バイト先は後宮、胸に秘める目的は復讐 ~泣き虫れおなの絶叫昂国日誌・第一部~

西川 旭

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第三章 朱蜂宮(しゅほうきゅう)

十五話 女王蜂は巣が安定期に入るまで自分で懸命に働く

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「覚えることが沢山だあ」

 後宮生活が始まった翌日の早朝。
 眠い目をこすりながら、のろのろと寝床からはい出した私を待っていたのは、麻耶さんによる「授業」であった。

「大まかにだけでも、後宮のことは知っていただかねばなりませんからな。なあに、次第に慣れますので」

 私と机を挟んで座る麻耶さんが、字がいっぱい書き込んである図面を広げた。
 その一部を指差しながら麻耶さんが確認する。

「この『朱蜂宮(しゅほうきゅう)』の西区画、ここが拙どもが勤める『西苑(さいえん)』でございます。よろしいですな?」

 私は後宮に来るまでの馬車の旅で、軽く教えてもらった情報を頼りに返答する。

「はい、東西南北にそれぞれ貴妃さまのいるお部屋があって、私たちのあるじの翠(すい)さまは、西苑の統括役でもいらっしゃるんですよね」

 後宮においては、数多く住まう妃さまたちに序列、正式に言うと官位が付けられている。
 私の主である司午(しご)翠蝶(すいちょう)さまは、正妃、準妃に次いで高位の「貴人」ということだ。
 貴人同士の間に明確な上下の序列はないので、翠さまは後宮全体、合わせて三百人近くいる妃の中にあって、4位タイということになる。
 これが全国大会ならベスト8の入賞者というわけだ。
 かなり、偉いお方なのはずである。
 あんなでも。
 満足げに麻耶さんはうんうんと頷き。

「左様。ただ一人の正妃さまと、お二人いらっしゃる準妃さまは、主上のご公務のお助けを担うことも多いため、四人の貴妃さまがお力を尽くして、後宮内部の秩序を保たれているのです」

 ふむふむ、なるほど。
 後宮の実情は、妃と使用人の私たち、公務を行う宦官など合わせて数千人の規模を抱える「組織」である。
 組織である以上は運営にあたって秩序やルールが必要であり、そのために宮妃の序列を設けて自治的な対応を任せているのだろう。
 ここでひとつ、私は確認のための質問を。

「私の立場は、建前上はあくまでも『翠さまの使用人』であって、昂国(こうこく)の『女官』ではないんですよね?」
「その通り。お妃さまそれぞれの部屋付きの侍女は、官職にはありませぬ。皇城全体の務めを担う女官は他におりますゆえ」

 妃や女官はいわば公務員だけど、私は翠さまに個人的に雇われている侍従であって、公務員ではないのだ。
 その上でややこしい状況を、もう一つ確認しておかなければならない。

「宦官の方たちは、国に、皇帝陛下に仕える存在ですよね。でも麻耶さんは、翠さまの専属みたいに、信頼されているように見えますけど」

 少し引っかかっていたのは、そこだった。
 宦官は国、というか皇族に直接仕える立場の人たちである。
 その業務範囲は後宮経営だけでなく、皇帝陛下の私生活全体に及ぶ。
 全体の仕事に従事するのが役目であるなら、翠さまと私の秘密の入れ替わり作戦に、麻耶さんという個人の宦官がこれほど深く関与するだろうか。

「拙(せつ)の家は翠さまのご生家であられる『司午家』と縁がございましてな。加えて、宮中の勤めをそれなりに長くやっておれば、おのずと『領分』も生じてくるものでございます」
「そういうものですか」

 名目上はそうと決まっていなくても、実務段階で翠さまとの連絡相談役に、麻耶さんが自然に収まった、ということか。
 家を通して見知っていた相手であれば、緊密な関係になるのも普通のことと言える。

「位の高いお妃さまがたにおかれましては、拙のように『どんなことでも話せる宦官』が一人や二人、付いておるものです。そうでなければ、身の安らぎどころもありますまい」
「確かにそうかもしれませんね」 

