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第三章 朱蜂宮(しゅほうきゅう)
十七話 あなたの悲劇が私にも悲劇とは限らない
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後宮、西苑(さいえん)の物品庫において。
一人の若き侍女が、死んでいた。
「はー、はー、ふー」
と深呼吸する私。
大丈夫、大丈夫。
なんとか、なんとか、こらえる。
「気分が悪いなら下がってもいいわよあんた」
翠さまが気遣ってくれる。
こんなときこそ、冷静にならなければいけない、しっかり気を持たなければいけない。
自分に言い聞かせた。
「いえ、大丈夫です。お心遣い、ありがとうございます」
「ならいいわ。状況を調べなきゃいけないから手伝いなさい」
私にそう言った翠さまは、遺体の側で哀しみ、懼れている侍女たちに向き合い。
「ほらみんな呆けてるヒマはないわよ! あんたたちは博佳人(はくかじん)のとこの子でしょ! 早く呼んできなさい! ついでに誰でもいいから太監(たいかん)もね!」
勢いよく、的確に指示を飛ばした。
太監というのは、役職付きの偉い宦官のことだ。
「は、はい、ただちにっ」
まだ座ったまま嘆いている侍女を置いて、他の二人の侍女は自分たちの主人である「兆(ちょう)博柚(はくゆう)」佳人の部屋へと走った。
さっき後宮の図を見てたので、環貴人と合わせてたまたまその名前は覚えてた。
佳人というのは貴人の二つ下の位階で、中堅の妃というところだ。
もちろん、後宮という特別な世界で中ぐらいの立ち位置という話であって、一般庶民から見れば殿上人であることに変わりはない。
「下手に物を触らぬ方がよろしいか」
怪力宦官の巌力さんが、翠さまに確認する。
事件が起こったときの現場保存は調査の鉄則である。
「そうね。悪いんだけど巌力も手伝ってくれる? 環貴人の用向きはこれが済んでからにしてちょうだい」
「わかり申した。いたし方ありますまい」
倉庫の中央まで進み、くるりと全体を見渡す翠さま。
私も手足が物に触れないように気を付けながら、できる限りの情報を摂取しようと倉庫内を観察する。
「おっきな、鏡、かな?」
立ち並ぶ棚の中段に、直径1メートルを超える銀色の金属器が立てかけてある。
表面は徹底的に磨き上げられていて、ピッカピカだ。
化粧を最低限しかしていない、私の見慣れた顔が映っている。
しかし、その鏡像は歪んでいた。
鏡が内側に湾曲した、お盆やお鉢のような形をしているからだ。
「環貴人がこちら西苑に貸し出していた、銀盆でございます」
注意深く見ていたら、巌力さんが教えてくれた。
「凄く立派なお盆ですね」
これは確かに、侍女が持ち運ぶのは厳しい。
総純銀ではなく表面だけ銀メッキを施したのだと思うけど、厚みから見て総重量は20キログラムを下るまい。
巌力さんが取に来るというのは納得の話だった。
「盆に冷水を張り、果実などを浮かべて賞しまする」
ああ、それは実に涼しげで風流だなあ。
夏の盛りの今時期は、大活躍に違いない。
と、立派な銀盆に気を取られていたけど。
「扉の他に出入りできそうなところは、なさそうですね」
まず一番最初に注意しなければいけない点を確認する。
倉庫の壁には日光を取り入れるための、斜め格子の装飾的な窓が空いている。
しかし格子となっている木枠の幅が狭いので、人間が通れる空間はない。
「チューチュー、チュチュッ」
「わっ、なに!?」
いきなり私の足元を、小さいものが通った。
「ただのネズミよ。落ち着きなさい」
棚の上部、なにか落下物がなかったかどうかを見渡しながら、翠さまが言った。
他にネズミがいたり、フンが散らかっていないかを私は確認する。
「あ、壁の下に通風孔があるんだ」
湿気を予防するためか、倉庫の壁の最下部には、人間の握りこぶし大の穴がいくつか施工されていた。
ネズミ程度ならなんとでもなるけど、人間が通るのは無理だ。
外側から開かない重い扉、人が通れない窓と壁の穴。
導かれる一番大きな可能性と言えば。
「これはまさに密室殺」
「やっぱり暑くて倒れたのかしらね。前から具合が悪そうだったとか? でもそんな子に一人で蒸し暑い物品庫の仕事なんてさせるかしら。博佳人たちが来たら詳しく聞かないと」
私の妄言は、翠さまのとても冷静で穏当な発言にかぶせられて立ち消えた。
「ううっ、彩林……彩林……」
よほど仲が良かったのか、ご遺体の横で一人の侍女さんがずっと泣いている。
彩林さんの髪や顔を、いつまでも優しく、撫で続けていた。
それを見ているのが、私には辛かった。
悲しみに引きずられることから逃げるように、私は視線を庫の中に並べられている品々に移す。
