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第六章 蚕でも蜂でもなく
四十四話 再会
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「おお、集まってるわい。下品な顔の連中が、揃いも揃って」
塀の上に立った私を、攻撃してくる賊徒はいない。
遠目に見た私はきっと、艶やかな絹の衣を重ね着した貴婦人である。
おそらくは降伏の使者かなにかかと思われたんだろう。
どんな交渉をしようと、奴らの目的が後宮を破って焼くことである以上は、ただの時間稼ぎにしかならないけど。
私は眼前に展開する、戌族(じゅつぞく)の歩兵騎兵入り混じった連中を眺める。
「いるかな~?」
一度しか見ていないけど、頭の中で何度も反芻した、馴染みの顔を探す。
都督の検使さんたちを撃退する歩兵と。
塀を壊そうとする、破壊工作担当の兵と。
馬に乗って火付けや連絡行動に走り回る騎兵と。
「いた」
そいつらを監督するように見守る、白馬に乗った長髪の男。
人の背丈ほどある大刀を肩担ぎにして。
隣には褐色の片目女を侍らせ、あの日と同じ顔で、そこに立ち。
真っ直ぐに私を見据えて、少しだけ、楽しそうな表情を浮かべていた。
私はその姿を見て。
交渉や、陽動や、時間稼ぎをするはずだったのが、全部、頭からぶっ飛んで。
叫んだ。
叫ばずには、いられなかった。
「覇あああああぁぁぁぁぁぁ~~~~~!!」
お母さん。
デカい声の出せる体に産んでくれて、ありがとう。
「聖ええええええええええぇぇぇぇぇぇ~~~~~~!!」
翔霏(しょうひ)、軽螢(けいけい)。
なにもなかったあの日の私に、優しくしてくれて、ありがとう。
「鳳おおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉ~~~~~~!!」
石数(せきすう)くん、雷来(らいらい)おじいちゃん。
神台邑(じんだいむら)のみんな。
みんなが私に、勇気をくれたんだ。
そのおかげで今があるよ。
生きて、燃えている命の証を、叫んでるよ!!
「気安く呼ぶなよ、ちんちくりん。お前誰だ?」
私に名を呼ばれた覇聖鳳は、シニカルに笑って聞いた。
問いに対する私の答えは、こうだ。
「神台邑(じんだいむら)の、生き残りだあーーーーッ!!」
一瞬、覇聖鳳はなにかを思い出すかのように思案して。
あーあー、と納得したように小さく頷いた。
そして横にいる、邸瑠魅(てるみ)とかいう女になにか一言伝えた。
すかさず邸瑠魅が、携えていたごつい長弓から火薬付きの矢を放つ。
「問答無用かよ!」
ドバァン!
私のすぐ足元横で矢は弾けた。
「話が通じる相手じゃないとは思ってたけどなーッ!!」
片目なのに弓のお上手ですこと!
幸い直撃しなかったけど、塀の上でバランスを崩した私は。
「やばっ」
およそ4メートル50センチ下の地面へ向かい、力無く落ちて行く。
後宮の内側でなく、外側へ。
戌族の暴徒がひしめく、その地面へ。
「ウンギィ!」
ドスンと落ちて転がって、体のあちこち、痛い。
高い所から落ちたら、眩暈みたいに気分も悪くなるんだな。
いい経験になったけど、この後の人生に活かせるか、どうか。
手も足も折れた感じはしなかったので、それは幸いだけど。
「好きにしな!」
邸瑠魅(てるみ)の声が聞こえた。
突然現れたこの変な女を生かすも殺すも、勝手にしろと言うことだろう。
しゃがみこんで身体のしびれが引くのを待っている私の所へ、何人もの屈強な戌族の男が押し寄せる。
逃げ出すための足は、ガクガクで動かない。
だけど、手は動きそうだ。
私は袖の中に隠していた毒の串を一本、取り出して後ろ手に握る。
視界がまだ、くらくらする。
近付いてきた一人や二人、道連れにできるだろうか?
