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第二十章 こんにちは、新しい私

百八十一話 私たちは分かり合って分かち合った。

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 司午(しご)屋敷である。
 着いたのはずいぶんと夜も深い時刻だったけれど、翠(すい)さまは寝ずに私たちの帰りを待ってくれていた。
 でも流石に遅いのでお身体に障るといけないし、さあさあお休みしましょうねという、その寝室でのこと。

「央那。ちょっと」

 寝台に腰かけた翠さまが、私の名前を呼んだ。
 夜の支度はあらかた終わって、毛蘭(もうらん)さんも引き払っており、二人きりである。

「はいなんでしょう。もう遅いから面白い話は後にした方が」
 
 語っても語り尽くせないことが、いくらでもある。
 けれど私たちに与えられた時間も幸運なことにたっぷりなので、これから少しずつお話しして行けばいいよね。
 ははーん、さては私たちの帰りが待ち遠しかったから、気が昂って眠れないのかな?
 ならば翠さまを寝付かせるために、今夜こそとっておきの退屈な話を披露しようか。
 サメとタコの話は失敗したし、悪魔と人間の端境で苦悩して闘う男の話は、映画がアレなだけで原作は刺激的で面白いし。
 などとアホなことを考えていると。

「央那……」

 ぐしゃり、と顔を歪ませて。

「ごめんなさいごめんなさい央那! あたしはろくでもない人でなしのご主人だったの! あんたにどんな目に遭わされたって文句の一つも言えないのだわ!」

 突然に大号泣して私の腰にすがりついた。
 え、そんなに愉快な話を今、あえて夜長に聞きたいと期待してたんです?
 妊婦だけどちょっとくらい夜更かししても良いよね、とか思っちゃったんです?
 悪い子でちゅねー、でも今夜だけなら?
 もちろんそんなたわけた理由ではないだろうと頭をシャッキリ切り替えて、私は翠さまの背をナデナデする。

「どどどうしたんですか翠さま。私たちは元気に帰ることができましたし、斗羅畏(とらい)さんと突骨無(とごん)さんも仲直りしてくれたようですし、なに一つとして不味いことはなかったんですよ。さすが私たちを信じて送り出してくれた翠さまの慧眼は半端ねぇって、みんな言ってますよ」

 一万金もの使い道を気前良くポイと預けて、私たちのような若輩の使い走りを政情難しい北方に出すなんて烈女は、昂国(こうこく)八州を見渡しても翠さま以外に存在しないに違いない。
 変な坊さんが死んだのはまあ、私としては多少、哀しいけれどね。
 一応は顔見知りだし、それなりにお世話にもなったので。
 でもそれは翠さまに関係のないところで起こった悲劇だし、なにをこんなに泣いているのだろうと、私は思ってしまう。
 翠さまも、司午家も。
 こうなるように暗にけしかけた角州公(かくしゅうこう)の得(とく)さんにしても、良い材料しか見当たらないくらいの最高の結果を出せたではないか、と。
 しかしそう考える私に告げられた、翠さまの本当の想い。

「あたしはあんたが死ぬ目に遭うんじゃないかって知っていながらあんたを北方に行かせたのよ! 行けばあんたは無事で済まないってあたしにはわかってたのに!!」

 私は唖然、いや慄然とした。
 良くない術と薬の相乗効果で不覚曖昧になっていた突骨無さんから受けた、深く大きな刀傷。
 翠さまは私がまだ見せずに服で隠しているその傷跡を、必死で撫でさすりながら、泣き叫んで懺悔する。

「あたしが行かせたせいであんたを傷物にしちゃったわ! あたしが全部悪いのよ! 分かっていたのに止めなかった役立たずのあたしが全部!!」

 あーんあーんと泣き崩れて、私の胸を斜めに横切る傷に、服越しで顔をなすりつける翠さま。
 私ももらい泣きに瞳を滲ませて。
 言わずもがなのことを、聞くのだった。

「ど、どうして知ってるんです? 私が阿突羅(あつら)さんの葬儀の場で、死にかけたことを。司午家の人には、誰にも言ってないはずなのに」

 念のために突骨無さんや斗羅畏さんにまで、口止めをしたくらいだ。
 昂国の中で現在、その不可思議リザレクションのイベントを知っているのは、私の他に翔霏(しょうひ)しかいないはずである。
 けれど翠さまの答えは。
 半ば、私が想定した通りのものだった。

「あたしがあんたのことをわからないわけないでしょう! あたしとあんたは一心同体なんだから! あんたになにかあったらあたしは全部わかるに決まってるじゃないの!!」

 うん、そうだったね。
 私が敬愛する翠さまに、隠し通せるわけはないのだ。
 理屈ではなく、私と翠さまは、深いところで繋がっているのだから。
 悔恨と罪悪感に塗れた嗚咽の中、翠さまが教えてくれた。

「呪いのせいで眠らされてる間にあたしはたくさん夢を見たわ。あたしがあんたになって北方を旅して回る夢を」
「目覚めたときに、翠さまはそう言ってましたね」

 それは楽しい夢だったのではないかと、私は思っていた。
 けれどそれは私の愚かな思い込みでしかなかったのだ。
 真相を翠さまは喉の奥から絞るように語る。

「そうよ。夢の中であたしはあんたの顔と体を借りていろんなところを旅して回ったの。でも必ず死ぬか殺されるかしてその夢は終わるのよ。気が付いたらときが巻き戻って一から新しい夢を見るの。それでも……」