 特に翠さまは、あけすけな人というか、はっきりした人という第一印象だ。
 秘密のことでも警戒なく相談できる、麻耶さんのような宦官がいてくれることは、心強いに違いない。

「さ、腰を据えて後宮の仕事に取りかかるのであれば、まず第一にこの、朱蜂宮の図を覚えて、どちらにどのお方がお住まいになられているか、それを把握しなければなりませぬ」

 ニコニコ笑って、目の前に広がる図を両手で指し示す麻耶さん。
 私はその紙に記載されている情報量の多さに、若干の眩暈を覚える。

「このデカい建物全体の見取り図に、びっしり書き込まれた宮妃さまたち、すべてのお部屋をですか」

 覚悟はしていたけどね。
 後宮のどこに誰が住んでいるのか、とりあえずクソ暗記しろとの指令が下った。
 受験勉強のピーク時期以来封印していた、北原(きたはら)流記憶術を使うときが来たか。
 いや、ただの一夜漬けなんだけどね。

「では、拙は別の務めがあるので席を外させていただきます。不明なことがございますれば都度、先輩の侍女に訊ねられるがよろしいでしょう」
「はい、麻耶さん、ありがとうございます。一刻も早くお仕事を覚えられるよう、頑張ります」
「その初々しい心がけを、いつまでもお忘れにならぬように」

 私に宿題を残して、本来の持ち場に麻耶さんは戻った。
 後宮の記録文書管理が、麻耶さんの本業であるらしい。
 侍女たちは毎日、仕事終わりの寝る前に、作業日報のような書類を担当の宦官に渡す。
 上がってきた書類を整理し、特筆すべき事件事故があるなら対応を考えて、保管すべき文書はファイリングする。
 麻耶さん以外の宦官がどのようであるかは、働いているうちにおいおいわかるだろう。

「でも後宮の名前が『朱蜂宮』とはね。洒落が効いてるというかなんというか」

 渡された図面を見ながら私は感心する。
 朱い蜂と言えば、スズメバチ属の「ヒメスズメバチ」が有名だ。
 赤褐色の美しい見た目と、人をあまり襲わない大人しい生態から「ヒメ」の名を冠されているけど、そこはやっぱりスズメバチ。
 実態は獰猛な肉食の蜂であり、他の種の蜂を襲いまくり、食いまくる。
 ヒメスズメバチの巣を一つ保つためには、周辺にある数百のアシナガバチの巣が餌食となり果てる。
 また、ヒメスズメバチの巣は木の洞(ほら)や土の中に作られ、他の蜂の巣のように露出してはいない。
 私が今いる後宮も高い塀に囲まれているので、一般庶民からは目につかないエリアにある。

「後宮に限った話じゃないか。人の社会も、蜂の巣みたいなもんだし」

 名前すら勘違いされて覚えられている程度の、ちんけな働き蜂が私だ。
 いや、むしろスズメバチというご主人さまたちに労働力を食われている、他のザコ蜂かもしれないな。

「タコとサメの次は蜂の話? あんた生き物が好きなのね」
「うわびっくりしたー」

 控えの間でお勉強しながら独り言を発していたら、突如として女主人である翠さまが姿を現した。
 絹の薄い寝間着をだるんだるんに崩していて、髪も乱れて顔にかかっている。
 エロいけど若干、幽霊のようでもある。
 私より年上のはずだけど、お肌とかぴちぴちで、いいなあ。

「失礼いたしました。お召し物を整えさせていただきます」

 とりあえずなにかしなければいけないと思い、私は翠さまのそばに急いで駆け寄る。

「あーいいわよいいわよこのままで。それより麻耶の声が聞こえたんだけど」
「はい。もうお戻りになられました」
「話したいことあったんだけどな。まあいいわ水ちょうだい。喉が渇いてしょうがないわ。口を開けたまんま寝ちゃったのかしら」
「ただ今、お持ちしますッ」

