31 / 32
第二十章 こんにちは、新しい私
百八十一話 私たちは分かり合って分かち合った。
しおりを挟む
司午(しご)屋敷である。
着いたのはずいぶんと夜も深い時刻だったけれど、翠(すい)さまは寝ずに私たちの帰りを待ってくれていた。
でも流石に遅いのでお身体に障るといけないし、さあさあお休みしましょうねという、その寝室でのこと。
「央那。ちょっと」
寝台に腰かけた翠さまが、私の名前を呼んだ。
夜の支度はあらかた終わって、毛蘭(もうらん)さんも引き払っており、二人きりである。
「はいなんでしょう。もう遅いから面白い話は後にした方が」
語っても語り尽くせないことが、いくらでもある。
けれど私たちに与えられた時間も幸運なことにたっぷりなので、これから少しずつお話しして行けばいいよね。
ははーん、さては私たちの帰りが待ち遠しかったから、気が昂って眠れないのかな?
ならば翠さまを寝付かせるために、今夜こそとっておきの退屈な話を披露しようか。
サメとタコの話は失敗したし、悪魔と人間の端境で苦悩して闘う男の話は、映画がアレなだけで原作は刺激的で面白いし。
などとアホなことを考えていると。
「央那……」
ぐしゃり、と顔を歪ませて。
「ごめんなさいごめんなさい央那! あたしはろくでもない人でなしのご主人だったの! あんたにどんな目に遭わされたって文句の一つも言えないのだわ!」
突然に大号泣して私の腰にすがりついた。
え、そんなに愉快な話を今、あえて夜長に聞きたいと期待してたんです?
妊婦だけどちょっとくらい夜更かししても良いよね、とか思っちゃったんです?
悪い子でちゅねー、でも今夜だけなら?
もちろんそんなたわけた理由ではないだろうと頭をシャッキリ切り替えて、私は翠さまの背をナデナデする。
「どどどうしたんですか翠さま。私たちは元気に帰ることができましたし、斗羅畏(とらい)さんと突骨無(とごん)さんも仲直りしてくれたようですし、なに一つとして不味いことはなかったんですよ。さすが私たちを信じて送り出してくれた翠さまの慧眼は半端ねぇって、みんな言ってますよ」
一万金もの使い道を気前良くポイと預けて、私たちのような若輩の使い走りを政情難しい北方に出すなんて烈女は、昂国(こうこく)八州を見渡しても翠さま以外に存在しないに違いない。
変な坊さんが死んだのはまあ、私としては多少、哀しいけれどね。
一応は顔見知りだし、それなりにお世話にもなったので。
でもそれは翠さまに関係のないところで起こった悲劇だし、なにをこんなに泣いているのだろうと、私は思ってしまう。
翠さまも、司午家も。
こうなるように暗にけしかけた角州公(かくしゅうこう)の得(とく)さんにしても、良い材料しか見当たらないくらいの最高の結果を出せたではないか、と。
しかしそう考える私に告げられた、翠さまの本当の想い。
「あたしはあんたが死ぬ目に遭うんじゃないかって知っていながらあんたを北方に行かせたのよ! 行けばあんたは無事で済まないってあたしにはわかってたのに!!」
私は唖然、いや慄然とした。
良くない術と薬の相乗効果で不覚曖昧になっていた突骨無さんから受けた、深く大きな刀傷。
翠さまは私がまだ見せずに服で隠しているその傷跡を、必死で撫でさすりながら、泣き叫んで懺悔する。
「あたしが行かせたせいであんたを傷物にしちゃったわ! あたしが全部悪いのよ! 分かっていたのに止めなかった役立たずのあたしが全部!!」
あーんあーんと泣き崩れて、私の胸を斜めに横切る傷に、服越しで顔をなすりつける翠さま。
私ももらい泣きに瞳を滲ませて。
言わずもがなのことを、聞くのだった。
「ど、どうして知ってるんです? 私が阿突羅(あつら)さんの葬儀の場で、死にかけたことを。司午家の人には、誰にも言ってないはずなのに」
念のために突骨無さんや斗羅畏さんにまで、口止めをしたくらいだ。
昂国の中で現在、その不可思議リザレクションのイベントを知っているのは、私の他に翔霏(しょうひ)しかいないはずである。