 ああ、翠さまは。
 眠りの中、夢の中で私になって、何度も何度も旅に出て。
 そして何十回、何百回と命を落とし、別の夢をやり直していたのだ。
 幾度となく、夢の中でなにかと繰り返し戦った翠さまは。
 数えきれないくらいに負けて、道半ばにして斃れたのだろう。
 本当なら、私が味わうはずだった挫折と絶望を、苦悩と虚無と慟哭を。
 翠さまは眠りながらも、肩代わりして過ごしてくれたのだ!
 以上のことを踏まえて、私はピンと来たことがあり、質問する。

「ひょ、ひょっとすると突骨無さんへの手紙に、私が死にかけて生き延びることも予見して書いてました?」

 翠さまの手紙を受け取った突骨無さんは、明らかになにかへ恐れおののいた顔をしていた。
 とても信じられない、けれど信じるしかない、そんなことを目の当たりにしたような驚きの表情だった。

「そうよ。あいつへの文(ふみ)の中に『央那はあんたの目の前で死ぬ目に遭うかもしれないけれど必ず生きてこの文を渡すはず。それを見たならあんたはつべこべ言わずあたしの言うことに従いなさい。あたしの言うことに間違いはないって思い知ったでしょ』って書き添えたわ。そう書いておけばあたしの言うことを全面的に信じるって思ったからよ」

 だから。
 翠さまは完成原稿を、決して私に見せなかったのか。
 私が事前にそれを読んでしまうと、運命がよくわからない方向へ曲がってしまうかもしれないから。
 死出の旅路であることは、翠さまにはあらかじめ分かっていたことだったのだ。
 しかし私が死ぬような目に一度でも遭わなければ、その手紙は効力を失う。
 そのすべてを、知って理解したうえで。

「……それでも私は、生きてちゃんと、帰りましたよ?」

 ボロボロに泣きながら、私は翠さまの頭を抱きしめる。
 翠さまの方が本当はお姉さんだけれど、今は私が泣いて喘ぐ彼女を慰めるように。
 頬を撫で、頭を撫でて、またぎゅうっと薄い胸の中に、彼女の顔を抱くのだ。
 ひっくひっくと喉を鳴らしながら。
 翠さまが、気丈さを無理に演出して、強がったように言う。

「あたりまえじゃないの。あんたが死ぬわけないって信じてたもの。あんたが死にませんようにって祈ってたもの。あんたが死んだらあたしもお腹の子も一緒に死んでやるって神さまに怒鳴り散らしながら待ってたんだもの!」
「ダメですようそんなの。翠さまも赤ちゃんも元気でいてくれないと……」

 間違っているのに、どうしようもなく嬉しい。
 矛盾した想いを抱え、私は翠さまを説き諭す。

「あたしたち生きてるのよね? これは夢じゃないのよね? 生まれて来る赤ん坊にみんな元気で会えるのよね?」
「もちろんですよ。みんな楽しみに待ってるんだから、可愛い赤ちゃんを産んでください。おしめを取り換えるのは私に任せてくださいね」

 中学生のとき、ボランティア体験で「まああなたお上手ね~」って福祉施設の人に褒められましたから私!
 そして、私はここに至って確信した。
 死にかけてたとき、麒麟と呼ばれる謎の光の神に言われたときから、ぼんやりとわかっていたことだけれど。
 私が今、生きているのは、翠さまが命を分けてくれたからなのだと。
 あの偉そうなクソ神は、神の特別な力で私を生き返らせたりしてくれたわけじゃない。
 必死で祈り続ける翠さまから、命の力をちょっとだけ拝借して、私の命が欠けてる部分をパテや粘土のように、埋め合わせただけなのだ。
 生命の気力に満ち溢れている翠さまなら、ちょっと横に移したくらいでどうにかなることはなかった、ということだろう。
 翠さまはまだ泣き止まず、ぐしょぐしょの顔を私の服にうずめながら言う。

「でも傷が残っちゃったんじゃないの。お嫁に行く前の大事な体なのにそんなことにしてしまったのはあたしなのよ。あんたのお母さんに申し訳が立たないわ。あたしはなんて謝ればいいのよ……」

 翠さまがそう言ってくれる、気持ちはとても幸せだけれど。
 体に残った傷痕なんて、どうだっていい。
 いや、違うな。 
 私は毅然と胸を張り、こう言った。

「向こう傷は、私が前に進めた証拠です。私はあのとき、なぜかわからないけれど、怖がりもせず前に足を踏み出せたんです」

 この傷は翠さまがくれて、私に残った大きな勲章。
 私たち二人だけの、かけがえのない思い出と宝物。
 あなたがくれた傷跡なら。
 どんなに惨たらしく醜くても、私にとっては最高の誇りの証です。
 ぐいいと涙を拭い、ついでに翠さまのお顔の涙も拭いて。
 目を合わせて、私は言った。

「そんな私になれたのは、いざと言うときに前に進める勇気を持てたのは、翠さまのおかげなんです。私を、自分自身が望む私にしてくれて、ありがとうございます」
「央那~~~~~! 央那あ~~~~~~!!」

 夜も半ばを過ぎた頃。
 良く晴れた空の下、女二人が。
 いや二人で一つの女が、涙の雨に濡れて浸る。

「私ならできるって、いいえ、私と翠さまの二人ならできるって信じてくれて、ありがとうございます。翠さまが信じてくれたから、私は成し遂げて帰ることができたんです。いつまでも頑張って生きることができるんです」

 私の言葉に。
 泣きべそのままいつも通りの力強い声で、翠さまがおっしゃった。

「当たり前じゃないの! これからも一緒に生きていくんだからね! あたしの相手がしんどくなって逃げようったって許さないんだから!!」

 わんわん泣きながら、私たちは再び抱擁を交わした。
 まるでこのままお互い溶けてしまい、一つの塊になってしまうような錯覚を覚えて。
 泣き疲れて力尽きるまで、私は翠さまと体を重ねたのだった。
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