猫をかぶるにも程がある

如月自由

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本編

13 今日はお寝坊さんだったね

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「――ゆ、千冬、いい加減起きろ」

 身体を揺り動かされて、俺はゆるゆると目を開けた。眩しくて目を細めながら見上げると、黒い短髪頭が目に入った。宏輝だ。
 俺は一度伸びをしてから何とか起き上がった。眠くて目を擦っていたら、後ろの方から「おはよ」と声が聞こえた。振り向くと、涼が布団を畳みながらにこにことこちらを見ている。

「おはよ、千冬。今日はお寝坊さんだったね」
「……今、何時……?」
「八時二十分。九時ごろに大広間集合だから、急いで準備しちゃいなね」
「え、あと三、四十分しかなくね?」
「ああ。だから急げよ。俺も涼ももう部屋出られるから、あとは千冬だけなんだ」
「何でもっと早く起こしてくれないんだよ……! いや起きなかったのは俺の責任か。と、とりあえず顔洗ってくる!」

 俺は慌てて洗面所へと走った。

 今日は合宿四日目の朝で、ここに泊まるのは今日が最後だった。
 だから早く起きなきゃいけなかったんだけど、どうして遅くなってしまったのかというと、昨日は夜遅くまで飲んでいたからだ。

 昨日はサークルの皆で飲み会をやった。で、飲み会自体は二十三時を少し過ぎたあたりに終わって片付けたんだけど、その後同じ部屋の俺と涼と宏輝で飲み直したのだ。
 それがだらだらと長く続いてしまった。何と眠りについたのは二時半過ぎだった。楽しかったからいいんだけど。

 涼しい夏の夜、三人でたわいもない話をしながら少し遠いコンビニまで歩くのも、コンビニ帰りにふざけて近くの海へ寄って、水にちょっと足をつけてみてゲラゲラ笑うのも、部屋に戻ってコンビニの缶チューハイとお菓子で飲むのも楽しかった。なんかこういうの、大学生って感じでいいなあ、としみじみ思ったくらい。
 んで缶チューハイを飲みながら涼と宏輝に、一樹について根掘り葉掘り聞かれた。で、酒で口が軽くなってあれこれ話しているうちに二時半を過ぎてしまった、って訳だ。

 ……ていうか、同じくらいの時間に寝た涼と宏輝は、どうしてそんなにしっかり起きられたんだよ。俺だけ寝坊しかけたっていうのがちょっと納得いかない。

 冷たい水で顔を洗って、タオルで顔を拭いてから鏡を見つめる。幸いにも寝癖は全然ついていなかったから、適当にワックスつければいいか。
 ワックスを手のひらに塗り広げていたら、後ろから「千冬ー、布団畳んどいたからしまっておくねー」という涼の声が聞こえた。俺は「ごめん、ありがと!」と答えながら髪のセットをさっさと終えた。

 そうやって急いで身支度を整え、荷物整理をしたら、全て十分以内に終えることができた。今は八時半か。逆に時間余っちゃったな。
 そんなことを言ったら、宏輝はスマホに目を落としたまま「そっちの方がいいだろ」なんて呟いた。それは確かにそうだ。
 俺は間に合ったことにほっとして座り込み、スマホの電源をつけた。すると、昨日は全然音沙汰のなかった一樹から突然動画が送られてきていた。
 一樹とのトークを開いてみたら、その動画のサムネイルは一樹がアコギを持って座っているものだった。突然何だろう。

「これ何?」と送ってみたら、すぐに既読がついて返信が来た。一樹曰く、「千冬くんへの思いを歌で表現しました」。
 何で? 何でいきなり? しかも何でこんな朝っぱらから? 俺はとりあえず「何だそれ笑笑」と返信しておいた。
 んふふって感じで思わず笑ってしまったら、涼が「千冬どうしたん?」と俺の近くへ寄ってきた。

「いや何か、一樹から突然動画が送られてきてさ」
「何の?」
「たぶん弾き語り? ほら見て」

 トーク画面をそのまま涼に見せたら、涼も同じように、ふふっと吹き出した。

「これ何? しかも何の脈絡もないよね?」
「そうなんだよ。本当に何なんだろ……」
「なに、俺にも見せて」

 宏輝が涼とは反対側から覗き込んできた。見せると、宏輝は首を捻った。

「……何だこれ?」
「分かんない……」
「千冬の彼氏って、その……ちょっと変な人?」
「ちょっとじゃないだろこれは。深夜なら深夜テンションとかで説明つくけど、朝の九時前だぞ」

 一樹が、涼と宏輝からぼろくそに言われている。いやでも、この行動は俺もちょっと理解できないな。
 とりあえず再生してみろよ、と宏輝に言われて、俺は動画をタップして、画面を横向きにして流し始めた。