けれど翠さまの答えは。
半ば、私が想定した通りのものだった。
「あたしがあんたのことをわからないわけないでしょう! あたしとあんたは一心同体なんだから! あんたになにかあったらあたしは全部わかるに決まってるじゃないの!!」
うん、そうだったね。
私が敬愛する翠さまに、隠し通せるわけはないのだ。
理屈ではなく、私と翠さまは、深いところで繋がっているのだから。
悔恨と罪悪感に塗れた嗚咽の中、翠さまが教えてくれた。
「呪いのせいで眠らされてる間にあたしはたくさん夢を見たわ。あたしがあんたになって北方を旅して回る夢を」
「目覚めたときに、翠さまはそう言ってましたね」
それは楽しい夢だったのではないかと、私は思っていた。
けれどそれは私の愚かな思い込みでしかなかったのだ。
真相を翠さまは喉の奥から絞るように語る。
「そうよ。夢の中であたしはあんたの顔と体を借りていろんなところを旅して回ったの。でも必ず死ぬか殺されるかしてその夢は終わるのよ。気が付いたらときが巻き戻って一から新しい夢を見るの。それでも……」
ああ、翠さまは。
眠りの中、夢の中で私になって、何度も何度も旅に出て。
そして何十回、何百回と命を落とし、別の夢をやり直していたのだ。
幾度となく、夢の中でなにかと繰り返し戦った翠さまは。
数えきれないくらいに負けて、道半ばにして斃れたのだろう。
本当なら、私が味わうはずだった挫折と絶望を、苦悩と虚無と慟哭を。
翠さまは眠りながらも、肩代わりして過ごしてくれたのだ!
以上のことを踏まえて、私はピンと来たことがあり、質問する。
「ひょ、ひょっとすると突骨無さんへの手紙に、私が死にかけて生き延びることも予見して書いてました?」
翠さまの手紙を受け取った突骨無さんは、明らかになにかへ恐れおののいた顔をしていた。
とても信じられない、けれど信じるしかない、そんなことを目の当たりにしたような驚きの表情だった。
「そうよ。あいつへの文(ふみ)の中に『央那はあんたの目の前で死ぬ目に遭うかもしれないけれど必ず生きてこの文を渡すはず。それを見たならあんたはつべこべ言わずあたしの言うことに従いなさい。あたしの言うことに間違いはないって思い知ったでしょ』って書き添えたわ。そう書いておけばあたしの言うことを全面的に信じるって思ったからよ」
だから。
翠さまは完成原稿を、決して私に見せなかったのか。
私が事前にそれを読んでしまうと、運命がよくわからない方向へ曲がってしまうかもしれないから。
死出の旅路であることは、翠さまにはあらかじめ分かっていたことだったのだ。
しかし私が死ぬような目に一度でも遭わなければ、その手紙は効力を失う。
そのすべてを、知って理解したうえで。
「……それでも私は、生きてちゃんと、帰りましたよ?」
ボロボロに泣きながら、私は翠さまの頭を抱きしめる。
翠さまの方が本当はお姉さんだけれど、今は私が泣いて喘ぐ彼女を慰めるように。
頬を撫で、頭を撫でて、またぎゅうっと薄い胸の中に、彼女の顔を抱くのだ。
ひっくひっくと喉を鳴らしながら。
翠さまが、気丈さを無理に演出して、強がったように言う。
「あたりまえじゃないの。あんたが死ぬわけないって信じてたもの。あんたが死にませんようにって祈ってたもの。あんたが死んだらあたしもお腹の子も一緒に死んでやるって神さまに怒鳴り散らしながら待ってたんだもの!」
「ダメですようそんなの。翠さまも赤ちゃんも元気でいてくれないと……」
間違っているのに、どうしようもなく嬉しい。
矛盾した想いを抱え、私は翠さまを説き諭す。
「あたしたち生きてるのよね? これは夢じゃないのよね? 生まれて来る赤ん坊にみんな元気で会えるのよね?」
「もちろんですよ。みんな楽しみに待ってるんだから、可愛い赤ちゃんを産んでください。おしめを取り換えるのは私に任せてくださいね」
中学生のとき、ボランティア体験で「まああなたお上手ね~」って福祉施設の人に褒められましたから私!
