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後日譚
「ロゼとユークリッド」
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煌々と輝く満月が美しい夜。静寂に包まれた森の中、ドルトディチェ大公城からは無数の光が漏れ出ていた。
その一角。ドルトディチェ大公夫人が住まう宮の寝室には、ロゼがいた。ストロベリーブロンドの長髪は、横で括られ肩に流している。堅苦しいドレスではない、柔らかなシルクの質感が心地よい寝間着を身にまとっていた。
そんな彼女は、腕の中に何かを抱いている。毛布でも、ぬいぐるみでもない。ひとつの、生命だ。
「あら、目が覚めてしまったの?」
ロゼが優しく問いかける。彼女の腕の中にいるのは、赤子。生まれてまだ数ヶ月しか経っていない、幼い子。正真正銘、ドルトディチェ大公夫妻の子だ。
名は、ローズマリー・ユーラルア・リーネ・ドルトディチェ。ドルトディチェ大公家の嫡女。ロゼ譲りのストロベリーブロンドの髪に、大公家の直系の証であるブラッドレッドの瞳を持つ。
ローズマリーは、ロゼに向かって必死に手を伸ばす。どうやら、宝石のような輝きを放つ、ロゼの瞳が気になって仕方がないようだ。
「あぅぁ」
「ふふ、お母様の目が気になるの?」
ロゼが顔をそっと近づけると、ローズマリーは小さな手を彼女の頬に押し当てた。幸せな温もり。小さな体で必死に生きている。体が包み込まれるような、なんとも言いがたい幸福感を感じたロゼは、ローズマリーの手を取った。
その時、扉をノックする音が寝室に反響する。
「ロゼ、入ってもよろしいですか?」
「どうぞ」
ロゼの合図で扉を開けたのは、貴族の正装をしたユークリッドであった。黒髪はオールバックに。相変わらず日に焼けていない白い肌は、美しい。
今朝、皇城までわざわざ赴かなければならないと呆れていたが、どうやらようやく帰宅したらしい。着替える前に、浴室で疲れた体を癒す前に、ロゼとローズマリーがいる寝室まで一直線にやって来たらしい。
「ただいま帰りました」
「おかえりなさい。お疲れでしょう? ソファーに、」
「いいえ、大丈夫です」
ユークリッドはロゼの腰を軽く抱いて、彼女の額にキスを落とした。そして彼女が抱いている愛する娘のローズマリーにも同様に愛を授ける。ローズマリーは、嬉しそうに笑っている。
「今でも、これは俺の都合のいい夢なのではないか、と思う時があります」
「え?」
「何度も、何度も想像しました。あなたと共に過ごす未来を、あなたの子と幸せに暮らす日々を」
ユークリッドは、ロゼの髪に顔を埋めながら語る。少しだけ、声が震えていた気がした。
きっと、彼は幸せすぎる今という時間に、疑念を抱いているのだろう。自分にはあまりにも都合がよすぎる、と。
禍々しいドルトディチェ大公家。千年という気の遠くなる年月の中、大公家に蔓延ってきた概念をユークリッドとロゼが根本から崩した。結果、以前の大公家では考えられないほどの平穏と幸せが訪れたのだ。ユークリッドは、以前とのギャップを感じすぎてしまっているのだろう。あまりにも元の大公家の状況とはかけ離れているから。
だがこれは、夢などではない。ユークリッドが、ロゼが死に物狂いに、命を賭けて努力した結果だ。それを否定する権利は、当の本人にもないだろう。
ロゼは微笑したあと、ユークリッドに身を預ける。
「全て、現実です。ユークリッド。あなたも私も生きていて、子宝にも恵まれた。こんなにも幸せなことを、幻想にしてもらっては困るわよ」
「……申し訳ありません」
ユークリッドは苦笑しながら謝罪した。そしてロゼの頬に手を添えようとする。ところが、ロゼがそれを拒んだ。
「指先、怪我をしていますね……」
「あぁ、本当ですね。いつの間に……」
純白の手袋に包まれた人差し指の先が、血で滲んでいる。軽傷のうちにも入らない、小さな小さな怪我だ。
ユークリッドは、大公家において最後の血の呪いを持つ者。愛娘であるローズマリーには決して触れさせまい、と手を引こうとする。刹那、大人しくロゼに抱かれていたはずのローズマリーがユークリッドの手をガシッと掴んだのだ。