「来るなら来てみろ。楽に死ねる毒じゃないぞ」
地獄へのお伴は、戌族の兵士Aくらいかよ、私の末期。
まあでも。
私、頑張ったな。
足を前に力強く踏み出して。
手を前へと必死に伸ばして。
ちんまい体で、やれるだけ、やったよね。
翠さま、宦官のみなさん、あとはよろしく。
なんとかなるための一手くらいは遺して逝くので、上手く使ってくださいな。
ああ、でも。
翔霏(しょうひ)と軽螢(けいけい)に、死ぬ前に一度でも、会いたかったなあ……。
「お母さん、さようなら。これからも元気でね」
悲しみではなく、誇りを持って私は言う。
あなたの一人娘、麗央那(れおな)は。
精一杯、生きました。
これが私の命の答えなら、悔いは微塵もありません。
「ずいぶんと薄汚れてんなあ」
「まだ子供じゃねえか」
「生娘だったら、頭領に渡すか?」
下卑た笑みを浮かべた男たちの手が、こっちに伸びる。
あと半歩、踏み込んで来い。
衣服に覆われてない、その首元を、私の手が届く近さに。
大柄な髭もじゃ男が、にやけながら手を伸ばしてくる。
ぼやけた視界の端で、なにかが飛んだ影が見えた気がする。
鳥だろうか。
生まれ変わったら、渡り鳥になりたいな。
「ほ~れ、大人しくし、ろゴェッ!?」
ゴィィィィィン!!
私が相手の男に串を刺そうと足を踏ん張った、ちょうどそのタイミングで。
強烈な打撃音が一発、鳴り響いた。
私の目の前で男の一人が悶絶して、どさりと倒れた。
視界がかすんで、よく見えてなかったけど。
男は頭部に、なにか致命的な打撃、衝撃を、喰らったのだ。
「相変わらずいい声だな。遠くからでもすぐにわかったよ」
若い女性の後ろ姿が、私の目の前に立っていた。
長いポニーテールが、殺戮の場に不似合いに、優雅に風に乗って揺れていた。
ひゅん、と長い木の棒を振り回して構え直す女性。
混乱の極みにあるこの状況でなお、無表情な顔と、無感動な声。
その手には彼女の在り方を示すような、真っ直ぐで、強く固く、飾りのない長い木の棒。
いや、あの棒は「棍」と呼んでいたはずだ。
「あ、ああ、あああああ」
彼女の声を聞いて、私はもう。
溢れ出る涙を止めようとも思わない。
生きていた。
また、生きて会えるなんて。
さらに、別の方向から。
「おーらおらおらーー!! 突っ込めーーーーーい!!」
「メエエエエエエェェェァッ!!」
迫り聞こえる軽快な声。
声の主は、馬とも見まがうほどに大きく立派な体格のヤギの背に乗って。
「ごぶえ!」
「ぐぎゃあ!」
私に近寄ってきた他の男たちに、盛大にヤギタックルをぶちかまし、自分も地面に転がった。
「あいててて。ちくしょう、擦り剥いた」
ヤギの交通事故を発生させ、血の滲んだ腕をフーフーする、その男の子。
最後に会ったときよりも、幾分か、髪が伸びて。
顔に向こう傷を増やし、手には刃こぼれした青銅剣を持っていた。
会えなかった、離れ離れだったこの間、彼もきっと必死で、戦っていたんだ。
私はヘロヘロとした足取りで彼に抱きついて。
「軽螢ェ……大丈夫? 怪我したの? 痛くない?」
せっかくの再会なのに。
涙と鼻水と、私もあちこち擦り剥いてて、台無しだ。
「こんなもん、全然へっちゃらだよ。大丈夫、大丈夫」
軽螢は、いつもそうだったように、鷹揚に笑い、私の頭を撫でた。
「うわあああああああん。あああああああん。軽螢ェ、本当に、翔霏と軽螢なんだよねぇ? ここ、あの世じゃないんだよねぇ?」
私は、そのまま泣き崩れて、軽螢の服に涙でべしょ濡れの顔を押し付けた。
ぽんぽんと優しく私の背中を、あやすように叩きながら軽螢は言う。
「なんで麗央那、こんな危ないことしてンだ?」
「お互いさまでしょー、バカァ。軽螢のバカァ、翔霏のバカァー」