そして、私はここに至って確信した。
死にかけてたとき、麒麟と呼ばれる謎の光の神に言われたときから、ぼんやりとわかっていたことだけれど。
私が今、生きているのは、翠さまが命を分けてくれたからなのだと。
あの偉そうなクソ神は、神の特別な力で私を生き返らせたりしてくれたわけじゃない。
必死で祈り続ける翠さまから、命の力をちょっとだけ拝借して、私の命が欠けてる部分をパテや粘土のように、埋め合わせただけなのだ。
生命の気力に満ち溢れている翠さまなら、ちょっと横に移したくらいでどうにかなることはなかった、ということだろう。
翠さまはまだ泣き止まず、ぐしょぐしょの顔を私の服にうずめながら言う。
「でも傷が残っちゃったんじゃないの。お嫁に行く前の大事な体なのにそんなことにしてしまったのはあたしなのよ。あんたのお母さんに申し訳が立たないわ。あたしはなんて謝ればいいのよ……」
翠さまがそう言ってくれる、気持ちはとても幸せだけれど。
体に残った傷痕なんて、どうだっていい。
いや、違うな。
私は毅然と胸を張り、こう言った。
「向こう傷は、私が前に進めた証拠です。私はあのとき、なぜかわからないけれど、怖がりもせず前に足を踏み出せたんです」
この傷は翠さまがくれて、私に残った大きな勲章。
私たち二人だけの、かけがえのない思い出と宝物。
あなたがくれた傷跡なら。
どんなに惨たらしく醜くても、私にとっては最高の誇りの証です。
ぐいいと涙を拭い、ついでに翠さまのお顔の涙も拭いて。
目を合わせて、私は言った。
「そんな私になれたのは、いざと言うときに前に進める勇気を持てたのは、翠さまのおかげなんです。私を、自分自身が望む私にしてくれて、ありがとうございます」
「央那~~~~~! 央那あ~~~~~~!!」
夜も半ばを過ぎた頃。
良く晴れた空の下、女二人が。
いや二人で一つの女が、涙の雨に濡れて浸る。
「私ならできるって、いいえ、私と翠さまの二人ならできるって信じてくれて、ありがとうございます。翠さまが信じてくれたから、私は成し遂げて帰ることができたんです。いつまでも頑張って生きることができるんです」
私の言葉に。
泣きべそのままいつも通りの力強い声で、翠さまがおっしゃった。
「当たり前じゃないの! これからも一緒に生きていくんだからね! あたしの相手がしんどくなって逃げようったって許さないんだから!!」
わんわん泣きながら、私たちは再び抱擁を交わした。
まるでこのままお互い溶けてしまい、一つの塊になってしまうような錯覚を覚えて。
泣き疲れて力尽きるまで、私は翠さまと体を重ねたのだった。
着いたのはずいぶんと夜も深い時刻だったけれど、翠(すい)さまは寝ずに私たちの帰りを待ってくれていた。
でも流石に遅いのでお身体に障るといけないし、さあさあお休みしましょうねという、その寝室でのこと。
「央那。ちょっと」
寝台に腰かけた翠さまが、私の名前を呼んだ。
夜の支度はあらかた終わって、毛蘭(もうらん)さんも引き払っており、二人きりである。
「はいなんでしょう。もう遅いから面白い話は後にした方が」
語っても語り尽くせないことが、いくらでもある。
けれど私たちに与えられた時間も幸運なことにたっぷりなので、これから少しずつお話しして行けばいいよね。
ははーん、さては私たちの帰りが待ち遠しかったから、気が昂って眠れないのかな?
