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本編
14 ……口わる
しおりを挟む「――なに一樹、誰か来たん?」
予想だにしていなかった第三者の声に俺は固まった。顔を上げると、半裸の男が一人そこに立っていた。
彼はパンツ一枚しか履いていなくて、上半身は裸だった。髪は一樹と同じように濡れていて、タオルが首からかかっている。
どう見ても風呂上がりの格好だ。……なら、こんな時間に同じタイミングで二人がシャワーを浴びたっていうのは、どういう理由だ?
それに勘づかないほど俺は馬鹿じゃない。どう考えても理由は一つしかないだろ。
「は…………?」
でも、頭ではそう理解できても、全然分からない。分かりたくない。
だって、何で? 何で一樹がそんなことを? 一樹は俺のことが好きなんじゃないのか?
一樹は俺のことが大好きなはずだ。告白するときに、半泣きで何でもするから付き合ってくれって縋り付くくらい。俺と話しているだけで、今が人生で一番幸せって言うくらい。俺が一緒に花火やろうって誘っただけで、大喜びするくらい。
なのにどうして? どうして……浮気なんて。
心の中で言葉にしただけでも、胸がずきんと痛んだ。自分でもびっくりするくらいにショック受けてるな、俺。
頭が真っ白になるってこういうことをいうんだな。他人事のようにそう思った。
「……一樹、誰だよそいつ」
俺の声は、自分でも驚くくらいに弱々しかった。俺、何でこんなに傷ついてんだろ。
一樹は目を見開いた。その後にものすごい勢いで、「ち、違う、違うんだよ千冬くん!」と弁解し始めた。なのに何が違うのかは全然何も言わない。
何だよ、その反応。本当に浮気したみたいじゃん。
色んな負の感情が一気に湧き出てきて、その奔流に心が押し流されていくような錯覚に陥った。
「こんな時間に二人でシャワー浴びてさ、そんなん、やったことなんて一つしかないじゃん」
「違うんだって千冬くん! そうじゃなくて、俺は、」
「お前が会いたいって言ったんだろ。うちで待ってるから会いにきてって。だから俺、家に着いて色々荷物置いてきた後すぐ電車乗ってさ、コンビニ寄ってお菓子とジュース買ってきたんだよ? お菓子は一樹が好きって言ってた柿の種とポテチでさ、ポテチはのり塩味にしたら今日食べなくても一樹が後でつまみにできるかなって、俺、一樹のこと色々考えて」
何言ってんだろ俺。すっごく女々しいやつみたいだ。こんなこと言いたいんじゃないのに。
だけど口は勝手に動いていく。
「……一樹は、俺のこと、好きだったんじゃないの?」
「す……好きだよ! 大好き! 本当に! 浮気とかそんなこと全然してないし、神に誓って――」
「俺、浮気なんて一言も言ってないじゃん。なのにそんな言葉出てくるって、疚しいことがあるってことだよな」
一樹は固まって絶句した。かと思ったら、後ろを振り向いて彼に容赦なく怒鳴りつけた。
「お前からも何か弁解しろクソが! 何で黙って傍観者ぶってんの!? 全部お前のせいだろ! ふざけんじゃねーよ!」
「……口わる」
いつもの一樹からは考えられない言葉遣いに驚いて呟いたら、一樹は焦ったように口を塞いだ。
一樹って、本当はそういう口が悪いやつだったのかな。……俺、本当に何も知らなかったんだな、一樹のこと。俺の思う「いつもの一樹」って、「綱島一樹」って人間のほんの一部でしかなかったんだな。
そう思ったら、喉の辺りからぐわっと熱いものが込み上げてきて、俺は慌てて唇を噛んだ。やばい、何か泣きそう。
「……ごめん、俺もう帰る」
俺は俯いて取り落としたコンビニの袋を取って、一樹に背を向けた。今は一樹に顔を見られたくなかった。だって俺、すごいかっこ悪いし。
一樹は「待って千冬くん!」と腕を掴んできた。俺はその腕を振り解くことができなくて、だけど振り向くこともできなかった。
「本当に違うんだよ。説明するから、ちゃんと説明するから、頼むから俺のこと見捨てないで、話聞いて……。大好き、本当に大好きなんだよ千冬くん。こんなしょうもない勘違いで捨てられたくない。俺、千冬くんに捨てられたら本当に駄目になっちゃうよ……」
ぐす、と鼻をすする音が聞こえた。
何でお前が泣いてんだよ。そんな切なそうな声で言われたら、見捨てられる訳ないだろ。
「……じゃあ何で、こんな時間に二人でシャワー浴びた訳」
「それは、その……ええと、すごく言いづらいんだけど……ついさっき、二人とも起きたから。昨日、風呂入らずに二人とも寝ちゃったからさ、とりあえずシャワーでも浴びてすっきりしようと思って」
「……は?」
さっきとは違う意味での「は?」が出た。今のは単純に言っている意味が理解できなかった「は?」だ。
今起きたって、午後三時過ぎなのに? 午前九時前に俺に連絡してきたのに?