あの夏の日と同じく、子供のように泣くしか、できない。
だけど、これは良い涙。
私の心と魂が、人間並みにまだまだ潤っている証拠。
翔霏が私と軽螢を守るように屹立し、覇聖鳳たちを睨みつけた。
「久しぶりだな、クソ狗(いぬ)ども。今日こそは一匹残らず、叩き殺してくれる」
その翔霏と軽螢に遅れること、わずかばかり。
雪崩のように、人間の集団が走り込んできた。
「うおおおおおお! ここで会ったが百年目ーー!!」
「邑のみんなの仇だーーーーーーッ!!」
「翔霏姐(ねえ)さんに続けえええッ!!」
数十人の若者たちが、手に不揃いの武器を持って、めいめい雄たけびを上げた。
中には、見覚えのある顔もいて、私は嬉しさのあまり叫ぶ。
「神台邑の、やんちゃ少年たち!」
彼らの先陣先頭を担い、翔霏が敵の群れへと飛び出して行った。
「貴様らの髑髏で仲間の墓を飾ってやる!!」
傍にいた敵をあっと言う間に殴り倒し、覇聖鳳のもとへ走り出す翔霏。
「でえええりゃああああっ!!」
「遅れを取るなあああっ!」
彼女の背中を追い、真正面から戌族の集団にぶつかっていく、若き闘士たち。
「みんな無事だったんだね! 見覚えのない子たちもたくさんいるけど?」
私の驚きに、軽螢が説明を返す。
「他の邑から避難するときにはぐれたやつとか。角州(かくしゅう)から来たやつもいるよ」
住んでいたところからの避難が決まって、故郷を奪われた邑人は多い。
彼らの一部は翔霏や軽螢に合流して、戌族討伐のために流浪することを決めたのだろう。
軽螢は興奮しているヤギをなだめ、私の体をヤギの背にまたがらせる。
「ここは危ないから、麗央那は少し離れてろよ。あとで迎えに行っからさ」
「やだーーーッ!!」
ノータイムで却下。
逃げて後悔した私が、この期に及んで逃げるなんて、あり得ない。
「いやいやいや、ガキみたいに聞き分けないこと言うなって」
「まだ子供だし! 十六だし!」
「参ったなコリャ。麗央那は言い出したら聞かないからなあ……」
呆れて頭をポリポリとかく軽螢。
しかし私と軽螢の押し問答は、そこで終わった。
議論している場合ではない、別の局面が発生したからだ。
「こ、後宮南門前に、複数の巨大な怪魔(かいま)が出現! 誰か手を貸してくれるものはいないか!?」
傷付いた検使のお兄さんがやって来て、そう告げたのだ。
「オイオイ、怪魔(かいま)がなんで都のお城に出て来ンだよ」
「門が開いてた混乱で紛れ込んだのか?」
少年たちが口々に言う。
もちろんこれも、偶然であるわけはない。
一つの疑問を軽蛍に訊ね、確認する。
「軽螢、街や邑に結界を張ってても、人の手で門を通って連れて来られた怪魔は、入れたりする?」
「ちゃんとした入口から入るなら、できンことないと思うけど」
「じゃあ戌族の連中は、鎖とか縄で怪魔をふん縛って荷物に紛れて持ち込んだんだ。解放した後は、勝手に暴れてくれって感じで」
「迷惑な話だなあ」
世間話のような緊張感のなさで、軽螢は言った。
ごめんね、その迷惑な怪魔の引き入れを行ったの、私の職場の指導役だった宦官なんだ。
怪魔を皇帝の居城にけしかけるなんてね。
麻耶さんも本当に、手段を選んでない。
私は軽螢にヤギの背を譲り、お願いする。
「仲間の少年たちと一緒に、怪魔をやっつけに行って。都の検使より、軽螢たちの方がずっと慣れてるし、上手くできるよね?」
「そりゃいいけど、こっちも大変じゃねーの?」
翔霏と少年たちが大いに食い止めてくれるおかげで、戌族が塀を壊そうとする動きは鈍った。
しかし今、少年たちが南へ移動して怪魔退治をしてしまうと、戌族たちに塀を破壊する余裕を与えてしまうだろう。
「翔霏がいれば、私の方も大丈夫。私だって後宮で遊んで過ごしてたわけじゃないから」