ならば翠さまを寝付かせるために、今夜こそとっておきの退屈な話を披露しようか。
サメとタコの話は失敗したし、悪魔と人間の端境で苦悩して闘う男の話は、映画がアレなだけで原作は刺激的で面白いし。
などとアホなことを考えていると。
「央那……」
ぐしゃり、と顔を歪ませて。
「ごめんなさいごめんなさい央那! あたしはろくでもない人でなしのご主人だったの! あんたにどんな目に遭わされたって文句の一つも言えないのだわ!」
突然に大号泣して私の腰にすがりついた。
え、そんなに愉快な話を今、あえて夜長に聞きたいと期待してたんです?
妊婦だけどちょっとくらい夜更かししても良いよね、とか思っちゃったんです?
悪い子でちゅねー、でも今夜だけなら?
もちろんそんなたわけた理由ではないだろうと頭をシャッキリ切り替えて、私は翠さまの背をナデナデする。
「どどどうしたんですか翠さま。私たちは元気に帰ることができましたし、斗羅畏(とらい)さんと突骨無(とごん)さんも仲直りしてくれたようですし、なに一つとして不味いことはなかったんですよ。さすが私たちを信じて送り出してくれた翠さまの慧眼は半端ねぇって、みんな言ってますよ」
一万金もの使い道を気前良くポイと預けて、私たちのような若輩の使い走りを政情難しい北方に出すなんて烈女は、昂国(こうこく)八州を見渡しても翠さま以外に存在しないに違いない。
変な坊さんが死んだのはまあ、私としては多少、哀しいけれどね。
一応は顔見知りだし、それなりにお世話にもなったので。
でもそれは翠さまに関係のないところで起こった悲劇だし、なにをこんなに泣いているのだろうと、私は思ってしまう。
翠さまも、司午家も。
こうなるように暗にけしかけた角州公(かくしゅうこう)の得(とく)さんにしても、良い材料しか見当たらないくらいの最高の結果を出せたではないか、と。
しかしそう考える私に告げられた、翠さまの本当の想い。
「あたしはあんたが死ぬ目に遭うんじゃないかって知っていながらあんたを北方に行かせたのよ! 行けばあんたは無事で済まないってあたしにはわかってたのに!!」
私は唖然、いや慄然とした。
良くない術と薬の相乗効果で不覚曖昧になっていた突骨無さんから受けた、深く大きな刀傷。
翠さまは私がまだ見せずに服で隠しているその傷跡を、必死で撫でさすりながら、泣き叫んで懺悔する。
「あたしが行かせたせいであんたを傷物にしちゃったわ! あたしが全部悪いのよ! 分かっていたのに止めなかった役立たずのあたしが全部!!」
あーんあーんと泣き崩れて、私の胸を斜めに横切る傷に、服越しで顔をなすりつける翠さま。
私ももらい泣きに瞳を滲ませて。
言わずもがなのことを、聞くのだった。
「ど、どうして知ってるんです? 私が阿突羅(あつら)さんの葬儀の場で、死にかけたことを。司午家の人には、誰にも言ってないはずなのに」
念のために突骨無さんや斗羅畏さんにまで、口止めをしたくらいだ。
昂国の中で現在、その不可思議リザレクションのイベントを知っているのは、私の他に翔霏(しょうひ)しかいないはずである。
けれど翠さまの答えは。
半ば、私が想定した通りのものだった。
「あたしがあんたのことをわからないわけないでしょう! あたしとあんたは一心同体なんだから! あんたになにかあったらあたしは全部わかるに決まってるじゃないの!!」
うん、そうだったね。
私が敬愛する翠さまに、隠し通せるわけはないのだ。
理屈ではなく、私と翠さまは、深いところで繋がっているのだから。
悔恨と罪悪感に塗れた嗚咽の中、翠さまが教えてくれた。
「呪いのせいで眠らされてる間にあたしはたくさん夢を見たわ。あたしがあんたになって北方を旅して回る夢を」
「目覚めたときに、翠さまはそう言ってましたね」
それは楽しい夢だったのではないかと、私は思っていた。
けれどそれは私の愚かな思い込みでしかなかったのだ。
真相を翠さまは喉の奥から絞るように語る。
「そうよ。夢の中であたしはあんたの顔と体を借りていろんなところを旅して回ったの。でも必ず死ぬか殺されるかしてその夢は終わるのよ。気が付いたらときが巻き戻って一から新しい夢を見るの。それでも……」
ああ、翠さまは。
眠りの中、夢の中で私になって、何度も何度も旅に出て。
そして何十回、何百回と命を落とし、別の夢をやり直していたのだ。
幾度となく、夢の中でなにかと繰り返し戦った翠さまは。
数えきれないくらいに負けて、道半ばにして斃れたのだろう。
本当なら、私が味わうはずだった挫折と絶望を、苦悩と虚無と慟哭を。
翠さまは眠りながらも、肩代わりして過ごしてくれたのだ!
