兄の彼氏って、まだ認めてないから」







「俺、一樹のこと家族に紹介したいんだよね」とお兄が言い出したのが先々週。十一月の終わり頃だった。
 私の兄、橘千冬は三つ上で、今は大学二年生だ。進学のために上京していて、半年に一度くらいしか地元に帰ってこない。電話は一、ニ週間に一度くらいの頻度でしているが。
 お兄が今お付き合いしている相手というのが一樹さん。同じ学科の同級生で、付き合って大体半年くらいだそう。

 お兄が家族に恋人を紹介したいと言い出したのは、実は今回が初めてだった。
 今までは私に話して、写真なんかを見せて、それで終わり。同じ高校の元カノはたまたま会う機会があったから、ちょっと挨拶して立ち話くらいはしたことがあったけど。
 お父さんとお母さんには聞かれたら恋人がいることを話しはしたものの、詳しいことはそこまで話さず、会わせようとすることもなく。心配したお母さんが「あの子、大丈夫? ちゃんとした相手とお付き合いしてるのかしら」と私に探りを入れてくるくらいだった。
 だから、お兄がそんなことを言い出して私は結構驚いた。

 どうして紹介しようと思ったのか聞くと、お兄は「お互い一人暮らしでさ、いつも結局どっちかの――というかほぼ一樹の家に入り浸ってるから、家賃もったいないし、同棲しようと思ってるんだよね。で、同棲するなら紹介した方が皆安心できるかなって思ってさ」なんて言っていた。
 確かに、紹介もなしに同棲し始めたら心配する。特に私が。
 それでお兄は、お父さんとお母さんにもこの話をして予定を合わせ、約二週間後の今日、一樹さんを連れてうちに帰ってきた。

 私はお兄と一樹さんが降り立つだろう駅で二人を待ち構えていた。一樹さんにお父さんとお母さんと会ってもらう前に、まず私と話をしてほしくて。
 だって、私は心配なのだ。お兄はあまりに良い人だから、人を信じすぎる。明らかな地雷ですら平気で踏んでしまう。それでお兄は、悪い女に引っかかりっ放し。
 九月の初め頃、一樹さんとの関係が一回拗れた話を聞いてから、私はなおさら心配していた。私はお兄の話を通してしか知らないけど、言葉を選ばずに言えば――クズ臭がする。本当に大丈夫なんだろうか。

 お兄には、幸せになってほしいのだ。
 身内の贔屓目を抜きにしても、お兄は滅多にいないくらいハイスペックな男だ。びっくりするくらい顔が良いし、高身長だし、細身ながら筋肉で引き締まった身体をしているし、運動神経も良いし、明るくてコミュ力抜群で、相手への気遣いもばっちりな爽やかイケメン。正直、少女漫画の中から飛び出してきましたと言われても頷ける。
 ただ少女漫画では往々にして、お兄のような男は当て馬として扱われがちだ。お兄の場合は残念ながら現実でもそうで、大抵相手に浮気をされて別れる羽目になる。お兄は相手に対して常に、誠実に向き合おうとする人なのに。

 それにお兄はイケメンすぎるのが災いして、ほとんどの人が表面しか見ない。見た目とか明るく爽やかな部分とか、そういう上っ面だけをなぞってきゃあきゃあ騒いでいる。
 私が思うお兄の最高な部分はそこじゃない。表面に現れる部分だけじゃなくて、もっと奥にある根幹の部分。凛とした芯の強さ、何でもまずは偏見を持たずに受け入れる寛容さ、どんな相手でも誠実に向き合おうとする優しさ。そこが何よりも最高なのだ。

 お兄のそういう部分を見てくれる人じゃないと、私は絶対に恋人として認めない。見栄えやスペックばかり気にする人は論外だ。
 だってそれなら、お兄じゃなくたっていいはずだ。そんな軽薄な人に、お兄ときちんと誠実に向き合わない人に、お兄を渡したくはない。

 だから私は、まだ一樹さんのことを認めていない。


 ファミレスのテーブル席で向かい側に座る一樹さんは、居心地が悪そうに身体を小さくしてアイスティーを啜っている。私は、一樹さんが奢ると言ってくれたので遠慮なく頼んだパフェを食べながら、再び一樹さんをじっと見つめた。
 やっぱり彼には、そこはかとないクズっぽさがある。それから高校の友達が、こういう雰囲気の年上大学生と付き合って蔑ろにされていたから、それも引きずっているのかも。
 私はどうしても色眼鏡を外せないから、お兄のようにはなれない。私の欠点の一つだ。

「あー、ええと……妹さんは、今高校二年生でしたよね……?」

 私は正直、一樹さんに対してあまり良い印象はない。だけど彼が、怯えすら見える口調で尋ねてきたから反省した。私の態度があまりに悪すぎたんだろうな。
 お兄を先に帰らせて初対面の一樹さんをファミレスまで引っ張ってきたのは、私のわがままだ。お兄の恋人がちゃんとした人なのか確かめたいっていう私のエゴ。もしかしなくても余計なお世話かも。
 私は取り繕うように笑顔を浮かべて、手を振った。

「そうです。っていうか、そんな丁寧な話し方じゃなくて大丈夫ですよ! 私年下だし」
「あ、いや、でも、妹さんに――」
「千夏(ちなつ)、って呼んでください」
「あ、えっと、その」
「ていうか、お互いタメ口でよくないですか? 正直話しづらいし」
「ええと、じゃあ、それで」
「よかった!」

 明るく笑ってみせたら、一樹さんは目を瞬いた後、ちょっとだけ笑った。思わずこぼれた、って感じで。首を捻ると、一樹さんは「いや、その」と目を逸らしながら小さく答える。