ぐいと軽い螢の背中を押して、ヤギさんのお尻を叩く。
「麗央那に考えがあるなら、大丈夫か」
「ヴァァ」
納得してくれたように軽螢と、ついでにヤギもうなずき、仲間に声をかける。
「野郎ども! こっちは翔霏と麗央那に任せて、南門の怪魔をブッ倒しに行くぜ! ついて来いや!」
「メエエエエエエエ!!」
声をかけられた少年たちは、首をひねりながらも軽螢に従い、走る。
「おろ? 目標変更?」
「せっかくこっちに麗央那がいるから来たのにな」
「翔霏姐さん! 怪魔をブッ殺すまでの間、ここは任せたッス!」
状況が微妙に変わる。
何人もの戌族のつわものを棍の餌食にして昏倒させた翔霏が、いったん私のいる場所まで下がる。
少年たちをここから離れさせたのは、彼らを守りながら戦っていると、翔霏が全力を出せないからだ。
破壊工作をしている連中は、もう放っておく。
翔霏にはその間、なるべくすべての力を、戌族相手の戦闘に使って欲しい。
そうすれば翔霏の周り、この後宮の北塀エリアに敵の兵力がどんどん、集まってくるはずだ。
後ろで偉そうな顔をして状況を観察している覇聖鳳の顔が、憎たらしいなあ。
「麗央那、無茶はするなよ」
「平気、眩暈も治まった」
その二ヤついた顔を、私と翔霏の神台邑乙女コンビで、歪ませてやろうじゃあないか!
塀の上に立った私を、攻撃してくる賊徒はいない。
遠目に見た私はきっと、艶やかな絹の衣を重ね着した貴婦人である。
おそらくは降伏の使者かなにかかと思われたんだろう。
どんな交渉をしようと、奴らの目的が後宮を破って焼くことである以上は、ただの時間稼ぎにしかならないけど。
私は眼前に展開する、戌族(じゅつぞく)の歩兵騎兵入り混じった連中を眺める。
「いるかな~?」
一度しか見ていないけど、頭の中で何度も反芻した、馴染みの顔を探す。
都督の検使さんたちを撃退する歩兵と。
塀を壊そうとする、破壊工作担当の兵と。
馬に乗って火付けや連絡行動に走り回る騎兵と。
「いた」
そいつらを監督するように見守る、白馬に乗った長髪の男。
人の背丈ほどある大刀を肩担ぎにして。
隣には褐色の片目女を侍らせ、あの日と同じ顔で、そこに立ち。
真っ直ぐに私を見据えて、少しだけ、楽しそうな表情を浮かべていた。
私はその姿を見て。
交渉や、陽動や、時間稼ぎをするはずだったのが、全部、頭からぶっ飛んで。
叫んだ。
叫ばずには、いられなかった。
「覇あああああぁぁぁぁぁぁ~~~~~!!」
お母さん。
デカい声の出せる体に産んでくれて、ありがとう。
「聖ええええええええええぇぇぇぇぇぇ~~~~~~!!」
翔霏(しょうひ)、軽螢(けいけい)。
なにもなかったあの日の私に、優しくしてくれて、ありがとう。
「鳳おおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉ~~~~~~!!」
石数(せきすう)くん、雷来(らいらい)おじいちゃん。
神台邑(じんだいむら)のみんな。
みんなが私に、勇気をくれたんだ。
そのおかげで今があるよ。
生きて、燃えている命の証を、叫んでるよ!!
「気安く呼ぶなよ、ちんちくりん。お前誰だ?」
私に名を呼ばれた覇聖鳳は、シニカルに笑って聞いた。
問いに対する私の答えは、こうだ。
「神台邑(じんだいむら)の、生き残りだあーーーーッ!!」
一瞬、覇聖鳳はなにかを思い出すかのように思案して。
あーあー、と納得したように小さく頷いた。
そして横にいる、邸瑠魅(てるみ)とかいう女になにか一言伝えた。
すかさず邸瑠魅が、携えていたごつい長弓から火薬付きの矢を放つ。
「問答無用かよ!」
ドバァン!
私のすぐ足元横で矢は弾けた。
「話が通じる相手じゃないとは思ってたけどなーッ!!」
片目なのに弓のお上手ですこと!