「毒とか火薬になるものあるかな」
機会があれば、じっくり調べてみようと思っていたのだ。
人でなしもいいことに自分勝手なことを考えて、悲しみの共有を、私は無理矢理に拒絶するのだった。
一人の若き侍女が、死んでいた。
「はー、はー、ふー」
と深呼吸する私。
大丈夫、大丈夫。
なんとか、なんとか、こらえる。
「気分が悪いなら下がってもいいわよあんた」
翠さまが気遣ってくれる。
こんなときこそ、冷静にならなければいけない、しっかり気を持たなければいけない。
自分に言い聞かせた。
「いえ、大丈夫です。お心遣い、ありがとうございます」
「ならいいわ。状況を調べなきゃいけないから手伝いなさい」
私にそう言った翠さまは、遺体の側で哀しみ、懼れている侍女たちに向き合い。
「ほらみんな呆けてるヒマはないわよ! あんたたちは博佳人(はくかじん)のとこの子でしょ! 早く呼んできなさい! ついでに誰でもいいから太監(たいかん)もね!」
勢いよく、的確に指示を飛ばした。
太監というのは、役職付きの偉い宦官のことだ。
「は、はい、ただちにっ」
まだ座ったまま嘆いている侍女を置いて、他の二人の侍女は自分たちの主人である「兆(ちょう)博柚(はくゆう)」佳人の部屋へと走った。
さっき後宮の図を見てたので、環貴人と合わせてたまたまその名前は覚えてた。
佳人というのは貴人の二つ下の位階で、中堅の妃というところだ。
もちろん、後宮という特別な世界で中ぐらいの立ち位置という話であって、一般庶民から見れば殿上人であることに変わりはない。
「下手に物を触らぬ方がよろしいか」
怪力宦官の巌力さんが、翠さまに確認する。
事件が起こったときの現場保存は調査の鉄則である。
「そうね。悪いんだけど巌力も手伝ってくれる? 環貴人の用向きはこれが済んでからにしてちょうだい」
「わかり申した。いたし方ありますまい」
倉庫の中央まで進み、くるりと全体を見渡す翠さま。
私も手足が物に触れないように気を付けながら、できる限りの情報を摂取しようと倉庫内を観察する。
「おっきな、鏡、かな?」
立ち並ぶ棚の中段に、直径1メートルを超える銀色の金属器が立てかけてある。
表面は徹底的に磨き上げられていて、ピッカピカだ。
化粧を最低限しかしていない、私の見慣れた顔が映っている。
しかし、その鏡像は歪んでいた。
鏡が内側に湾曲した、お盆やお鉢のような形をしているからだ。
「環貴人がこちら西苑に貸し出していた、銀盆でございます」
注意深く見ていたら、巌力さんが教えてくれた。
「凄く立派なお盆ですね」
これは確かに、侍女が持ち運ぶのは厳しい。
総純銀ではなく表面だけ銀メッキを施したのだと思うけど、厚みから見て総重量は20キログラムを下るまい。
巌力さんが取に来るというのは納得の話だった。
「盆に冷水を張り、果実などを浮かべて賞しまする」
ああ、それは実に涼しげで風流だなあ。
夏の盛りの今時期は、大活躍に違いない。
と、立派な銀盆に気を取られていたけど。
「扉の他に出入りできそうなところは、なさそうですね」
まず一番最初に注意しなければいけない点を確認する。
倉庫の壁には日光を取り入れるための、斜め格子の装飾的な窓が空いている。
しかし格子となっている木枠の幅が狭いので、人間が通れる空間はない。
「チューチュー、チュチュッ」
「わっ、なに!?」
いきなり私の足元を、小さいものが通った。
「ただのネズミよ。落ち着きなさい」
棚の上部、なにか落下物がなかったかどうかを見渡しながら、翠さまが言った。
他にネズミがいたり、フンが散らかっていないかを私は確認する。
「あ、壁の下に通風孔があるんだ」
湿気を予防するためか、倉庫の壁の最下部には、人間の握りこぶし大の穴がいくつか施工されていた。
ネズミ程度ならなんとでもなるけど、人間が通るのは無理だ。
外側から開かない重い扉、人が通れない窓と壁の穴。
導かれる一番大きな可能性と言えば。
「これはまさに密室殺」
「やっぱり暑くて倒れたのかしらね。前から具合が悪そうだったとか? でもそんな子に一人で蒸し暑い物品庫の仕事なんてさせるかしら。博佳人たちが来たら詳しく聞かないと」
私の妄言は、翠さまのとても冷静で穏当な発言にかぶせられて立ち消えた。
「ううっ、彩林……彩林……」
よほど仲が良かったのか、ご遺体の横で一人の侍女さんがずっと泣いている。
彩林さんの髪や顔を、いつまでも優しく、撫で続けていた。
それを見ているのが、私には辛かった。
悲しみに引きずられることから逃げるように、私は視線を庫の中に並べられている品々に移す。
「毒とか火薬になるものあるかな」
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