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第十一章 林間に煌めく火花

八十九話 香り高い樹と静謐な岩

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 静寂が戻った、境界の邑。
 女性や子供が遠巻きに白髪部(はくはつぶ)の兵たちを見て、怯えているようでもある。
 斗羅畏(とらい)さん含め、白髪部の皆さんの大部分は、邑の安堵と青牙部(せいがぶ)の残党への警戒のために残った。
 状況次第では輝留戴(きるたい)の選挙会議に、間に合うように戻れるかもしれない。
 私たちは大統(だいとう)の阿突羅(あつら)さんが控える、東都という大きな邑に移送、連行される。
 
「突骨無(とごん)さんは、斗羅畏さんと一緒ではなかったんですね」

 引率の責任者である老将さんに、私は尋ねる。
 斗羅畏さんに委任票を集中させて覇聖鳳(はせお)を釣るエサにしようと画策した、知恵者の突骨無さんの姿が見えない。
 私たちと別れた後、どうしていたのだろう。

「季子(きし)どのは、一度話し合って今は別働で委任票をかき集めていらっしゃる。のちにまた合流する手はずじゃったが……」

 老将は含みのある複雑な表情で、そう教えてくれた。
 季というのは、確か末っ子の意味と恒教(こうきょう)にある通り、突骨無さんは阿突羅大統の末息子である。
 各地の邑を回り、迅速に委任票を集めればそれだけ、斗羅畏さんの釣り餌としての価値は高くなる。
 そのために突骨無さんは昼夜を押して駆けずり回ったに違いない。
 もっとも、その策略は斗羅畏さんの激情と、私たちの復讐行為によって、ご破算になったのだけれど。

「ひょっとして、突骨無さんと斗羅畏さん、仲が悪いんですか?」

 私はふと頭に湧いてきた疑問をぶつけてみた。
 同性、同い年の親戚なんて、一人っ子で母子家庭育ちの私には羨ましい関係だけれど。
 偉い人の家系の中においては、複雑な場合もあるかもしれない。
 図星を突かれたのか、老将は苦い顔で答えてくれた。

「御曹司……斗羅畏どのが、一方的に、な。わかるじゃろう? 賢しらで掴みどころのないお方は、警戒されるものじゃ」
「確かにあの末息子、フニャフニャしてなんか信用できねえ感じはするな」

 キキキ、と軽螢(けいけい)が楽しそうに笑う。
 感情的だけれど真っ直ぐな斗羅畏さんの方が、わかりやすいと言えばそうかもね。
 私たちは斗羅畏さんにバキバキに憎まれちゃっただろうけれど、私はまだ斗羅畏さんを、素敵な殿方だと思ってはいる。
 あの直情径行も、むしろ成長する伸び白があるように見えるし、人をまとめる立場の大統になれば、落ち着くのではないか、とも思う。
 荒らしてしまった邑の慰撫のために、自らが残って対応にあたっているくらいだから、責任感だって強いのだろう。
 人は変わるものだし、なにせまだ若いんだ。
 そんなことを考えながら、道を進んでいると。

「なんじゃい、ありゃあ」

 老将さんが道の先を眺めて、怪訝な声を放った。
 見れば、通り道を完全に塞ぎ、横たわるように、二頭の馬に繋がれた荷車が倒れている。

「も、申し訳ありません。すぐにどかしたいのですが、手が足りず、どうしたものかと……」

 キツネの毛皮帽子を目深に被った商人らしき人が、横たわった荷車を前に、オロオロしていた。
 確かにその細腕では、横転した馬車を引き起こすなんて無理だろうな。

「手伝ってやれい。儂らも通れん」
「はっ」

 老将の指示で、私たちを囲んでいた兵隊さんたちのうち何人かが、復旧に手を貸す。
 道の片側はそびえる崖、もう反対側は急斜面の下に川が流れている。
 荷馬車を立て直さないと、馬上にある私たちも安全に通過できないのだ。

「いやあかたじけない。恩に着ます。これ、少ないのですが、お気持ちと言うことで」

 へこへこと頭を下げ、商人さんが一人一人にお礼を言って回る。
 手を貸してくれている人にも、待機して私たちを見張っている人にも、分け隔てなく小銭を渡していた。

「そこまで気を遣わんでもええのに。運んでるのは材木かのう?」
「へえ、角材を少々。自慢の椿(つばき)でございます。お殿さまも、ご入り用の際にはぜひお知らせください」
「ほおう。儂も息子夫婦に小屋を新築してやりたくてのう。椿の柱は今、どれくらいの値じゃろうか」

