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9話
しおりを挟む「楠木さんってあまり笑わないですよね」
「そうですか? 僕、自分では結構人当たりがいい方だと思ってるんですけどね」
冗談めかして答える。仮面を被ったままの当たり障りのないやり取りは得意だ。
「もちろん、ビジネススマイルはいつも素敵ですよ。じゃなくて私が言いたいのは、本物の笑顔の方です」
「本物の笑顔?」
顔に張り付いていた表情がにわかに引きつった。自販機の前で鉢合わせた野中ヒトミが、突然おかしなことを言い出したせいだ。美人だが面倒なので、カナタは彼女があまり得意ではない。
「楠木さん、先日街でお会いした時は、もっと深みのある、仕事では見せないような優しい笑顔をしてました。会社でそれを見られないのが私は残念です」
「それは彼女といたからですよ。今は仕事中ですから」
「……そうですよね」
俯く彼女の前で突っ立ったまま、今しがた購入したブラックコーヒーの缶を弄ぶ。やや気まずい。この女は一体なにがしたいんだろう?
心の声を聞かれたのかと警戒したくなるほどのタイミングで、野中ヒトミは、取り繕うように言った。
「あ、ごめんなさい、引き留めてしまって。私、これ渡したかっただけなんです。差し入れ、よかったらあとで食べてくださいね」
「え?」
押し付けるように渡されたのは、コンビニで売っているような小さなチョコレートの包みだった。
「あの、おめでとうございます」
去り際にそう言われ、合点がいったカナタは、ああ、と小さく呟いた。
彼女の口の中で音にならずに消えた、その先の言葉を想像する。
ーーおめでとうございます、お誕生日。
◆
「ただいま、美琴」
今日も、仕事を終えるとまっすぐに帰宅する。女はもとより、酒もギャンブルも興味がないので今までも寄り道することはほとんどない人間だったが、美琴が来てからはなおさらだった。
最初の数日は、どうにかして拘束から逃れた彼女がいなくなってしまっているんじゃないかと不安で、家に帰るまではいてもたってもいられなかった。
最近ではただ早く会いたいという思いから、自然と帰り道を急いでしまう。
「おかえりなさい」
二人で買いに行った可愛い下着を身につけて、美琴はいつものようにおとなしくベッドに座っていた。手足には鎖。どこか恥ずかしそうな表情で、こちらを見上げている。
その態度がいじらしくて、たまらなくなる。
「まだ俺に裸見られるの恥ずかしい?」
「恥ずかしいに決まってるよ」
「そういうとこ好き。ウブで。でも美琴が淫乱になっても、俺は好きだよ」
「なっ……何言って、か、帰ってくるなりそんな……」
「あー、本当に可愛いな」
しどろもどろになっている美琴を抱きしめて、においを胸いっぱいに吸い込んだ。今ここで死んでもいいくらい癒される。華奢でやわらかい身体につい興奮しそうになり、慌てて身体を離した。
「そうだ、美琴、チョコあげる」
「チョコ?」
「そう、会社でもらったんだ。お菓子、もうずっと食べてないだろ」
何気なくテーブルに例のチョコを置いたら、抑揚のない声で尋ねられた。
「くれたのって、もしかしてあの、野中さんって人?」
「ああ、街で会ったな、そういえば」
「……」
「……ごめん、チョコ嫌いだった?」
「……ううん、好きだよ。でも」
「……でも?」
「……なんでもない」
「美琴、どうした?」
彼女はなにも答えない。ここ数日でほんの少しではあるが、感情を表に出してくれるようになった。人形のような顔で絶望していた美琴が、数ミリでも自分に心を開いてくれているのかもしれないと思うと、嬉しくて生きるのが楽しくなった。
「……もしかして、妬いてるとか?」
「そんなわけないでしょっ!」
すぐさま否定された。
だよな、と思う。わかってるけど言ってみたかったのだ。
美琴の頬がわずかに赤みを帯びている。本当に怒らせてしまったのかもしれないと思い、カナタは少しだけ反省した。
◆
「……そういえばこの前、夜中、泣いてた」
「え? 俺?」
「うん」
「美琴じゃなくて?」
「……なんで私が泣くの?」
ベッドに入って、もうすっかり寝る体勢で、美琴と話している。はじめのうちは必要最低限の会話しかしてくれなかった。今ももちろん必要最低限には近いけれど、以前よりは会話が増えたような気がする。それが嬉しい。
話しながら、美琴が夜中泣いていた時のことを思い出す。お姉ちゃん、と呟いて涙を流した。
どうやら彼女にその記憶はないみたいだが……
それにしても、俺が泣いていた、?
「カナタ、悲しい夢を見ていたの?」
「……いや、全然思い出せない」
「きっと、大切な人を失ったことがあるんだね」
美琴の声は澄んでいて、暗い部屋の中で美しく響く。
「そう思う?」
「思う」
「どうして?」
「わかるの。私も失ったことがあるから」
あれはいつだったか。街の北のほうにある墓地に、美琴が入っていくのを見たことがある。彼女のことが気になって、どうしようもなくて、密かに後をつけていた頃だ。
美琴が失った大切な人。
それは、お姉ちゃん、ではないのか?
ふと思うが、声にして尋ねることはできない。いま、胸にはなんの感情もない。それなのに生暖かい液体が頬を伝って初めて、自分は泣いてるんだと気づいた。
美琴はなにも言わなかった。
俺はなにも言えなかった。
美琴は黙って泣いている俺の頭を撫でてくれた。
それは寝入り端に見た夢かもしれないけど。
でもそれでもいい。
最高の誕生日だと思った。
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