「っ!?」
ユークリッドは咄嗟にローズマリーの手を振り払おうとする。ところが、ローズマリーは彼の指先ではない場所を掴んでいたため、振り払うのは思い留まった。ユークリッドとロゼは、安堵の息を吐く。
しかし次の瞬間、目も疑うような光景が飛び込んでくる。
「これ、は……」
赤い炎がユークリッドの指先を包み込んだ。僅か数秒。直後、霧散する。手袋に血は滲んでいるものの、ユークリッドは指先に違和感を覚え、手袋を剥ぎ取った。そこにあったはずの傷口は、跡形もなくなっていた。
「ローズマリー。あなた……」
ロゼは無邪気に笑っているローズマリーを注視する。
ドルトディチェ大公一族に神獣の愛が降り注ぎし時、呪いは解け、一族はさらなる進化を遂げる。進化とはつまり、ロゼと同じ、神獣リルと同様の治癒能力を持った子が生まれるということ。そしてそれは、一代だけではない。この先も、ずっと、永遠に。ドルトディチェ大公家の血が絶えぬ限り、続いていくのだ――。
「進化とは、そういうことなのか……」
ロゼと同じく、ユークリッドも進化の意味に気がついたらしい。ドルトディチェ大公家は、人を殺す力でなく、人を癒す力を手に入れたのだ。
ユークリッドは、ロゼとローズマリーを抱きしめ、今にも崩壊してしまいそうな涙腺をしっかりと閉める。ロゼは思わず、涙していた。
煌々と輝く満月が美しい夜。
千年の時を経て、呪いは浄化された。
これから続いていく永遠の幸せ。どうか、何人たりとも、その幸せを壊すことは、しませんように――。
❀゚*❁゚*❁。゚。*❀゚*❁。゚。*❀゚
これにて後日譚も完結となります。
読者の皆様、最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます!
コミカライズ(WEBTOON)作品「愛した夫に殺されたので今度こそは愛しません ~公爵令嬢と最強の軍人の恋戦記~」もよろしくお願いいたします。
次作、「死にたくないので婚約破棄したのですが、直後に辺境の軍人に嫁がされてしまいました ~剣王と転生令嬢~」のほうも何卒よろしくお願いいたします!
明日から公開予定です!
その一角。ドルトディチェ大公夫人が住まう宮の寝室には、ロゼがいた。ストロベリーブロンドの長髪は、横で括られ肩に流している。堅苦しいドレスではない、柔らかなシルクの質感が心地よい寝間着を身にまとっていた。
そんな彼女は、腕の中に何かを抱いている。毛布でも、ぬいぐるみでもない。ひとつの、生命だ。
「あら、目が覚めてしまったの?」
ロゼが優しく問いかける。彼女の腕の中にいるのは、赤子。生まれてまだ数ヶ月しか経っていない、幼い子。正真正銘、ドルトディチェ大公夫妻の子だ。
名は、ローズマリー・ユーラルア・リーネ・ドルトディチェ。ドルトディチェ大公家の嫡女。ロゼ譲りのストロベリーブロンドの髪に、大公家の直系の証であるブラッドレッドの瞳を持つ。
ローズマリーは、ロゼに向かって必死に手を伸ばす。どうやら、宝石のような輝きを放つ、ロゼの瞳が気になって仕方がないようだ。
「あぅぁ」
「ふふ、お母様の目が気になるの?」
ロゼが顔をそっと近づけると、ローズマリーは小さな手を彼女の頬に押し当てた。幸せな温もり。小さな体で必死に生きている。体が包み込まれるような、なんとも言いがたい幸福感を感じたロゼは、ローズマリーの手を取った。
その時、扉をノックする音が寝室に反響する。
「ロゼ、入ってもよろしいですか?」
「どうぞ」
ロゼの合図で扉を開けたのは、貴族の正装をしたユークリッドであった。黒髪はオールバックに。相変わらず日に焼けていない白い肌は、美しい。
今朝、皇城までわざわざ赴かなければならないと呆れていたが、どうやらようやく帰宅したらしい。着替える前に、浴室で疲れた体を癒す前に、ロゼとローズマリーがいる寝室まで一直線にやって来たらしい。
「ただいま帰りました」
「おかえりなさい。お疲れでしょう? ソファーに、」
「いいえ、大丈夫です」