 老将と商人は、そんな他愛のないほのぼのとした話を交わしている。
 椿は北方に生えない木材だけれど、建築材としてはとても素晴らしいので、商品価値も高いのだろう。
 昂国(こうこく)からわざわざ運んで来たんだろうな。
 と、私が感心していたら。

「ぬうん」
「な、なんだ!?」

 荷車の中、材木の下から急に熊のような巨体が躍り出て。

「お、おお!?」
「ちょ、なに、待っ」

 作業を手伝っていた白髪部の兵隊さんの服を掴み。

「せいっ」

 土手の下に放り投げた。
 左右の手に一人ずつ、人間を軽々と持って、彼方まで投げ飛ばしたのだ。
 もう、ボールを投げるような気楽さで、そんなことをやってのけたのである。

「へ?」

 なにが起きたのかわからなかったのは、私だけではなく。

「人が、消えた?」
「お、おお、く、来るな!?」

 巨体の持ち主は仰天している白髪部の兵たちを、次から次へと、軽々と鷲掴みにして、河原のある土手の下へとブン投げて行く。

「おっと、縄をかけられてるのか。ヨシ、これでどうだ」

 プツンプツンと、商人さんが私たちの体にくくりつけられていた縄を、鋭利な小刀で切ってくれた。
 さっきまで消沈して無言だった翔霏が、その瞬間、急に覚醒し。

「でやあああっ!!」
「おうわぁっ!?」

 竜巻のような旋風を起こす回転蹴りで、私たちの脇に控える兵隊さんたちの顎やこめかみをしたたかに打ち、脳震盪を起こさせる。
 翔霏ってば、いつか脱け出す機会を見計らって相手を油断させるために、今までずっと落ち込んで元気のない振りをしていたの!?

「こっちだ! 隙間から抜けろ!」

 商人さんは、かぶっていた帽子をぐいっと引き上げ、顔を晒して叫んだ。
 女性とも見間違ってしまうほどに美しい、その相貌を見て軽螢が叫ぶ。

「椿珠(ちんじゅ)兄ちゃん!?」

 毛州(もうしゅう)の豪商、環家(かんけ)の妾腹、椿珠さんだった。
 彼だけではない。
 荷車から角材を担いで振り回し、白髪部の兵隊を文字通り薙ぎ倒し吹き飛ばす、牡牛のような巨躯の持ち主は、もちろん。

「麗女史、お急ぎ下され」

 そう、河旭(かきょく)城都は朱蜂宮(しゅほうきゅう)にいるはずの、実直謹厳、誠意の入道雲。
 怪力宦官の、あの人だ。

「巌力(がんりき)さ~~~~~ん!!」

 私は再会の喜びのあまり、その筋肉の塊に飛び付いた。
 ウホッ、いい弾力!

「でえいっ」

 巌力さんが、束になった角材を道にぶちまける。
 横転した荷車と角材がバリケードとなり、私たちを追う兵たちの行く手は塞がれた。
 荷車から馬を切り離し、椿珠さんは私を、巌力さんは翔霏をそれぞれ後ろに乗せて、その場から脱走する。

「メエエエ、メエエ!」

 もちろん、軽螢はヤギに乗っている。
 呆気にとられている老将を道の真ん中に置き去りにして、私たちは禁固の縛から脱け出した。

「ごめんなさーーーい! 覇聖鳳(はせお)を殺したら、改めてお詫びに伺いますからーーーーー!!」

 私は叫び、心の中で手を合わせる。
 そして、驚きに満ちた気持ちでこう尋ねた。

「どうしてこんなところに、二人がいるんですか!?」

 へっ、と笑って椿珠さんが答えた。

「前に言っただろ。また巌力と一緒に、バカをやってみたくなったんだよ」

 そーなのかー、と素直に面白がってニコニコと感心する。
 男同士の友情って、イイよね、ムフッ。
 それに対し横を走る巌力さんが、真面目ぶって言った。

「麗女史たちが殺されたという報せを受けて、三弟(さんてい)はひどく取り乱しましてな。夜も落ち着かず、酒をいくら飲んでも眠れぬ有様で」
「お、おい巌力! デタラメを言うな!」

