上 下
183 / 183
後日譚

「ロゼとユークリッド」

しおりを挟む
 煌々と輝く満月が美しい夜。静寂に包まれた森の中、ドルトディチェ大公城からは無数の光が漏れ出ていた。
 その一角。ドルトディチェ大公夫人が住まう宮の寝室には、ロゼがいた。ストロベリーブロンドの長髪は、横で括られ肩に流している。堅苦しいドレスではない、柔らかなシルクの質感が心地よい寝間着を身にまとっていた。
 そんな彼女は、腕の中に何かを抱いている。毛布でも、ぬいぐるみでもない。ひとつの、生命だ。

「あら、目が覚めてしまったの?」

 ロゼが優しく問いかける。彼女の腕の中にいるのは、赤子。生まれてまだ数ヶ月しか経っていない、幼い子。正真正銘、ドルトディチェ大公夫妻の子だ。
 名は、ローズマリー・ユーラルア・リーネ・ドルトディチェ。ドルトディチェ大公家の嫡女。ロゼ譲りのストロベリーブロンドの髪に、大公家の直系の証であるブラッドレッドの瞳を持つ。
 ローズマリーは、ロゼに向かって必死に手を伸ばす。どうやら、宝石のような輝きを放つ、ロゼの瞳が気になって仕方がないようだ。

「あぅぁ」
「ふふ、お母様の目が気になるの?」

 ロゼが顔をそっと近づけると、ローズマリーは小さな手を彼女の頬に押し当てた。幸せな温もり。小さな体で必死に生きている。体が包み込まれるような、なんとも言いがたい幸福感を感じたロゼは、ローズマリーの手を取った。
 その時、扉をノックする音が寝室に反響する。

「ロゼ、入ってもよろしいですか?」
「どうぞ」

 ロゼの合図で扉を開けたのは、貴族の正装をしたユークリッドであった。黒髪はオールバックに。相変わらず日に焼けていない白い肌は、美しい。
 今朝、皇城までわざわざ赴かなければならないと呆れていたが、どうやらようやく帰宅したらしい。着替える前に、浴室で疲れた体を癒す前に、ロゼとローズマリーがいる寝室まで一直線にやって来たらしい。

「ただいま帰りました」
「おかえりなさい。お疲れでしょう? ソファーに、」
「いいえ、大丈夫です」

 ユークリッドはロゼの腰を軽く抱いて、彼女の額にキスを落とした。そして彼女が抱いている愛する娘のローズマリーにも同様に愛を授ける。ローズマリーは、嬉しそうに笑っている。

「今でも、これは俺の都合のいい夢なのではないか、と思う時があります」
「え?」
「何度も、何度も想像しました。あなたと共に過ごす未来を、あなたの子と幸せに暮らす日々を」

 ユークリッドは、ロゼの髪に顔を埋めながら語る。少しだけ、声が震えていた気がした。
 きっと、彼は幸せすぎる今という時間に、疑念を抱いているのだろう。自分にはあまりにも都合がよすぎる、と。
 禍々しいドルトディチェ大公家。千年という気の遠くなる年月の中、大公家に蔓延ってきた概念をユークリッドとロゼが根本から崩した。結果、以前の大公家では考えられないほどの平穏と幸せが訪れたのだ。ユークリッドは、以前とのギャップを感じすぎてしまっているのだろう。あまりにも元の大公家の状況とはかけ離れているから。
 だがこれは、夢などではない。ユークリッドが、ロゼが死に物狂いに、命を賭けて努力した結果だ。それを否定する権利は、当の本人にもないだろう。
 ロゼは微笑したあと、ユークリッドに身を預ける。

「全て、現実です。ユークリッド。あなたも私も生きていて、子宝にも恵まれた。こんなにも幸せなことを、幻想にしてもらっては困るわよ」
「……申し訳ありません」

 ユークリッドは苦笑しながら謝罪した。そしてロゼの頬に手を添えようとする。ところが、ロゼがそれを拒んだ。

「指先、怪我をしていますね……」
「あぁ、本当ですね。いつの間に……」

 純白の手袋に包まれた人差し指の先が、血で滲んでいる。軽傷のうちにも入らない、小さな小さな怪我だ。
 ユークリッドは、大公家において最後の血の呪いを持つ者。愛娘であるローズマリーには決して触れさせまい、と手を引こうとする。刹那、大人しくロゼに抱かれていたはずのローズマリーがユークリッドの手をガシッと掴んだのだ。

「っ!?」

 ユークリッドは咄嗟にローズマリーの手を振り払おうとする。ところが、ローズマリーは彼の指先ではない場所を掴んでいたため、振り払うのは思い留まった。ユークリッドとロゼは、安堵の息を吐く。
 しかし次の瞬間、目も疑うような光景が飛び込んでくる。

「これ、は……」

 赤い炎がユークリッドの指先を包み込んだ。僅か数秒。直後、霧散する。手袋に血は滲んでいるものの、ユークリッドは指先に違和感を覚え、手袋を剥ぎ取った。そこにあったはずの傷口は、

「ローズマリー。あなた……」

 ロゼは無邪気に笑っているローズマリーを注視する。
 ドルトディチェ大公一族に神獣の愛が降り注ぎし時、呪いは解け、一族はさらなる進化を遂げる。進化とはつまり、ロゼと同じ、神獣リルと同様の治癒能力を持った子が生まれるということ。そしてそれは、一代だけではない。この先も、ずっと、永遠に。ドルトディチェ大公家の血が絶えぬ限り、続いていくのだ――。

「進化とは、そういうことなのか……」

 ロゼと同じく、ユークリッドも進化の意味に気がついたらしい。ドルトディチェ大公家は、人を殺す力でなく、人を癒す力を手に入れたのだ。
 ユークリッドは、ロゼとローズマリーを抱きしめ、今にも崩壊してしまいそうな涙腺をしっかりと閉める。ロゼは思わず、涙していた。
 煌々と輝く満月が美しい夜。
 千年の時を経て、呪いは浄化された。
 これから続いていく永遠の幸せ。どうか、何人たりとも、その幸せを壊すことは、しませんように――。



❀゚*❁゚*❁。゚。*❀゚*❁。゚。*❀゚



これにて後日譚も完結となります。
読者の皆様、最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます!

コミカライズ(WEBTOON)作品「愛した夫に殺されたので今度こそは愛しません ~公爵令嬢と最強の軍人の恋戦記~」もよろしくお願いいたします。

次作、「死にたくないので婚約破棄したのですが、直後に辺境の軍人に嫁がされてしまいました ~剣王と転生令嬢~」のほうも何卒よろしくお願いいたします!
明日から公開予定です!
しおりを挟む

この作品は感想を受け付けておりません。

1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

王子様は恋愛対象外とさせていただきます

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:7pt お気に入り:61

限界集落で暮らす女子中学生のお仕事はどうやらあやかし退治らしいのです

キャラ文芸 / 連載中 24h.ポイント:583pt お気に入り:59

(R18)あらすじしか知らない18禁乙女ゲーム異世界転生。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:9,080pt お気に入り:548

王となった弟とその奴隷となった姉の話

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:20,502pt お気に入り:117

聖女の祈りを胡散臭いものだと切り捨てた陛下は愚かでしたね。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:979pt お気に入り:642

小さな願い~3姉弟のリアルストーリー~

エッセイ・ノンフィクション / 連載中 24h.ポイント:35pt お気に入り:0

目覚めた公爵令嬢は、悪事を許しません

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:25,016pt お気に入り:3,176

処理中です...