以上のことを踏まえて、私はピンと来たことがあり、質問する。
「ひょ、ひょっとすると突骨無さんへの手紙に、私が死にかけて生き延びることも予見して書いてました?」
翠さまの手紙を受け取った突骨無さんは、明らかになにかへ恐れおののいた顔をしていた。
とても信じられない、けれど信じるしかない、そんなことを目の当たりにしたような驚きの表情だった。
「そうよ。あいつへの文(ふみ)の中に『央那はあんたの目の前で死ぬ目に遭うかもしれないけれど必ず生きてこの文を渡すはず。それを見たならあんたはつべこべ言わずあたしの言うことに従いなさい。あたしの言うことに間違いはないって思い知ったでしょ』って書き添えたわ。そう書いておけばあたしの言うことを全面的に信じるって思ったからよ」
だから。
翠さまは完成原稿を、決して私に見せなかったのか。
私が事前にそれを読んでしまうと、運命がよくわからない方向へ曲がってしまうかもしれないから。
死出の旅路であることは、翠さまにはあらかじめ分かっていたことだったのだ。
しかし私が死ぬような目に一度でも遭わなければ、その手紙は効力を失う。
そのすべてを、知って理解したうえで。
「……それでも私は、生きてちゃんと、帰りましたよ?」
ボロボロに泣きながら、私は翠さまの頭を抱きしめる。
翠さまの方が本当はお姉さんだけれど、今は私が泣いて喘ぐ彼女を慰めるように。
頬を撫で、頭を撫でて、またぎゅうっと薄い胸の中に、彼女の顔を抱くのだ。
ひっくひっくと喉を鳴らしながら。
翠さまが、気丈さを無理に演出して、強がったように言う。
「あたりまえじゃないの。あんたが死ぬわけないって信じてたもの。あんたが死にませんようにって祈ってたもの。あんたが死んだらあたしもお腹の子も一緒に死んでやるって神さまに怒鳴り散らしながら待ってたんだもの!」
「ダメですようそんなの。翠さまも赤ちゃんも元気でいてくれないと……」
間違っているのに、どうしようもなく嬉しい。
矛盾した想いを抱え、私は翠さまを説き諭す。
「あたしたち生きてるのよね? これは夢じゃないのよね? 生まれて来る赤ん坊にみんな元気で会えるのよね?」
「もちろんですよ。みんな楽しみに待ってるんだから、可愛い赤ちゃんを産んでください。おしめを取り換えるのは私に任せてくださいね」
中学生のとき、ボランティア体験で「まああなたお上手ね~」って福祉施設の人に褒められましたから私!
