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第二章 亡失の中で

九話 新しい出会いはあのときと同じ場所

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 まったく無意識に、私はいつの間にか、逃げていた。
 泣きながら、叫びながら、喘ぎながら、みっともなく。

「あ、ここ」

 辿り着いたのは、見覚えのある河川敷。
 はじめて翔霏(しょうひ)と、軽螢(けいけい)と会った場所だった。
 うっそうとした藪がは連なってるおかげで、道の側からは見渡しが良くないポジションだ。
 私はうずくまって、神台邑(じんだいむら)のみんながどうなったのかを思い出し。

「う、うう、うううう、うううううううう」

 こらえきれずに、またその場で涙を抱えて身を崩すのだった。
 随分と邑から離れて、一人で来てしまった。
 また、怪魔とやらの異形の魔獣に襲われちゃうのかな。
 
「もうさすがに、翔霏は助けに来てくれないよね」

 軽率な自分の行動を悔やむものの、他にどうしていいか、わからない。
 あの場にいたら、私もきっと殺されていただろう。
 翔霏は、軽螢は、石数(せきすう)くんは。
 みんなは、どうなったのだろうか。
 どうして。

「どうしてあんないい人たちが、こんな目に遭わなきゃいけないの」

 言葉に出しても、答えてくれる者はいない。
 それでも。
 それでも軽螢や翔霏は、私に「逃げろ」と言った。
 言ってくれたんだ。
 生き延びて欲しいと、私に、言ってくれたんだと思う。

「死んでたまるか」

 目下の目標は、それに決まった。
 怪魔が来ても、逃げる。
 邑を襲った連中の残党が来ても、逃げる。
 逃げて逃げて、生き抜いて、他のことは、そこからだ。

「どうして邑の中には怪魔が入って来ないんだ。お濠(ほり)があるだけなら、怪魔は平気で乗り越えてくるはずなんだ」

 考えろ。
 間違っていたら、すなわち死ぬ。
 そんな問題の、解答をなんとか見つけるんだ。

「怪魔も動物だから、火が怖いのかな。だから邑には入って来ないのかも」

 邑はいつも、四六時中、なにかしらの火種が存在していた。
 でも今の私はズブズブの濡れネズミ。
 道具もないこの状態で火を熾すことは、できない。

「思い出せ。どうして、お濠なんだ」

 考えた答えが適切でないなら、詳しく思い出すんだ。
 私が最初に、四つ目四つ耳の、巨大な狼のような怪魔に襲われたときのことを。
 あのときに鈍くさい私が、すぐに食べられなかった幸運の材料を。
 そして、神台邑の周囲に整えられた環濠が、どのようであったかを、詳細に。

「川の水?」

 両者に共通するのは、流れのある河川の水だった。
 私が怪魔に襲われたとき、怪魔は決して川に足を踏み入れなかったはずだ。
 そして、邑を囲む水濠(みずほり)も、近くの小さな川から水を引いている。
 水濠はただのドーナツ型の水たまりではなく、上流から下流へと流れる川の一部になっていたのだ。

「ドラキュラは流水を越えられないって話があったっけ」

 私は河川敷の泥地に、私だけの「水濠」を掘って、環(わ)を形成した。
 ガリガリと掘った溝に川の水を引き込んで、ドーナツ型の領域を設けて、自分のテリトリーだと主張したのだ。

「これでどうにかなるとは思えないけど、なにもしないよりマシか」

 体中、べちょべちょと濡れているのが、本当に不愉快だけど。
 気にしてる場合じゃないし、とりあえずここを拠点にしよう。
 邑の様子を見に戻った方がいいか。
 それとも邑から少しでも遠くに離れて逃げた方がいいか。
 私は、四畳半にも満たない水濠の中に陣取って、これからのことを考えるのだった。

「うわ、出た」

 そうした矢先、藪の中から、双頭の大蛇が現れた。
 鎌首をもたげた上半身だけで、私の身長よりもデカい。
 体の全体がぬらぬらとぬめって光っていて、明らかに尋常な獣ではない。
 二つの頭からは二股に分かれた舌がシュルシュルと這い出しており、見ているだけでチビりそうだ。

「タダで食われてやるもんか! あんたに飲み込まれてる最中に、心臓をかじってやるからな!!」

 どんな生物でも、心臓にダメージを与えれば、死ぬ。
 翔霏に教わったことが活かせるかどうか、それはわからないけど。

「フシュルルルル……」

 私としばしの間、にらめっこをして。
 蛇の怪魔は、それ以上なにもせずに去って行った。

「ははは、やればできるじゃん、私も」

 環濠の結界が功を奏したかどうか、結局は謎である。
 

「ん、朝?」

 いつの間にか、私は河原で眠っていて、日の出を迎えていた。
 服も体も水浸しなのに眠れたなんて、よほど消耗していたのだろう。
 寝て起きて心身がリセットされて、私がまず思ったことは。

「やっぱり、邑に行こう」

 それしかなかった。
 混乱がいまだに続いているかどうかは分からないけど、邑の様子は知りたい。
 それが悪い選択肢だったとしても、私は神台(じんだい)邑の行く末を、見るべきだし、見なければいけないと思うのだ。
 無駄に死ぬつもりはないので、慎重に慎重を期して、だけど。
 私がそう決意して立ち上がり、ひとまず衣服を脱いで水気を絞った。
 ちょうどそのときである。

「誰かいるのか?」

 男の人の声が、藪の向こうから聞こえた。
 十五歳、もうすぐ十六歳の乙女が真っ裸で服を脱いで、うんせうんせと水を絞っている、その最中に。
 すぐそばに、誰か知らない男の人がいるのだ。

「い、いません!」

 私は混乱して、頭のおかしい返事をした。
 どうしよどうしよ、と慌てて生乾きの服を着直す。
 ガサガサ、と藪をかき分けて、数人の男の人が、私の前に姿を現した。

「何者だ」

 槍だか矛だかのような武器を構え、威圧的ではあるけど、冷静さも持っていそうな。
 そんないかつい人たちに取り囲まれてしまった。
 全員おそろいの、白く脱色した、丈夫そうな革の衣服を着ている。
 服の背中には「翼」という字が染められていた。

「さ、埼玉、じゃなくて、神台邑の、ちんけな小娘です」
「邑の住人か。逃げおおせたのだな」

 私に詰め寄っていた人は武器を下ろし。

「副使どの。生き残りを発見いたしました!」

 藪の奥、道のある方に向かって、そう叫んだ
 副使どの、と呼びかけられた相手はそれに応じて。

「おお、でかした。さて、有益な情報があるといいがな」

 と、機嫌よさそうに言葉を返した。
 そうして私は、副使どのと呼ばれる人の前に連行された。

「翼州(よくしゅう)左軍副使、司午(しご)玄霧(げんむ)である。お前の名は?」

 立派な毛並みの、凛々しい栗毛馬にまたがった、いかにも偉そうな人。
 短いけど綺麗に整った顎髭を撫でながら、男性はいかにも偉そうな口調で、そう自己紹介した。
 周囲に何人も、武器を持った強そうなお兄さんたちを従えている。

「え、あ、えと。神台邑に居候させてもらっています、北原(きたはら)麗央那(れおな)と言います」

 誰が相手であれ、挨拶と自己紹介は大事。
 そもそも、よくわからないことを早口で言われて、私にはこの人が何者であるのか、よくわからない。

「ふむ。先ほどの『戌族(じゅつぞく)』の襲撃の難を逃れて、ここに留まっていたのか?」
「わ、私、なにが起きたのかも、よくわからなくて。夢中で逃げてたら、いつの間にか、ここにいたんです」

 戌族ってなんだよ、知らんし。
 そいつらが、邑をめちゃくちゃにした犯人なの?

「ほう」

 玄霧さんは腕を組んで少しの間、考えをめぐらし。

「邑が今、どのような状況であるか、その目で見たいか?」

 私をまっすぐに見て、そう問いかけた。

「はい」

 迷うことなく、私はそう答えたのだった。
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