「このイントロ聞いたことあるな。何だっけ」
「忘れた。何か有名な曲じゃなかった?」
「すごいストレートなラブソングだね。うわぁ……これ、恋人に向けて歌うの恥ずかしくないのかな……」
「絶対恥ずかしいよな。俺だったらこんな動画を送るのは無理だな……。やっぱり千冬の彼氏って変わっ――」
「かっこよ……」
「――えぇ……。千冬の感性も変わってるよな……」
「うーん、それは否定できないけどさ、朝の九時前に突然送ってくるっていう謎シチュエーションを無視したら、めちゃくちゃ歌上手いしかっこよくない? ……たぶん」
「あーまあ、歌は死ぬほど上手いけどな……」

 両隣で涼と宏輝がごちゃごちゃ言っている気がするが、全て耳に入ってこなかった。

 曲調の違いもあるのかもしれないけど、この前送ってくれた演奏の動画よりもずっと優しい歌い方だった。たとえるなら隣でそっと肩を抱きしめるような歌声だ。
 それなのにサビではその歌声が勢いを増して、いい意味で荒々しい歌い方になった。想いを込めて力強く歌ったら枯れたって感じの高音がすごく好きだ。
 それから、優しく囁くような歌い方をしていても、勢いのある真摯な歌い方をしていても、一樹の声の色気は健在だった。それもすごく好きだ。本当に、どうしてこんなにかっこいい声してるんだよ。
 一樹は俺によく好きと言ってくるが、それよりもずっと嬉しくて恥ずかしい。何がすごいって、この歌、一樹が俺のためだけに歌った歌なんだよな。

 動画が終わるまで、俺はスマホの画面にずっと釘付けだった。
 一樹はずっと下を向いてギターを弾いているんだけど、時々こっちをちらりと見るからたまらない。気怠げで、だけどどこか甘さを含んだ目で見てくるから。
 歌い終わった後、一樹はへにゃりと気が抜けたように笑って動画を止めた。その表情も、何かずるいな。

「え、すご」「めちゃくちゃ上手いな」と俺は一樹に送った。もっと言いたいことはたくさんあったのに、いざ書こうとすると何も言葉が出てこない。
 そしたら一樹は「えへへ」「やったあ」と返してきた。眠いのか何なのか、いつもより気の抜けた返信だ。ちょっとかわいい返信でずるい。

「……千冬さ、顔赤いよ」

 不意に涼がそう言ってきた。どこか呆れたように。
「え、うそ。本当?」と慌てて顔に手をやったら、宏輝まで呆れたように笑った。

「まあ、確かに歌はものすごく上手かったな」
「だろ? 俺、一樹の歌めちゃくちゃ好きなんだよ」
「……いや、歌だけじゃなくないか? 多分それ――」
「――しっ。余計なことは言わないで見守っててあげようよ。その方が面白いじゃん」
「……まあ、そうか」

 涼と宏輝で何だかよく分からない会話をしている。「どういうことだよ?」と聞いたら、二人は同じような苦笑いを浮かべた。

「いや、別に。千冬ってさ、察しはいいんだけど変に鈍いところあるよね……。今だから言うけどさ、元カノの花澄と健司さんのあれだって全然気付かなかったし」
「ああ、あれな……」
「え、何? どういうこと?」

 健司さんっていうのは、花澄が俺と別れた後、付き合い始めた先輩の名前だ。嫌な予感がして聞くと、涼はすごく言いづらそうに答えた。

「花澄さ、千冬と付き合ってる頃から健司さんと浮気してたんだよ。なのに当の千冬は全然気付く気配なくて。で、千冬が幸せそうだったから気付かせるのも悪いと思って、僕らは何も言わなかったんだけど」
「だから、別れて正解だったと思う。千冬はすごく良いやつなんだけどな、良いやつすぎて変なやつに引っかかるのかな……」
「……今の人は、大丈夫だよね? 話聞いてる限りはちょっと変な人だけど、浮気したりとか遊んだりとかそういう方面での心配はなさそうだけど……」
「……一回、その人と俺たちを会わせてくれないか?」

 俺は「いいけど……」と答えた後、「ていうか、俺の信用なさすぎじゃね? 何で?」と聞いた。そしたら二人は顔を見合わせた後、ぼそりと呟いた。

「千冬だからな……」
「千冬ってなんていうか、ちょろいんだよね……」
「どういうことだよ! それ、妹にまで言われんだけど」
「そりゃあな……だってお前、今年のエイプリルフールの嘘、綺麗に引っかかっただろ」
「も、もうその話はいいだろ! だって、涼と美帆が結婚するっていうから、俺嬉しくって」
「何で信じちゃうかなぁ……。する訳ないじゃん。大学卒業して就職するまでは待つよ、さすがに」
「だって、学生結婚とかあるっていうしさ……」
「あと、俺がアメリカに行くって嘘も信じちゃうし。逆に何で信じたんだ?」
「りゅ、留学かなって……」
「留学かなって思う前に、まず日付を確認しろよな」

 二人から呆れた視線を投げかけられて、俺は俯いた。いつまでたってもエイプリルフールネタでいじられるから本当に嫌だ。
 だって、信じちゃったもんは仕方ないだろ! 俺じゃなくて、ごく自然に、平然と嘘をつく二人が悪いんだ。