 早歩きで室外にある井戸から水を引っ張り上げて、なんか上等そうな磁器の水差しとカップに注ぐ。
 後宮の中では、なんびとたりとも走ってはいけない決まりになっているので、使用人のデフォルトは速足だ。
 高貴な場所なので、走ってホコリを立てるな、ということだな。
 天子に蒙塵させるべからず、とかなんとか、麻耶さんが言ってたっけ。

「あんたが変な話をするから夢に巨大なタコが出てきちゃったじゃないの。タコが食べたくなっちゃったわ」

 井戸から戻ると、翠さまから苦情をいただいた。
 先輩侍女さんたちが翠さまの衣服を取り換えて整え、髪を梳いている。
 きゅーっと水を飲み干した翠さまは、もう一杯のおかわりの水を要求し、それも一気飲みして、言った。

「みんな揃ったわね。改めて紹介するけど新しく入った『麗(れい)央那(おうな)』よ。甘やかす必要はないけど仲良くしてあげて」

 部屋付きの先輩侍女全員の前で、私を紹介してくれた。

「よ、翼州(よくしゅう)の神台邑(じんだいむら)から来ました、麗、央那です。みなさん、よろしくお願いいたします」
「ん」

 ぺこり、と頭を深く下げて自己紹介した私を見て、翠さまは満足したように、納得したように言った。

「よろしく」
「若いわねぇ。羨ましいわぁ」
「玄霧さまのご推薦なんですって?」

 などなど、先輩方から挨拶を返される。
 その後は先輩に、まず掃除のやり方などを教わって過ごした。
 どんな組織でも建物の中で活動している以上、基本になるのは掃除なんだなあ、と私は学校生活を思い出した。

「風が出て来たわね」

 昼の前。
 朝から他のお妃とお喋りをしに行って、ちょうど戻った翠さまが言う。
 手にはキラキラと光るガラスか水晶か、なにかのレンズを持っていた。
 挨拶に行った先で貰ったか、借りて来たのだろう。
 私は先輩に教えてもらいながら淹れたお茶を、粗相がないように緊張しながら翠さまに差し出す。

「窓を閉めておいてちょうだい。ホコリが入るわ」

 レンズ越しに部屋の中を透かし見て楽しみながら、翠さまがおっしゃった。
 太陽を直視しないでくださいね、と忠告する前に、窓を閉めろと言われたのは都合がよかった。

「かしこまりましたっ」

 パタパタと板窓を閉める作業をしていると、今度は入口から別の声が。

「もし、ごめんくださいまし」
 
 お客さまのようである。
 翠さまが無言で顎を入口の方へクンと突き出す。
 私に応対しろというジェスチャーだろうから、そのように早歩きで入り口へ。
 後宮、意外と忙しい。

「はーいただ今。ごきげんよう、いらっしゃいませ」

 どこかから借りてきたような、まだこなれていない笑顔で私は来客を出迎える。
 扉の先にいたのは、服装から察するに他の妃に付いて働いている侍女のようだ。

「どうかなさいましたか?」 
「申し訳ございませんが、どなたかお手を貸して頂けますでしょうか? 重くて、動かせないものがありまして」
「なになにどうしたの? 力仕事なら央那が手伝うけど」

 私が行くことは確定として、翠さまも結局、好奇心に抗えずに口を出してきた。

「これはこれは、翠貴妃におかれましては本日もご機嫌うるわ」
「挨拶はいいからなにが動かないのか言いなさい。必要であればもっと人数を用意させるから」

 おお、流石の西苑の統括である貴妃殿下、仕切りたがりだ。
 そして他人の従者が相手でも、相変わらずせっかちだ。

「そ、それが。物品庫の扉が、なぜか開かないのでございます」

 西苑の物品庫は確か、このお部屋の比較的近くにある。
 最初に後宮を案内されたときに、重くて頑丈そうな鉄の扉がある倉庫を横目に見た記憶がある。

「普通に問題ごとじゃないのよそれ。行くわよ央那」

 首を突っ込みたがりのあるじさまに付き従って、私は開かずの物品庫へと向かうのであった。
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