思わず振り向いてしまった。すると一樹は、涙目で親に怒られた子供のように萎縮してぼそぼそと答えた。
「その……俺のバイト先がバーでさ、夜遅くまで働いてるっていうのは知ってるよね?」
「まあ、うん……それが?」
「で、昨日――いや日付的に今日か、はラストまででさ、午前二時半過ぎくらいまで働いてたの。んでバイト終わりに誰かと飲みたいなーと思って、バンドの皆に『誰か暇なやついる?』って聞いたらこいつが暇だったからさ、一緒に飲みに行った訳。確か午前三時くらいに」
一樹の後ろで所在なさげに立っている彼を見ると、彼は気まずそうにこっちへ歩いてきてから頭を下げた。
「あー、えっと……こんなタイミングで自己紹介すんのめちゃくちゃアレなんだけど……一樹とバンド組んでる祐介です。一回だけ電話越しにちょっと喋ったんだけど、覚えてない?」
「……あっ、ギターの金髪マッシュくん?」
「そう! 何か、その……最悪なタイミングで、紛らわしい格好して出てきちゃってごめん」
すごく申し訳なさそうな顔をして彼が言う。一樹を見ると、一樹は俯いて続けた。
「で、三時ごろから飲みに行って、五時ごろに居酒屋出て、コンビニで酒買ってカラオケ行って……その後は二人とも記憶ないんだけど、たぶん俺の部屋で朝まで飲んでたんだろうね。千冬くんに動画送りつけた時間的に。それで気付いたら寝落ちして……俺が目覚めたときにはもう午後三時過ぎてて」
「で、起きてからシャワー浴びて、ちょうどその時に俺が来たってこと?」
「……そういうことです」
ちょっと情報量が多くて処理しきれない。俺は顔をしかめながら「えーっと、まずさ」と呟いた。
「今日の午前三時から、少なくとも午前八時半頃まで二人で飲んでたってことでいいんだよな?」
「……うん」
「飲み過ぎじゃね? え、じゃあさ、俺に弾き語りの動画送ってきたり、会いにきてって言ったり、あれは全部ベロベロに酔っ払った勢いでやったってこと?」
「……そうです。ごめんね本当に。何でこいついきなり弾き語りの動画送ってくるんだよ、って思ったでしょ。俺だって起きてから君とのトーク画面見て血の気が引いたし」
「はー……何だ、なるほどね……」
全て納得がいった。どうして何の脈絡もなくラブソングの弾き語りを送ってきたのかも、いつもと違うひらがなだらけの文体で連絡してきたのかも、こんな時間にシャワーを浴びたのかも、全て。
全部酔っ払ってたからなのか。それにしても午前三時からって。俺はそれくらいの時間に寝始めたんだけど。
しかし、動画を見たのに飲んでいたとは気付かなかった。それだけ歌は上手かったし、顔は特別赤くもなかった。あんまり顔に出ない方なのは知っていたけど、記憶無くすほど飲んでてもそんなに変わらないんだな。
「……でも、ごめん。本当に何にもないし、ていうか祐介は男が守備範囲外だから、そもそも間違いが起こるはずがないんだけど、それでも俺が紛らわしいことしちゃったっていうのは本当だから。その……」
「……一樹は、俺のこと好き?」
「! 好きだよ! 大好き! この世で一番好き!」
一樹は俺の腕を掴んだまま、急き込んで言った。一樹は俺より少し背が低いから、こうやって見上げられると一樹の目がよく見える。
一樹の目は涙の膜でキラキラしていた。何だか綺麗だな。一樹の目は深い黒色をしていて、それがキラキラと光っていると、何だか黒い真珠のように見える。黒い真珠、見たことないけど。
「ならいいよ。俺も早とちりしちゃってごめん」
「よかっ……たぁ……」
一樹は深く安堵のため息を吐いた。
それから「で、安心したなら手離してくれる?」「あっ、ごめん!」なんてやりとりをした後、一樹はちょっとだけ笑った。
「安心したら、ちょっと嬉しくなっちゃった」
「何に?」
「……ううん、何でもない」
一樹は嬉しそうに呟いた後、「俺、ちょっとだけ部屋片付けてくるから待っててね」と背を向けた。
玄関に俺と金髪マッシュくんだけが取り残される。彼は気まずそうに曖昧に笑ってきたから、俺も何となく笑い返しておいた。
「えーっと……祐介? だっけ」
「そう。いやー、本当にごめん。めちゃくちゃ紛らわしいことしちゃって。ていうか俺、すっごいお邪魔だよな。さっさと帰ろ……」
金髪マッシュくんこと祐介は何だか居心地悪そうに首をすくめて言った。最大の被害者、彼なんじゃないかな。
彼はタオルで頭を勢いよく拭きながら、俺に言った。
「まあその、一樹は悪いやつじゃな――ほんとに悪いやつじゃないか? でも、根はいいやつ――うーん……。いやまあ、一樹が陽キャくんのこと大好きなのは事実だからさ」
その後彼は「後で洗濯しといてもらおっと」とタオルを洗濯機の中に投げ入れた後、続けた。
「付き合ってやってもいいかなって思ってるうちはさ、一緒にいてあげて、優しくしてあげてよ。一樹、千冬くんは生きてるだけで俺の救いなんだって言ってたくらい陽キャくんのこと大好きなんだよ」
「そんなこと言ってたの? 生きてるだけで救いってどういうことだよ」
「存在そのものが尊い的な? 知らんけど」
彼は服を着ながら言って、一瞬部屋の中に戻って荷物を取ってきてから、俺に笑いかけた。
「まあ、何だろ、俺は一樹と陽キャくんのこと応援してる、ってことだけ伝えたくて。一樹はあんなだけど放っとけない友達だし」
「何か、良い友達なんだな」
「だろー? やっぱそう思うだろ? 俺は間違いなく良い友達なんだよ。その言葉、陽キャくんの口からあいつに言ってやって」
彼はニヤニヤしながら言った後、「バイバイ、お幸せにな!」と手を振って一樹の家を出ていった。
ちょうどその時、一樹が部屋のドアを開けて顔を出してきた。一樹はにこにこと楽しそうに笑っている。
「ごめんね千冬くん、お待たせ!」
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