 椿珠さんが激しくクレームを放つも聞かず、巌力さんは淡々と説明する。

「奴才(ぬさい)が、それは偽りの情報でありましょうと、何度も申しておるのに一向に聞かぬので、なら実際に行って確かめるかと言う話になったのでござる」

 ほら、言った通りだろう。
 とでも言いたげな自信たっぷりの表情を、巌力さんは見せた。
 私はそれが嬉しくて嬉しくて。
 目を潤ませながら、あえて訊ねる。

「どうして、ニセ情報だってわかったんですか? 私たちが生きてるって確信が、巌力さんにはあったんですか?」
「当然のこと。麗女史が、その程度で死ぬるわけがあろうはずもなく。あの日、朱蜂宮で数え切れぬ死地を潜り抜けた麗女史にござれば」

 話を聞いていた翔霏と軽螢が、肩を揺らしてクックと笑った。
 私も満面の笑みで、いたずら気分マックスで、椿珠さんにこう言った。

「私が死んじゃったと思った? ねえねえ私が死んで哀しかったのかなあ三弟さん? 厭世家の冷笑家で世捨て人を気取った放蕩息子が、こんなちんちくりん一人が死んだ死んでないで取り乱しちゃったのかなあ?」 
「うるっせーな! あーもう、こんなんだったら助けに来るんじゃなかったぜ! 今からでも置いて帰るか!?」

 ムキになって大声を出す椿珠さん。
 背中側の私からその表情は見えないけれど、声が震えていた。
 あくまでも落ち着いた姿勢を崩さない巌力さんが説く。

「三弟、玉楊(ぎょくよう)さまがこの先の目的であることを、お忘れなきよう。麗女史たちの助けなくしては、それは叶いませぬ」
「わかってるよ! 言ってみただけだ!」

 けっ、と吐き捨て、椿珠さんは息を整え、毅然とした態度を取り繕い、改めて言った。

「取引だ。お前らに、覇聖鳳を殺させてやる。その代わり、玉楊を助けるために手を貸せ。環家も今、面白くないことになりやがった」
「最初から環貴人は連れ戻すつもりでしたから、取引にならないですよね。まあ私たちに損はないから、良いんですけど」

 私がそう言うと、巌力さんが眉をひそめ、沈痛な面持ちで言った。

「環家に玉楊さまを連れ戻すことは、難しくなり申した」
「どうしてですか?」

 私の問いに、ふうーと大きく息を吐いて、椿珠さんが答える。

「環家に謀反の疑いがかかった。青牙部(せいがぶ)や赤目部(せきもくぶ)のろくでなしどもに、間接的に武器を売ってるってな」
「あ、請負で商売してるって話か」

 軽螢が思い出したように言う。
 環家が用意した商品が、巡り巡って後宮を襲う資材になったのは、いずれ調査の手が及ぶであろうと思ってはいた。
 まさか、今このタイミングとはね。
 椿珠さんは軽く頷き、嘆息した。

「屋敷の中は、役人が引っ掻き回して滅茶苦茶だ。俺と巌力は隙を見て逃げて来たのよ。だから玉楊を取り戻しても、毛州(もうしゅう)には連れて帰れねえ」

 私は記憶の中から、毛州の政治経済や環家についての情報を引っ張り出す。
 そうすると、どうも気にかかる点がある。

「で、でも環家は正妃さまのご実家の素乾家(そかんけ)と、昵懇(じっこん)の関係ですよね? そうそう手厳しい取調べなんてあるんですか?」

 世の中、偉い人同士と言うのは繋がっていて、なにか問題があっても裏でナアナアにしてしまうことが多いはずだ。
 皇帝陛下の正妃さまを輩出するほどの名家である素乾氏と、随一の豪商である環家は持ちつ持たれつの関係で、環家の不利益は素乾家にとっても、面白くないのでは。
 その答えを口にする椿珠さん。
 悔しそうに、忌々しそうに。

「その素乾の殿さまや正妃さまが、陣頭に立って環家(うち)を追い詰めてるんだよ。クソッ、なんだって今になって……」

 私たちが離れている間。
 昂国も大きく、揺れていたのだった。
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