 まあ、そんな訳だから今度会わせてね、と言って涼と宏輝が離れた後、俺はスマホに向き直って一樹に返信した。「やっぱ一樹の歌好きだよ俺」と。そしたら、間を置かずに返信が返ってきた。

「うれしー」
「俺もね千冬くん大好きだよ」
「いつ帰ってくる?」
「あいたいな」

 なんか、一樹って本当に俺のこと好きだな。俺はちょっとだけ笑いながら「昼頃には東京着くはず」と返事をした。確か、それくらいにはバスが東京に着くはずだから。
 そしたら一樹は、

「あいにきてよ」
「おれうちでまってるよ」
「あいたい」

 なんて、すぐに返してきた。
 一樹は今日どうしたんだろう。いつもよりずっと返信がふにゃふにゃしている。何だか、少しかわいく思えて困る。
 元々会いたいと思っていたからちょうどいい。でもなんか、こんなに会いたいって言われるとちょっと恥ずかしいな。
「いいよ待ってて笑」と返したら、一樹からはすぐ「ありがとーだいすき」と返ってきた。俺はその返信を見て、またちょっとだけ笑ってからスマホの電源を切った。

「そろそろさ、荷物持って部屋出た方がいいかな――」







「ありがとうございましたー」というコンビニ店員の声を背にして、俺は一樹の家へと歩を進めた。
 コンビニのレジ袋の中には、一樹が好きって言っていた柿の種と、ポテチと、500mlのサイダーが二本入っている。家に行くついでに何か買っていってやろうと思って。

 あいつの家、酒と割り材以外の飲み物は水とエナジードリンクとコーヒーしかないんだよな。それらだって、一樹によると割り材の一種らしいし。
 一樹は以前「ストゼロをモンエナで割って飲むの好きなんだよね。最高に身体に悪そうな味がして」と言っていた。……それ、続けてたら早死にするんじゃね?

 飲み物だけでなく、食べ物も申し訳程度の食材とつまみしかない。その食材だって、もやしと米しかない時が割とある。
 本人曰く、もやしと米さえあれば一週間はどうにかなるから、だそう。いやどうにもならないだろ。

 本当に一樹の健康が心配になる。不健康まっしぐらだろそんな生活。自炊が苦手な訳でもないのにな。
 俺といるときはちゃんとスーパーで買い物をするし、人間のするべき食事をしているからいいんだけど、俺が会いに行かない日は割と手を抜くらしい。
 だから、俺が合宿に行っていた間はどうしていたんだろう。心配だ。

 そんなことをだらだら考えていたら、いつの間にか一樹の住むマンションの前まで辿り着いた。

 一樹の住む単身用マンションはオートロックじゃないから、鍵がなくても部屋の前まではすぐに行ける。
 一樹の家の何が羨ましいって、大学からすごく近いことだ。俺は電車で何駅か乗らなきゃいけないが、一樹は徒歩で行ける。なんと徒歩だ。そりゃあ授業に遅刻する訳がない。
 大学も近ければ、バイト先もギリギリ歩いて行ける距離らしい。めちゃくちゃ羨ましい。

 だけど、いくら大学に近いからといって、この街で学生一人暮らしはなかなかできない。主に家賃的な問題で。大学自体が都心のど真ん中にあるから、地価が高いのだ。
 俺も一度はこの街に住むことを考えて調べたが、家賃が高くて結局諦めてしまったくらい。
 そんな場所に住むのは、恐らく実家が太くないと無理だろうなと思う。一樹本人もバイトでかなり稼いでいそうだが、それだけじゃ足りなさそうだし、何より一樹は稼いだ金をそのまま酒に注ぎ込んでいる。
 一樹の親は何をしている人で、どこに住んでいるんだろう。いつか話してほしいな。

 そう考えながらインターホンを押すと、ややあって一樹が飛び出してきた。どこか慌てた様子だ。

「一樹ぃ、約束通り会いに――あれ? お前髪濡れてね?」

 俺はコンビニで買ってきたものを見せながら一樹に言ったが、途中で一樹の髪が濡れていることに気付いて言葉を止めた。何で?
 一樹は言われて初めて気付いた、といった様子で頭に手をやりながら「え? あ、ああ、シャワー浴びたからかな」と呟いた。

「……さっき?」
「あ、うん」
「ふーん……?」

 ……この時間にシャワー? 今はだいたい午後三時だ。朝シャンには遅すぎるし、夕方に浴びるシャワーにしても早すぎる。それに、俺が会いに行くって知っているはずなのにどうして今?
 何で浴びたのかさっぱり分からないが、とりあえずまあいいか。別に聞くべきことでもないだろう。

「ごめんね髪濡れててボサボサで。来てくれてありがとう。とりあえず上がってよ」

 俺はその言葉に「ん」と頷いて、部屋の中に入った。そして「お邪魔します」と言いながらドアを閉めた、その時だった。

「――なに一樹、誰か来たん?」
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