「何か、千冬くんにそっくりで」
「お兄に?」
「えっと……初めてちゃんと話した時、その、千冬くんも同じような距離の詰め方してきたなって、思い出して」
「ふーん、そっか」

 視線をテーブルに落としたまま、一樹さんはそっと目を細めて口元を緩めた。何だか、愛おしげな目をしている。不思議だ。そういう表情をしていると、気怠げで暗い雰囲気が一気に柔らかくなる。
 思っていたような人じゃないのかもしれない。私は初めてそう感じた。お人好しなお兄がいつもみたいに騙されてる訳じゃないのかも。

「そういえば、お兄とは何がきっかけで知り合って、どうやって付き合うようになったの? お兄ってば、聞いてもちゃんと答えてくれなくて」
「あ、そうなんだ。えっと、知り合ったきっかけは、なんて言えばいいんだろうな……偶然、かな。学食でたまたま千冬くんとぶつかって、千冬くんの食べてた坦々麺の汁が俺の服にこぼれちゃって、それで」
「あー、分かった。今度何かお詫びしますよーとか、自分の服貸しますよーとか、そういうことお兄が言ったんでしょ? で、それがきっかけでお兄の方から話しかけてくるようになったとか」
「……何で分かったの?」
「だって妹だもん。お兄のやりそうなことなら分かるよ」

 一樹さんは「そっか」とまた笑った。柔らかい笑みだった。私を見つめる目がすごく優しい。
 付き合ったきっかけを急かすと、一樹さんは困ったように唸ってから答えた。

「その、なんていうかな……仲良くなった後、二人で友達として遊ぶようになったんだけど、一回二人で宅飲みをして。その時に……ええと……」
「その時に、何?」
「あー……俺が、えっと……告白、したんだよ、千冬くんに。それで、千冬くんが受け入れてくれて、付き合うようになったんだ」
「ふーん……?」

 何か誤魔化してるな。そう直感的に思った私は「どんな告白したの?」と突っ込んで聞いた。
 するとなぜか、一樹さんの顔色がさらに悪くなった。あからさまに視線を泳がせながら「えーっと……」ともごもご呟く。

「……人に言えないような告白したの?」

 そんな人にお兄を任せたくないんだけど。
 私の不信感が言葉から伝わったのか、一樹さんは情けない表情で目を伏せた。

「えっと……」
「え、そんなに失礼で不誠実な告白だったとか?」
「あっ、いや、失礼とか不誠実とか、そういう訳じゃないんだけど……」

 しばらく口ごもっていた一樹さんだが、やがて諦めたように息を吐いた。

「……何でもするから付き合ってほしい、って感じのことを、その、半泣きで……」
「へ、へー……そうなんだ……」

 なにその告白ダサ、とは言わなかった。何とか飲み込んだ。さすがにそんな失礼なことを面と向かっては言えない。
 ただ、一樹さんは私が飲み込んだ言葉を見透かしたように眉尻を下げた。

「……死ぬほどかっこ悪いよね」
「あー……」
「いや、正直に言ってもらって全然構わないよ。俺も、その、もうちょっとマシな言い方あったよなって思うし、それから、何であれで千冬くんがオッケーしてくれたのか、さっぱり分かんないし」
「まあ……うん。予想外の方向にすごくてびっくりしちゃった。なんか、ちょっと意外だったかも」
「意外?」

 私は頷いて、お兄が電話越しに言っていたことを思い出した。
 お兄はよく「一樹は優しい」「一樹は俺のことが大好き」なんてことを言っていた。それから、一樹さんがしてくれたこともよく話してくれた。あとは一樹さんのバンドの話とか。
 話を聞いている分には、確かに優しく愛してくれる人に聞こえた。だけどお兄は、一度信頼した相手のことは疑おうとしない人だ。特に恋愛関係においては。そこは懐の広さや優しさにも繋がっているけれど、同時に騙されやすさにも繋がりかねない。

 正直、一樹さんから受けた印象的に、彼は甘い言葉やそれっぽい態度、見せかけの愛で誤魔化す人かもしれない、とも疑っていた。お兄はそういう、上辺だけの女に騙されがちな人だから。
 だけど、今こうやって話してみて受ける印象は全然違う。なんていうか気が弱くて、情けなくて、お兄のことが大好きな不器用な人、って感じだ。

「……一樹さんって、お兄のことちゃんと好きなんだね」
「そりゃもう!」

 初めて食い気味に返答された。今までは少し黙ったり、どもったりしながら答えていたのに。
 一樹さんがやや前のめりになったことに驚いていると、彼は「あ……あはは、ごめんね」と気まずそうに身を引いた。
 やっぱり、私が最初抱いていた偏見とは違う人のように思える。クズ男っぽいだなんて勝手に警戒していたことが恥ずかしい。

「私ね、一樹さんって、言い方悪くて申し訳ないんだけど……実は悪い男なんじゃないかなって疑ってたんだ」
「悪い男?」
「うん。なんていうか……平気で浮気したり、相手を騙したりするタイプの人。前にお兄からさ、な……なんだっけ、なんとか川さんっていう、元彼? の話聞いたから、なおさら」
「ああ……」

 一樹さんは苦虫を噛み潰したような表情になった。身に覚えがない、っていうよりは、図星、って感じの顔だ。消えかけていた疑念がまた再燃する。一樹さんの目をじっと見ながら、私は尋ねた。

「あの話って、本当? めっちゃ浮気してたとか、相手のことすごい雑に扱ってたとか」
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