幸い直撃しなかったけど、塀の上でバランスを崩した私は。
「やばっ」
およそ4メートル50センチ下の地面へ向かい、力無く落ちて行く。
後宮の内側でなく、外側へ。
戌族の暴徒がひしめく、その地面へ。
「ウンギィ!」
ドスンと落ちて転がって、体のあちこち、痛い。
高い所から落ちたら、眩暈みたいに気分も悪くなるんだな。
いい経験になったけど、この後の人生に活かせるか、どうか。
手も足も折れた感じはしなかったので、それは幸いだけど。
「好きにしな!」
邸瑠魅(てるみ)の声が聞こえた。
突然現れたこの変な女を生かすも殺すも、勝手にしろと言うことだろう。
しゃがみこんで身体のしびれが引くのを待っている私の所へ、何人もの屈強な戌族の男が押し寄せる。
逃げ出すための足は、ガクガクで動かない。
だけど、手は動きそうだ。
私は袖の中に隠していた毒の串を一本、取り出して後ろ手に握る。
視界がまだ、くらくらする。
近付いてきた一人や二人、道連れにできるだろうか?
「来るなら来てみろ。楽に死ねる毒じゃないぞ」
地獄へのお伴は、戌族の兵士Aくらいかよ、私の末期。
まあでも。
私、頑張ったな。
足を前に力強く踏み出して。
手を前へと必死に伸ばして。
ちんまい体で、やれるだけ、やったよね。
翠さま、宦官のみなさん、あとはよろしく。
なんとかなるための一手くらいは遺して逝くので、上手く使ってくださいな。
ああ、でも。
翔霏(しょうひ)と軽螢(けいけい)に、死ぬ前に一度でも、会いたかったなあ……。
「お母さん、さようなら。これからも元気でね」
悲しみではなく、誇りを持って私は言う。
あなたの一人娘、麗央那(れおな)は。
精一杯、生きました。
これが私の命の答えなら、悔いは微塵もありません。
「ずいぶんと薄汚れてんなあ」
「まだ子供じゃねえか」
「生娘だったら、頭領に渡すか?」
下卑た笑みを浮かべた男たちの手が、こっちに伸びる。
あと半歩、踏み込んで来い。
衣服に覆われてない、その首元を、私の手が届く近さに。
大柄な髭もじゃ男が、にやけながら手を伸ばしてくる。
ぼやけた視界の端で、なにかが飛んだ影が見えた気がする。
鳥だろうか。
生まれ変わったら、渡り鳥になりたいな。
「ほ~れ、大人しくし、ろゴェッ!?」
ゴィィィィィン!!
私が相手の男に串を刺そうと足を踏ん張った、ちょうどそのタイミングで。
強烈な打撃音が一発、鳴り響いた。
私の目の前で男の一人が悶絶して、どさりと倒れた。
視界がかすんで、よく見えてなかったけど。
男は頭部に、なにか致命的な打撃、衝撃を、喰らったのだ。
「相変わらずいい声だな。遠くからでもすぐにわかったよ」
若い女性の後ろ姿が、私の目の前に立っていた。
長いポニーテールが、殺戮の場に不似合いに、優雅に風に乗って揺れていた。
ひゅん、と長い木の棒を振り回して構え直す女性。
混乱の極みにあるこの状況でなお、無表情な顔と、無感動な声。
その手には彼女の在り方を示すような、真っ直ぐで、強く固く、飾りのない長い木の棒。
いや、あの棒は「棍」と呼んでいたはずだ。
「あ、ああ、あああああ」
彼女の声を聞いて、私はもう。
溢れ出る涙を止めようとも思わない。
生きていた。
また、生きて会えるなんて。
さらに、別の方向から。
「おーらおらおらーー!! 突っ込めーーーーーい!!」
「メエエエエエエェェェァッ!!」
迫り聞こえる軽快な声。
声の主は、馬とも見まがうほどに大きく立派な体格のヤギの背に乗って。
「ごぶえ!」
「ぐぎゃあ!」
私に近寄ってきた他の男たちに、盛大にヤギタックルをぶちかまし、自分も地面に転がった。
「あいててて。ちくしょう、擦り剥いた」
ヤギの交通事故を発生させ、血の滲んだ腕をフーフーする、その男の子。
最後に会ったときよりも、幾分か、髪が伸びて。
顔に向こう傷を増やし、手には刃こぼれした青銅剣を持っていた。
会えなかった、離れ離れだったこの間、彼もきっと必死で、戦っていたんだ。