そして、私はここに至って確信した。
死にかけてたとき、麒麟と呼ばれる謎の光の神に言われたときから、ぼんやりとわかっていたことだけれど。
私が今、生きているのは、翠さまが命を分けてくれたからなのだと。
あの偉そうなクソ神は、神の特別な力で私を生き返らせたりしてくれたわけじゃない。
必死で祈り続ける翠さまから、命の力をちょっとだけ拝借して、私の命が欠けてる部分をパテや粘土のように、埋め合わせただけなのだ。
生命の気力に満ち溢れている翠さまなら、ちょっと横に移したくらいでどうにかなることはなかった、ということだろう。
翠さまはまだ泣き止まず、ぐしょぐしょの顔を私の服にうずめながら言う。
「でも傷が残っちゃったんじゃないの。お嫁に行く前の大事な体なのにそんなことにしてしまったのはあたしなのよ。あんたのお母さんに申し訳が立たないわ。あたしはなんて謝ればいいのよ……」
翠さまがそう言ってくれる、気持ちはとても幸せだけれど。
体に残った傷痕なんて、どうだっていい。
いや、違うな。
私は毅然と胸を張り、こう言った。
「向こう傷は、私が前に進めた証拠です。私はあのとき、なぜかわからないけれど、怖がりもせず前に足を踏み出せたんです」
この傷は翠さまがくれて、私に残った大きな勲章。
私たち二人だけの、かけがえのない思い出と宝物。
あなたがくれた傷跡なら。
どんなに惨たらしく醜くても、私にとっては最高の誇りの証です。
ぐいいと涙を拭い、ついでに翠さまのお顔の涙も拭いて。
目を合わせて、私は言った。
「そんな私になれたのは、いざと言うときに前に進める勇気を持てたのは、翠さまのおかげなんです。私を、自分自身が望む私にしてくれて、ありがとうございます」
「央那~~~~~! 央那あ~~~~~~!!」
夜も半ばを過ぎた頃。
良く晴れた空の下、女二人が。
いや二人で一つの女が、涙の雨に濡れて浸る。
「私ならできるって、いいえ、私と翠さまの二人ならできるって信じてくれて、ありがとうございます。翠さまが信じてくれたから、私は成し遂げて帰ることができたんです。いつまでも頑張って生きることができるんです」
私の言葉に。
泣きべそのままいつも通りの力強い声で、翠さまがおっしゃった。
「当たり前じゃないの! これからも一緒に生きていくんだからね! あたしの相手がしんどくなって逃げようったって許さないんだから!!」
わんわん泣きながら、私たちは再び抱擁を交わした。
まるでこのままお互い溶けてしまい、一つの塊になってしまうような錯覚を覚えて。
泣き疲れて力尽きるまで、私は翠さまと体を重ねたのだった。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
黄土と草原の快男子、毒女に負けじと奮闘す ~泣き虫れおなの絶叫昂国日誌・3.5部~
西川 旭
ファンタジー
バイト先は後宮、胸に抱える目的は復讐 ~泣き虫れおなの絶叫昂国日誌・第一部~
https://www.alphapolis.co.jp/novel/195285185/437803662
の続編。
第三部と第四部の幕間的な短編集です。
本編主人公である麗央那に近しい人たち、特に男性陣の「一方その頃」を描く、ほのぼの&殺伐中華風異世界絵巻。
色々工夫して趣向を変えて試しながら書き進めているシリーズなので、温かい気持ちで見守っていただけると幸い。
この部の完結後に、四部が開始します。
登場人物紹介
北原麗央那(きたはら・れおな) 慢性的に寝不足なガリ勉
巌力奴(がんりきやっこ) 休職中の怪力宦官
司午玄霧(しご・げんむ) 謹直な武官で麗央那の世話人
環椿珠(かん・ちんじゅ) 金持ちのドラ息子
応軽螢(おう・けいけい) 神台邑の長老の孫
司午想雲(しご・そうん) 玄霧の息子で清廉な少年
馬蝋奴(ばろうやっこ) 宮廷で一番偉い宦官
斗羅畏(とらい) 北方騎馬部族の若き首領
他
45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる
よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です!
小説家になろうでも10位獲得しました!
そして、カクヨムでもランクイン中です!
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。
いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。
欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・
●●●●●●●●●●●●●●●
小説家になろうで執筆中の作品です。
アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。
現在見直し作業中です。
変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。
離縁してくださいと言ったら、大騒ぎになったのですが?