ユークリッドはロゼの腰を軽く抱いて、彼女の額にキスを落とした。そして彼女が抱いている愛する娘のローズマリーにも同様に愛を授ける。ローズマリーは、嬉しそうに笑っている。
「今でも、これは俺の都合のいい夢なのではないか、と思う時があります」
「え?」
「何度も、何度も想像しました。あなたと共に過ごす未来を、あなたの子と幸せに暮らす日々を」
ユークリッドは、ロゼの髪に顔を埋めながら語る。少しだけ、声が震えていた気がした。
きっと、彼は幸せすぎる今という時間に、疑念を抱いているのだろう。自分にはあまりにも都合がよすぎる、と。
禍々しいドルトディチェ大公家。千年という気の遠くなる年月の中、大公家に蔓延ってきた概念をユークリッドとロゼが根本から崩した。結果、以前の大公家では考えられないほどの平穏と幸せが訪れたのだ。ユークリッドは、以前とのギャップを感じすぎてしまっているのだろう。あまりにも元の大公家の状況とはかけ離れているから。
だがこれは、夢などではない。ユークリッドが、ロゼが死に物狂いに、命を賭けて努力した結果だ。それを否定する権利は、当の本人にもないだろう。
ロゼは微笑したあと、ユークリッドに身を預ける。
「全て、現実です。ユークリッド。あなたも私も生きていて、子宝にも恵まれた。こんなにも幸せなことを、幻想にしてもらっては困るわよ」
「……申し訳ありません」
ユークリッドは苦笑しながら謝罪した。そしてロゼの頬に手を添えようとする。ところが、ロゼがそれを拒んだ。
「指先、怪我をしていますね……」
「あぁ、本当ですね。いつの間に……」
純白の手袋に包まれた人差し指の先が、血で滲んでいる。軽傷のうちにも入らない、小さな小さな怪我だ。
ユークリッドは、大公家において最後の血の呪いを持つ者。愛娘であるローズマリーには決して触れさせまい、と手を引こうとする。刹那、大人しくロゼに抱かれていたはずのローズマリーがユークリッドの手をガシッと掴んだのだ。
「っ!?」
ユークリッドは咄嗟にローズマリーの手を振り払おうとする。ところが、ローズマリーは彼の指先ではない場所を掴んでいたため、振り払うのは思い留まった。ユークリッドとロゼは、安堵の息を吐く。
しかし次の瞬間、目も疑うような光景が飛び込んでくる。
「これ、は……」
赤い炎がユークリッドの指先を包み込んだ。僅か数秒。直後、霧散する。手袋に血は滲んでいるものの、ユークリッドは指先に違和感を覚え、手袋を剥ぎ取った。そこにあったはずの傷口は、跡形もなくなっていた。
「ローズマリー。あなた……」
ロゼは無邪気に笑っているローズマリーを注視する。
ドルトディチェ大公一族に神獣の愛が降り注ぎし時、呪いは解け、一族はさらなる進化を遂げる。進化とはつまり、ロゼと同じ、神獣リルと同様の治癒能力を持った子が生まれるということ。そしてそれは、一代だけではない。この先も、ずっと、永遠に。ドルトディチェ大公家の血が絶えぬ限り、続いていくのだ――。
「進化とは、そういうことなのか……」
ロゼと同じく、ユークリッドも進化の意味に気がついたらしい。ドルトディチェ大公家は、人を殺す力でなく、人を癒す力を手に入れたのだ。
ユークリッドは、ロゼとローズマリーを抱きしめ、今にも崩壊してしまいそうな涙腺をしっかりと閉める。ロゼは思わず、涙していた。
煌々と輝く満月が美しい夜。
千年の時を経て、呪いは浄化された。
これから続いていく永遠の幸せ。どうか、何人たりとも、その幸せを壊すことは、しませんように――。
❀゚*❁゚*❁。゚。*❀゚*❁。゚。*❀゚
これにて後日譚も完結となります。
読者の皆様、最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます!
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次作、「死にたくないので婚約破棄したのですが、直後に辺境の軍人に嫁がされてしまいました ~剣王と転生令嬢~」のほうも何卒よろしくお願いいたします!
明日から公開予定です!
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