私はヘロヘロとした足取りで彼に抱きついて。
「軽螢ェ……大丈夫? 怪我したの? 痛くない?」
せっかくの再会なのに。
涙と鼻水と、私もあちこち擦り剥いてて、台無しだ。
「こんなもん、全然へっちゃらだよ。大丈夫、大丈夫」
軽螢は、いつもそうだったように、鷹揚に笑い、私の頭を撫でた。
「うわあああああああん。あああああああん。軽螢ェ、本当に、翔霏と軽螢なんだよねぇ? ここ、あの世じゃないんだよねぇ?」
私は、そのまま泣き崩れて、軽螢の服に涙でべしょ濡れの顔を押し付けた。
ぽんぽんと優しく私の背中を、あやすように叩きながら軽螢は言う。
「なんで麗央那、こんな危ないことしてンだ?」
「お互いさまでしょー、バカァ。軽螢のバカァ、翔霏のバカァー」
あの夏の日と同じく、子供のように泣くしか、できない。
だけど、これは良い涙。
私の心と魂が、人間並みにまだまだ潤っている証拠。
翔霏が私と軽螢を守るように屹立し、覇聖鳳たちを睨みつけた。
「久しぶりだな、クソ狗(いぬ)ども。今日こそは一匹残らず、叩き殺してくれる」
その翔霏と軽螢に遅れること、わずかばかり。
雪崩のように、人間の集団が走り込んできた。
「うおおおおおお! ここで会ったが百年目ーー!!」
「邑のみんなの仇だーーーーーーッ!!」
「翔霏姐(ねえ)さんに続けえええッ!!」
数十人の若者たちが、手に不揃いの武器を持って、めいめい雄たけびを上げた。
中には、見覚えのある顔もいて、私は嬉しさのあまり叫ぶ。
「神台邑の、やんちゃ少年たち!」
彼らの先陣先頭を担い、翔霏が敵の群れへと飛び出して行った。
「貴様らの髑髏で仲間の墓を飾ってやる!!」
傍にいた敵をあっと言う間に殴り倒し、覇聖鳳のもとへ走り出す翔霏。
「でえええりゃああああっ!!」
「遅れを取るなあああっ!」
彼女の背中を追い、真正面から戌族の集団にぶつかっていく、若き闘士たち。
「みんな無事だったんだね! 見覚えのない子たちもたくさんいるけど?」
私の驚きに、軽螢が説明を返す。
「他の邑から避難するときにはぐれたやつとか。角州(かくしゅう)から来たやつもいるよ」
住んでいたところからの避難が決まって、故郷を奪われた邑人は多い。
彼らの一部は翔霏や軽螢に合流して、戌族討伐のために流浪することを決めたのだろう。
軽螢は興奮しているヤギをなだめ、私の体をヤギの背にまたがらせる。
「ここは危ないから、麗央那は少し離れてろよ。あとで迎えに行っからさ」
「やだーーーッ!!」
ノータイムで却下。
逃げて後悔した私が、この期に及んで逃げるなんて、あり得ない。
「いやいやいや、ガキみたいに聞き分けないこと言うなって」
「まだ子供だし! 十六だし!」
「参ったなコリャ。麗央那は言い出したら聞かないからなあ……」
呆れて頭をポリポリとかく軽螢。
しかし私と軽螢の押し問答は、そこで終わった。
議論している場合ではない、別の局面が発生したからだ。
「こ、後宮南門前に、複数の巨大な怪魔(かいま)が出現! 誰か手を貸してくれるものはいないか!?」
傷付いた検使のお兄さんがやって来て、そう告げたのだ。
「オイオイ、怪魔(かいま)がなんで都のお城に出て来ンだよ」
「門が開いてた混乱で紛れ込んだのか?」
少年たちが口々に言う。
もちろんこれも、偶然であるわけはない。
一つの疑問を軽蛍に訊ね、確認する。
「軽螢、街や邑に結界を張ってても、人の手で門を通って連れて来られた怪魔は、入れたりする?」
「ちゃんとした入口から入るなら、できンことないと思うけど」
「じゃあ戌族の連中は、鎖とか縄で怪魔をふん縛って荷物に紛れて持ち込んだんだ。解放した後は、勝手に暴れてくれって感じで」
「迷惑な話だなあ」
世間話のような緊張感のなさで、軽螢は言った。
ごめんね、その迷惑な怪魔の引き入れを行ったの、私の職場の指導役だった宦官なんだ。
怪魔を皇帝の居城にけしかけるなんてね。
麻耶さんも本当に、手段を選んでない。
私は軽螢にヤギの背を譲り、お願いする。