ネコ
恋愛
子爵令嬢レイラは北の領主グレアムと政略結婚をするも、彼が愛しているのは幼い頃から世話してきた従姉妹らしい。夫婦生活らしい交流すらなく、仕事と家事を押し付けられるばかり。ある日、従姉妹とグレアムの微妙な関係を目撃し、全てを諦める。
後宮の侍女、休職中に仇の家を焼く ~泣き虫れおなの絶叫昂国日誌~ 第二部
西川 旭
ファンタジー
埼玉生まれ、ガリ勉育ちの北原麗央那。
ひょんなことから見慣れぬ中華風の土地に放り出された彼女は、身を寄せていた邑を騎馬部族の暴徒に焼き尽くされ、復讐を決意する。
お金を貯め、知恵をつけるために後宮での仕事に就くも、その後宮も騎馬部族の襲撃を受けた。
なけなしの勇気を振り絞って賊徒の襲撃を跳ね返した麗央那だが、憎き首謀者の覇聖鳳には逃げられてしまう。
同じく邑の生き残りである軽螢、翔霏と三人で、今度こそは邑の仇を討ち果たすために、覇聖鳳たちが住んでいる草原へと旅立つのだが……?
中華風異世界転移ファンタジー、未だ終わらず。
広大な世界と深遠な精神の、果てしない旅の物語。
第一部↓
バイト先は後宮、胸に抱える目的は復讐 ~泣き虫れおなの絶叫昂国日誌・第一部~
https://www.alphapolis.co.jp/novel/195285185/437803662
の続きになります。
【登場人物】
北原麗央那(きたはら・れおな) 16歳女子。ガリ勉。
紺翔霏(こん・しょうひ) 武術が達者な女の子。
応軽螢(おう・けいけい) 楽天家の少年。
司午玄霧(しご・げんむ) 偉そうな軍人。
司午翠蝶(しご・すいちょう) お転婆な貴妃。
環玉楊(かん・ぎょくよう) 国一番の美女と誉れ高い貴妃。琵琶と陶芸の名手。豪商の娘。
環椿珠(かん・ちんじゅ) 玉楊の腹違いの兄弟。
星荷(せいか) 天パ頭の小柄な僧侶。
巌力(がんりき) 筋肉な宦官。
銀月(ぎんげつ) 麻耶や巌力たちの上司の宦官。
除葛姜(じょかつ・きょう) 若白髪の軍師。
百憩(ひゃっけい) 都で学ぶ僧侶。
覇聖鳳(はせお) 騎馬部族の頭領。
邸瑠魅(てるみ) 覇聖鳳の妻。
緋瑠魅(ひるみ) 邸瑠魅の姉。
阿突羅(あつら) 戌族白髪部の首領。
突骨無(とごん) 阿突羅の末息子で星荷の甥。
斗羅畏(とらい) 阿突羅の孫。
☆女性主人公が奮闘する作品ですが、特に男性向け女性向けということではありません。
若い読者のみなさんを元気付けたいと思って作り込んでいます。
感想、ご意見などあればお気軽にお寄せ下さい。
【本編完結済み/後日譚連載中】巻き込まれた事なかれ主義のパシリくんは争いを避けて生きていく ~生産系加護で今度こそ楽しく生きるのさ~
みやま たつむ
ファンタジー
【本編完結しました(812話)/後日譚を書くために連載中にしています。ご承知おきください】
事故死したところを別の世界に連れてかれた陽キャグループと、巻き込まれて事故死した事なかれ主義の静人。
神様から強力な加護をもらって魔物をちぎっては投げ~、ちぎっては投げ~―――なんて事をせずに、勢いで作ってしまったホムンクルスにお店を開かせて面倒な事を押し付けて自由に生きる事にした。
作った魔道具はどんな使われ方をしているのか知らないまま「のんびり気ままに好きなように生きるんだ」と魔物なんてほっといて好き勝手生きていきたい静人の物語。
「まあ、そんな平穏な生活は転移した時点で無理じゃけどな」と最高神は思うのだが―――。
※「小説家になろう」と「カクヨム」で同時掲載しております。
平凡冒険者のスローライフ
上田なごむ
ファンタジー
26歳独身動物好きの主人公大和希は、神様によって魔物・魔法・獣人等ファンタジーな世界観の異世界に転移させられる。
平凡な能力値、野望など抱いていない彼は、冒険者としてスローライフを目標に日々を過ごしていく。
果たして、彼を待ち受ける出会いや試練は如何なるものか……
ファンタジー世界に向き合う、平凡な冒険者の物語。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる