毒炎の侍女、後宮に戻り見えざる敵と戦う ~泣き虫れおなの絶叫昂国日誌・第三部~

西川 旭

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第十四章 新しい力、未だ知らぬ世界

百十三話 殿上の人々

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 久方ぶりの皇城は、いたるところで改築、補修工事が行われていた。
 せわしなく動き回り、汗水垂らして働いている人たちの、溌剌とした表情がまぶしい。
 あの中にきっと、翼州(よくしゅう)や角州(かくしゅう)の邑を追われて流れ着いた、少年たちもいるのだな。
 後で軽螢(けいけい)と一緒に、神台邑の石碑のお礼を言いに行かないと。

「お役目、ご苦労さまでございます」

 朝廷区画の前門で私たちを笑顔で出迎え、そう挨拶したのは、でっぷりと太った大柄の男性だった。
 装飾のない黒い半帽子と、詰襟の袍衣は宦官の証である。
 しかし、違和感もあった。
 繊維表面に艶めかしい光沢があるということは、これは絹の服だ。
 宦官が、絹の服なぞ着るのであろうかと、私が怪訝に思っていると。

「司礼(しれい)総太鑑(そうたいかん)どのにおかれましては、本日もご機嫌麗しゅう」

 私をここまで送ってくれた衛兵のお偉いさんが、恭しく頭を下げて言った。
 司礼、総、太鑑!
 昂国に存在する、すべての宦官たちのトップにして、皇帝陛下の私生活を最も近い場所で補助し、支える役目の人!

「おお、お初にお目にかかります。姓は麗、名は央那と申します」

 私も下手くそな礼を返し、慌てて自己紹介を述べる。
 ほっほっと機嫌良さそうに総太鑑は笑い。

「ようやく会えましたな、麗女史。拙(せつ)は馬蝋奴(ばろうやっこ)と申します。ささ、立ち話は体も冷えまするゆえ、中に入られよ」

 そう言って、私を宮城の脇にある建物へと導いた。
 馬蝋さんは偉そうな役人から、すれ違うたびに礼を受け、自身もにこやかに礼を返している。
 その態度は極めて温和で、これから先に厳しい尋問があるような雰囲気ではない。
 廊下を歩いているとき、馬蝋総太監は余人の耳目を気にするように、小さな声で私に囁いた。

「麻耶奴(まややっこ)に最初に仕事を教えたのは、拙であります。あのような企みを抱いていたなど、露ほども気付きませなんだ。麗女史には深いご迷惑をおかけいたしましたな」

 当然のことながら、国の偉い人たちに、後宮襲撃の際の私の立ち回りは、すでに知るところとなっている。
 後輩の不始末を詫びるように、同時に麻耶さんの企みを邪魔して走り回った私を労うかのように、馬蝋さんは優しい声音で頭を下げた。
 私はあのときの苦闘を思い出し、それでも生きてまたこのお城に戻って来られた感慨も重なって、目鼻の奥にツンとしたものが競り上がってくる。

「私こそ、後宮を滅茶苦茶にして、逃げるように出て行って、みなさんに大きな心労をかけさせてしまいました。他にやりようがあったんじゃないかと、今でも考えるときがあります」

 望んで後宮を脱し、旅に出て行った私だけれど、まったく後悔がないわけじゃないんだ。
 あんなにたくさんの不義理を重ねたのに、再会したとき微塵も非難を向けなかった玄霧(げんむ)さんや翠(すい)さまには、一生頭が上がらないだろう。

「殊勝な謙虚さですが、胸を張られよ。麗女史は後宮を守り切った。そのことは主上も、皇太后さまも深くご承知でありまする」

 馬蝋さんにそう言われた私は。
 ここでみっともなく泣き崩れるわけにはいかないと必死に気を張り、涙だけダラダラと大量に流しながら、手足に力を込めて歩き続けるのだった。

「扉の前で、手と口を清められよ」

 私が案内された一室。
 その入り口前で、女官の人が水差しを持って立っている。
 馬蝋さんはまず自分がお手本のように両手指の先と唇を軽く水で濡らし、神社の手水を思わせる所作で洗った。
 私もそれに倣って女官さんから掌に水を受け取り、両手と唇を洗う真似をした。
 それを見届けて馬蝋さんは頷く。

「結構。これより、皇太后陛下の御前であります」
「ファッ!?」

 壊れた管楽器ボイスが、久々に喉の奥から出た。
 え、ちょ、待って待って無理しんどい。
 皇帝陛下の、お母さま!?
 言わば、昂国すべての、太母(たいぼ)!!
 いきなりそんな方と面会なんて、心の準備、できてるわけねーだろ!
 若干キレ気味になりながら、唖然とした顔で私は馬蝋さんを見て、イヤイヤイヤと首を振る。
 私の慌てように、扉の前で控えている女官さんまでも、クスリと笑った。
 安心させるためであろうか、さっきよりもくだけておどけた口調で、馬蝋総太鑑が言った。

「皇太后陛下は、麗女史に会える日を心待ちにしておられた。この期に及んで逃げられては、拙がお叱りを受けましょう」

 歳を取った招き猫のように福福とした馬蝋さんにそこまで言われて、もうエスケープの道はない。

「うううう」

 私は観念して拝跪し、女官さんが扉を開けるのを待った。
 キィ、と分厚く大きな木の扉が両開きして。
 その先、部屋の奥に、簾(すだれ)がかかっている高座があった。

「翼州(よくしゅう)の娘、司午(しご)貴妃殿下の侍女、麗(れい)央那(おうな)に、皇母(こうぼ)さまがお言葉を賜れまする。万歳、万歳」

 部屋中に響く甲高く大きい声で、馬蝋さんが宣言した。
 誰も、なにも言わず、音も立てず。
 実際には数秒間であっただろうけれど、私にとってはひどく長い感覚の間が続いたのち。

「近く。お入りなさい」

 埼玉のお母さんに、似た声だった。
 お許しを得て、私たちは室内に頭を下げて入り進む。
 恒教(こうきょう)に書かれている通りにするなら、尊貴の極みたる人を前にした場合、八歩の間隔を空けて、面会しなければならない。
 私は馬蝋さんのサポートを受けながら、いったい誰の尺度で八歩なのか分からないその手前に留まり、再拝した。
 簾の奥から、顔の見えない国母さまが、どこか懐かしさを感じる声で言った。

「風雪厳しい北の地から、よく戻りましたね」

 返答をして良いものかどうかも分からないので、ちらりと馬蝋さんの顔色を窺う。
 軽く頷いてくれたので、どうやら直接、会話をしても良いのだな。

「はっ、ははあ。運良く、五体無事に帰ることができました」
「運、ですか」

 私の口上に興味を持ったのか、皇太后さまはその部分を突っ込んできた。

「あ、いえ、他にも多くの方のお力添えがあり、何度も助けてもらいました」

 白髪部(はくはつぶ)のみなさんや、怪しいクサレ坊主の星荷さん。
 除葛(じょかつ)軍師が差し向けた間者の乙(おつ)さんなど、本当に、たくさんの人の力を借りた。
 運の一言で済ませるわけにはいかないだろう。
 けれど私は、それらの出会いや助力に巡り合えたことを、運としか呼べない。
 強いて言い換えるなら、星の導き、あるいは宿命というものだろうか。
 私の想いや能力を超えたところに、旅の結果があったのは、疑いようもないことなのだ。
 その意図が皇太后さまにもある程度、伝わったのか。

「良い出会いが、あったのですね」

 優しく、温かいお言葉をいただいた。
 本当に、それに尽きる。
 余計な言葉を差し挟む隙間の無い私は、ただただ首を垂れるのみ。
 無言で拝する私の横で、馬蝋総太鑑が言った。

「拙が思いまするに、この麗という娘の裁きには、諸官も慎重に事情を勘案する必要があろうかと」

 私たちが北方で暴れたことに関しては、情状酌量の余地がある、ということだろう。
 その申し出を受けて、皇太后さまはさっきまでより強い口調で、ハッキリと答えた。

「もちろんです。これは主上も同じ考え。くれぐれも、軽々で粗雑な対処は許しませぬ」

 皇太后陛下から、直々に。
 麗(れい)央那(おうな)とその一党に対して、軽はずみな断罪をしてはいけないという、厳しい言葉が下された。
 しかもそれは、皇帝陛下も同じ意見であると言う。
 部屋の隅に控える女官が、私たちのやり取りを漏らさず書き留めている。
 これは、朝廷の、皇族としての公式の発言なのだ。

「よろしゅうございましたな。皇母さまのご慈悲を、ゆめゆめ、お忘れなきよう」
「は、ははーッ。ありがたき幸せッ!」

 どうにかこうにか、私たちの立場は、今までよりもマシになったらしい。
 覇聖鳳(はせお)を打倒した経緯は、あとあと事務的に聞かれるだろうけれど、そのことで私たちが処罰を受けるということは、とりあえずなさそうだな。
 ふー、と私が大きく安心の息を吐いたのが、皇太后さまは面白かったのか。

「そんなに、私は怖いかしら」

 書記の手を止めさせ、いたずらっぽくそう聞いてきた。
 ここからはプライベート会話、オフレコのようだ。

「め、めっそうもありません。不慣れな場なので、つい」
「ふふふ。けれど、驚いてしまうわねえ。あなたみたいな小さな女の子が、覇聖鳳を殺したなんて……」

 好奇心なのか、軽蔑なのか、それとも憐憫かあるいは感嘆か。
 複雑な感情が入り混じった声色で、皇太后さまはそうおっしゃった。

「もう二度は、できません。それも踏まえて、天運だと思います」
「そう……もっと、詳しく聞かせてもらえるかしら? それとも、思い出して話すのは辛い?」
「つまらない女の話でよろしければ、ぜひ」

 私はしばらく、皇太后さまに旅の経緯を話した。
 ヤギが緋瑠魅(ひるみ)の馬をぶちのめした段になって、部屋にいた全員が、こらえきれずに吹き出した。
 最初はおっかなびっくりだったけれど、総太鑑の馬蝋さんも、皇太后さまも、お優しい人たちで、助かった~。

「俺の活躍、ちゃんと偉い人たちに話してくれたか?」
「うーん、まあまあ」

 皇太后さまの喚問を終えて、市場の近くにある司午家の別邸に私は一旦、戻る。
 軽螢がワクワクして聞いてきたのを適当にあしらい、私は後宮に勤める準備に取り掛かる。

「ま、まさか皇太后陛下から、お呼びがかかるなんて……さすが央那さんです」

 邸宅に戻って来た想雲(そううん)くんから、なにやら羨望の眼差しを浴びた。
 彼はこの街で修業するための剣術道場に、見学に行っていたらしい。
 立派なことだ、自己鍛錬はやればやるだけ良いものだ。

「中書堂で暇そうにしてる賢そうなお兄さんがいたら、想雲くんの家庭教師に紹介してあげるよ」

 私が提案すると、想雲くんはぱあっと顔を輝かせた。
 しかし、すぐさま複雑な表情に変わり。

「こ、光栄です。で、でも僕は、他に学びたい人が……」
「自分で当てがあるなら、そっちの方が良いかもね」

 私が荷造りしている横で、なにか言いたそうな感じでモジモジしている想雲くんだった。
 ハッキリ言ってくれないと、分からんぞい。
 なにはともあれ、私が後宮で漣(れん)美人にお仕えする段取りは、無事に定まったのであった。
 次の職場も、良い所でありますように。
 枕の上で願い、私は久方ぶりにゆっくりと心置きなく、熟睡できたのであった。
 
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