「仲間の少年たちと一緒に、怪魔をやっつけに行って。都の検使より、軽螢たちの方がずっと慣れてるし、上手くできるよね?」
「そりゃいいけど、こっちも大変じゃねーの?」
翔霏と少年たちが大いに食い止めてくれるおかげで、戌族が塀を壊そうとする動きは鈍った。
しかし今、少年たちが南へ移動して怪魔退治をしてしまうと、戌族たちに塀を破壊する余裕を与えてしまうだろう。
「翔霏がいれば、私の方も大丈夫。私だって後宮で遊んで過ごしてたわけじゃないから」
ぐいと軽い螢の背中を押して、ヤギさんのお尻を叩く。
「麗央那に考えがあるなら、大丈夫か」
「ヴァァ」
納得してくれたように軽螢と、ついでにヤギもうなずき、仲間に声をかける。
「野郎ども! こっちは翔霏と麗央那に任せて、南門の怪魔をブッ倒しに行くぜ! ついて来いや!」
「メエエエエエエエ!!」
声をかけられた少年たちは、首をひねりながらも軽螢に従い、走る。
「おろ? 目標変更?」
「せっかくこっちに麗央那がいるから来たのにな」
「翔霏姐さん! 怪魔をブッ殺すまでの間、ここは任せたッス!」
状況が微妙に変わる。
何人もの戌族のつわものを棍の餌食にして昏倒させた翔霏が、いったん私のいる場所まで下がる。
少年たちをここから離れさせたのは、彼らを守りながら戦っていると、翔霏が全力を出せないからだ。
破壊工作をしている連中は、もう放っておく。
翔霏にはその間、なるべくすべての力を、戌族相手の戦闘に使って欲しい。
そうすれば翔霏の周り、この後宮の北塀エリアに敵の兵力がどんどん、集まってくるはずだ。
後ろで偉そうな顔をして状況を観察している覇聖鳳の顔が、憎たらしいなあ。
「麗央那、無茶はするなよ」
「平気、眩暈も治まった」
その二ヤついた顔を、私と翔霏の神台邑乙女コンビで、歪ませてやろうじゃあないか!
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その狼は天狼という神獣で、今俺がいるのは今までいた世界とは異なる世界だという。
右も左も分からないどころか、右も左も向けなかった俺は天狼さんに魔法で癒され、ついでに色々な知識を教えてもらう。
この世界の事、生き延び方、戦う術、そして魔法。
数年後、俺は天狼さんの庇護下から離れ新しい世界へと飛び出した。
元の世界に戻ることは無理かもしれない……でも両親に連絡くらいはしておきたい。
根拠は特にないけど、魔法がある世界なんだし……連絡くらいは出来るよね?
そんな些細な目標と、天狼さん以外の神獣様へとお使いを頼まれた俺はこの世界を東奔西走することになる。
色々な仲間に出会い、ダンジョンや遺跡を探索したり、何故か謎の組織の陰謀を防いだり……。
……これは、現代では失われた強大な魔法を使い、小さな目標とお使いの為に大陸をまたにかける小市民の冒険譚!
神々の間では異世界転移がブームらしいです。
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第2部 《精霊の紋章》
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それは、英雄に憧れた少年の英雄譚。
第3部 《交錯する戦場》
各国が手を結び結成された人類連合と邪神を奉じる魔王に率いられた魔族軍による戦争が始まった。
人間と魔族、様々な意思と策謀が交錯する群像劇。
第4部 《新たなる神話》
戦争が終結し、邪神の討伐を残すのみとなった。
連合からの依頼を受けたユウは、援軍を率いて勇者の後を追い邪神の神殿を目指す。
それは、この世界で最も新しい神話。
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人の名前が何故か映画スターの名になっちゃう天然系若返り聖女の冒険。全14話。
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